03
この屋敷は____おかしい。
あれから5日が経った。キャロルとココアに任せておいた方がフィリアが大人しくしているので、イオニアは積極的に屋敷の使用人を手伝おうとした。しかし____
剥がしたシーツを持って廊下に出てすぐに髪で目の下、鼻先まで前髪を伸ばしたメイドがいきなり現れて手を差し伸べる。
「持っていってくださるの?」
イオニアが尋ねても無言だ。
差し出すべきか迷っているとそっとシーツを取られて足音もなく去っていく。
こんなことが、もう何度も続いている。
誰もいない廊下を歩いても視線を感じるし、とても____居心地が悪い。
けれど、そう感じているのはイオニアだけらしい。
フィリアは庭を散策中で、明るい笑い声が響いてくる。エスコートしているのは、このお屋敷の主人ではない。
考え事をしながら歩いているとふと目の前に何かが落ちてきた。
「ひっ……」
思わず喉の奥で引き攣ったような声を漏らす。恐る恐る落ちてきたものの方を見やると何もない。
まただ。晩餐の時にしか現れないという主人、主人の代わりに現れ、フィリアを誘い、エスコートする男性達。どう考えても____
「歓迎されてないわ」
問題はどうやってフィリアに伝えるかだ。フィリアは元々楽観的な自信家だ。もう何度もそれとなく晩餐での様子などを聞いてみたりしているものの、彼女の主観で語られるそれは、さっぱり客観的な状況が分からず、何もならないでいる。
考え事をしているうちに、イオニアはよくわからない場所に立っていた。大きく取られた窓からは庭が一望できる。しかし、その庭は見たことがなく、異国情緒に溢れている。
静かな庭だった。まるで雨のような、といえばいいのか。どこか寂しく、荒々しい。無造作でありながら手入れをされているのを感じるし、瑞々しく、生命力を感じさせる。
目が惹きつけられる____
「ようこそ」
後ろから、まるで夜を孕んだような声がした。イオニアが振り向くと、いつの間にかそこには長椅子があり、そこに男が寝そべっていた。
銀色の長い髪、金色の瞳、見慣れない獣の耳がピンと立ち、後ろからは彼を包むように9本の尻尾が揺れている。服は宵闇色で、しかし見慣れない____
「____着物?」
そこなんだ、と彼はふっと目を細めて笑った。
「珊瑚色の髪のお嬢さん、お名前は?」
我に返ってカーテシーを取る。
「イオニアと申します」
彼の起き上がる気配がする。顔を上げて、と促されて体勢を戻す。
「あまり驚いていないようだね。私は白蓮。狐の妖だよ」
イオニアが思い出したことがある。妖は人の国に屋敷を構え、人間でいう侯爵位ほどの影響力を持っている。しかし、爵位は子に引き継がれることはなく、きっかり100年で代替わりするという。彼らはもっとずっと長い生を生きていて____
「このお庭は貴方様の故郷の風景なのですか?」
そうだね、そうかもしれない。彼は言った。
「かもしれない?」
「これは私の想像の庭だから」
これと同じ景色は存在しないよ、と穏やかな声で続ける。
この世界と妖の生まれるところは重なり合っているのだと読んだことがある。綻びを通り彼らは人の世に現れる。
しかし、逆は出来ず、人間が妖の世界に立ち入ることは基本的に出来ないらしい。
しばらく沈黙が落ちる。お屋敷にいた時に感じた見られているような感覚は感じない。それに彼はこのどことも知れぬ部屋に迷い込んだイオニアに怒っているようにも見えなかった。
乾いた唇を開けて閉じる。聞くなら今だろう。
「お聞きしたいことがあります」
彼の瞳をしっかりと見て切り出すと、その瞳がただの金色でないことに気がついた。
虹彩が朱金に輝いている。思わず見惚れていると、どうぞ、と応えが返った。
一度ぎゅっと目を閉じてから開き、恐る恐る切り出す。
「フィリアを、どうして婚約者候補として呼んだのですか?」
じっと見ていると彼の瞳が揺れる。
「フィリアはお話をして気に入っていただいたと聞きました。けれど、本当は違う理由があるのではないのですか?」
彼はしばらく考えてから、ふうっと息を吐き出した。
とりあえず、座ろうか。と彼は長椅子に斜めに腰掛け、隣をぽんぽんと叩く。
断るのも失礼だろう。
「失礼します」
感覚を開けて少しだけ彼の方を向き座った。