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異世界恋愛短編

笑う鉄仮面嬢の巡礼


 王都の中心に聳え立つ白亜の大聖堂には多くの人が集まっていた。この国、リュミル王国では今、『(エトワール)』の選定の儀が行われていた。


 リュミル王国では、流星の降る夜に人智を超える奇跡──星の力を宿す女性が現れる。

 その女性は、『星』と呼ばれ、人々の希望の存在として敬われた。


 しかし、『星』は一代つき一人と言われていたはずが、今代では二人同時に現れたのだ。


 異例とも言える事態に、国は『星』の選定を行うことにしたのである。


 今日はその結果を告げられる日。

 礼拝堂の祭壇に上がったリュミル国王は、階下にいる二人の少女を見下ろす。


 一人は深紅のドレスを纏った公爵家の令嬢、クレール。

 もう一方は清楚な淡い青のドレスを着た平民の少女、アリス。


 身分も性格も正反対の二人は、ライバルとして互いに切磋琢磨してきた仲であることをリュミル国王も含め、選定の儀に関わった皆が知っている。


「選定の結果を言い渡す」


 静まり返った礼拝堂にリュミル国王がゆっくりと告げた。


「今代の『星』は──アリスに任命する」


 礼拝堂に大きな歓声と拍手が沸きあがる。

 アリスと呼ばれた少女は弾かれたように顔を上げ、信じられないといった風に手で口元を覆い隠した。


「私が『星』……本当に⁉」

「おめでとうアリス」


 そう声をかけたのは、この国の第一王子ダリオン。

 彼の金色の瞳はアリスを愛おしそうに見つめていた。


「僕は君が選ばれると思っていたさ」

「殿下……」


 熱く見つめ合う二人を周囲が温かく見守る中、冷たい声が水を差した。


「まあ、人目も憚らず見つめ合うなんて恥ずかしいこと……」


 はっと我に返った二人が、すぐ隣にいた少女に目を向ける。


「ク、クレール様っ……」


 頬を真っ赤に染めたアリスが名を呼ぶと、彼女、クレールはふんと鼻を鳴らす。


「まずはおめでとう、アリスさん」

「は……はい」


 突き刺すようなクレールの祝福の言葉、そして彼女の冷たい視線に、アリスが委縮して背中を丸めると、クレールは無表情のまま、さらにこう告げた。


「悔しいですが、あなたが『星』に選ばれたこと。そして、あなたとともに選定の儀に立てたことを、わたくしは誇りに思いますわ」


 選定の儀の間、アリスはクレールにたくさん助けられた。平民である故に足りない知識、礼儀作法を惜しみなく教え、今日のドレスも彼女が見立ててくれたものだった。


 ライバルであり、先生であり、身分を超えた友でもあったクレールからの祝福の言葉に、アリスは思わず涙ぐんだ。


「クレール様……っ!」

「まあ、民の希望である『星』が、簡単に涙を見せてはいけなくてよ?」


 アリスにハンカチを手渡すクレールに、ダリオンは苦笑して肩を竦める。


「こんな時でも感情を見せないなんて、相変わらずの鉄仮面ぶりだね。素直にアリスが選ばれて嬉しいって言えないの?」

「なんのことをおっしゃっているのか分かりませんわ。それにアリスさんが選ばれるのは当然です。わたくしは、星の力の顕現に失敗したのだもの」


 大昔から、『星』が亡くなった夜に現れる巨大彗星が、次代の『星』を選び、力を授けると言われていた。


 しかし、アリスとクレールは選ばれた当初、次代の『星』の証である星の痣があるにも関わらず、星の力が顕現しなかったのである。

 『星』は民の希望であり、平和の象徴でもあったため、公の場に立つことが多く、選定の儀では教養も重視された。両者ともに星の力が顕現されれば、より有力な能力を持つ者が選ばれる。


 最終的に星の力を開花させ、人の病や傷を癒す力を得たアリスが『星』になった。


「わたくしは、これで失礼いたしますわ」

「え、クレール様、どちらに⁉」


 踵を返したクレールをアリスが呼び止める。

 彼女は黒いレースをあしらった扇子を取り出し、口元を隠す。


「せっかく祝いの席だもの。『星』になれなかった星屑のわたくしはすぐに去るべきですわ」

「そ、そんな! 星屑だなんて」

「それに……星の力が顕現しなかったのは、ひとえにわたくしの力不足……これを機に歴代の『星』達が奇跡を起こした土地へ巡礼の旅に出ようと思いますの」

「旅……」


 アリスはこぼれ落ちそうなくらい目を見開く。


「ええ、次に会う時はわたくしが胸を張って負けたと言えるくらい素晴らしい『星』になってくださいね」


 クレールはそう告げて歩き出したのを見て、アリスははっとして彼女を呼び止めた。


「そ、そんなっ! 待ってください、クレール様! 私、クレール様にたくさん助けられました! まだ恩返しもしていません! それにこのハンカチ……」

「まあ、『星』に恩返しをさせるなんて畏れ多いことこの上ないですわ。それに、そのハンカチは差し上げます。あなたが『星』に選ばれたら、きっとみっともなく泣くだろうと思って用意したものですから」


 クレールはそのまま歩を進め、礼拝堂の入り口で淑女の礼をした。


「それではごきげんよう」


 ◇


 大聖堂の外では『星』の誕生に民衆が喜びに湧いていた。逃げるように裏口から出たクレールの耳にも民衆の歓声が届く。


(ああ……本当に終わってしまったのね)


 クレールはこの『星』の選定の儀に人生をかけたと言っても過言ではない。


 星に選ばれたあの日の夜から、選定の儀で一度も手を抜いたことはない。アリスが『星』に選ばれたことにも何も悔いはなかった。長いようで短い時間を思い出しながらクレールは小さく俯く。


「お嬢様……」


 聞き慣れた呼び声にクレールが顔を上げると、そこには黒髪で深紫の瞳をした青年が経っていた。


「ガイアス……」


 クレールの従者、ガイアス。選定の儀後、裏口に控えていて欲しいと頼んだのは他でもない自分だ。


 彼を呼んだ声に震えが混じったのが自分でもわかった。


 ガイアスは小さく首を横に振ると、自分の上着を脱いでクレールにかぶせた。


「ここではいけません。屋敷に戻りましょう」

「ええ……」


 クレールはまるで罪人のように馬車に乗り込み、屋敷に向かって馬車を走らせる。


 カーテンを閉めた車窓の外から、民達の喜びの声が絶え間なく聞こえてきた。カーテンの隙間からお祭り騒ぎをしている光景が過り、クレールは再び俯いた。


 しばらくして馬車が止まり、ガイアスがドアを開けた。


「お嬢様。着きましたよ」

「ええ……」


 彼の手をかりて馬車から降りた。


「ガイアス」

「お嬢様、いけません。まだです」


 クレールは俯いたままガイアスにエスコートされて裏庭に向かう。

 公爵家の屋敷の裏は森林に囲まれており、人目に晒されることはない。

 裏庭の中心である噴水まで足を運んだ時、ガイアスは静かに口を開いた。


「ここまでくれば、もう大丈夫です」

「そう……ありがとうガイアス」


 クレールはそう言うと、顔を上げ、被っていたガイアスの上着を脱ぎ取った。



「やったぁああああああああああああっ! わたくしは、自由よぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」



 彼女が雄叫びに近い歓声を上げたと同時に、裏庭中の薔薇が一斉に咲き乱れた。


「うふふふふふっ! うふふっ! うふふふふふふっ!」


 彼女が笑うたびに、草木が大きく成長する。


 花々は風が吹いて花びらが散っても、再び花を咲かせ、煉瓦畳みの通路は煉瓦の隙間から下草が顔を出した。芝生や生垣もどんどん成長していき、アーチ状になっている薔薇の蔓が地面につき始めた頃になってガイアスが声をかけた。


