序幕
それは何処からともなく湧き上がってきたようにしか見えなかった。
地面からゆっくりと立ち昇る黒い靄のようなものは、人の形のように細長く伸びていき、やがて大人ほどの大きさになったかと思うと、すぐそばで座り込んでいた少年に手を伸ばすように形を変えていく。
「あ……」
少年にはそれが何かを理解することは出来なかった。それでも、本能が、それに触れてはいけないと叫んでいた。
靄から少しでも遠ざかるように、後退りをする。
立って逃げればいいはずなのに、少年にはそれだけのことが出来なかった。立ち上がろうとしても、足に力が入らなかったのだ。
「ヤダ……」
靄はゆっくりと伸び続ける。
もはやそれは人の形をなさず、ただ地面を這っている。
決して早くない速度だが、速度は緩むこともなく、確実に少年に近づいていた。
「ヤダ……」
少年が後ずさり続けたところで、背中がなにかに触れた。
ガタンという音がして、上から木彫りの像が落ちてきた。
それは女神の像だった。
少年はとっさにそれを握りしめる。
どうか女神様……助けて
少年が両手で像を胸に抱きかかえようとしたとき、彼の視界を暗闇が塞ぐ。
地を這う靄とは別に、天井からもまた、モヤが迫っていたことに、少年は気付いていなかった。
靄は少年を包み込むと、肌の穴という穴から少年の内側を侵そうとする。
「……」
もう少年は声も出せなくなっていた。
強い拒絶
女神様……
父さん、母さん……
誰か……




