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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

きっと地獄に落ちるから

作者: 氷室雪美


  三途の河を往く舟は、とても乗り心地が悪い。


  今日みたいに波の少ない穏やかな日でも、ぐらりぐらりと前後左右に揺れる、雑なつくりの木の小船は、生者が乗ったら船酔い必至の座りの悪さだ。死神で、乗り慣れていても、あんまり長く働いてると、どうにも疲れてしまうほど。


  死人だったら平気かと言えば、もちろんそんなわけはない。ここは既に死後の世界の端。現世じゃ自由な幽霊でも、やっぱり舟にとらわれていて、ぐらぐら揺らされてしまうのだった。

  もっとも、そのこと自体は気持ち悪くはない。ただ、唐突にひどく揺れたときなどは、弾みでうっかり河に投げ出されそうになってしまう。もしも舟から落ちてしまうと、地獄にすら行けない運命が待っているので──永久に河の底で苦しみ続けるはめになるのか、存在そのものが泡と消えてしまうのかは知らないが──、必死に気を張って舟に張り付いていなければいけなくて、それが非常に疲れるものなのだ。


  死神の中には、さっさと仕事を終わらせようと、わざと乱暴に舟を漕いだりするような者もいるが──そんな死神に当たってしまうのも、生前の行いというやつだ──、あたいは特にそういう意地悪をしたことはないつもりだ。まあ、単純に漕ぎ方が雑だと言われたら、強く否定もできないけれど。少なくとも、いま舟を漕いでいる死神のように、揺れるときでも出来るだけ滑らかに丁寧に、しずしずと舟を進めるなんてのは難しい。



  あれ?


  変だな、と思った。


  乗り慣れた舟を漕いでいるのは、あたいじゃなかった。

  片側に流れる緑の髪。見覚えのある、いやとても見慣れた涼やかな横顔。


  死神装束の四季様が、あたいの舟を漕いでいた。



(四季様、なにやってるんですか?)


  ……あれれ?

  声が出ないぞ。なんで?


「何って、舟を漕いでいるんですよ」


  出なかったはずの声は、だけどちゃんと聞こえていたようだった。


(いえ、なんで四季様が死神の真似ごとをしているのかと)


「真似ごとではありません。今の私は死神だからです」


(……はい?)


  ふと目を上げてあたいを見た四季様の瞳は、その漕ぎ手と同じくとても静かで、だけどなんだかひどく寂しそうに、あるいは悲しそうに見えた。


(どうして死神に? 閻魔の仕事はどうしたんですか?)


「降格されました。貴女が死んでしまった責任と、その穴埋めのためです」


(えっ)


「過労死したのですよ、貴女は。覚えていませんか」



  ……えーと。



  そう、なんか知らないけど急に死人が増えて、大急ぎで運ばなきゃならなくなったんだ。


  それでも、その増加分だけなら、これまでもたまにあった量だったと思う。ただ、タイミングが悪かった。ちょっとばかり仕事を怠けていて、それ以前の幽霊がだいぶ溜まっていたのを、そろそろ片付けないとまずいなぁ、と思い始めたところだったのだ。


  河原の石が見えなくなるほどひしめきあった幽霊を、慌てて運んで運んで運んで……食事も休憩も取らずに運び続けて、それから……どうしたんだっけ?


「だから、死んだのですよ。貴女は」


  ぜんぜん覚えてません。

  まあ、自分が死んだ瞬間のことを覚えている幽霊なんてのは、ほとんどいないわけで。


  自分を見ようとしても、手も足も、何も見えなかった。というか、もう目で見ているという感じがなかった。霧のただよう河の風景も、また漕ぎ手に視線を戻した四季様の横顔も。


(死んじゃったのかぁ……)


  やっぱり声も出なかった。死人に口なしとはよく言ったものだ。それでも幽霊の言いたいことは、死神や閻魔なら聞き取れるのだけど。




  しばらく、沈黙の時間が続いた。


  四季様は、ただ黙って舟を漕いでいた。


(……あのー)


「なんですか?」


(いえ、説教とかしないのかな、と思いまして)


  急に死人が増えたのは不可抗力だけど、普段からサボらずちゃんと運んでいれば、こんなことにはならなかったはずなのだ。

  素行不良、因果応報、天罰覿面、自業自得。そういう説教を、四季様なら当然かましてくるはずなのに。


「ええ、事態はまったく貴女の自業自得です。でも」


  そこで四季様は、ぱたりと目を伏せてから、さっきとは逆に、その顔を隠すようにあちらへ向けた。


「いまさら説教をしても、どうにもなりませんから」


(……ですよね)


