第九話 野良二人
その部屋の扉の全面にあしらわれた文様は幾重もの竪を模したようにも、弦楽器を模したようにも見え、それら装飾を囲むように四辺はぐるりと蔦があしらわれている。窓は部屋の一角を覆うように、天井から床までを贅沢に使い、そのままそこに屋外の景色が広がっていると錯覚するほど透き通っていた。
壁には部屋全体を遍く照らすことができるよう、小さな灯りがいくつも掛けられている。
天井の四隅には、大きく翼を拡げた鷲の彫刻が飾られていた。
国防大臣カファティウスの執務室の装飾は、その権威を示すように華美でありながら、彼の趣味に合うものではなかった。
執務室は先代から引き継いだものであり、国費で作られたものであるため、作り直しを要求するわけにもいかず、仕方なく使って「やって」いる、というのが、彼の本音だった。
この部屋を訪れるものの中には、部屋の装飾を羨ましがる者もいるが、欲しければくれてやる、と、内心では考えている。
決して口に出すことはないのだが。
その彼の執務室に、一人の来訪者がいた。
国防長官サビヌス。彼もまた、この部屋の装飾にはさしたる感動を覚えない人物の一人である。
サビヌスは、執務卓で両手を組んで座るカファティウスを前にして、両手を後ろ手に直立していた。
「『アストリア』からの遣いが到着したそうだな」
「商隊は襲われなかったとのことです」
カファティウスは、執務卓の上で組んでいた両手の上に顎を乗せると、少し前かがみになった。
「愚かさに気付いたか?」
カファティウスは嘲りのような、しかしどこか関心も持ったような笑みを浮かべる。
「残念ながら、そういう意味では閣下のご期待には沿えない報告です。使うつもりだった難民が正体不明の獣に襲われ死んだ、と聞いております」
「……現れたのか?」
確かにそれはカファティウスの期待する答えではなかったが、ある意味カファティウスの期待する答えでもあった。
「我が軍の者は誰も確認できておりません。報告は『アストリア』の商隊から国境砦に対して行われたものです。『ゲラルーシ山脈』からの下山中、我が臣民と思しき者たちが数名、亡くなっているのを発見したが、大事な荷を積んでいることから、その場から運ぶこともできず、その場で埋葬、弔ったと。
報告のあった現場には実際に埋葬された跡と思しきものも確認されています」
「それだけか?」
「亡くなったものには外傷がなく、毒を持つ生物の可能性もあるため、近隣に被害が広まらぬよう警戒するよう、とも」
「外傷が無い、か」
「砦より、同様に外傷のないまま亡くなっているものがいないか、近隣を捜索させたようですが、他に見つかることは無かったようです。
商隊の発見から捜索まで二つ陽ほど間が空いたことから、その間に喪われた可能性もありますが」
カファティウスは、椅子に深く腰をかけると、足を組む。
「どう見る?」
「おそらく、件の獣でしょう。商隊が遭遇したかどうかは定かではありませんが、その後、周辺で姿が確認されてないところを見ると、商隊が討伐した可能性が高いかと」
「商隊の護衛は傭兵団と数名の騎士と聞いていたが、騎士の中に魔術士がいた、ということか」
「隊の人数については把握しておりますが、編成については、我が国への報告義務が無いため分かりかねます。
件の獣が討伐されたかどうかについても確実とは言えず、暫くの間、ガイウスには周辺の警戒を怠らぬことを伝えてあります。
毒持ちの可能性もあるため、分隊にはかならず魔術士を配備することも指示しています」
「発見の際、場所を記録するよう伝えておけ」
「承知しました」
これまで『ウツロ』は『ゲラルーシ山脈』近辺でのみ目撃されている。それが偶然ならば良い。だが、必然であるならば、早急に手を打つ必要があった。
――これは、忌避すべき危機であると同時に、受け入れるべき機会かもしれん。
サビヌスを下がらせたカファティウスは、窓の外、その先にある『ゲラルーシ山脈』を見て、口の端を上げた。
△▼△▼△
「あなた達はこれからどうするの?」
商隊を帝都まで案内する役目を終えたフアンとレツは、帝都で共に商隊と別れたアンとシンを連れ、帝都の一角で食事をしていた。
「もちろん仕事だよ」
「あなた達が今から遊びに行く、なんてこれっぽっちも思っちゃいないわよ!なんの仕事をするのか、って聞いてるの!」
何を当然のことを聞くのか、というように、レツが呆れた顔をするのを見て、シンは立ち上がると机を思いきり叩く。
