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この手をつかみたくて4  作者: えみっち
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「新しいバイト今日からだよな」


休憩室兼更衣室になっている部屋で着替えていた陸はソファに腰をおろしタバコを吸っている月島に尋ねた。月島は腕時計で時間を確認すると灰皿にタバコを押し付けた。


「6時までに来るように言っといたからそろそろじゃない?」


月島は立ち上がると着替え終えた陸を見た。


「お前さんが責任もって教えてやってくれよ。で、今日は12時にあがっていいよ。その後はナオにつかせるから」

「あ…了解」


月島が気を使って言ってくれたのが分かったが、礼を言うような間柄でもなく今さら改まって礼も言いづらく相槌だけうつ。そんな陸に気が付いてか月島は口許に笑みを浮かべた。


「いやーー、しかし寂しくなるねぇ。美鈴さんとも会えなくなるなんて残念だなぁ。あ、でも別れた時は教えてくれよ」

「はぁ?何で一緒になる前から別ればなしなんだよ!」


陸は月島を睨みつける。


「俺は心配してるんだぜ。でもその時はちゃんと面倒みてあげるから大丈夫」


陸は無言で月島の襟首を掴む。


「あーー、それそれ。お前カッとなると力で押さえつけるだろう。ちっともそこんとこ直ってないから心配なんだよね」


月島は平然とした顔で陸の手をどける。


「そんな風には言ってねぇよ」

「じゃあ今言った」


月島は自分を鋭い目で見つめている陸に笑う。


「我慢して手に入れたお前さんの大切な子なんだろう。今までみたいに傷つけたりしなさんなよ。男は余裕よ、余裕」

「何が余裕だよっ。アンタや海人が怒らせるんだろう!」


陸はむっとして言う。


「だけど女の子ってーのは、そう言うのに惹かれて安心するんだろう。そのいい例が海人さんだわな」

「……」


さすがに陸も黙ってしまった。

2人の沈黙の中、入口の扉が開く音がして男性の声が聞こえた。


「すみませーん、失礼します!」

「はいよー!」


月島は返事をするとまだ仏頂面の陸の方を見ると言った。


「桜修二、23歳だ」


マスターは店の方へ歩いて行く。ため息をつくと陸も後を追った。

店の入り口には好青年が立っており2人が来るのを見るとぺこりと頭を下げた。


「桜です。今日からよろしくお願いします!」


ハキハキと元気の良さは居酒屋向きではないかと陸は思ってしまった。


「ああ、こちらこそよろしく。

前に俺とは会ったと思うけど一応もう1度言っておくよ。名前は月島。で、他の奴らは『マスター』と呼んでる。で、こいつが陸。今月いっぱいで辞めちまうんでまあ、10日ほどの付き合いだが、陸が桜くんに色々と教えてくれる」


マスターの言葉に桜は陸の方を向くとお辞儀をした。


「お願いします!」

「ああ…」


仏頂面のまま短く返事を返した。


「じゃあまあ、取りあえず君のことを何て呼ぼうかね。店で「くん」付もなんだしね」

「桜でも修二でも呼び捨てで大丈夫です!」

「そ。じゃあ、『シュウ』でいってみようか」

「はいっ。『シュウ』ですね」


桜は素直に返事をしたが、正直そのままでいいじゃないかと陸は思った。結構捻くれた物言いをする所がある月島だが今日は更に捻くれているような気がした。つまり機嫌が悪いのだ。陸は思わず舌打ちしてしまった。声を荒げたり顔には出さないのだが、変な所に出る。月島が店に来てからの付き合いだからこそ気がついたのだ。月島は陸の方を見た。


「俺は2階の準備があるから後はよろしくな」


陸が頷くと月島はさっさと階段を上って行ってしまった。シュウは月島を見送ってから陸の方を見た。


「お店の2階があるんですか?」


陸の眉が寄る。正直答えるのも面倒臭かった。


「2階は事務所兼VIPルーム。声がかからない限り用がない所だよ」

「そうですか」


陸は入り口の扉を開けた。


「取りあえず表に出て。俺らが入る裏口教えるから」


陸はシュウを連れて外へと出た。



12時に店をあがった時にはさすがに気疲れしてしまった。人に教えるなんて事は今までした事がなかったし自分の仕事をしながらシュウを見ていなくてはいけないのだ。しかし、思っていたより器用で愛嬌があった。バーでの仕事も数ヶ月した事があるらしく基本知識を持っていたので教えやすかった。後から来たナオにも物怖じすることなく話しかけていたし、女性客にも笑顔で接客していた。よっぽど自分より出来ている。きっと1週間もしたらすっかり慣れている事だろう。

