少女の闇と光
だん、と黒の少女が強く踏み込むと共に、縦横共に1m間隔で区切られた50×50のマス目が石畳の上へ展開される。
危険を察知したらしく全身鎧の集団はマス目の線を踏まないように避けるが、結果的にマス目の境目を跨ぐ形になった為、ベルディレッセと傷だらけの大男以外の全員が立っているマスのどちらかに弾かれて収まる。
術者であるベルディレッセはともかく、大男は予想していたのか微動だにせず、仁王立ちをしたままマス目の中にその身を収めていた。
強く弾かれた為に鎧の集団は体勢を崩し、マス目の中で立て直す。
ベルディレッセより後方にはマス目は存在せず、ハーピー達は低い姿勢で寄り固まっているが、マス目の影響を受けない安全地帯に居た。
「ぐっ」
「何だこのマス目は!?」
「何らかの魔法だ、注意しろ!」
何かを仕掛けてくる、と考えて警戒する素振りを見せるが、ベルディレッセはそんな体たらくを見せる集団に虚ろながらも冷ややかな目線を向ける。
マス目に収められた時点でもう遅いのだ。
《マギア:メタリズム》の仕様に基づく戦闘システムの中へと組み込まれ、最早それに従う他無い。
「あなた達は眠っていて」
ベルディレッセは右手だけを後ろのハーピーに向ける。
すると、ハーピー達はまどろみ、軽く広げた翼を毛布代わりに眠りに落ちていった。
「これから先の光景を見る必要は無い。次に目覚めた時には、此処じゃない暖かい所にあなた達は居る。だから、それまでおやすみなさい」
その未来が確定していると保証するかのような物言い。
それは、目の前に立ち並んでいる男たちを不快にさせるのに十分だった。
「ほざきやがって」
必要以上に喋ろうとはしないベルディレッセの虚ろな眼差しは、眉間に皺を軽く寄せる傷だらけの男へと向く。
男は見るからに金属製だと思われる、磨かれた鉄の色をしたガントレットを両手に装着していた。
それは男の腕より二回り大きく、男の体格も相まって際立って見えている。
「まだ自分の置かれた状況を理解していないようだな? 小娘一人で俺たちを御せるとでも思っているのか?」
男の手下である鎧に身を包んだ者たちもまた、各々の得物を構えてベルディレッセを迎え撃とうとしている。
数的有利は向こうにあるものの、少女の表情は眉一つ変わってすらいない。
何故ならば彼女はジェネレイザが誇る空の英雄。
この程度を遥かに上回る修羅場を幾つも乗り越えてきた。
彼女に備わる電子装置の数々が、計算で導き出した勝算の数々を彼女へと提示してきている。
どのターンにてどのスキルを使うかによる、およそ40通りもあるそれらは残酷にも彼我の実力の差を証明していた。
故に、彼女は淡々と断言する。
「思っている」
「ぬかせ!」
最初のターンになり、彼女は持ち前の機動力を持って、8マス先に向かうべく大きく跳び上がる。
黒のスニーカーとボーダーを描くニーハイソックスを履いた彼女の足からの着地は非常に軽やかなものだった。
「あなた達のターンよ、早くして」
「…その余裕ヅラ、歪ませてやる!」
相手にならない、そう言わんばかりの目の色を前にして、集団の中の一人が飛び出していく。
「もらったぁ!」
技能:《斧・ストロングインパクト》
大斧を両手に握る鎧姿の者が、ベルディレッセへと隣接するマスに進むと、目掛けてその斧を振り下ろした。
土埃が巻き起こり、彼女の姿が隠れる。
しかし、彼女を狙っていた筈の斧の刃は彼女から外れて石畳に刺さっていた。
「命中率0%。やはりこの程度か」
使用武装:クレイジーホーン
スキル:《ペネトレイトスピアー》
少女の右腕は小さく真横へと振り上げられる。
その軌道上にある空間から生成されるのは矛のように鋭く細長い角の数々。
浮遊するそれらは先端を、先に攻撃してきた手下の一人へと向けていた。
