疑惑の前世
暗くてとても寒い。悲しくて辛くて、ただ泣いて過ごしていた。
日付の感覚なんて、もう分からなかった。分かっていることは、自分がもうすぐ死ぬということだけだった。
牢の外から、青く澄んだ美しい瞳がこちらを見つめていた。瞳の持ち主である幼い少年は問いかる。
――貴女は、なぜ死ぬのに平然としていられるのですか。
少年の名前はルミナシウス。祖国の王子様。賢くて、優しい子。
彼のような人がいるのなら、この国にはまだ価値があるのだと思えた。
◇◆◇
うっすらと目を開けると、青白くおぼろげな光が目に入った。服の下に隠していた人工精霊が、フィオナを起こすように頬をつついていた。
「ルミナシウス……おはよう」
体を起こした時、冷たい岩に手が触れて、今、自分が何をしているのかを思い出した。塔から逃げ出して、知らない人達と、知らない森の中にいる。
フィオナの体には、ルイのマントがかけられていた。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。さっきまで懐かしい夢を見ていた気がするが、忘れてしまっていた。
岩場の隙間で眠っていたようだ。すぐ近くで、ルイ達が話す声が聞こえた。体をねじって岩場の反対側を覗き込むと、彼らが神妙な顔つきで話し込んでいる姿が見える。
「当初の予定だと我々はメリア連邦国首都に真っ直ぐ戻る予定だったが、承知の通り作戦変更になった。連邦と協定を結んでいるトリデシュタイン公国へ向かう」
ルイの言葉に、ギルバートがすかさず反応する。
「作戦変更と言うが、団長が勝手に変えたんだろう」
「なぜ国へ戻らないんです?」
そう尋ねたのはヘンリーだ。まだ若く、明るい茶色の髪色とそばかすが印象的な、フィオナより少しだけ年が上に見える兵士だった。
「その間に追っ手に追いつかれるからだ。番の不在はすぐに白銀王にも知れるだろうから、時間はあまりない。公国で軍を借り、対抗するのが私の考えだ。あそこには良い砦もあることだし、長期戦も耐えられる」
「あの公爵がやすやすと軍を貸しますか」
そう言ったのはシルヴィアで、ルイが頷いた気配がした。
「トリデシュタイン公爵はくせ者だが、心強い味方ではある。先の戦闘では共に前線に出て、私とも旧知の仲だ。友情に頼るのは主義ではないが、やむを得ない」
「いくらふっかけられますかね。あるいは無茶な条件を突きつけられるかもしれません」
シルヴィアの言葉にルイが黙って肩をすくめるのが見えた。ギルバートが隣にいたジャグに顔を向ける。
「おっさん、あんたの考えは?」
「俺は団長に従う。それだけだ」
「くそ、あんたはいつもそうだ」
会話を聞きながら、フィオナは必死に内容を理解しようとしていた。
メリア連邦国もトリデシュタイン公国も聞いたことのない国名だ。メリアという地域は大陸の北側、中央から東にかけての広域の一帯を言うということは前世で知っていたが、その名を冠した国はなかったように思う。この十六年のうちに新興した国かもしれない。
と、その時、岩陰にいたルミナシウスがふわりと浮き、フィオナの鼻先までやってきた。まるで精霊も彼らの姿をよく見ようとするかのように。
光る精霊は、暗闇だとひどく目立つ。気配を感じたらしいルイがこちらを振り返り、目が合った。
「起きていましたか」
他の四人の視線も注がれる。盗み聞きなんてはしたない真似をしてしまったことが気まずい。
「あの、その……ついさっき目が覚めて、声がしたから……」
ごにょごにょと口の中で言い訳を呟くと、ルイは微笑んだ。
「丁度今、明日からの行程を確認していたところですよ。貴女を安全な場所まで連れて行くために。ええと――」
ルイはふと、そこに思い至ったかのように尋ねてきた。
「そういえば貴女の名前は?」
考えてみたら名前を名乗っていなかった。特に聞かれもしなかったら、とうに知っているものだと思っていたが、そうではなかったようだ。
「白銀様はお伝えしなかったのですか?」
白銀様の命令を受けているのなら、わたしの名前を伝えてもらえはしなかったのかしら――? フィオナはそう思っていた。
「彼は教えてくれなかったから」
名前など、ルイ達は興味がなかったのだろう。
(重要なのは、わたしが白銀様の番だということだけなのかもしれない)
そういうものかと納得して、答える。
「フィオナです」
言うと、ルイは目を開きフィオナを凝視した。その仕草さえ様になっているような気がして、フィオナは思わず目を逸らしてしまう。見つめ続けていたら、自分がどうにかなってしまいそうだった。目を合わせないまま、フィオナは言った。
