003 地獄にゃ堕ちるわ、蜂にはなるわ
(……ん……あれ?俺さっきまで何してたんだっけ……?)
意識に靄がかかっているかのように、ついさっきまで自分がしていたことを思い出せない。
(ていうかここ、どこだ。)
目線だけを動かしてみるも周りは暗く、手掛かりになるようなものは見つからない。
(まあいいか。もう一眠りし――)
襲いくる眠気に身を委ねようとしたその時、バリバリバリと目の前の風景が障子に穴をあけるように破られていく。
(な、なんだっ!?)
眠気も吹き飛ぶ光景に驚くことしかできなかったが、状況は更に目まぐるしく変わっていく。
どうやら障子のような薄い壁を1枚隔てた向こう側に何者かがおり、その何者かが壁を破壊しているらしい。
次の瞬間、視界に何か黒いものが映り込む。
(くちばし!?怖い怖い怖い!!)
目に映った黒いものは、硬質的でどこか鳥のくちばしのように見えた。
黒いくちばしによって壁はどんどん破られ、とうとうくちばしの持ち主の姿があらわとなっていく。
全体的に黄色味がかったオレンジと黒のボディ。
顔の中央付近から生えた長い触覚と両サイドにある大きな2つの目。
背中から生えた半透明の羽。
これらの特徴から導き出される答えは――
(ハチ!!?)
眼前に現れたのは自分よりも遥かに大きいハチだった。
見た目はスズメバチのように見えなくもないが、ハチへの知識が深いわけでもないため見分けはつかなかった。
いきなり壁を破って姿を現したハチだったが、こちらの姿を録に確認することなくブーンと飛び去って行った。
ハチが完全に去ったのを確認し、いつの間にか止まっていた呼吸を再開する。
(ビビったぁ。なんだよあのハチ、デカすぎだろ。てか絶対食われると思った。)
自分より大きいハチを見た瞬間自らの生を諦めたが、なぜか見逃してもらえたことに安堵する。
(それよりもここどこだよっ!えーっと、えーっと、たしかー……後輩がパワハラ受けてる現場に遭遇して、なんだかんだ手伝うことになって、手伝いが終わったから帰ろうと思ってエレベーターに乗ったらすっげぇ目眩がして、倒れちゃって、それから……)
様々な衝撃によって意識が完全に覚醒し、目覚める前の出来事が鮮明に蘇ってくる。
(待てよ?俺、もしかしてあれで死んじゃった?)
ということであれば先ほど出会ったドデカバチにも説明がつく。
死んだ自分。
薄暗い環境。
常識外れの大きなハチ。
これらのピースが生み出す結論は――
(ははっ。俺、地獄に来ちゃったのか。)
心の中で、乾いた笑いとともにこの状況への結論を下した。
しかしそれは、理解はできても納得できるものではない。
良い子ちゃんぶるつもりもないが、それなりに清廉な人生を歩んできた自覚はあった。
道端のゴミは拾わなければ気が済まない質だったし、100円入れて100円返ってくるロッカーに100円の置き忘れがあったとしてもネコババしたことは一度だってない。
自分で言うのもなんだが、人助けだって人並み以上にはやってきたつもりだ。
事実、死ぬ直前だって後輩の手伝いをしていたのだから。
そんな自分が地獄送りなのだから、パワハラ山崎なんて大地獄送りに違いない。
きっとそうだ。じゃないと嘘だ。
なんの生産性もない結論を出したことによって、心は次第に落ち着きを取り戻した。
(まあ来ちゃったものはしょうがないか……ひとまず地獄の仕様を把握せねば。)
生前のプログラマとしての本能が仕様を把握せよと叫んでいる。
それに、針山を歩かされたり、舌を引き抜かれるなんて絶対に嫌だ。
地獄の仕様上避けられるのであれば全力で避けに行く所存である。
(ステップワン。この狭苦しい部屋を抜け出しましょう。)
実は、意識が覚醒してからというもの今いる場所が窮屈でしょうがなかった。
手足は自由に動かせず、ミリ単位の隙間しかないので身をよじってなんとか脱出を試みる。
(うおぉぉぉっ!ふぁいとぉぉぉ!いっぱぁぁぁつ!)
人間誰しも、断崖絶壁をよじ登るような場面ではこの掛け声が出るというのは本当のことだったようだ。
都市伝説などではないことをこの身が証明してくれた。
(よっしゃあ!抜けたぁ!)
最後に障子のような薄い壁を頭で振り払い、とうとう激せま空間から抜け出せたのですぐさま次のステップを実行する。
(ステップツー。周りに何があるか確認しましょう。)
辺りを見回してみるとそこには――
(……へ?)
――夥しい数のハチがいた。
先ほど見たような大きなハチ達が忙しなく飛び回り、幼虫たちに餌を与えている。
隣からガサガサと音がしたので見てみると、羽化したであろうハチが今まさに飛び立つところであった。
……これ、自分が想像してた地獄じゃない。
そう思ってしまうのをグッと堪えて次のステップを実行する。
(ス、ステップスリー。自身の姿を確認しましょう。)
どこか予感めいたものは既にあった。
だがそれでも到底受け入れられなかった。
まさか自分の手が――
――昆虫のそれになっているとは。