裏口から店を出ようとした時、2階の階段を下りてくる足音に気が付き目を向けると兼松であった。


「お疲れ様です。今日は早いですね」


兼松の言葉に陸は軽く手を上げた。


「マスターがあがっていいて言うからさ。片付けもしないといけないしね」

「そうですね。来月からですね」


陸は頷いた。

兼松は陸に相談された後、地元へ戻って幾つかの仕事先を探して来てくれたのだ。

陸はそのうちの一軒の古い喫茶店が気に入って連絡を入れて働く事が決まった。マスターは時田要(ときたかなめ)、70代前半の男性で夫婦で店を営んでいた。店舗兼自宅の部屋が幾つか空いていると言うので家のリフォームが終わるまでは住み込みで働かせてもらう事になっていた。


「ありがとな」


兼松は首を振る。


「いいえ。しっかり頑張ってください」

「分かってる。半端な事はしない。美鈴にも仕事辞めてもらうんだし兼松の顔潰すような事はしない」


兼松は口許に笑みを浮かべ無言で頷いた。


「車出すの?」

「ええ、そうです」

「俺も車置いてるから行くよ」


2人は駅とは反対方向の道を歩き始めた。

歩き出してすぐに、陸は見覚えのある女性が立っている事に気が付いた。それは数日前駅まで送ってあげた実紗であった。実紗は陸達を見ると下を向いてしまった。兼松も気がついたようでちらりと陸の方を見たが、陸は何も言わずに実紗の前を通り過ぎて行った。実紗は一瞬顔をあげたが何も言わなかった。暫く黙ったまま歩いていたが、少し離れた場所まで来ると兼松は話題を戻してくれた。


「そういえば美鈴さんはお元気ですか?」

「うん、変わらないよ」

「暫くの間離れての生活ですから寂しくなりますね」


陸の口が少し尖る。


「リフォームが終わるまでだから3ヶ月くらいかな。何かあってもすぐに行ける距離じゃないしな…」

「車だとすぐですよ。それに夜理さんや海人さんだって近くにいるんです。心配はないですよ」


兼松は陸の言葉に笑う。


「時田さんの所に引っ越してからリフォームの工事手配をするんですか?」

「そうしたいけど兄貴達の結婚式終わって、仕事も少し慣れてからかな。あれもこれもって同時にはできないし」

「そうですね、その方がいいでしょう」


兼松は頷くとポケットから車の鍵を取り出す。


「先に車を出しますので」

「じゃあ」


陸は車に乗り込んだ兼松に手を上げると自分の車へと向かった




陸が思った通りシュウは飲み込みが早く、1週間もすると開店からの流れもすっかり掴んで器用にこなした。さすがに調理やカクテル作りはこれから徐々にだろうが酒の種類もある程度知識があるので問題はなさそうだ。とにかく接客が出来るのだから大丈夫だろう。


今日は店長の月島が休みなのでバイトが全員出勤の為、開店準備も早々に終わった。時間待ちの中、奥から戻ってきたカズがフロアに集まっていた他のメンバーに尋ねた。


「今日、マスター休みだったよな。さっき海人さん達と上がって行ったのって違ったのかな?」


カズは赤茶に染めた髪をかきあげながら聞く。身長は陸とほとんど変わらないががっちりとした体型でエキゾチックな顔立ちをしている。本人に聞いた事はなかったが父親は日本人ではないらしかった。