「お嬢様、ストーップ!」

「はっ!」


 我に返ったクレールが裏庭を見渡す。


 手入れが行き届いていたはずの庭が、あっという間に荒れ果てた様子になっている。


 やってしまったと額に手を当てるクレールに、ガイアスはやれやれと肩を竦めるのであった。


 ◇


「お嬢様……気持ちは分かりますが、少しは加減を覚えてくださいよ」

「ごめんなさい。嬉しくて嬉しくて……」

「嬉しいのは、庭の様子を見れば十分分かりますって」


 裏庭の隅にある小さなゴンドラに腰掛けた二人は、荒れ果てた裏庭に目をやった。

 煉瓦の下から下草が生えたせいで、煉瓦畳みの通路はぐちゃぐちゃ。綺麗に剪定されていた植木はいびつな形になり、生垣にはつる植物が絡みついている。さらには開花時期が異なるはずの花々が、種類問わず花を咲かせていた。


「あまりにもずっと笑っているから、気が触れたのかと思いましたよ」

「仕方ないじゃない。ゲーム本編がようやく終わったのだから……」


 クレールにはおいそれと口にはできない秘密がある。

 それは、自分に前世の記憶があることだった。この秘密を共有するのは従者のガイアスだけだ。


「ゲーム本編ねぇ……確か『アリエト』でしたっけ?」


 彼はクレールの頭に乗った花びらを払いながら呆れた口調で言い、クレールは静かに頷いた。


 乙女ゲーム『アリス☆エトワール』


 通称『アリエト』は星の力を宿した少女、アリスが攻略対象に支えられながら民の希望となる『星』を目指す恋愛ゲームだ。


 クレールは『アリエト』で主人公アリスのライバル兼攻略対象として登場する。


 平民出身のアリスとは違い、公爵家の生まれで無表情で冷たい口調をしているせいか、プレイヤーから鉄仮面の女と呼ばれていた。しかし、彼女はアリスのライバルでありながら、恋や試験のサポートをしてくれる。


 しかし、ほとんどのルートで彼女は『星』の証を持っていながら、その力を発揮できずに終わるのだ。


 そんなクレールに自分が転生していたことに気付いたのは、ほかでもない先代の『星』が亡くなった夜に現れた巨大な彗星を見た時。


 ゲームスチルにもあった彗星は美しかったが、クレールにとって恐ろしい存在だった。

 なぜなら、クレールにとって『人生の汚点』の象徴だったからだ。


「たしか『アリエト』のお嬢様は、アリス嬢に負けた後、辺境へ移り住むんでしたっけ?」

「他のルートではね。平民に負けた公爵令嬢なんて外聞が悪いもの」


 クレールは公爵令嬢だ。父親が王弟という身分であった故に誰よりも貴族であることに誇りを持っていた。


 そんな彼女が『星』に選ばれた時、不幸なことに平民の少女も『星』に選ばれた。クレールは貴族らしい気高さから、相手に不利があってはいけないと平民の少女ために自ら教鞭をとった。そして、正々堂々と正面から選定の儀に挑むのだ。


 ルートによっては、彼女が辺境へ移り住んだり、留学という名目で国外へ出て行ってしまったりするのだが、クレールはその理由が貴族社会のせいであろうとすぐ考え付いた。

 公爵令嬢が平民の少女に負け、さらには与えられた星の力を開花させられないなんて、笑い者もいいところ。


 心晴れやかに負け、綺麗に退場できるのは、所詮物語の中だけだ。


「う~ん、でもダリオン殿下がアリス嬢と恋に落ちれば、お嬢様は安全なんだ?」

「ダリオン殿下ルートでは、王族が味方についてサポートをしてくれるから言い訳がたつのよ。『王子が手取り足取り教えたおかげだ』『二人の愛の力で星の力を開花させた』とか、いい美談でしょ?」


 そう言えば、ガイアスはうげぇと顔を歪めた。


「ほんと、貴族って汚い」

「わたくしもその貴族なのだけれど?」

「お嬢様は別」


 甘い笑顔でさっと手の平を返してくる従者にクレールは空笑いで返すと、ガイアスはむっとした表情を浮かべる。


「だって、お嬢様はこんな素敵な星の力を持っているんですよ? 草木を成長させる奇跡! 素晴らしいじゃないですか!」

「ガイアス、誇張はいけないわ。笑うと草木を成長させる奇跡よ?」


 実のところ、ほとんどのルートでは明かされないが、クレールはちゃんと星の力を発現させていた。


 それも『笑うと草木を成長させる奇跡』である。


 鼻で笑えばと、ぼんっと草が生え、室内の花瓶に蕾がいけてあれば、微笑み一つで開花させられるのがエクレールの力だった。


 しかし、クレールは気高き公爵家の人間。貴族令嬢とはいえ、社交界では誰彼かまわず笑顔を向けるようなことはしない。


 その愛想のなさ、そして感情を読ませない表情から鉄仮面嬢と陰で揶揄されているほど。おかげで彼女はこの力に気付けず、ゲーム本編で彼女の力が発揮されるのは、クレールルートとダリオン殿下ルートの友情エンドだけだ。


「それでもすごい奇跡じゃないですか。なんで『星』に選ばれないんですか?」

「地味だからでしょ?」


 そうあっさりと答えれば、ガイアスは顔をひきつらせた。


「地味……?」

「ええ。人の傷や病を治すアリスさんの力と比べたらね」


 現に、クレールルートでは、この力を発現させたものの人を多く救えるのはアリスの力であることを理由に、『星』にはなれなかった。


 しかし、エンディングでは、『星』の就任パーティーでクレールが蕾の花束を持ってアリスの前に現れる。


『これはわたくしの気持ちよ。おめでとう、アリスさん』


 そう言って差し出した花束の蕾が一斉に花開き、アリスはクレールの心からの祝福を受け取るのだ。


「やっぱり、草木を成長させるより、病や傷を癒せた方が便利だもの」


 クレールがそう口にすれば、ガイアスは不満げに声を漏らす。


「オレは、お嬢様の力の方が好きですけどね」

「ふふっ、慰めてくれてありがとう、ガイアス」


 ぼんっと近くで草が生える音がした。


 日常生活では、鉄仮面を脱ぎ捨てているため、油断していると草だらけにしてしまうのが、この力の難点だ。


(でも、笑うと草が生えるなんて……前世のネットスラングじゃあるまいし……)


 ふと、思い出し笑いをするとまたぼんっと草が生えた。


「お嬢様……?」


 ガイアスの呆れた視線が突き刺さり、クレールは誤魔化すように咳払いする。


「そろそろ屋敷に入りましょうか。お父様とお話することがあるし」

「そうですね」


 二人はゴンドラを降り、屋敷の中へ入るのだった。


 ◇


 屋敷に入り、自室で豪奢なドレスからワンピースを着替え終わった頃、選定の儀に同席していた父がようやく帰って来た知らせを聞く。


 クレールは軽い足取りで父の部屋へと向かった。


「お父様、失礼いたします」


 執務室に足を踏み入れると、そこには頭を抱えたクレールの父、ルロワ公爵いた。


「クレール……」


 ひどく疲れた顔をしたルロワ公爵は、クレールの顔を見るなりため息をついた。


「父親の気も知らないで、清々しい顔をしおって……」

「あら、わたくしはちゃんとお約束したではありませんか。アリスさんが『星』になったら、聖地巡礼の許可をくださるって」

「ああ、そうだったな」


 ダリオンルートでは最後、『星』の力を発現できなかったことを己の努力不足だと戒め、クレールは歴代の『星』達が奇跡を起こした土地へ巡礼の旅に出ることを決意する。

 そう、つい数時間前にクレールがアリス達に告げた通りのことである。


 クレールは事前に父親と約束を取り付けており、選定の儀が終わり、アリスが選ばれた為巡礼は決定となった。


「クレール……私の可愛い娘。なぜ、『星』の力を発現できなかったと嘘をついてまで巡礼の旅なんかに……たとえ、お前がひと笑いで庭を草原に変えようと、お前を嘲笑う格下どもを黙らせてやるというのに」

