第十二話 戦闘訓練
円筒だった入り口の建物とは異なり、訓練場は四辺が直線で仕切られた長方形の形をしている。だが、そこに計画的に配置された様々な障害物、乱雑に置かれた訓練部材のために、綺麗に区切られた直方体の建物、という印象はまったく感じられなかった。
訓練場には、まもなく闇星が昇ろうという時刻にも関わらず、多くの隊員の姿が見える。テル達は、訓練場の中の木々を模した障害物の置かれた区域に足を向け、今日の訓練時の動きを振り返ろうと考えていた。
「お、ミナカ隊」
「アレックスか。お前ら、今日、巡回じゃなかったっけ」
「お互い様だろ」
障害物区域に向かうテル達を呼び止めたのは同じ望星隊の別部隊の隊員であるアレックス・シアーだった。
短く刈り揃えられた茶色の髪に薄紫色の瞳をした彼は、日ごろからにこやかな表情でいる為か、実年齢よりも幼く見られがちであることを気にしている。
スサが足早にアレックスに歩み寄ると、どちらともなしに片手を高く挙げると、目一杯の力で叩き合う。直後、二人は顔をしかめるとその手を何度か大きく振った。
その光景を、いつものことだと気にすることなく見ないふりしたテルは、アレックスの後方に更に四名の姿を見つける。全員がアレックスと同じ、ヒノ隊の隊員だった。
いや正確には、一名、「隊員」ではないものがいる。
薄茶色の髪を耳下の長さで切り揃え、少し吊り上がった黒い瞳はどこか厳しさを感じさせる女性ヒノ。ヒノ隊の隊長だった。
「ヒノ隊長もいらっしゃったんですか?」
「次の遠征に向けて心構えというものを教えておこうと思ってな」
「遠征……!ヒノ隊は次の遠征に参加するんですか?」
「遠征」という言葉にテルはミヤと顔を見合わせた後、改めてヒノを向き直る。
ヒノ隊の隊員達はミナカ隊のテル達と同期入隊のものが多く、彼らが今度の遠征に出征するとなると、先を越された気持ちになったのだ。
先ほど、早く役に立てるようになるためにも頑張らなければ、と気持ちを新たにしたばかりであっただけに、「先を越された」という気持ちはより強く感じられた。
「そうだな。戦力配備を均一化する必要もあって、お前たちとは出征先が異なるが」
「……え?」
「ん?」
「ヒノ隊長、今、なんて……」
「戦力配備の均一化をする必要があって、か?」
「その後です」
「お前たちとは出征先が異なるが?」
テルは一瞬、ミヤとスサに視線をやる。二人とも言葉はなかったが、その表情を見れば聞くまでもなかった。
「……俺たちも、遠征に出れるんですか?」
「あ、あぁ、そういうことか。お前たちは訓練から戻ってきたばかりで聞いてなかったのだな。これはミナカに悪いことをしたか」
ヒノの言葉はテルの質問に対する回答としては少しずれていたが、それでも確認したかった事項は伝わった。
テルが振り向くと、スサはもちろん、普段はあまり感情を現わさないミヤも満面の喜びを感じ取られる笑みを浮かべていた。
そうして三人は誰からともなく互いの手を叩き合う。
自分たちの力不足を自覚し、努力しなければならない、と誓ったばかりだけに、テルは少し複雑な気持ちではあったが、それでも、そうした気持ちを超えた嬉しさを感じたことは事実だった。
これで自分たちも滅びの終末に立ち向かえる。皆の役に立てるのだ。
「お前たちも次の遠征に向けて、浮ついた気持ちを落ち着かせるために訓練に来たのかと思ったのだが、どうやら違ったらしいな」
「どちらかというと、遠征に出れない自分たちの不甲斐なさが悔しく、でも、それを変えるには努力しかないと思って訓練しようって」
苦笑いを浮かべて答えたテルの言葉に、ヒノは背後の隊員たちを見渡す。
「だとさ。お前たちとはずいぶん心構えが違うようだ。見習え。……そうだ、良ければお前たちも一緒に手合わせしていくか。もしも優先してやりたい訓練があったなら無理にとは言わんが」
隊員たちを叱咤したかと思えば、ふっと振り返りテルたちにそう声を掛ける。
ミナカとは違った切り替えの早さがヒノの特徴だった。彼女の中では理屈が通っているらしいが、あっちこっちに飛んでいくのについていくのが大変だ、とは、ヒノ隊の隊員の一人、クライブがこぼしていた愚痴だった。
テル達としては隊長との手合わせ、しかも他の隊の隊長ともなれば貴重な経験だ。断る理由などない。
「是非!」
だからこそ、とは言わないが、ヒノの誘いに即答をしてから、テルは思い出したようにミヤやスサの方を振り返り「な?」と確認した。
テル、ミヤ、スサの三人は、ヒノから数歩離れた場所で構えていた。
ヒノとの間、そして自分たちの周りには、木を模した柱が幾本も立っている。
「敢えて三対一を望むとは。遠征に向けて部隊の連携を磨いておきたいということだとは思うが、相手は私一人で良いのか?」
「今日の昏闇の森で行われた訓練で、予定にはない熊型の魔獣と遭遇しました。その際ミナカ隊長は即時散開命令を出されました。
ミナカ隊長は延焼の恐れのない森の外に撤退後、火の魔術で一蹴されましたが、言い換えれば、周囲への損害を考慮しながら、獲物のみで戦うことはミナカ隊長でも難しかったということで、散開命令自体は納得のいくものです。