  説教とは、相手の不善を改めさせ、より良き生を送らせて、死後の道行きを穏やかにするためのもの。

  死んでしまった者に説教をしたところで、もう善行を積むことなどできはしない。


(……すみません)


「何ですか? いきなり」


(だって、あたいのせいで、四季様は……)


「謝罪したところで、やはり何の意味もありませんよ」


  確かに、どんなに後悔しても、反省しても、謝罪を繰りかえしても。

  成してしまったこと、起きてしまったことは、取り返しがつかない。


(でも……)


「それに、言ったでしょう。これは私の責任だと」


  後ろを向いたまま、四季様は言葉を続ける。


「貴女がもっと普段から、真面目に働くよう監督していれば、こんなことにはならなかった。だから」


  ふと漕ぎ手を休め、舟縁に手を置く。


「こうして死神に落とされたのは、私の自業自得なのです。だからむしろ……」


  そこでほんの少しの間、言葉を切って。


「……いえ、詫びたところで、それも無意味ですから」


  そう言って、また彼女は舟を漕ぎはじめた。




  再び、沈黙が続いた。


  波の音、舟がきしむ音、水を切る音だけが、河の上を流れていた。



  あたいはもう、何も言えなかった。

  言おうとしても、どうせ言葉にはならないけれど。


  とっくに死んでしまった者には、もはや何一つ、できることなどないのだった。



  いや……ひとつだけ。

  今、ほんの少しでも、四季様の仕事を減らすことができるとすれば────


「減りませんよ」


  あたいの思考を読んだように、声が響いた。

  もしかしたら、単に聞こえていただけかもしれない。


「魂が河に落ちたときは、毎回その報告書を提出しなければなりません。知っているでしょう」


(……はい)


  そんな書類、知らんぷりして出さない死神も多いけれど。

  でも、四季様がそんないい加減な仕事をするはずはなかった。


「それに、もう着きます」


  その言葉の直後、舟底が当たる小さな振動がして、舟の進みが止まった。


  そこはもう彼岸、死者の国だった。



  渡し守の仕事は、ここまでだ。

  この舟を降りれば、亡者の魂は庁舎へと運ばれ、あとは裁判を待つだけの身となる。


  ここで、四季様とはお別れなのだ。



(……あの)


「なんですか?」


  あたいの声なき問いかけに答える四季様の顔は、まだ後ろを向いたままだった。


  こんな駄目な死神との別れなど、やはり顔をそむけられても仕方ないのかもしれない。

  黙って舟を降り、何も残さず去るべきなのかもしれない。


  けれどもやっぱり、この永遠の別れの間際に、何か言うことがあるんじゃないかと思い、だけどいったい何を言ったらいいのか分からなくなってしまったあたいは、ややあってふと思い浮かんだことを訊いてみた。


(あたい、やっぱり地獄行きなんですかね)


「当たり前でしょう」


  即答だった。


「まじめに仕事をしない。上司の注意を聞かない。聞いても、顔が見えなくなればすぐサボる。そもそも注意を嫌って逃げ回る」


  淡々と、冷徹に、呆れてすらいるようにも聞こえる声が響く。


「限界ギリギリまで仕事を溜め、周期的に起きる死者の急増を不測と言い訳して備えもせず、挙句の果てに無茶な働きをしようとして過労死するなど。地獄に落ちる要素しかありませんよ」


(すみません……)


  本当に、いまさら謝っても、どうしようもないことだけど。


(長い間、ご迷惑をおかけしました)


  それでも、この最後の別れのときに、あたいが四季様に言えることは、もうそれしか────



「だから、私もそうしようと思います」



(……はい?)


  おかしな言葉が聞こえた気がする。

  聞き間違いだろうか?


「上司に逆らい、サボり、居眠りをし、渡し賃を取りそこね、冥府の仕事を(とどこお)らせるような死神になろうと思います」


  聞き間違いではなかったようだ。


(……なに言ってるんですか?)