「周囲のことなんて関係ありませんわ、お父様。アリスさんやダリオン殿下に申したことはただの大義名分。わたくし、どうしても最果ての大地に行きたいのです」


 最果ての大地。それはリュミル王国の辺境にある初代『星』が降り立った地だ。


 初代の『星』は最果ての大地で巨大彗星から星の力を授かったと言われている。数々の逸話を残す歴代の『星』の中でも、初代は不毛の土地である最果ての大地に緑を復活させ、幻のオアシスを作ったという偉業を残していた。


 そんな幻のオアシスをクレールは自分の目で見てみたいという思いがあった。


 しかし、公爵令嬢であるクレールは『星』にでもならない限り聖地に、それも最果ての大地に足を延ばすなんて許されなかった。

 クレールは父親の目を真っすぐ見つめると、彼は重たいため息をついた。


「『星』に選ばれることは、小さい頃からのお前の夢だったな、クレール」

「はい」

「それと同じくらい最果ての大地へ赴くことも……」

「……はい」


 ルロワ公爵の声に震えが混じる。


 巡礼の旅に出れば、クレールが屋敷に帰ってくる保障はない。最悪、途中で命を落とすことだってあり得る。


 貴族令嬢でいれば、少なくとも生活に不自由なく暮らすことができる。たとえ、『星』に選ばれなかったとしても、星の力が地味だったとしても嫁の貰い手なんていくらでもあるだろう。


 それを蹴ってでもクレールは巡礼に出るというのだ。まだ十代の娘の決意に、ルロワ公爵はまたため息をついた。


「旅の準備は念入りにしなさい」

「はい」

「それから護衛や世話人のことだが……」

「ああ、それならガイアスだけで十分です」


 クレールがきっぱり言うと、ルロワ公爵は渋面を浮かべていた。


「本当にガイアスだけでいいのか?」

「はい。彼が腕を立つことはお父様もご存じでしょう?」

「それはよく知っている。だが、ガイアスだけでいいのか?」

「はい?」

「世話人は他にいなくていいのか、クレール?」

「ええ、彼だけで十分です」


 クレールは大概のことは自分でできるし、ガイアスはいれば心配はいらない。長年培ってきた信頼関係がクレールにそう確信させていた。


 ルロワ公爵は額に手を当てると小さく呟いた。


「これが教育の賜物か……」

「はい?」

「いや、なんでもない」


 ルロワ公爵が小さく首を振り、唇の前で両手を組んだ。


「もし、何かあればガイアスに責任を取らせる」

「いやですわ、お父様。ガイアスに責任をとらせずとも、自分のことは自分で責任をとります」

「いや、ガイアスに責任をとらせる」

「は、はい?」


 クレールは返事をしたものの、内心で首を傾げたのだった。


 ◇


 執務室を出ると、部屋の外で待機していたガイアスと合流し、クレールは自室へ足を向けた。すぐ後ろに控えていたガイアスは感慨深い様子で口を開く。


「お嬢様、本当に巡礼の旅に出るんですね……」

「ええ、もちろん。ガイアスもついてきてくれるのでしょう?」


 足を止めたクレールがそう訊ねれば、彼は片膝をついて恭しく頭を下げる。


「オレは忠実なるお嬢様の下僕。お嬢様が望むならどこへでもお供しますよ?」

「あら、大袈裟ね。普段はわたくしを敬っていないくせに」

「それは心外だなぁ~。オレはいつもお嬢様のことを一番に思っているのに」


 飄々とした態度に呆れながらも、クレールはガイアスに手を伸ばす。


「なら、巡礼の旅の間、わたくしをしっかり守ってちょうだい」


 片膝をついていたガイアスは見上げるようにクレールを見つめた後、差し出された手に軽く口づけを落とした。


「旅の間と言わずとも、一生お守りしますよ、お嬢様」


 深紫の瞳をいたずらに光らせたガイアスの返事に、クレールの心臓が小さく跳ねた。

 そして、ぼんっと窓の外から草が生える音が聞こえる。


「ん? 草?」

「さ、さっさと旅の準備をするわよ! ついてきなさいガイアス!」

「え、はい! お嬢様!」


 窓に顔を向けたガイアスの手を引っ張り、クレールは旅の支度を始めたのだった。


 ◇


 選定の儀から三日後、入念に旅の支度を整え、屋敷を発とうとしたクレールとガイアスの前に、アリスとダリオンが見送りに来てくれた。


「クレール様!」

「あら、アリスさん。それにダリオン殿下まで」


 アリスは可愛らしいワンピースの私服に身を包み、ダリオンもそれに合わせて、お忍び用のシャツとベストという軽装だった。


 まだ選定の儀から三日しか経っていない。『星』の彼女は祭典の準備やダリオンとの婚約発表などで忙しいだろうに。


「今日、出発するって聞いて、居ても立っても居られなくて!」

「一体誰からそれを……」


 クレールがそう言いかけ、ガイアスへ目を向けると、ひらひらと手を振って「オレでーす」と無言でアピールする。


(ガイアス!)

「あの……これ!」


 アリスは小さなバスケットをクレールに差し出した。


「わ、私が作った塗り薬です。早く治るように星の力を込めました! クレール様の巡礼の度にお役に立てたら……」


 小瓶の入った軟膏には、彼女の言う通り星の力を込めているようで、キラキラと輝いている。到底値段のつけられない代物だ。

『星』の彼女から贈り物をもらうのは、これで最後になるだろう。クレールは彼女からバスケットを受け取る。


「……ありがとう、アリスさん」


 ぼんっ!


 近くで草が生えた音が聞こえ、アリスが不思議そうな顔であたりを見回す。


「今、変な音が……」

「気のせいよ」

「え、でも……」

「気のせいよ」


 有無言わせない圧をアリスにかけると、彼女は気圧されたように何度も頷いた。


 ダリオンの方へ目を向けると、彼はいつの間にかガイアスの隣で会話に花を咲かせているようだった。


「君も一緒に旅に出るんだね、ガイアス?」

「ええ、お嬢様とオレはいつも一緒ですんで」

「君以外に世話人はいないのかい?」

「お嬢様がオレ以外は必要ないと言ったので……」


 どこか誇らしげに言うガイアスにダリオンは苦笑する。


「相変わらずだね、君も……」

「ガイアス、ダリオン殿下」


 クレールが二人の声をかけると、ガイアスが小さく手を振った。


「ガイアス。ダリオン殿下と何を話しているのかしら?」

「え~? 別になんでもないですよ~。ねぇ、殿下?」

「まあ、軽い世間話だよ」


 ダリオンが愛想笑いを浮かべ、アリスに目を向ける。


「アリス、ちゃんと渡せたかい?」

「はい! ガイアスさんも出発の日を教えてくださりありがとうました!」

「いえいえ、気にしないでください。お嬢様も、ちゃんと挨拶できましたか?」

「ええ。では、お二人とも、また会える時まで」


 ガイアスの手を借りて、クレールは馬車の御者台に座ると、ガイアスも隣に座る。

 ガイアスは馬車を出発させ、アリスとダリオン、そして屋敷のみんなに見送られながら、巡礼の旅が始まったのだった。


 ◇


 クレールとガイアスが乗った馬車が遠く離れていくのを見つめながら、ダリオンは隣でため息をつくアリスを見つめる。


「寂しいかい?」

「はい。もちろん。クレール様にはたくさん助けられましたから……」


 ダリオンは選定の儀で彼女達のことを見守って来た。普通の友達とは少し違った関係だったが、クレールはよくも悪くもアリスを対等に扱い、そんな彼女をアリスは慕った。ダリオンはクレールに少しだけ嫉妬していたこともあったが、それを彼女の従者に見破られ、大いに笑われたことも今ではいい思い出だ。


