芽生える感情
移動魔法はあらかじめ魔術をかけていた地点に移動可能で、距離が離れるほど困難になる特性を持つということをフィオナは知識として知っていた。
隊の銘々は相互に移動点を設定しており、ギルバートはシルヴィアとヘンリーの気配を探って移動したのだと、後からそう聞いて納得はしたが、突然背後の魔法陣からルイ達が現れた時、フィオナは大層驚いた。
魔術師であるギルバート・ドライドは街と街の間の移動であれば数十人程度を馬と物資ごと瞬時に移動させるだけの力を持っていると聞いたのも、やはり随分後のことだった。
丁度、平原を横切っている時だった。
彼らの無事を見てフィオナは安堵したが、他の二人は、仲間の帰還を当然のことのように考えているのか、無言で目を遣っただけだった。
それからも、移動し続けた。
通常の馬とは違って、長距離を素早く移動できるように品種改良されている馬なのだとルイから説明を受けたが、そもそも通常の馬がどれほど走れるか知らないフィオナには、いまいちピンと来なかった。
フィオナは馬が疲れないように、ルイとシルヴィアの馬に交互に乗る。ようやく地面に降り立ったのは、夜が深まってからだ。
森、草原、森、草原――と繰り返した先にあった森の中の岩場で、一行は立ち止まる。
数時間も馬に乗るのは前世も今世も初めてだったため、体中が痛かった。
「いたたたたた! 痛い、おしりが痛いです!」
半泣きになりながら馬を降りていたら、手を貸していたルイが苦笑する。そんな顔さえ素敵に見えて、フィオナは顔が熱くなるのが分かった。
暗がりの中で銘々の馬を繋ぎ、岩場に腰を下ろしている兵士達を見ながら、そんなルイに問いかけた。
「もう追っ手は来ないのでしょうか?」
先ほどの追っ手は倒したと聞いたが、さらなる追っ手と戦闘が続くとしたら確実に疲弊していくだろう。ルイは答える。
「交戦したのが第一陣として貴女をなんとしてでも逃すまいとした精鋭達でしょう。初手があれなら、第二陣が来るのは体制を整えてからだと思いますが。
……塔に兵士が何人控えていたか分かりますか」
フィオナは首を横に振りながら、いかに自分が役立たずであるか思い知らされるようだった。
(せめて番様を裏切っていた人数くらい分かればいいのに)
ルイを含めた兵士達はフィオナを守るために駆け付けてくれたにも関わらず、当の自分は裏切りの気配にも気付かず、裏切った者の人数さえ分からない。
フィオナが惨めさを噛みしめていると、ふいに顔に当たった水滴に気付いた。空を見上げると、木の葉の間から無数の滴が落ちてくる。
ルイも同じように上を見ながら目を細めて呟いた。
「雨か。こちらの匂いと足跡を消し去ってくれるほど降ってくれればいいが、この弱雨だと厳しいかな」
しかしフィオナはそれどころではなかった。憂鬱さは一瞬忘れ、歓喜する。
「わあ! 雨! すごい、初めて触れました!」
驚いたようにルイ様がわたしを見た。
「そんな訳……」
言いかけた彼は、しかし思い直したように首を振る。
「いや、貴女はずっとあの塔から出なかったのか」
「はい。前世の記憶もあるし、まったく外を知らないわけではありませんけど」
それでも記憶の中と実際に触れるのとでは異なるように思えた。雨がこんなに柔らかいものだということを、フィオナは知らなかった。
「今世では初めて外に出ました。塔の周りには魔術が張られていたので、雨も雪も避けられて、遠くから見るだけだったから……」
言ってから、白銀の使いで来た彼らは、塔の魔術のことなど承知しているはずだから、わざわざ言うことではなかったかもしれないと思い直す。
十六年間人と碌に会話してこなかったから、他人と何を話して良いのかよく分からなかった。
(変なことを言っちゃったかもしれない。余計な話をして、気分を悪くさせてしまったかもしれないわ)
黙ってしまった彼を見てそう思っていると、会話が聞こえたらしいギルバートが近くに寄り言った。
「塔に魔術があったのか?」
ああ、とルイは頷いた。
「確かに複数張られていた」
「なぜすぐにそれを言わない? では白銀王も、結界が消えたことに気付いたということだ。西大陸は引き上げて、番の元に言葉通りすっとんでくるぞ」
ギルバートの言葉に、皆に緊張が走った。
ルイだけが余裕の表情で答える。
「何を恐れることがある? 元々白銀王とはどこかで相まみえるつもりだったんだ、問題はないだろう」
重い沈黙があった。
耐えきれず、といったように、ジャグが懐から煙管を取り出し火を付けようとしたが、傍らにいたシルヴィアに即座に取り上げられる。
「ジャグ、火を使うのは止めましょう。灯りと煙で居場所を悟られるとも限らないし。皆さんも、食事は各自の携帯食で済ませてください。今日は火は使いません」
隊はおごそかに、食事と休息に入っていった。
暗がりに浮かび上がる巨岩は、まるで絵本に出てくる怪物のようだとフィオナは思った。雨よけに、ルイから借りたマントを頭から被り、彼の隣に腰掛けていた。他に、どこに行っていいのか分からなかった。
「貴女は私の分を食べてください」
ルイが袋から食糧を取り出し渡してくれたため、お礼を言って受け取って、もそもそと食べ始める。
緊張でひどく疲れていて、無言で口を動かしていると、剣の手入れをしていたルイが手元から顔を上げ、フィオナの顔を覗き込んだ。
「乾燥肉と黒パンは口に合いませんか? もう少し余裕があれば動物でも狩って調理するんですが、今日はそうもいかずに。申し訳ありません」
「いいえ! 美味しいです、ありがとうございます」
フィオナは慌ててそう言って、食事をなんとか飲み込んだが、実際料理の味なんてほとんど分からなかった。
ルイに見つめられると言葉も上手く紡げない。フィオナは横目でルイを盗み見た。整った顔をしている人だと思う。
前世の記憶にある限りの顔を並べてみても、この人ほど端正な顔つきの者はいなかったのではないか。
(白銀様もこの世ならざる美貌を持っているけれど、この人とはまた少し違って感じる。どう違うのかは、うまく言葉にできないけれど……)
そう思いながら彼を見ていると、心臓がまたしても鳴り出して、必死にそれを諌める。
(――白銀様がいるのに、どうして他の人にこんな気持ちになるの? わたし、馬鹿になっちゃったのかもしれない)