今にも自分を害そうとする複数の凶器を前に、小さく呻いた男の手下が刺さった斧を引き抜こうとするももう遅く、一瞬にして串刺しとなった。
「こちらの命中率は100%。当然の結果と言える」
今しがた生きる者を害した事に動じる素振りすら見せない少女は淡々と呟く。
一方の串刺しにされた男からは胸や腹、頭部に出来た穴から鮮血を流れ、角を伝って滴り落ちていく。
既に腕には力が入っておらず垂れて、斧を手放し乾いた音を立てさせた。
当然ながら生きている筈もなく、スキルの発動が終わり、角が粒子状となって消失した途端、穴だらけの死体が一つ、マス目の外へと転送された。
「レベルは40あったんだぞ…!?」
「こんなあっさり死ぬなんてあり得る訳が無い!」
ベルディレッセはまだそんなものに頼っているのか、と呆れる素振りを見せる。
「《アナライズ》!」
大男の手下の一人が魔法を唱える。
恐らくはステータス開示系の魔法。
《マギア:メタリズム》に於いてはステータスの隠蔽という概念そのものが存在せず、開示せずともプレイヤー側には筒抜けであった。
仮に状態異常を引き起こすものだったとしても、メカである彼女には通じない。
避ける必要も無いと、彼女は堂々としたままその魔法を受ける。
命中率が表示されない理由を探るという名目もあるが。
「ば、馬鹿な……」
ステータス開示の結果を見た鎧の男が、明らかな動揺を見せる。
思わず数歩後ずさりする姿が、どの程度の衝撃だったかを示していた。
「どうした、何が見えた!」
「こ、このガキ……」
ただステータス開示をしただけならばあり得ないまでの動揺。
そんな仲間の態度を見て他の手下が怒鳴ると、魔法を使った男が恐る恐る口を開く。
そして、男が受けた衝撃はすぐに仲間にも共有される事となった。
「レベルが存在しねぇ!」
「何だとっ!?」
「それに、HP以外、何もかもが表示されない! HPの数値もおかしい!」
それを尻目に聞いていた傷だらけの男の顔にも動揺が浮かぶ。
一方のベルディレッセは顔色一つ変えなかった。
レベルが存在しないのは、そもそもレベルを持たない種族だから。
HP以外が表示されないのは、単純にフォーマットが異なるから。
しかし、それはベルディレッセにとって分かり切った事であった。
少女の虚ろな相貌は冷ややかに傷だらけの男達を見据えている。
「何なんだよ、お前は!」
情報不足、そう言わざるを得ない状況を前にして、男の手下が恐怖を露わに震えた指でベルディレッセを指した。
虚ろな相貌の紫が、一層濃くなっていく。
「あなた達が知る必要は無い」
姿は見えずとも、マップ内に進入した者達の存在を、彼女は認識する。
ただ、微かに駆動音を鳴らす、明らかに怪物であるそのシルエットの数々は、主たる彼女に加勢しに来たのだ。
「これから死にゆくのだから」
彼女の言葉と共に押し寄せる漆黒の奔流は、傷だらけの男達に後悔する間をも与えず、彼らを呑み込んでいく。
彼女は衣服に付いたホコリを払う素振りを見せる。
そんな余裕に満ちた素振りを見せるのは、戦いの場はもう既に勝負は決したような状態にあるからだ。
奔流に呑み込まれた男達が次々と物言わぬ惨殺死体に成り果て、マス目の外へと追いやられていく。
「ま、待てよ……」
だが、その中には辛うじて生き延びた者が一人。
傷だらけの大男だ。彼は自身の肉体に新たな傷の数々を刻まれ、その傷口から鮮血を流していた。
「どうにか生き延びたのね」
それを見る少女に動揺の類いは一切見受けられない。
そもそも、彼のみが生き延びる事は想定の範囲内だったのだ。
これ以上男の部下に攻撃を許したところで時間の浪費にしかならない、と敵の手数を減らしただけに過ぎない。
肩で息をする男はふらつきながらも立ち上がる。
しかし、装備した両腕のガントレットが遠目から見ても余計な重荷にすら感じるその様は格好悪いの一言に尽きてしまう。