感情の起伏が激しい人だなぁ、と、フアンはスープをかき混ぜながら、シンの隣に座るアンを見た。こちらは慣れたものなのか、シンを咎める様子もなく、ナイフで細かく切った肉にフォークを刺し、静かに口に運んでいた。
闇の女神「クラウメ」と火の女神「アマジウ」みたいだな。
神話の中には、吟遊詩人が想像の翼を拡げたものがある。その中の説話の一つに、クラウメとアマジウの話がある。
感情の起伏の激しいアマジウを、安らぎと慈しみをもってただ見守るクラウメ。二柱は同格のはずだが、まるで娘を見守る母親のようと、人らしい描写が人気だと聞いた。
それのどこがいいのかと思っていたフアンだったが、実物を見ると、なるほど、と妙に納得できる部分があった。
穏やかな目で見つめるフアンに気付いたアンは、少し高い首を傾げたが、気にすることではないか、と再び食事を再開する。
幸いな事に、シンとレツの騒がしいやり取りは、昼時の賑やかな時間だったからか、周りも皆騒がしくしていて、彼女の怒声を気にする者はほとんどいなかった。
「関係者でもない人達に話せるわけないよ」
何度目かのやり取りの後、レツを睨みつけるようにしていたシンに、フアンは半ば笑いを堪え、絞り出すようにして告げる。
フアンにそのつもりはなかったが、絞り出したその声が、非難するような声色に聞こえたのか、シンは反射的にフアンを睨みつけようとして、だがその言葉に反論するものがなく、大人しく椅子に座る。
「同じこと聞いたら答えられるの?」
シンが不貞腐れた様子で食事を再開するのを見ながら、今度は少し気持ちを落ち着けてから、フアンがアンに話を振った。
それは「答えられないよね」、と暗に告げた言葉でもあった。
だが、返ってきた言葉は、フアンの予想の外にあった。
「では、ついていかせてもらえないでしょうか」
「は?」
「あの国から出られればよかった私達には、この先行く当てはございません。レツ様、フアン様さえ宜しければ、お供させていただくことは出来ないでしょうか。」
「共に旅をするなら関係者ですし」と、しれっと言うアンの表情からは、相変わらず感情が読めない。
この二人を見ていると飽きないとは思うし、自分の懸念もいくばくか解消する。それでも、この先の自分たちの目的のことを思えば、彼女たちを巻き込みたくはないというのがフアンの本音だった。
「互いに、自らの目的を明かせないのなら、この話はこれまで。ここでお別れ。」としたかったが、アンのこの言葉に先の展開を考え、「どうやら自分は言葉の選択を間違えたらしい」と、フアンには、穏便に言い逃れることが出来ない未来が早々と見えてしまっていた。
△▼△▼△
それは、『アストリア』側の『ゲラルーシ山脈』の麓で「赤い牙」との接触を図るため人を紹介してもらおうと、レツが商隊長のガレルに話しかけに行ったときのことだ。
「「赤い牙」のまとめ役を紹介しろ?なんでだ」
「騎士団の人のつなぎが欲しくてさぁ」
「直接話しゃあいいだろうがよ」
「ガレルさんは普段から付き合いあるからこうやって話せるけど、俺たちみたいなギルドの下っ端がいきなり騎士団と話しても、話聞いてもらえるかわかんないじゃん」
「……そんな眉唾もんの話なのか?」
何かを感じ取ったのか、ガレルが少し声を低くする。
それを見て、レツがガレルのすぐ隣に並び、口に手を添え小声で語りかける。
「国内の派閥で、この取引潰そうと動いてるのがいないかって話と、『メルギニア』側も同じような動きがないかって話」
「メっ……!」
ガレルは声を出しそうになった自分の口を慌てて塞ぐ。
そうして、視線だけで周囲を探り、誰も自分たちを注視していないことを確認した後、口を押さえていた手を放した。
「またフアンか」
「さすが、分かってんね」
軽い調子で返したレツに対し、始め、ガレルの顔は晴れなかったが、それも数秒程度の事で、突如、口の端を上げただけの、底意地の悪い笑みを浮かべる。
「条件がある」
その顔をレツの後ろで見ていたフアンは、話しかける相手を誤ったと、その時悟ったが、後の祭りだった。
そうして、ガレルから提示された条件というのが、アンとシンだった。
「二人を『メルギニア』まで、ギルドの事務員として連れて行ってくれりゃそれでいい」
「……何も聞くなってことですね」
「勘の鋭い子供は楽でいい。商談は成立ってことでいいな?このガレル・クラム、契約には厳しいぜ!」
知ってます、そう心のなかで呟きながら、フアンはため息を吐き、それを見たガレルが笑った。