「殿下は寂しくないんですか?」

「もちろん、寂しいよ」


 クレールもガイアスもダリオンにとって幼馴染も同然の存在だ。そんな二人がいっぺんにいなくなるのだから、寂しくないはずがない。


「でも、クレール嬢はようやく自分の夢を叶える一歩を踏み出したんだ。僕が引き留めるわけにはいかないよ」


 クレールは『星』の大ファンだった。この目で最果ての大地を見るまで死ねないと耳がタコになる聞かされたほど。しかし、その夢は彼女の身分が邪魔をし、早々に彼女は諦めたのだ。


 そんな彼女を知っているからこそ、ダリオンは彼女の口から巡礼の旅に出ると聞いて驚きはしなかった。むしろ、納得したくらい。ダリオンの脳裏でその場にいなかったガイアスがガッツポーズを決める姿が浮かんだほどだ。


「まあ、ガイアスがいれば、クレール嬢のことは心配はいらないよ……アリス?」


 何か考えるように遠くを見つめる彼女に、ダリオンは心配して声をかける。アリスは一人で納得したように頷いた。


「夢……そうですか。でも、クレール様も素直じゃありませんよね」

「え?」

「だって、巡礼なんて大義名分を用意してまでガイアスさんと駆け落ちするなんて」


 悩まし気にため息を漏らすアリスの隣でダリオンの思考はしばし停止する。


「……………………え?」


 ◇


 屋敷が見えなくなった頃、揺れる馬車の上でクレールは内心で不貞腐れていた。


「もう、ガイアスったら。いつのまにアリスさんと連絡を取っていたの?」

「出発の日取りが決まったその日です~」

「フットワーク軽いわね……」


 ガイアスも平民の生まれだからか、アリスと打ち解けるのが早かった。しかし、まさかすぐに連絡が取り合えるほどの仲だったとは。


「お嬢様、なんでそんなに不満げなんです? もしかして、アリス嬢と顔を合わせたくなかったんですか?」

「いいえ、違うわ。嬉しかったわよ。草が生えるくらいには」

「なのに、ご機嫌斜めなんですね?」

「そうよ」


 小さな嫉妬心を気付いて欲しいとは思わないが、素直にそう口にする。

 ガイアスは「乙女心とは複雑だ」と大袈裟に肩を竦めた。


「ところで、お嬢様。馬車の中に入らなくていいんですか?」

「せっかくだから、御者台に座ってみたかったのよ。わたくしが隣にいたら邪魔?」


 じろっと彼を見上げると、ガイアスは嬉しそうに笑う。


「いいえ。ただ落ちたら怖いので気を付けてくださいよ?」

「子ども扱いしないでちょうだい」

「はーい」


 鼻歌まじりで手綱を操るガイアスの隣で、クレールは地図を開いた。


 巡礼の旅は幼い頃からの夢だったのだ。それが叶った今、それを満喫しないなんて損だ。


 貴族令嬢の枠組みから外れたクレールは、いわば自由の身。ルロワ公爵家は兄が継ぐので心配はいらない。


「お嬢様」


 ガイアスに呼ばれて顔を上げると、彼は深紫の瞳を細めて言った。


「この旅にオレだけを選んでくれてありがとうございます」

「当たり前でしょ? 二人の夢でもあるんだから……」


 ガイアスは元々孤児でルロワ公爵家に代々仕えている執事が拾ってきたことがきっかけで知り合った。クレールよりも二つ年上で人生の半分以上を一緒に過ごしていると言っても過言ではない。


 『星』に憧れ、最果ての大地に行きたいと夢見る幼いクレールに「オレが連れていきますよ、お嬢様!」とガイアスは言ってくれた。幼いながらに一緒に計画を立てたこともある。


 そして巨大彗星が現れた夜。星の証を手に入れたと同時にクレールは前世の記憶が甦った。『星』に憧れていたクレールだったが、力を得ても『星』に選ばれない未来を知ったのである。おまけに自分が笑い者にされて、社交界にいられない未来があることにも。ガイアスにそれを打ち明けると、彼は能天気にも笑顔でこう言った。


『じゃあ、心置きなく一緒に旅に出られますね!』


 彼は切り替えが人一倍早かった。


 当時、公爵令嬢のプライドがあったクレールは「何言っているの、ガイアス! そこは心配してくれるところでしょうが!」と叱ったが「社交界に居場所がないなら、別の居場所を作るのも手では?」と考えを改めた。


 こうして幼い頃の二人の夢──巡礼の旅の計画が再び動き始めたのである。


「お父様には変な顔をされたけどね……」

「あはははははっ! オレは旦那様に呼び出されて色々小言をいただきましたよ」

「小言?」

「ええ。責任をとれって」


 言われた時のことを思い出したのか、彼は遠い目をしていた。


「そういえば、お父様がガイアスに責任をとらせるって言ってたわね? いやよね、わたくし、自分の責任くらい自分でとれるのに……」

「いえいえ! お嬢様に責任は取らせませんよ⁉」


 ぎょっとするガイアスにクレールは首を傾げた。


「なら、どう責任をとるつもり?」

「え、えーっと……」


 彼はしどろもどろになりながら言った。


「まずは、お嬢様を最果ての大地まで連れていって、一緒に屋敷へ帰るまでが第一関門ですかね?」

「そんな遠足じゃないんだから……ふふっ」


 ぼんっ!


 背後で草が生える音がし、クレールは後ろを覗き込む。


 不自然に草が生えて盛り上がった土道を見て、クレールは目を遠くへ向けた。


「これからはいつも以上に笑うことには気をつけないとね」

「別に笑ってもいいじゃないですか」

「せっかく綺麗に整備された道がぼこぼこになってしまうでしょう?」

「あー、それは確かに」


 ガイアスはそう笑って答えるのだった。


 ◇


 クレール達が目指す最果て大地『セレスティス』


 初代『星』が顕現したその土地にクレール達はようやくたどり着いた。


「なにこれ……」


 幻のオアシスがあると言われているその場所は、草一つ生えていない荒野だったのである。


「こりゃ、すごいですね……てっきり観光名所として栄えていると思っていましたが」

「ええ、わたくしも驚いたわ」


 かつて初代『星』が奇跡で恵みを齎したその土地は、数百年の歳月を経てその奇跡が失われ、荒れ果てた土地へと変わってしまった。


 奇跡の復活を願うセレスティスの民達だったが、歴代の『星』はセレスティスを救う力を持っていなかった。実際に、今代の『星』であるアリスも治癒能力しかなく、傷を治せても大地の再生する力はないのだ。


「ひとまず、教会へ向かいましょうか?」

「ええ……そうね」


 セレスティスの教会は初代『星』が顕現した土地なだけあって立派な建物だったが、経年劣化が進んでいて少しみすぼらしい印象があった。中に入ると、本来であれば綺麗なステンドガラスも砂ぼこりに塗れており、室内が暗く感じるほどだった。