「海人が来てんの?」


陸の問いかけにカズは陸を見た。


「昨日、マスターが2階使うって言ってたし、あの後ろ姿は間違いない」

「海人さんって誰ですか?」


2人の話を聞いていたシュウは聞いたことのない名前に横にいたナオに尋ねる。

ナオは3人の中では1番の年長で仕事も一番長かった。顔立ちも性格も穏やかで誰とでも上手く付き合う。短気な陸とカズの仲裁役でもあった。


「海人さんはここの経営者だよ。で、陸の兄貴」

「そうだったんですか? そうか!だからマスターと仲が良かったんですね」


シュウの一言に陸は露骨に嫌な顔をした。


「仲なんて良くないね。あんな捻くれたオヤジ」


カズとナオが一斉に笑う。


「最近いやに嫌ってるじゃん。前は親密に話してたのにな」


カズが笑って言うが陸は何も答えなかった。その代わりにナオが言う。


「マスターは陸が辞めちゃうのが寂しくてイジメてんだよ。愛情の裏返しかな」

「寂しい?俺には何考えてんだかちっとも分かんないね」


ナオは冷たく言い捨てた陸に笑う。


「マスター飄々としてるもんな。すげぇ謎。彼女とかいるのかな?年齢も不詳だし聞いても誤魔化されちまうし」

「ああ、そういえば、カズは昨日電話したの?」


突然思い出したようにナオは尋ねた。


「昨日の女だろう。したよ。フェロモン出しまくってたもんな」


カズの言葉に黙って聞いていたシュウはさすがに反応する。


「やっぱりそう言うのってあるんですか?誘われるってこと」


少し興奮したのか頬を赤くしたシュウにナオは笑う。


「シュウも経験者だよね。シュウのお店ではなかったの?」

「いや、俺裏方だったし本当に1.2ヶ月だったから…」


赤い顔のままシュウは口籠る。


「あ…じゃあ、裏口で立っている子もそういう子なんだ」

「裏口?そんな子いた?」


ナオは首を傾げて陸の方を見たが、陸はナオの視線を避けてカウンターから立ち上がった。


「もう7時過ぎてる。店開けないとヤバイだろう」

「あ、マズっ!」


カズは壁掛けの時計を見て入り口へと行く。ナオもシュウも慌てて持ち場へと消えて行った。陸は小さくため息をついた。




「陸くん、今週で最後なんでしょう。残念だわ」


30代の2人組の馴染みの女性客がカウンターに座って暫くしてから声をかけてきた。陸としては若い女性客よりある程度落ち着いた女性の方が相手をしていても楽だった。


「前に来た時新しい子が入ってたからもしや、と思ったらやっぱり当たりだったのよね。こういう当たらなくてもいい事は良く当たるのよ」


陸に声をかけてきた女性は笑いながら話してくれる。


「きっと今日で最後になっちゃうからカクテル作ってもらっていい?」


女性の言葉に陸は頷く。


「何か好みとかある?」

「そうだな…。陸くん相手を見てカクテル作ってくれたよね。それでお願いしていい?」


陸は頷くと手早くカクテルを作り2人の前に差し出した。


「どうぞ」


陸の言葉と一緒に出されたカクテルを2人は喜んで飲んでくれた。


「甘さ控えめって所は私達らしいかもね」


1人の女性が笑って言ったが陸としては特に年齢を気にした訳でもなかった。


「大人の女性を少し意識して作ったつもりなんだけどな」


陸の言葉に女性達はうふふと照れたように笑う。


「陸くんは、変におだてたり媚びたりしないしそのまんまを言ってくれるわよね」


女性が言うようにそういう事は苦手だった。思わず笑ってしまった。


「冷たいって言うか愛想ないよな」

「あら、愛想があればいいってもんじゃないわよ。やっぱり芯に一本通っているような人が私はいいと思うんだけどな」


相方の女性は笑う。


「そうそういないわよ。夢見てるからこんな歳になっちゃうのよ」

「あーーやめて。別に結婚しているから一人前とか、良いとか悪いとかないわよ」


2人の女性が笑いながら言い合っている声を聞きながら自分もこの先どう変わっていくのか考えてしまった。思い描いていたものを形にする為に進んで行く。夢を見ているだけの時とは違い不安もある。