「わたしが赤ん坊の時に白銀様が引き取ってくださって、前世と同じ名前を付けてくださったのです」
「前世だと? 本気か」
ギルバートが半笑いで言ったが、フィオナは至って真面目だった。
「はい、フィオナ・ラインはわたしの前世です。そのままそっくり、同じ魂を持っています」
だが番へ向く感情だけは以前とは違うってことは言えなかった。
ギルバートの疑念は晴れないようだ。
「馬鹿を言え。初対面相手に言いたかないが、頭がどうかしている」
「団長はどう考えますか?」
シルヴィアの問いにルイが答える。
「女神が魂を二つに分けたという話を信じるのなら、片方の番が生きているうちは、生まれ変わりもあり得るのかもな。生まれ変わったとするなら、偶々前世を覚えていたのかもしれない。なにより、否定するには彼女はかつてのフィオナ・ラインによく似ている」
その言葉を聞いて、フィオナの頭に疑問がかすめた。塔でも、彼は同じようなことを言っていた。
ギルバートは冷笑する。
「伝承じゃ、先に逝った番は衣を変えて蘇るんだろう。姿形がそっくりとは、同じ衣を着てきたっていうのかよ?」
「それほど似ているんですか。ダガーさんはどう見ます? フィオナ・ラインを知っているんでしょう?」
ヘンリーも懐疑的に言った。問われたジャグはフィオナを見る。
「似ているなんてものじゃない、生き写しさ。あの時処刑された彼女が今また蘇ったようにさえ思える」
フィオナは驚いてジャグを見たが、彼におかしなことを言ったという様子もないため、抱いていた疑問を口にする。
「お、お二人は、以前のわたしを知っているのですか――?」
前世の記憶にはルイ・ベルトールもジャグ・ダガーもいなかった。前世の記憶が完全でないにしても、二人の反応を見るに、親しい人というわけでもないだろう。
それでも二人は、フィオナ・ラインを知っているという。少なくとも、見たことがあるのだ。
ジャグは頷く。
「俺は昔、王国で兵士をしていたから、フィオナ・ラインの処刑にも立ち会った。
……王国の終期は狂気じみていた。何の罪もない娘を、竜人の番だというだけの理由で殺害したんだ。あれほど嫌な体験はなかった。だから今でも鮮明に覚えている」
フィオナは言葉が出てこない。
(びっくりすることばかりあるわ)
前世の命の終わりに、ジャグがいたなんて、なんと奇妙な縁なんだろう。
「あの、ジャグさんのご出身はどちらですか? 実はわたし、前世の記憶が曖昧な部分があって、出身の国の名前を思い出せなくて」
白銀に聞いたこともあったが、知らなくてもいいと、教えてくれなかった。
「ルカリヨンだ。フィオナ・ラインの出身は、ルカリヨン王国だった」
そう答えたのはルイだった。
――ルカリヨン王国。
頭の中で反芻して、妙に腑に落ちた。そうだった、ルカリヨン王国だ。わたしが生まれたのは、ルカリヨン王国の高地にある領地だ。
フィオナはそれを思い出した。
ルミナシウスがチカチカと暗闇の中を点滅する中、ルイに尋ねた。
「ルイ様も、ルカリヨン王国の兵士だったんですか?」
首を横に振った後で、彼は静かに、手短に答える。
「私は当時子供だったので、彼女を死の間際に見ただけです」
ルイも処刑の場にいたのか。考えてみたら、あの処刑場には多くの市民が集まっていた。
前世の自分を知っている人間が二人もここにいるなど驚くほどの偶然だ。フィオナは不思議な思いに包まれた。
「王国は今どうなっているんでしょうか。わたしの死の後はどうなったのですか?」
ルイは答える。
「王国は白銀王に滅ぼされ、王族も皆殺されました。逃れられなかった国民達は死ぬか、竜族によって捕らえられ奴隷にされた。運が良い者だけが生き残り、他国へ亡命した。それが王国の顛末です」
一切感情を見せない、淡々とした口調に感じた。
一方でフィオナはひどく動揺した。
自分を処刑した国だったが、生まれ育った場所をフィオナ・ラインは愛していた。
(それが白銀様に滅ぼされたなんて。だから白銀様はわたしに前世の話をあまり教えてくれなかったのかな)
――だけど白銀様は、わたしへの深い愛情故にそうしたんだ。責めたりなんてしないのに。
ルミナシウスが淡く光り、慰めるようにフィオナの目の前を飛ぶ。その光がルイの顔を照らした。青白い光を受けた彼からは、なんの表情も読み取れない。
(それじゃあこの人は、祖国を滅ぼした竜人の元で働いているってこと?)
ルイはフィオナから目線を外して淡々と言った。
「無駄話が過ぎたな。ともかく、これで解散だ」
その一言で兵士らは側を離れて、銘々の休息に入っていった。




