026 あなたの犠牲の上で
ヴィルドビーの追跡を始めて30分が経過しようかといったところで、アルチザンが歩を止め、皆に止まるように手で指示を出す。
「間違いない。奴らの巣だ。」
アルチザンの視線の先には、確かに巨大なハチの巣が見えていた。
冒険者たちは緊張感を滲ませながら己の武器に手を添え、続く言葉を待つ。
「これから奴らを討伐するわけだが、最後に軽くおさらいをしておこう。」
アルチザンはそう言って手を広げ、指を曲げていく。
「ひとつ。奴らが1対1で戦うことはまずない。常に数的不利の状況を作られることを覚悟せよ。」
「ひとつ。奴らはとにかく速い。棒立ちになった瞬間死ぬと思え。足を止めるな。」
「ひとつ。進化個体が現れたら無理に相手をするな。一旦距離を取って周りにその存在を知らせよ。」
アルチザンはここで指折りしていた手を降ろす。
「最後に。この戦いの絶対目標は女王の討伐だ。達成し次第即時離脱する。各自、即応できるように準備しておけ。」
これが一番重要なことだと印象付けるように話すアルチザンからは、これまでどこか漂っていた柔らかい雰囲気は毛ほども感じられず、まるで抜身の刃のような鋭い気配を纏っていた。
「今更覚悟を問うようなことはせん。」
そう言ってアルチザンは弓を構えて矢を番えながら、遥か先にあるハチたちの巣に照準を合わせる。
「皆、己の知識と経験の全てをこの戦場に捧げよ。」
極限まで引き絞られた弓はしかし、微塵もぶれることはない。
アルチザンがすぅっと息を吸うと同時、膨大な魔素が矢に集まっていく。
「――っ!」
冒険者たちはその神々しいまでの光景に息を飲む。
この場にはトップレベルの冒険者たちしかいないはずだが、その冒険者たちをもってしても目の前で行われている絶技を理解できていなかった。
冒険者たちが驚いている間に、準備が整う。
「すまんな。」
そう呟いた次の瞬間、矢が放たれた。
恐ろしいほどのスピードで突き進んでいく矢は、道中にいたハチたちを一瞬で塵に変え、巣に着弾した瞬間に大爆発を引き起こした。
土煙が朦々と立ち込め、その衝撃波が冒険者たちの髪を揺らす。
「俺の矢が一番乗りだ。」
「「「うおおおおおおおぉぉぉぉっっっ!!!」」」
アルチザンの言葉をきっかけに、冒険者全員が己を鼓舞するように叫び飛び出していく。
この瞬間より、ヴィルドビー討伐戦が開始された。
◇ ◆ ◇
「うわっっ!!また地震か!?これはさっきよりもだいぶ揺れてるぞ!?」
今の揺れは、先ほど感じた揺れよりも更に大きい。
しかも心なしか爆発音のようなものも聞こえたような気がしていた。
「上からなんか聞こえた気がしたな。強敵の気配がするが、さて行くべきか……」
クマを倒して更なる強敵を探している状況からすれば願ってもないが、今の地震を引き起こすような存在を相手取るとなると勝てる気がしない。
「んーー……まあいっか!遠目から眺めて無理そうなら逃げよう!」
考えるのが面倒になったので、楽観的な行動をとることにした。
「どんだけ強いか楽しみだなー!」
強くなることに快感を覚え、戦闘民族のような思考をするようになってしまった。
しかし、そんな蜂谷のピクニック気分は一瞬で鳴りを潜めた。
「なんだよ、これ。」
それは、変わり果てた姿の巣と辺りに散らばる夥しい数の同胞の死体、そして――
――ここに来てから初めて出会う、人間の死体を見たことによるものだった。
(なんで人間がいるんだ。ここは地獄のはずだろっ!)
もう出会うことはないだろうと思っていた人間との唐突な出会いに、頭がパニックになる。
必死に思考を巡らせようとしている最中、どこかから集団の雄叫びが聞こえてきた。
(なんだ?……あれは!生きてる人間!?)
