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葱坊主の恋。  作者: なずとず
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にばんめのわたし 下

 わかるような、わからないような。蓮が考え込んでいると、夢逢は笑った。


「まあ、それだけのことだよ」


「それだけ……ですか……。やっぱり俺には少し難しいです。ところで先生、この花は本当はなんていうんですか?」


「そんなの知らなくてもいいよ」


「ええ?」


 蓮が困惑していると、夢逢は肩を竦める。


「世の中、わからないことがあったほうが楽しいだろう? これはキムクメトリバナ、そのほうが世界が広がっていい。この花がどんな名前で、本当はどんな花言葉なのか調べて広がる世界もあるけどね。……ほら、例えば僕の本名なんか知らないほうが夢が有るだろ?」


「先生の本名、ですか」


 確かに。雲母坂夢逢なんて美しい名前、ペンネームに違いないだろうが。


「本名が山田太郎だったりしたら夢が台無しになるだろ、だからわからないことは有っても別にいいのさ」


「そんなもんですかね……?」


 俺は先生のこと、もっと知りたいですけど。その言葉は飲み込んだ。


「でも、やっぱり俺はあの花の名前、知りたいです」


「徳田君は知りたがりだな。これはね、クサノオウというんだ」


「草の……王? すごい名前ですね」


「ふふ、そうさ。現実も大それた名前と勝手な意味を花につけるのだから、我々が想像して作るのもまた真実に成り得るのだよ、徳田君」


「……ちなみに、花言葉は?」


「『私を見つめて』とか、『思い出』とかだね」


「大それた名前のわりに、しおらしいんですね……」


「だろう? 王様だろうと人には変わりないとか、色々想像は膨らむけどね。まあ、オウは黄色のオウだって説もある。妄想するのも悪くない暇つぶしだ。それで一本の小説が書けて、売れるかどうかは別としてね」


 夢逢は大きな溜息を吐く。その意味するところを、蓮は完全には理解できない。彼にはわからない部分が多過ぎる。彼の書いた作品は何度も読み返したし、身体は幾度も重ねたというのに。


 ふいに彼と過ごす熱い時間を思い出してしまい、蓮は一人、顔を赤らめた。


「まあ何、徳田君。一番大切なのは、君が何を言いたいか、なんだよ」


 そんな蓮をよそに夢逢が話を続けるから、ハッと思考を元に戻す。


「俺が、ですか」


「そう。文章の上手い下手なんていうのはね、あとで考えたらいい。君が今まさに、小説を書きたいと思うほど伝えたいことが有るんだろう? それを大切にするんだ。それが一番肝心なことだからね。見失っちゃいけない」


「……俺が、伝えたいこと」


 そうさ。そう頷きながら夢逢が歩き始めてしまったから、蓮もまた歩き出すよりほかなかった。


「君は何を伝えたいんだい、そうまでして、他人へ」


「……俺は」


 そう言われて、蓮は考え込んでしまった。そうまでして、他人へ伝えたいこと。これは本当に、他人へ伝えたいことだろうか? 本当は。本当は誰に伝えたいのか。


「……俺には、好きな人がいます……」


 ポツリと漏らす。ハッとしたが、夢逢はそれを書き出しだと思ったようだ。


「なるほど、ありきたりだが、わかりやすい始まりだね。恋愛はテーマとしては書きやすく受け入れやすい。いいじゃないか」


「あ……は、はい」


「それで、続きは?」


 促されて。蓮は黙った。雨のしとしと降る音と、二人の足音が傘に反響して妙に響く。カエルの鳴き声が何処からか聞こえた。彼らは愛を叫んでいるのだという。溢れんばかりの愛を歌って、相手の答えを待っていると。


「……俺は、……俺は、その人を……世界で一番、」


 そこまで言って、はたと思い出す。それは、夢逢の小説の一節だ。


『君、いちばん好きなんて、言うものじゃないよ。』


 それは、あの登場人物のセリフだ。夢逢の言葉ではない。けれど、夢逢から零れ落ちたものだから。


『だとしても、わたしは、紗英さんが、特別に好きなの。』


 どうしても。どうしても意識してしまった。


 だって、俺の好きな人は──。


「……特別に、好きです……」


 そう呟くと、夢逢がゆっくりと足を止めた。蓮は何故だか鼓動が早くなるのを感じて、どうにも不安でたまらなくなった。夢逢はしばらく何も言ってくれなくて、余計に辛い。伝わってしまったのだろうか。


 ややして、夢逢は蓮を振り返ると、困ったように笑った。


「君、いささか僕の作品に影響されすぎじゃないかい?」


 ダメだよ、そうして君の感性を否定しては。夢逢はそれだけ言って、また前を向いて歩き始める。


「そ、そうですかね……」


「そうとも。君が世界で一番好き、という表現をしたいと思ったならそれを信じればいい。……それにね、徳田君」


 夢逢は悪戯っぽくクスリと笑って、蓮を見た。


「僕は、彼女のように純粋ではないから、「にばんめ」では嫌なんだ。君の一番じゃないとね」





 玄関の戸を閉めるなり、夢逢に抱き着かれて、キスをされる。は、と飲み込んだ息ごと食べられるように口づけされて、蓮は濡れた傘を落とした。


 逃がさないとばかりに背中に腕を回されて、貪るように舌を絡められる。傘を差しても濡れてしまった体は冷たくて、けれどたまらなく熱い。蓮もこうなるとわかっていたから、夢逢を受け入れて、彼を壁に押し付けると、角度を変えながら何度もキスを繰り返した。


「は、……ッ、せんせ、ここ、玄関、ですよ……」


 キスをしながら、蓮の服を脱がしにかかった夢逢へ、形ばかりの抗議をする。夢逢は荒い呼吸を繰り返しながら、熱っぽい視線を向けて、蠱惑的に微笑んだ。


「もうアパートとは違うから、誰にも聞こえやしないよ、徳田君」


 だから、いいだろ? 夢逢の誘惑に、蓮は敵わない。はあ、と熱い息を吐いて、それから彼の身体を強く抱きしめる。ア、と漏れた声に理性が焼き切れた。


 そう、俺は、世界で一番目に、この人を好きになったのだ。



 





『君のこと、好きだよ。


 紗英さんの言葉に、わたしの眼からぽろぽろと、それは苦しい涙がこぼれました。こんなに胸が痛いのは初めてで、喉も熱病にかかったように焼けるものだから、このまま死んでしまうのではないかと不安になるほど。紗英さんの微笑みは天使のようなのに、今日は少し、少しだけはにかむように、赤らんでいました。


 でも、いいの? 君はにばんめになってしまうよ。


 ああ、紗英さん。なんてことをお聞きになるの。わたしの涙はいよいよ大粒になって、きっと顔もくしゃくしゃで、紗英さんのうつくしさにふさわしいものではなくなっているでしょう。それでも、わたしは、この胸が潰れて、喉が焼き切れても、紗英さんに伝えなければいけません。


 あなたがいちばんめに好きになった人を、わたしはしりません。その人を今、あなたがどう思っているのかも。けれど、わたしはあなたが好きです。あなたはわたしの、いちばんめに好きになった人です。だから、だから。


 そこから先はつっかえて、上手く言えないのです。今言わなくて、いつ言うというのでしょう。なのに、息ができません。このまま呼吸もできずに死んでしまうのかもしれないほどに、涙がとまりません。ああ、紗英さん。紗英さん。あなたが好き。わたしがいちばんめに好きになった、特別な人。


 そして紗英さんはくしゃくしゃになったわたしの手を取って、わたしに言ったのです。


 私も君のことが、特別に好きだよ――』



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