「そうして、仕事を溜め続けていれば、いつか貴女のように過労死する日がくるでしょう。そうすれば」


  その声は、途中から湿り気を帯び、うわずった響きに変わって、そしてこちらを振り向いた四季様は、


「私も、地獄に落ちるから」


  頬に、涙の河を流して、そう言った。



「貴女と同じ、罪深い死神になれば。貴女が落ちるのと同じ場所に、いつかきっと私も。だから、小町」


  揺れる舟の上を歩みより、もはや肉体のないこの愚か者を、それでもその両手が、包むように掴む。


「待っていてください。たとえそれが地獄の底でも、貴女と再び逢える日を」


(四季様……)


「貴女は、私の、かけがえのない人だから」


  川面の石のように濡れ尽くした顔が、限りなく近づき、そこに重なる。

  確かな唇の感触が、魂に届いた。



(……待ちます)


「小町……」


(いつまででも、あなたを待っています。だから……泣かないでください、四季様)


  そう、いつまでも。

  たとえ、もう刑期は終わったから出て行けと言われても。針山にしがみついてでも、血の池の底に張りついてでも。あなたと逢える日を、ずっと。


「……小町」

(四季様)


  だって、あたいにとっても、あなたは、かけがえのない人なのだから────


「小町」

「四季様……」


  だから、いつかまた、きっと……。



  あれ?


  声が出てるな?


「起きましたか小町」


  あっ。

  夢だ。夢だったわこれ。ですよねぇ。




  目を開けたら、すぐそこに四季様の顔が見えた。


「小町?」

「……おはようございます」


  でも、顔の向きがおかしい。上下さかさまだ。なんで逆立ちしてるんだこの人。


「なにがおはようですか。人を心配させておいて」

「心配?」


  だんだん、頭の芯が覚めてくる。


  どうやら、あたいは仰向けに寝転がっているようだった。背中に地面が当たっている感触がある。でも頭はなんか一段高くて、柔らかくて、あったかい……。


  なるほど。膝枕ですか。四季様の。はー。ほー。へー。……やっぱりまだ夢か?


「激務は貴女の自業自得ですけどね。だからといって、ぶっ倒れるまで働いてどうします。せめて食事と睡眠はとりなさい」


  えーと。


  ああ、うん、そうだ。仕事を溜めたところにドカッと団体客がいらっしゃったもんで、休みもせずに運びまくったまでは現実だった。それで……いつ倒れたんだろう? さっぱり覚えてない。


「……亡者の在庫、どうなってます?」

「だいぶ片付きましたけど、まだそれなりに残ってますよ。というか、回復したならいい加減に起きなさい」

「あ()てっ」


  ごつんと額に悔悟棒の衝撃が落ちてきた。まあ軽くだ。


  身体を起こし、立ち上がって服を払う。四季様も同じように立ち上がった。少し足がもつれてるように見えたけど。そんなに長い時間? まあ、ちょっとの間でしょ、ちょっと。普段座り仕事だから足が弱いんですよ。たぶん。


  言われたとおり、しばらく寝ていたせいか、身体はだいぶ回復してた。……いや、おかしいな。寝ただけでこんなに回復はしない。頭はともかく、飲まず食わずの身体のほうは。

  そんな疑問に首をひねっていたら、それで察したか答えが飛んできた。


「滋養の丹を飲ませただけですよ。あと、少しばかり私の霊力も貸しましたが。こんど返しなさい、食事で」

「はぁい……」


  ほんとに少しだけだろうか? なんか結構疲れてるように見える。これは高級会席で返さないとな……財布は苦しいけど。


「ご迷惑おかけしました。以後は気をつけます」


  ぺこりと深く頭を下げておく。いやぁ、下げられる頭があるっていいなぁ。あるうちにたっぷり下げとこう。


「謝罪は結構、いいからさっさと仕事に戻る。こうするうちにも増えていますよ、亡者は」


  ぺちんと叩かれた頭を上げて、はい今すぐ、と返事をし、あたいは河原へ向かおうと(きびす)を返した。



  それにしても。


「……かけがえのない人、ねぇ……」


  まったく、バカじゃなかろか。四季様がそんなこと言うわけないだろ。さっさと気付けよ、夢だって。

  ああ、でも、いい夢だったなぁ……。


  なんてことを考え、足を踏み出そうとした瞬間。


「あ()だぁ!?」


  脳天に衝撃。

  ガキンと異様な音がした気がする。痛い、痛いぞ。死ぬほど痛い!


「んなっ……!?」


  ズキズキする頭を押さえて振り向いた先の四季様は、悔悟棒をこっちに向かって突き出していて、つまり今あたいの頭に叩きつけられたのはきっとそれで、それを握りしめた手はぷるぷる震えていて、顔は真っ赤で、涙目で……え? なんで?


  そして、わななく唇が大きく開き、


「やっぱり起きてたんじゃないですか貴女っっっ!!!!」




「えっ」


「えっ」






  もう一発殴られた。



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