声のする方に視線を向けると、人間たちの集団が武器を掲げ、歓喜の雄叫びを上げているようだった。
(一体何を……あっ、どっか行っちゃう。)
人間たちは喜んでいたのも束の間、人間の死体を回収することもなくその場を離れ始めていた。
声をかけたくとも魔物の姿では言葉を操ることもできず、そうでなくとも、この惨状を見ればあの人間たちにとって自分がどういう存在かは火を見るより明らかだ。
しかし、あの人間たちに付いていけば人間の生活圏に行くことができるかもしれない。
(よし。付いていってみよう。)
そう思い、羽を震わせ地面から飛び立った瞬間。
化物と目が合ってしまった。
(っっっっ!!?)
最初にクマを見た時でも感じることのなかった恐怖に心が埋め尽くされていく。
(やばい!やばい!やばい!やばいっ!!)
感じる焦燥とは裏腹に、身体はその場から動いてくれない。
化物が、背負っていた弓を構える動作がスローモンションで流れていく。
(動け!動け!動け!頼むからっ!!)
化物が矢を番える。
(うごけぇっっっ!!)
矢が放たれた。
(うああぁぁぁっっっ!!!)
やっとのことで硬直が解けた瞬間、今まで得た戦闘経験などかなぐり捨て、生への執着に特化したみっともない回避行動を取った。
しかし無情にも放たれた矢は蜂谷の側頭部を掠め、その衝撃だけで吹き飛ばされて壁に激しく激突した。
並の魔物であれば即死は免れない一撃。
しかし、蜂谷は生きていた。
(ぐぅっ……)
もちろん身体はボロボロで、矢が掠めた頭は一部えぐれているような状況だ。
それでもなんとか生きていられたのはスキルのおかげだった。
(くっ。また、根性に助けられたな。はぁ、はぁ……)
根性のスキルのおかげで、本来は致死のダメージを死の一歩手前に押し留め、痛覚を無効にしてくれているので冷静に思考することができていた。
そして冷静な思考ができているからこそ、身体をピクリとも動かすことができなかった。
今ここで生きていることをあの化物に知られてしまっては全てが台無しだ。
顔だけを化物の方に向けて、全身全霊をかけて祈った。
(頼む!頼むから早くどっかに行ってくれ!もう付いていくなんて言わないから!)
しかし願いは通じず、化物が更にもう1本の矢を番えようとしていた。
(おいぃぃぃっっ!!頭おかしいのかっ!?どう考えてもオーバーキルだろっ!!)
今度こそ終わったと思ったその時、化物の隣にいた男が化物に話しかけ、それを聞いた化物が矢をしまった。
(まじかっ!あの人神かよっ!忘れない!俺はあんたから受けた恩を忘れないぞ!)
もちろん意図したことではないだろうが、化物に話しかけ命を救ってくれた男性に激しく感謝した。
化物はそのまま踵を返し、化物に続いて集団もその場を去っていく。
集団の姿が完全に見えなくなったことを確認し、ようやく胸を撫で下ろした。
(あっぶねぇぇぇ。今回のは死んだと思ったね。いや、依然として死にかけてはいるんだけども。)
このまま何も対処しなければ死ぬのは間違いないだろうが、幸運なことに辺りには回復アイテムが散らばっていた。
(流石に仲間たちを食べるのは気が進まないな……この中に俺が餌付けした赤ん坊もいるんだろうし。)
幼虫から羽化するまでは、今までの常識からはかけ離れたスピードで成長していくので、この中に自分が餌付けした赤ん坊が混じっていたとしてもなんらおかしくはない。
ハチになったことでそれまでの色んな常識が欠如してしまったが、寝食を共にした仲間たちへのリスペクトは変わらず持ち続けることができていた。
(そうなると、残る選択肢は一つ。)
自分でも驚いているのだが、当然湧くだろうと思っていた抵抗感をまったく感じていない。
この状況なら当然そうするだろうと心の底から思ってしまっているのだ。
(立派な紋章だ。さぞ名のある騎士だったんだろうな。)
甲冑の胸の紋章を見て、その人物がどんな生き方をしてきたかに想いを馳せてみる。
それがこれからする行動のせめてもの罪滅ぼしになるような気がしたからだ。
(あなたの犠牲の上で、俺は生きていきます……ありがとう。)
俺は人間を食った。