「……身の安全を自分たちで守ってくれるのなら、なんとかします」
「安心しろ。多分お前らより強ぇ」
それは安心していいのだろうか。
レツはともかく自分の技量に自信のないフアンは、もう一度ため息を吐いた。
△▼△▼△
「……いいんじゃねぇか」
アンの言葉に、レツは少し思案してそう応える。
レツの発言はフアンにとっては予想通りであり、そして、自分もまた、同じ考えであることを認めざるを得なかった。
虚界の獣の発生地域を調べてこい
それは今回の商隊の任務と共に、ギルド長から下された命令だった。
虚界の獣。『ウツロ』。虚ろうもの。
その呼び名はいくつかあるが、この世界を守護する六柱の女神の恩寵が弱まるとき、地の底から現れ、あらゆる生命のエーテルを吸い尽くすと言う特徴はいずれも同じ。伝承上の獣。
――それが実在することは知っていた。
知りたくもなかったが。フアンは思う。
『ウツロ』はどこから現れるのか、なぜ現れるのか、女神の恩寵が弱まるとあるが、それは特定の地域で起きるのか、世界中で同時に起きるのか、それとも、波紋が広がるようにある中心点から波及するのか。
その傾向が分かるのか、それともその傾向が分からないことが分かるのか。どちらであっても知ることは必要だった。
そうして、やがて訪れる世界の崩壊を可能であれば未然に防ぐ。叶わなくとも、最小限で防ぐ
それが、ギルド長の願いであり、その願いの一端を、フアンは任されたのだ。
そのためなら、有用な人材はいくらいてもいい。
それが、確保することが難しいと思っていた人材ならば尚更だった。
一人は魔術士。
『ウツロ』を相手にするならば必ず必要になるマナの力を操れる者。
一人は治癒術士。
どんな困難が待つか分からない旅において、傷を癒やすエーテルの力を操れる者。
だが、この二つの人材はいずれも、協会と教会に囲われ、単独で表に出ることはほとんどないと言っていい。
赤い牙のアルなどはその「ほとんどない」例だった。
「フアン様は?」
レツの言葉以降、黙ったままのフアンに対し、アンが再度問い掛ける。
この先、共にしていいか、と。
フアンは一度目を閉じると、大きく息を吐き出し、それからゆっくりと目を開いた。
人の目を見て話すことは苦手ではあったが、ここで目を逸らすわけにはいかなかった。
「僕は、フアン・レイナー。野良のマナ使い。これから宜しく」
アンの隣りにいたシンが息を呑む。
これを聞いても、表情を崩さないアンに、フアンは思わず苦笑いを浮かべた。予測していたということか、気にしていないということか。相対するとなると彼女は苦手な相手だ。
「フェリ・クラム。……シンの付き人です。暫くの間お世話になります」
今度は、フアンの隣に立っていたレツが息を呑んでいた。フアンもまさか、彼女の名を聞いて驚きを覚えることになるとは思っていなかったが、先にレツが反応してくれたお陰で、何とか抑える。
「ベアドのレツ。俺はただの狩人の息子だから、名乗る姓はないぜ。よろしく」
だが、そんなレツも、すぐに平静を取り戻すと、驚かされることはフアンで慣れてる、とでも言うように、フアンに視線をやった。
そんなレツの視線に気付き、フアンは「そんなに驚かせることをしたつもりはない」と心のなかで悪態をつく。
最後の一人となったシンを、その場の三人が見つめる。
その視線に僅かにたじろぎながら、だが心は別の事で逡巡し、シンはフェリの方を見つめる。
シンの縋るような視線に、フェリはまっすぐ見つめ返しながらも、何を語るわけでも、何か反応を返すわけでもない。
フェリからすれば、何を今更悩むのか、という気持ちだった。
どうにも反応しないフェリを見て、シンは諦めるかのように息を吐き出した。
「エレノア・リットン。逃げ出したエーテル使いよ。宜しくね」
彼女の名乗りに驚くべきは何もない。想定通りの答えだ、とフアンは笑みを浮かべようとして、何故か頭の片隅で、肩を組みながら高笑いを上げているガレル商隊長とギルド長の顔が過ぎり、頬が引きつりそうになるのを我慢した。
第一章 『始まりの火』 了
ここまでが第一章の位置づけになります。
次のお話からは舞台がガラッと変わって
登場人物も全員が初登場になります。
ただでさえ登場人物の多い本作ですが、
次のお話は組織構造や国の話がほとんどないので
第一章よりは単純だと思ってます。
引き続きお付き合いいただければ幸いです。