「陸くんは肉食系だよね」


ふと意識が飛んでいる内に話が変わっていた。陸は洗い物をしている手を止めて顔を上げた。


「俺?」

「そう。今はあんまり言わないね。でもどっちかって言えば陸くんとカズくんは肉食でナオくんは草食?新しい子は…」

「シュウだよ」

「シュウくんって言うんだ。で、彼はどっちかと言えば草食かな?」


2人は楽しそうに笑う。


「そうかもね」


陸の返答を聞いた女性は興味深そうな目で陸を見ると声を小さくして聞いてきた。


「結構声かかってくるんでしょう」

「まあ、そうかも」

「時には食べちゃうの?」

「いや、客には手を出さないよ」

「それって、お店の方針?」


そこまできて、さすがに陸も笑ってしまった。


「違うよ。俺、面倒な事嫌いなだけだよ」


陸はあっさりと答えた。


「そっか、色々噂されても煩わしいもんね。それに陸くんサービス業だし」

「ああそっか。サービス業だったんだよな。忘れてた」


思わず笑いながら言った言葉に女性達も笑う。

そこへシュウが背後からやってきて陸に耳打ちをした。陸は頷くと前にいた女性客に軽く頭を下げてカウンターを離れた。


シュウに言われた休憩室へ行くと月島がタバコをくわえて立っていた。ソファに誰かいたが月島の影になって見えない。月島は振り替えるとタバコを消した。その時影になっていた人物が見えた。そこには、目元と鼻を赤くした実紗がいた。


「どうしたの?」


陸は実紗から月島を見る。


「お前の知ってる子か?」

「…お客だけど」


陸の言葉を聞いて月島は頷いた。


「そうか。ならいいんだが」


いつもの軽い調子ではない月島と泣いていたような実紗が気になり再び尋ねた。


「何?どうしたの?」

「いや…店の裏でもめてたんでね」


月島の言葉に陸はカッとなってしまった。


「あんた、また裏口んとこ立ってたのかよ」


陸のキツい口調に実紗はびくりと身体を震わせた。


「ち、違うの。今日は仕事が終わって前を通っただけで…」

「仕事?」


陸は壁にかかってる時計を見た。11時半も過ぎていた。

この通りは飲み屋か風俗店がほとんどであった。思えば実紗が来る時間はいつも遅い時間のような気がした。


「あんた、風俗の仕事して…」

「この通りの奥のお店で働いているんです」


陸が言う前に実紗は言う。


「もしかして、仕事を終えた後待ち伏せでもされた?」


実紗は渋々頷く。


「苦し紛れに陸の名前を出しちゃったのかな?」

「ごめんなさい」


陸はため息をついた。


「で、その相手は?」

「ああ、帰ってもらったよ」


月島もため息をつくと先ほどのような感情のない声ではなくいつもの調子で話しかける。


「で、外で陸を待っていた事があるの?」

「すみません。辞めてしまうと聞いたので少しでも話が出来たらと思って」

「なるほどね」


月島は頷いた。


「ご迷惑をかけてしまって本当にすみませんでした。もうお店にも来ませんし外で待ったりしません」


実紗は立ち上がると2人に頭を下げた。


「いやーー、別にそこまでしなくていいよ。まあ外で待つという事だけやめてくれればね。多分君も分かったと思うけど下心ある人間も多いんだよ。それを売り物にしている店が多いようにね」


実紗は頷いた。


「君の店にも対応を求めたほうがいいよ。女の子を傷モノにされたら店側も困るだろうしね」

「……」

「マスター、もういいだろう。帰してやれよ」


陸的にもあまり小言は聞きたくなかった。

月島は頷くと腰に手を当てると陸を見た。


「お前、大通りまで送ってあげな。もしかして変な奴らが待ち伏せしてたら大変だろう」


月島はそう言うと手を上げて出て行ってしまった。陸の渋い顔を見て実紗は慌てて首を振り断る。


「私ひとりで大丈夫。別の道から帰るから」


陸はエプロンを取ると実紗の腕を取り外へ出た。


「通りまで送る」


実紗は赤い顔のまま陸の仏頂面を見て頭を下げた。


「ごめんなさい」


陸はため息をついてしまった。


「別に謝んなくていいよ」


通りにはまだ人が多く、陸はポケットに手を突っ込んだまま先を歩く。実紗は前のように陸の横には来ないで後ろを歩いていた。


「理由、分からないから大きなお世話かもしれないけど」


突然の陸の言葉に実紗は顔を上げた。


「風俗の仕事してんなら似合わないし辞めたほうがいいと思う。あんた可愛いし大人しそうだから変な奴に好かれるよ」


実紗の顔は赤くなった。

大通りに出ると陸は実紗をちらりと見てから行こうとした。


「あの…陸くん」


実紗の呼び止める声に陸は顔だけ向ける。


「陸くんが最後の日、お店に行ってもいい?」

「…別にいいけど」


実紗はほっとしたように頷いた。そんな様子を見ているとつい言葉をかけてしまった。


「最後だしカクテルぐらいおごるよ」


陸の言葉に実紗は笑顔になる。陸は背を向けて歩き出していた。


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