「よくぞ、いらしてくれた。今代『星』クレール様」


 クレール達を迎えてくれたのは、この教会の神父の老人。


「いえ、わたくしは元『星』の候補です。今代の『星』は治癒の力を持ち、王都にいらっしゃいますわ」


 そう告げると、神父は目に見えて落ち込み「そうですか……」と呟いた。


「今代の『星』もセレスティスを救う力をお持ちではないのですね」

「お力になれず、申し訳ございません」

「いえいえ! クレール様にお会いでき、今代の『星』についてお話を伺うことが出来たたけでも喜ばしいことです。我が教会には観光になるものはございませんが……クレール様がよろしければ、初代『星』のアトリエをご覧になりますか?」

「初代『星』のアトリエ!」


 胸が躍る言葉にクレールが声を上げると、ぽんと肩を叩かれた。


「お嬢様、ステイ。ステイです! 口元が緩んでますよ」

「はっ!」


 危ない所だった。危うく神聖な教会をお化け屋敷よろしくのあばら家にするところだった。


 クレールは咳払いをして平静を取り繕う。


「ぜひ、拝見させていただきたいですわ。わたくし、初代『星』に憧れて、この土地に訪れたのですから」

「そうですか。本来は立ち入り禁止ですが、『星』の力を持ったクレール様なら特別にお見せしたいと思います。では、こちらに……」


 神父に案内されたのは、敷地内にある小さな家だった。中は一階から二階に掛けて吹き抜けになっていて、二階の壁にはびっしりと本や実験器具のようなもので埋め尽くされている。一階は小さなベッドやソファといった家具が並んでいた。おそらく、一階を居住スペース、二階を作業スペースに使っていたのだろう。


「本はどれでも見て構いません。それではゆっくりご覧になってください」


 神父がアトリエから出て行ったのを確認し、ガイアスは鞄から花の種を取り出して瓶の中に入れた。


「お嬢様、どうぞ」

「では、失礼して。ごほん………………やった~~~~~~~~~~~~~~~っ! 初代『星』のアトリエよ~~~~~~~~~~~~っ!」


 クレールが歓喜の声を上げると瓶に入っていた種が一気に急成長し、満開になる。

 そのままクレールは二階の本棚へ行って、本を手に取った。


「すごい、古代リュミル語だわ。それも手書き! はわぁ~~~! わたくし、初めて勉強してよかったと思ったわ!」


 おそらく、初代『星』が写本したものだろう。ぱっと見たかぎりでは、土地の耕し方や土地の改良についてのものだと分かった。


「うーん……初代『星』は農耕オタクだったのかしら? それも土壌改良の本ばかりだわ」

 さらっと本棚を一つ見てみると、そのほとんどが農耕についてばかりだ。

 初代『星』は不毛な土地に奇跡を起こしたと言われているが、もしかすると『星』の力を得る前からセレスティスを豊かにするための研究をしていたのかもしれない。よほどこの土地の貧しさを憂いていたのだろう。


「初代『星』は故郷であるセレスティスを救いたかったのですね……」

「ぶっちゃけ、お嬢様の『星』の力があれば、草くらい生やし放題では? 初代『星』の再来とか呼ばれるかもしれませんよ?」

「無理よ。なんでここが荒野になっていると思っているの? わたくしが思うに、滅多に雨が降らないからよ」


 初めてきたとはいえ、前世の記憶を持つクレールなら分かる。

 前世の世界にあった砂漠地帯も雨が降らない上に日中は気温が高い。草木は暑さに枯れ、土は乾燥し、栄養すら残らない土地となる。


「わたくしが笑って草を生やしたところで草が枯れるのがオチよ」

「なるほど……お嬢様の大活躍が期待できたのですが……」

「いいのよ。そんなの気にしなくて。あら……?」


 手に取った本には、今までの写本とは違い、日にちや絵などが書かれている。日記かと思いきや、降水量や降った頻度、畑の状況や収穫量などが書かれているのを見ると、おそらく研究ノートなのだろう。


「こ、これは⁉ 手記⁉」


 読めば読むほど初代『星』の苦悩が見て分かる。荒野の緑地化なども考えていたが、雨量の少なさで草木は枯れる一方だったようだ。


「何が書いてあるんですか?」

「やっぱりこの土地の土壌改良とかに精を出してたみたいね。そういえば、初代の『星』の奇跡ってなんだったのかしら?」


 不毛な土地を緑豊かな大地に変えて、幻のオアシスがあると言われているが、初代『星』の能力は記載されていない。クレールのような草木に関わる能力なのだろうが、しかし、それだけでは初代『星』が没した後まで奇跡は続かないだろう。


「…………これ」

「はい?」

「初代『星』は品種改良に関わる能力を持っていたみたい」

「品種改良って、同じ系統の植物とかを掛け合わせて、新しい品種を作るっていうあれのことです?」

「ええ、そうよ」


 ただし、初代『星』の能力はそんな地道なものではない。自分が思い描く種を作る能力だ。どうやら水を生成する植物なるものを作り、オアシスを形成させる。そしてそのオアシスの水がある一定量蒸発すると、雨雲を作るらしい。


「水を生み、雨雲を作る植物だなんて……まるで夢物語みたいね。おまけにこの種、受粉も必要とせずに種を作るみたい」


 枯れる間際に花を咲かせる。その花はやがて一つの実をつけて種となる。


「じゃあ、なぜその種は芽吹かなかったんですか?」

「分からないわ……初代『星』の能力ミスか……鳥の仕業かしらね?」

「鳥?」

「あら、ガイアスは知らないの? 植物の種ってね、動物に実を食べてもらって運んでもらって移動することもあるのよ」

「は、はぁ……それも前世の知識ですか?」

「まあ、そんなところ。でも、鳥の仕業でも、どこかでオアシスができていてもおかしくないような……」

「結局分からずじまいってやつですか」

「一度芽吹かせるくらいなら、わたくしの力でどうにかなりそうだけど……種がないのでは仕方ないわね。一度神父様に種の所在でも聞いてみる?」

「そうしましょうか」


 クレール達がアトリエを出て神父に訊ねると、彼はあっさりと言った。


「種ですか? それなら教会にありますよ」

「え、あるんですか⁉」


 クレールの勢いに負けて、神父は身をのけぞらせて頷いた。


「ええ。オアシスの種と呼んでいまして、初代『星』の奇跡で作ったオアシスの跡地で見つかりましたが、一向に芽吹かないのです。歴代の『星』達にも助力を頂いたのですが、どの『星』達もこの種を芽吹かせることはできませんでした。こちらが、その種です」


 出てきたのはクレールの拳ほどの大きさがある種だった。思っていたよりも大きく、クレールは面食らってしまう。


「思ったよりも大きいわね……」

「よかったじゃないですか、鳥や動物が食べられないサイズ感で……」

「それで、この種がどうかしましたか?」

「実はわたくしは『星』の力は笑うと草木を成長させる奇跡なのです」


 それを聞いた神父は、目が零れ落ちるのではないかと思うほど、目を見開いた。


「な、なんと! クレール様のお力でこの種を芽吹かせていただけないでしょうか!」

「ええ、わたくしで良ければ」


 クレールは種を受け取り、神父と共にオアシスの跡地へと向かった。

 かつてはここには水源があったのだろう。中央部分がくぼんでおり、湖ほどの広さがあったのだと分かる。


「さあ、クレール様。よろしくお願いいたします」

「ええ」


 旅路で野菜を育てるために積んでいた植木鉢を用意し、そこに種を植える。土にはたっぷりの養分と湿り気があり、芽が出るにはいい環境だろう。


「じゃあ、ガイアス。お願い」

「お任せください、お嬢様」


 クレールだって何も面白くない時に笑えるほど器用ではない。誰か客人が来た時に、咲いている花が見つからない時、旅路で野菜が必要な時は、ガイアスがクレールを笑わせていた。