しかし、俺たちがもう少し「使えれば」、もっと違った戦い方もあったのではないか。また、今回は一体でしたが遠征先では一体だけとは限りません。
その時、どちらか一方でも俺たちが相手できたなら、そう思ったのです」
「ふむ」
テルの言葉にしばらく考え込むような仕草をしたヒノは、頷くとにこり、と笑みを浮かべる。
「危険を避けるために、魔術、獲物なしのつもりでいたが、さすがにそれでは私では荷が勝ちすぎるな。そういうことを想定した訓練というならば、少し条件をつけさせてくれ」
「条件、ですか?」
「大したことではない。条件は三つだ。
一つ、お前たちを直接攻撃することを目的とした放出系の魔術は禁止とする。
二つ、火、水、土の魔術はすべて禁止とする。
三つ、お互い、それぞれの打撃が「入った」ら行動不能とする。綺麗に入らなかった場合は構わない。訓練だからな。「入った」の判定は個人の感覚に任せる」
「二つ目、三つ目は、状況の再現かと思いますが、一つ目の条件に理由があればお聞かせ願えますか?」
「ミナカがヤバいと即座に判断した相手と言ったな?そこから力量を推測したとき思いついた。
お前たちはまだ経験が無いかもしれんが、魔獣の中にはマナを操るものがいるのだ。
特徴がばらばらで一概にこういうことをすると説明が出来んが、まぁ、そうした、何が出てくるか分からない状況での戦闘を想定したものだと思ってくれたらいい。
あ、あと、お前らも攻撃魔術でなければ使っていいからな」
ヒノの説明を聞き、テルがミヤ、スサの順に目を合わせると、二人は無言で頷く。
「了解しました」
「アレックス。開始の合図は任せた」
「はい」
ヒノが舌なめずりをする。その目は先程までの、生徒を見る教師のような穏やかな眼差しから、獲物を狩る獰猛な狩人の目に変わっていた。
「簡単に終わってくれるなよ」
「始めっ!」
アレックスが大きく振り上げた手を、空気を切り裂くように振り下ろすと、訓練開始の号令をかける。
刹那、テルはヒノの中心から何かが湧き出る感覚を覚える。
気が付けば、テルは跳ねるようにして後ろに数歩下がっていた。と、同時に、ヒノを中心に半径にして数歩分の距離が突然暗闇に沈む。
地を叩くような衝撃音が鳴り響いたかと思うと、何かが地面に叩きつけられ、擦れる音がする。
数瞬の間の後、中心の闇を吹き飛ばしながら、ヒノの姿が現れる。
暗闇から距離をとっていたテルは、視認すると同時に構え、ヒノの抜き手をいなそうとするが、捉えようとした手が目の前で消えると、首の後ろに寒気を感じ、身を屈める。
直後、それまでテルの頭があった場所を黒い何かが一閃したかと思うと、屈んだはずのテルとヒノの視線が交錯した。
考えるよりも先に、ヒノに向けて足を蹴り上げながら、その勢いで後転して距離を取る。
当たれば儲けものと思いながらの行動だったが、どういう動きをしたのか、いなされ躱された。
体勢を立て直し、ヒノに向き直ると、ヒノの背後からミヤが飛びかかり拳を当てにいく姿が見えた。しかし、それはヒノの手前で止まったかと思うと、時が戻ったかのように、ミヤは自らが飛んできた方向へと弾き飛ばされる。
視えたのは数瞬のことだったが、ヒノの背後に風の精霊の姿があった。その精霊を使役し、空気を層状に固めて盾にしたようだった。
なるほど、と思い、テルはミヤを見る。彼女も何か思うところがあるのは分かったが、それを話し合う余裕はない。
スサの姿が見えないのは、最初の暗闇を使った奇襲でやられたのだろう。最初に狙われたら、今頃、床に転がってたのは自分だったかもしれないと思うと、テルはぞっとする。
ヒノは、テルとミヤの両方を視界におさめるように立ち位置を変えながら、次の機会を窺っている。
ヒノに時間を与えれば与えるほど、戦闘経験に乏しいテルたちに不利な状況を作られていくことは想像に難くなかった。
テルはヒノに駆け出しながら魔術式を組み上げると、それをヒノの足元に目掛けて展開した。
直感なのか、別の感覚なのか、ヒノは魔術式が事象を発現させるより早く左に位置をずらすと、向かってくるテルをいなすべく体勢を整える。
だが、ヒノの想定よりも早くテルの腕が目の前に迫っていた。体勢が整わないままにヒノは咄嗟に身体をのけぞらせると、それでもなんとかそのままの勢いでテルを蹴りあげようとする。しかし、その直前、いつ現れたのか、上からかかとを振りおろそうとするミヤに気付いた。振り上げかけた足を全力で地面に叩きつけると、そのまま後ろに飛ぶ。
その間に、地面に両手両足をつき、再びヒノに身体を向け直したテルは、ヒノに隙を与えないよう再度飛びかかり、文字通り宙を舞った。ミヤは振り下ろしたかかとが空を切ったことを知ると、まるで示し合わせたかのように、テルの動きに合わせて地を這うようにヒノに駆け寄る。
どちらかがヒノを捉えられればいい、そう考えての二人の行動だった。
だが、それがヒノに届くより早く、周囲が薄暗くなり、代わりにヒノの身体が発光する。
視界を奪われ、ヒノの姿を見失ったかと思ったときには、テルとミヤは腹部に衝撃を感じ、床に倒されていた。