「どの道、あなたはもう助からない」
「だろうな……」
それを聞いてベルディレッセは目を少し見開く。
助からないなら何故、男は立ち上がるのか。
死にゆくと分かっていながら、抗う意思を見せるのか。
「俺をかばって殺された奴の為にもなぁ、化け物、お前に一矢報いなけりゃ気が済まないんだよ!!」
そう言って男は自らを奮い立たせると、残された余力を振り絞って、ベルディレッセに飛び込んでいく。
「喰らえやぁ!」
男が繰り出したのは文字通りの鉄拳。
確かに質量に任せた打撃というものは一矢報いるにあたって実に効果的なものとなるだろう。
しかし、それはあくまで通用する相手であるならば、の話。
想定の範囲を出ない行動を目にした少女の表情は更に冷ややかなものとなる。
「一矢報いるのならもう少し捻りを加えなさいな」
使用武装:グラントゥース
スキル:《ガード:バイティング》
地面から飛び出した巨大な歯の数々が左右から男の体を挟み込む。
飛び出していった勢いは完全に殺され、不快な音と共に、可動域を無視して圧縮された男は絞り出すように絶叫する。
「どこまで行っても想定の域を出ない。これではあなたもあなたの部下も犬死ね」
使用武装:エルダーフラワー
スキル:《ソーラーブラスト》
「ぎ……」
「さようなら」
ベルディレッセの手から咲いた漆黒の蕾。
それが花開いた瞬間、放たれた大熱線に男の体は焼失する。
熱戦の閃光は夜闇には眩しすぎて、よく目立つ。
外野、あるいは夜の番である王国の兵士達が此処に到着するのも時間の問題だろう。
戦いを終えマス目が消え去ると、少女は冷静にコンソールを開き、マップを確認する。
見ると、彼女達の居る場所の周囲は既に黄色が示す反応の数々に埋め尽くされていた。
「さて、撤収よ。あなた達はあの娘達をお願い。庇護すると決めたから優しく丁寧にね」
姿の見えない部下達の首肯を確認し、ベルディレッセも撤収に入ろうとした矢先、彼女は立ち止まる。
今はぐっすりと眠るハーピー達より、奇妙な反応を感じ取ったからだ。
表情が抜け落ちたものの、彼女は部下が運搬を開始すると共に自らも夜闇へと姿を消していく。
王国の兵士達が惨殺死体ともぬけの殻になった牢屋を目の当たりにしたのは、その30秒後の出来事である。
不幸にも人間に捕らえられたばかりに、奴隷の身分に落とされてしまったハーピーの少女達。
ただ虐げられていたばかりの彼女達に、身なりを整えたり、最低限を取り繕ったり出来る余裕は無かった。
現実に逃げ場など無く、一秒でも長く夢の世界へ浸る事が、彼女達にとって唯一の救いだった。
そんな彼女達が見る夢は、そんな立場に置かれるより前の記憶の光景が殆どである。
例え、理想の未来を思い描いたとしてもそれは記憶に依存するものとなる。
過ごしやすい気候や環境の中、羽根の十分に生えた翼で大空を舞う。
好物の木の実を啄み、仲間達と談笑し朗らかに過ごす。
例えあまり代わり映えのしない光景であっても、彼女達には渇望する幸福の形である。
良い所で目が覚めてしまい、また地獄のような日々が始まってしまうのか、とハーピーの一人が疲れた顔をして目をゆっくりと開ける。
が、目を疑う光景を前にして目を見開いた。
様相がまるで違う銀色の天井と、明るくも目に優しい照明。
急いで体を起こすと、周囲には清潔に整えられた医療設備と純白のカーテンが展開されている。
目線を下ろすと、清潔な純白のベッドがあり、それに似つかわしく無い汚い自分の姿に慌てた。
「おはよう。よく眠れた?」
カーテン越しから声が聞こえてくる。
あの夜に出会った少女の声。
姿こそ見えないものの、声色はその時より明るく、彼女が此処まで連れてきてくれたのだとハーピーは解釈する。
「あの…」
「仲間の事? 彼女達も全員保護している。治療が終わったらすぐにでも会わせてあげる」