「では行きますよ、お嬢様」

「ええ……」

「じゃあ、まずですね……初代『星』のアトリエ」

「……ふふっ」


 初代『星』のアトリエ。とても素晴らしかった。まさか幼い頃の自分も、初代『星』のアトリエに入れるなんて、思いもしなかっただろう。あの時の嬉しさを思い出して口から笑い声が漏れた。


「初代『星』の本棚」


 あれは良かった。初代『星』が農耕についての研究に熱心だったなんて、ここに来るまで知らなかった。ファンとして推しの新たな一面を知れた喜びは計り知れない。


「初代『星』の手記」


 そう、さらにはあの研究ノートである。初代『星』が当時感じていたセレスティスの未来についての憂いや苦悩が見て取れた。またあの手記を見たい。


「うふふふふふふふふふふふふふふふふふっ!」


 あの時の嬉しさを思い出してクレールが笑うと、植木鉢に小さな芽がいくつも現れる。


「おおおっ! 本当に芽吹いた!」


 神父も驚きの声を上げたが、植木鉢を覗き込んだガイアスが顔をしかめる。


「これ……全部雑草ですね」

「え?」


 クレールも思わずぽかんとして植木鉢を見つめる。


 確かに生えた目は、小さな芽の雑草だ。道中で野菜を育てる時によく映えてきたので間違いない。それにあれだけ大きな種だったのだ。こんな小さな芽なわけがない。

 一度掘り起こすと、やはり芽は出ていなかった。


「そ、そんな! なんで⁉」

「お嬢様、もしかして『星』の候補から外れて力が衰えました?」

「そ、そんなはずないわよ! ガイアスだって、アトリエで花が咲いたのを見たでしょ!」

「ああ、そっか……」


 そうクレールの能力は衰えていない。衰えていないのなら、種に問題があるはずだ。


「もしかして……休眠してるとか?」


 昔、新聞の記事で室町時代から保管されていた花の種が芽吹いたという内容を読んだことがある。なんでも植物の種は環境などの影響で発芽せずに眠ったままの状態になってしまうらしい。つまり、この種も同じような状態なのかもしれない。


 いくら前世の記憶があるとはいえ、クレールは専門知識があるわけではなかった。せいぜいあっても、義務教育レベルの知識である。


「一度、アトリエに戻りましょう。植物関連の本がたくさんあったから、少しヒントがあるかも……」


 まさか自分の力が役に立たないとは思わなかった。クレールは植木鉢を抱えて再びアトリエに戻り、本棚をひっくり返す勢いで読み漁る。


(何かないの⁉ 種を発芽させる方法!)


 クレールと共に机を並べて勉強していたガイアスも古代リュミル語が分かる。彼にも手伝ってもらい、種の発芽方法を探した。しかし、写本だけでもかなりの量が収められている本棚を全て見るには時間が足りない。ひとまず初代『星』の手記を重点的に探して読んでいく。気付けばあっという間に日が暮れ、夜となっていた。


「お嬢様、そろそろ休まないと明日に響きますよ」

「もうちょっとだけ……」


 蝋燭の明かりの元で本をめくっていたクレールは、後ろにいるガイアスに視線すら送らずに答えた。


「いけません」

「わっ!」


 後ろから本を取られてしまい、クレールが振り向くと、呆れた顔をしたガイアスが立っていた。


「明日も調べるのでしょう? それなら、もう寝るべきです」

「で、でも……」

「焦るのはわかります。初めてお嬢様の力で芽吹かなかった種ですから」


 そう、クレールは焦っていた。


 公爵令嬢として質の高い教育を受け、さらには『星』の力も得た。しかし、クレールの『星』の力はヒロインであるアリスより能力としても派手さも劣るもの。


 笑って草木を生やすなんて、ネットスラングみたいで恥ずかしくて笑うのすら戸惑ったこともある。

 しかし、そのクレールの『星』の奇跡で喜ぶ人もいた。両親だってアリスのような奇跡でなくても笑ってくれた。


 自分にしかできない奇跡だからこそ、今回の種だって芽吹くと思っていたのだ。


「得意なことでも、いつかは壁にぶつかるものです。今日はセレスティスについたばかりで疲れていると思いますし、もう休みましょう」

「ええ、ありがとうガイアス。やっぱり頼りになるわね」

「当たり前です。オレはお嬢様の忠実なる下僕ですから」


 ◇


「やっぱりダメだわ……」


 発芽方法についての調べは難航していた。作った本人の手記を見ても、特別なことなんて何も書いていなかった。

 ただ植えて、発芽して、オアシスになったということだけ。

 一応、植木鉢に水を与えて日向に置き、ひと笑いしてみたが、効果はなかった。


「なぜ、なぜなの……?」


 今、ガイアスと共に気晴らしに街に出ていた。俗にいうバザールという市場には、乾燥に強い作物や行商人が運んできた品々が並んでおり、意外にもにぎわっている。


「ほら、お嬢様。蛇の肉ですよ。ここでは貴重なたんぱく源らしいです」

「ありがとう……おいしい」


 渡されるまま口にし、クレールはただ口を動かした。


(なんでかしら……いつもと一体何が違うの?)


 頭の中でオアシスの種のことばかり考えていると、どんと誰かが後ろからぶつかって来た。その人物は謝りもせずにクレールを通り過ぎようとし、ガイアスが素早く捕まえる。


「こら、悪ガキ! うちのお嬢様から取ったものを返しなさい!」

「わっ! 放せよ!」


 ガイアスがとっ掴まえたのは、十歳くらいの少年だった。彼の手に持っているのは、クレールの種袋だ。金目のものではないが、クレールにとって食料や資金源の一部だ。


「残念だったな。お嬢様はこう見えてぼんやりしているから、金品の類いは持たせていないんだ。狙うならオレにするんだったな」

「自慢気に言うことか、それ!」


 ずいぶん威勢のいい少年だ。ガイアスに掴まってもなお睨みつけてくる少年に、クレールは目線を合わせて訊ねた。


「何か困っているの? お金は渡せないけど、野菜くらいなら出せるわ」

「は? 野菜?」


 少年がぽかんとした表情を浮かべた後、すぐに首を横に振った。


「い、いらねぇよ! オレは薬草が欲しいんだ!」

「薬草?」

「妹が病気なんだ。でも……ここは薬草が育ちづらくて、バカみたいに高いんだ」

「それでスリか……」


 ガイアスはため息をついて、クレールに目を向ける。


「どうします? お嬢様」

「そうね。アリスさんからもらったのは傷薬ですし……」


 クレールは種袋の中身を確認すると、薬草の種が入っていた。三粒あれば、おそらく足りるだろう。


 ガイアスへアイコンタクトを送り、手の平に乗せた薬草の種を見せると、彼はやれやれと言った顔で、少年を解放した。


「お前は運がいいぞ、なんたってうちのお嬢様に会えたんだからな」

「は?」


 わけが分からないという顔をする少年にガイアスは言った。


「喜べ! お嬢様がお前の為に笑ってくださるそうだ」


 少年はガイアスの言葉を聞いて驚くと、怒りと嫌悪を露わにする。


「バカにしてんのか!」

「えええええっ⁉」


 なぜ罵られたのか分からない二人は揃って声を上げると、少年はクレールを指さして怒鳴り散らした。


「人が苦しんでるっていうのに笑ってやるってどんな神経してんだよ! ほんと最低だな!」

「落ち着いて、わたくしは別に貴方の不幸を笑うつもりはないのよ」

「ぁあんっ⁉」

「あなたの為を思って、真剣に笑うつもりだったの」

「なお質悪いわっ!」


 ぎゃんぎゃん吠えるようにツッコミを入れていく少年が、なんだか愛らしくクレールの口から笑い声が漏れた。


「まあ、元気がよくてよろしいこと。ふふっ」

「あのなぁ! …………ん?」


 クレールの手にあった薬草の種が芽吹いたことに少年が気付き、目を見開いた。


「種が……芽吹いた?」

「そうよ。わたくしは元『星』の候補だったの。笑うとこうして草木が成長するのよ」

「は……は?」

「ほら、少年。薬草が欲しければお嬢様を笑わせるがいい。労働なくして報酬なんてもらえないんだからな。自慢じゃないが、うちのお嬢様の笑いのツボは浅いぞ」


 ガイアスは少年の肩をぽんと叩きながらそう言うと、少年は怪訝な表情を浮かべながらもクレールをどう笑わせるか考えているようだった。


「…………ふ、布団が吹っ飛んだ!」

「ごめんなさい。親父ギャグはガイアスのせいで笑い尽くしてるの」

「知るか、そんなこと! おい、あんちゃん! オレの渾身の笑いを潰したんだから、あんちゃんが責任取って笑いを取れ!」

「オレだって笑いの引き出しは無限じゃないんだよ」

「………………ああ、それだわ」


 クレールはぽんと手を叩いた。


「ん? お嬢様、それとは?」

「わたくし、ガイアスに飽きたのよ」

「…………………………は?」


 ◇


 二週間後、セレスティスで大きな祭が執り行われた。


 その名も『セレスティス大笑い大会』である。


 クレールがオアシスの種を芽吹かせられなかったのは、おそらく笑いが足りなかったのだろう。特にガイアスとは長い付き合いだ。彼の笑いネタや微笑みを引き出す技では力が足りなかったのだとクレールは推測したのだ。


 そこで、現地民に新鮮な笑いを提供してもらおうと企画したのが、この祭りである。


 セレスティスの民達には『台所にある野菜の種を持ってこい。実が生るまで成長させてやる』とか『女にプロポーズを考えている男は花の種を持ってこい。『星』の奇跡で咲かせた花だと箔が付くぞ』という呼び込みで参加者を募らせた。


「いいか~~~~~お前ら~~~~~~!」


 大会開催の挨拶で壇上の上に立つガイアスが声を張り上げる。


「お嬢様が笑って草が生えるところが見たいかーーーーーーっ!」

「おおおおおおおおおおおおおっ!」


「幻のオアシスの復活をこの目で見たいかーーーーーーーーーーーっ!」

「おおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


「ならば、うちのお嬢様を笑わせろ! 言っとくがうちのお嬢様は親父ギャグ以外であれば、ペンを転がすだけでも笑う、ツボの浅さだぞーーーーーーーーーーーっ!」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 こうして、笑いの火蓋は切って落とされた。


 前世と違い、人を笑わせる場というのはこの世界では少ない。どちらかといえば、ピエロやサーカスといった客を驚かせて喜ばせる方が多いだろう。


 集まってくれた参加者はセレスティスの民だけでなく、噂を聞きつけた近くの村や町に滞在していた行商人もいた。


 一発芸や腹踊り、夫婦漫才だけでなく大道芸まで種類多く笑いを提供してくれた。


 おかげでクレールの周囲一帯は草原と化しており、持ち寄った野菜や果物の苗、花や薬草が育ち、大収穫となった。


「ああ……もう一生分笑った気分……」


 クレールはそう言いながら、膝に置いた植木鉢を見下ろす。


 植木鉢は相変わらず雑草の芽が生えているだけで、肝心のオアシスの種は芽吹かない。


「残念ね……やっぱりわたくしの力はそれまでなのかしら……」


 所詮、クレールはライバル令嬢。民達を救うほどの奇跡は持ちえないということだろうか。


「クレール様」


 隣にいた神父が労し気にクレールを見つめる。


「ごめんなさい、神父様。皆様がオアシス復活のためにこんなに頑張ってくれたのに……」

「……ご覧にください、クレール様。草木が成長し、多くの民達が喜びに湧いています。子ども達もこれほどの緑を見た者はいないでしょう」

「…………でも、この緑も雨が降らなければ枯れてしまうわ」

「それでもです。クレール様は我々セレスティスの民に希望と笑顔をくださった。素晴らしい奇跡です」

「…………ありがとう、神父様」


 クレールがそう言った時、会場の観客たちが大きな歓声を上げた。


「司会を変わりまして、本日の大トリはこの方! クレール様の一番の下僕、ガイアス様だああああああああああああああああっ!」


「うおおおおおおおおおおおおおおっ!」

「やれ、ガイアス! お前ならオアシスの種を芽吹かせられるぞ!」

「あんちゃんがんばれーーーーーーーっ!」


 いつの間にセレスティスの民達と仲良くなったのか、ガイアスは熱い声援を受けて会場入りをする。


 中には熱い眼差しで見つめる女性もいて、ガイアスの人気具合がよく分かった。


「お嬢様!」


 ガイアスが舞台の下でクレールに向かって叫んだ。


「お嬢様にお仕えして早十数年。オレは笑いのネタを数々提供してきました。しかし、お嬢様に『ガイアスに飽きた』と言われ、この二週間考えてきた新たな笑いを提供いたします!」


 新たな笑い。それはちょっとだけ興味がある。


「なら、来なさい! わたくしが貴方の笑いを受け止めてあげるわ!」


 クレールが主人らしく答えてやると、ガイアスは「では」と咳払いして顔を上げる。



「お嬢様、可愛いぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!」


「へっ⁉」


「いつもは凛としているお嬢様が、時々ぼんやり外を眺めながらおやつのことを考えていたり、朝が弱くて寝ぼけたまま食事を摂ってたり、ギャップが最高ぉおおおおおおっ!」



 てっきりギャグで笑いを取るとばかり思っていたが、ガイアスが急にクレールを褒めちぎり始めて、周囲は困惑していた。


「おい、ガイアスのヤツ。あれでどう笑いを取るんだ? どう見てもあれは惚気だろ?」

「いや、クレール様を見ろ」


 クレールを見ると彼女は恥ずかしそうに頬を赤らめながらも口元が緩んでいた。


「あれは……照れ笑いだ!」

「アイツ! 惚気るついでに別の方向から笑わせてやがる!」

「あんにゃろう、見せつけやがって!」


 会場の男達からブーイングが飛ばされる中、草原と化した会場にはたくさんの花が咲き乱れ、風で花びらが宙を舞う。

 緑が失いつつあるセレスティスでは滅多に見られない光景に皆がうっとりしていた時だった。



「そんなお嬢様が、好きだぁああああああああああああああっ!」



 クレールをずっと褒めちぎっていたガイアスの愛の告白に、賑やかだった周囲が一気に静まり返った。



「お嬢様にお会いして十数年! 孤児のオレを煙たがらずに優しく接してくれて、何なら自分と同等の教育を施してくれた! 貴族令嬢だからって叶えられない夢だと言いながら聞かせてくれたお嬢様の夢はいつかオレの夢にもなりました! 最果ての大地に訪れる夢を叶えた後も、オレはお嬢様と同じ夢を見てそれを叶えたい! お嬢様、好きだぁあああああああああああああああああああああっ!」