「いえ、そうじゃなくって…」
違うとは分かっていても、それでも罰されるのではないのか。
今まで何かにつけて自分達を虐げてきた人間の姿が脳裏を過ぎり、恐怖に震える。
だが、黙っていては始まらないと、恐る恐る震える口を開いた。
「ベッド、汚してしまいました。こんな綺麗で上質なベッドなのに、私なんかが……」
「使う権利は誰にだってある。それにその体では、ね。あなた達はわたしの庇護下に入ったのだからそれくらいは大目に見るわ」
身構える間もなく返ってきた言葉に、怒りや悪意は無い。
少女はそれが当たり前だと言うように、優しい言葉を投げかけた。
それを耳にしたハーピーがたじろいでいると、カーテンを小さく開ける音が聞こえてくる。
姿を現したのは、ナース服を身に包んだ黒い人型。
顔と呼べる部位は無いが、その所作は丁寧で、思わず見惚れてしまう程。
「これは……」
「わたしの同胞。具合が悪いと感じたら診てもらって」
姿を現したメディックは、ハーピーへと近づくと、彼女の体へと優しく触れて患部の数は如何程かを確認する。
顔の無い彼女達であってもセンサーやカメラ類は一通り備わっているので、見ただけで傷の具合などは把握出来る。
…が、医学知識はおろか機械への理解も乏しいハーピーからすれば何をされているのかなど分かる筈も無く、ただただメディックの邪魔にならないよう困惑しながらも大人しくしていた。
そんな彼女達に納得できるだけの情報を口語にて伝えるのがベルディレッセの今の役目である。
「取り敢えず傷口を消毒。何か自覚症状があるようだったら漏れなくそのメディックに言って。それから、お風呂ね。一人で洗える? もし出来ないならわたしが手伝う」
「あ、お風呂あるんですね……」
「此処は医療機関なのだから、それくらいあって然るべきよ」
イリョウキカン、という名の聞きなれない施設は凄いところなんだ。
ジェネレイザ基準の説明故に不足している情報は多い。
だが、一遍に説明されても理解の追い付かない部分は多く、一先ずハーピーはこの人ならざる救援者達に感謝しつつもそれで納得する事にした。
「浮かない顔をしておりますね」
パートラーニはアームを巧みに操り、ホットココアを淹れたマグカップを座ったベルディレッセへと差し伸べる。
彼女は黙々とそれを受け取るが、すぐには飲まず、また液面を覗きこむ表情も変わらない。
「思った以上に、王国は闇が深いようね」
連なるカーテンの向こう側には、助け出したばかりのハーピー達と面倒を見ているメディック達が居る。
彼女達に聞こえない程度のボリュームで彼女はそう言った。
「闇が深い、と言いますと」
「人ならざる者の命を弄ぶ事が好きらしい。恐らく、あれもそうだったのかも」
ハーピー達を助け出す直前から、此処に来たばかりに遭遇した異形の姿を彼女は思い出していた。
手や腕と思しき部位が所々から飛び出している、肉塊ともヘドロの塊とも言える、高さ9m、幅4m程の黒い異形。
その時はまだ別行動を取っていなかったグリムとベントネティが対処し、彼らの力のみで撃破する事が出来た。
死亡したのを確認してからパートラーニ達医療班が調査した所、元々は亜人種族だった生物だと判明した。
また、多量の薬物と思われる成分も検出されており、これが原因で変異してしまったのでは無いか、と推測が立てられていた。
今回保護したハーピー達にも、その検出成分の一種が確認出来た。出来てしまったのだ。
「パートラーニ、診察する時は念入りに調べて。治療薬が生成可能かどうかも、ね」
「畏まりました。より多くの命が救えるのであれば」
パートラーニが自前のホイールで遠ざかっていくと共に、少女はココアを口に付ける。
その液面の黒さよりも更に黒い感情が、彼女の『心』にて渦巻いていた。