 周囲が「おおおっ!」と大きくどよめき、視線はクレールへと向けられる。


「え、ええっ⁉」


 笑いを提供すると聞いていたのに、まさか告白されるとは思ってもなかったクレールは思わず視線を泳がせてしまう。


 しかし、どこを見ても会場のいる者達が好奇心に満ちた目をクレールに向けており、視線のやり場もなかった。


「………………ガイアス」

「はい!」

「ガイアスのぉ……バカぁあああああああああああああああああああっ!」


 クレールはそう叫ぶと、植木鉢を抱えたまま壇上を駆け下りて行き、会場から姿を消した。


「へ…………」


 告白の返事にバカと罵られ、残されたガイアスがぽかんと立ち尽くしていた。


「へ?」


 ガイアスは周囲に視線を送ると、すでに酒が入って酔いが回った男達が大きな声で笑い始めた。


「がはははははははははっ!」

「ガイアス! 振られてやんの~!」

「確かにこれは新しい笑いだわ、あはははははははははははっ!」

「可哀想~、新しい女紹介してやろうか~!」


 寄ってたかってガイアスを叩いて慰めながらゲラゲラ笑う男達に、ガイアスはそれを振り払った。


「振られてねぇわ! お嬢様――――――っ!」


 ◇


「信じられない。大衆の目があるところであんなことを言うなんて……」


 まだ熱くなった頬が冷めない。それどころかもっと熱くなっているような気がする。


 ガイアスの告白は、嬉しかった。『星』への憧れと最果ての大地へ訪れる夢を一緒に追いかけてくれた大事な人だ。


 しかし、てっきりガイアスは自分のことを主人としてしか見ていないものとばかり思っていた。


 ガイアスの事は好きだ。好きだが……


「なんであんな大勢の前で告白するのよ……!」

「お嬢様!」

「っ⁉」


 まだ彼と顔を合わせる心の準備ができてなかったクレールは、声なき叫びをあげた。


「なんで逃げるんですか⁉」

「あ、あなたこそ! 大勢の前で何を言うの! わたくしに笑いを提供してくれるんじゃなかったの⁉」

「いや……オレは……最悪、お嬢が笑ってオレをあしらうことも考えたんですけど」

「嘘告白ってわけ⁉ 信じられない!」


 もし、それが本当ならこの場で主従関係を打ち切ってやってもいいとクレールが口にしようとした時、ガイアスがクレールの肩に手を置く。


「いえ、オレは本気です」


 紫色の瞳がまっすぐとクレールに向けられ、その真剣な表情から彼の思いが伝わってきた。


「オレはお嬢様を一人の女性として愛しています。お嬢様はオレがお嫌いですか?」

「…………いえ、わたくしもガイアスのことが……好きよ」


 そう、クレールはガイアスの事が好きだ。幼馴染同然に共に過し、秘密を、夢を共有してきた仲だ。好きにならないわけがない。


「……お嬢様!」

「でも、お父様はお許しになるかしら……」


 笑って草が生えてもクレールは公爵令嬢。貴族の娘は政略的な婚姻がつきものだ。家は兄がいるとは言え、クレールは政治の駒でもある。一介の使用人との結婚を父は認めてくれるか不安だった。


「いえ、お嬢様。その件についてはもう旦那様とすでに話がついていまして……」

「は?」

「ほら、責任を取らせるって話ですよ。年頃の男女が二人旅ですよ? 何もないわけないでしょ? だから旦那様は、お嬢様を傷つけることなく最果ての大地から帰ってきたら結婚相手として認めるって許可をいただいたんです。まあ、許可がいただけなかったら、お嬢様の気持ちを確認して駆け落ちも考えましたが……」

「あの責任ってという意味だったの⁉」


 道理でガイアス以外に護衛や使用人がいらないのかと念を押すように聞かれたわけだ。道中で何かあったかと問われれば、もちろん何もない。ガイアスはちゃんと父親の言いつけを守って紳士に徹していたわけだ。


「はい。王都に戻ったら、余っている爵位をお嬢様にお譲りしてくださるそうです。そうしたら、お嬢様は女伯爵です。そうなった後もオレはお嬢様をそばで支えます。だから、お嬢様、オレと結婚してくれますか?」


 跪いて許しを請うガイアスに、クレールは植木鉢を抱えたまま小さく俯いた。


「わ、わたくし、前世の記憶のせいで今世の常識と前世の常識がごっちゃになってしまう時があるけどいいかしら? 前世の謎の知識とかうっかり口にしたり……」

「お嬢様の前世の知識、すごい便利じゃないですか。むしろ、その知識を新領主となった時に発揮してくださいよ」


「うっかり大笑いして、大量の草を生やしてしまってもいいかしら?」

「安心してください。その草はオレが刈り取ります」


 どんと胸を叩いて笑うガイアスに、クレールは頷き笑みを零した。


「わたくしもあなたを愛しているわ。結婚しましょう、ガイアス」

「お嬢様!」


 ガイアスがクレールを抱きしめようとした時、彼女はくるりと背を向けて、彼の腕からすり抜けた。


「でもまずは、屋敷に帰る前にこの種を発芽させなければ! これはわたくしに課せられた使命よ!」

「お、お嬢様……」


 わざとではないとはいえ、見事に回避されたガイアスはがっくりと肩を落とした。


「いいですよ。オレはお嬢様のそんなところも好きですから……」

「え? 何をそんなに落ち込んでるの?」

「なんでもありません……って、あれ? お嬢様、植木鉢に芽がでてません?」

「どうせ、また雑草でしょ……」


 クレールが抱えていた植木鉢を見下ろすと、土の上に大きな双葉が顔を出ていた。しかもそれは今まで生えてきた雑草の芽ではない。葉はつやつやとしていて、茎もしっかりと太い。


 二人は顔を見合わせて、言った。


「芽が生えた!」


 その後、発芽したオアシスの種は大きく成長し、水を生み出す大樹となった。枯れ果てたオアシスは再び元の姿を取り戻し、クレールの微笑みの緑地活動によってセレスティスは緑豊かな土地となった。


「クレール様……この度は本当にありがとうございました」


 やることが全て終わり、セレスティスを出発する日。セレスティスの民達がクレール達を見送りに来てくれた。


「クレール様の奇跡のおかげで、このセレスティスに緑が戻りました。まさしくクレール様は民の希望となる『星』でございます」

「そんな、神父様。大袈裟ですよ。わたくしは草を生やすことしかできないですし、元はと言えば、初代『星』が作ったオアシスの種のおかげです」

「いえ、種があっても芽が出なければ何にも意味がありません。またセレスティスに訪れる際には民全員でお迎えいたします」


 こうして、クレール達はセレスティスの民に見送られながら最果ての大地を後にした。

 目的地はもちろん、屋敷がある王都である。


「結局、なんでオアシスの種は芽が出たんですかね? 別にお嬢様が大笑いしたわけでもないのに」


 クレールと一緒に御者台に並んで座っていたガイアスは、手綱を握りながら首を傾げた。


「さあ、なんででしょうね?」


 おそらくだが、ガイアスに求婚され、クレールが嬉しかったからではないかとクレールは推測したが、実際には分からない。


 もし、クレールの幸せな気持ちがオアシスの種を芽吹かせる力となったのなら嬉しいと思う。


「うーん……じゃあ、ここは一つ。オレとお嬢様の愛の力ということで」

「もう、何を言っているのよ」


 クレールが笑うと、ぼんっとどこかで草が生える音がした。それはちょうど車輪の真下だったらしく、馬車が大きく揺れた。


「きゃっ」

「おっと……」


 傾いたクレールの身体をガイアスが支え、クレールににっこりと笑いかけた。


「お嬢様、屋敷に戻るまでが巡礼ですからね」

「分かってるわよ。屋敷までよろしくね」

「屋敷までと言わず、これからの人生もお供しますよ」



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― 新着の感想 ―
[気になる点] 芽出たい!こうですかわかりません! [一言] 草生えるwwwwwwwwww
[良い点] これはいい主従恋愛 きちんとパパンも認めてるし問題なしですね 劇中でも言ってるけど笑うと草生えるので読者も草生える
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