大鬼と闇鬼
ブラックオーガという大型の魔物が居る。
漆黒の布切れを右肩から下げ、腰に巻く黒の巨体に、額から伸びる二本の角を持つ怪物。
逆らいようの無い種としての圧倒的な力を持ち、討伐に出向く者達を返り討ちにして、大勢の魔物を従えてきた。
人間と亜人の入り混じる街から東にある平地を根城として構えた。
街の連中など恐れるに足りないと、食い物を寄越さない連中に逆らう事はどういう事か教えてやると、準備を整え後は攻め込むだけの筈だった。
だと言うのに。
それだけの筈だったのに。
今、そのブラックオーガと部下達はたった一体の異形に追い詰められている。
何処からともなく現れ、白い正方形の数々を地面の上に展開した正体不明の紫色の怪物。
逃げようとしても白い正方形がそれの無い外へ出て行く事を許さない。
小さい爆発のような音が連続して聞こえてきたと思うと、次の瞬間にはゴブリンが、オークが蜂の巣にされ鮮血と肉片を撒いた。
右を見ても、左を見てもあるのは、規則的に並べられた黒く太い筒を持つドーム状の物体。
本体であろうドームを左右に動かし、筒を魔物達に向けている。
狙いを定める。筒から火を噴く。死んだら次。狙いを定める…を無機質に繰り返すそれらは非常に不気味に映って見えた。
狙いを定めてから火を噴くのにある程度の猶予があるみたいだが、物体達の正体が分からない魔物達からすればその猶予すら不気味であった。
向けられたら死ぬ。
それを数多の同胞の命を散らされてようやく理解した彼らから逃げようと思う意思は消え失せていた。
尤も、諦めたからと言って次に待つのは雷を纏う紫色の異形の殴打や、浮遊する黒き物体からの熱光線だったが。
何故、どうしてこうなってしまった。
オーガは身を震わせ、汗と鼻水を垂らして考える。
だが、納得のいく答えは出て来ない。
あり得るとするならそれは不幸な巡り合わせ。
単なる偶然が、このような結果を齎している。
大いなる存在という者が、我らに滅せよと命じている。
抗うな、己に待つ死の未来を甘んじて受け入れよ、と。
当然ながらブラックオーガに受け入れられる筈もなく。
激しく歯軋りし、吠えた巨体は次々と部下達を仕留めていく紫色の異形へ向け突進する。
振り上げた拳の中には、打撃を得意とする彼が最高傑作と自負している大きな金棒が握られていた。
紫色の異形はぎりぎりまで気付かなかったらしい。
マス目の上を突き進む黒い巨体を目の前に捉えた時にはもう遅かった。
そんな状況下になれば誰だって勝ちを確信するというもの。
ブラックオーガもまた、例外ではなく口角を上げた。
しかし、何かが作動したような乾いた音が鳴る。
他でもないオーガの足からそれは鳴り、彼は足元を見た。
そこには丸い何かが埋め込まれており、大きく踏み込んだ事で地上から顔を出していた。
これは踏ませる為にある物だとオーガは確信する。
次に紫色の異形を見た時には、既に後退しオーガから遠ざかっている。
やられた。遅かったのは俺の方だった。
気付いた時にはもう遅く。噴き上がる閃光と爆熱がオーガの体を包み込んだ。
《シードマイン》は設置型のスキルの一種であり、踏んだ相手の居るマスから十字状に計5マス以内の相手ユニットにダメージを与える。
接地している地上ユニットはともかくとして、常時浮遊しているユニットや空中のユニットにも命中する。
マディスのメモリーが正しければ効果範囲内のマスに移動すると《シードマイン》自らが飛んで起爆するのだが、今回は見る事が叶わなかった。
ただ、その十字状の範囲内に味方ユニットが居たところで、爆発に巻き込まれる心配は無い。
だが、あくまでそれは《マギア:メタリズム》での話。
確証が持てなかったマディスは起爆の間際にマス目を解除し、飛んで範囲から外れて、黒い大鬼の爆発を回避する。
吹っ飛んできた土の破片等を受けつつ、原型を留めている大鬼の姿を見て、中々丈夫だな、と思った。
流石に《シードマイン》一発では死なないだろう、とマディスはスペースノッカーの銃口を出し、倒れた大鬼に向ける。
しかし、10秒経てど煙を上げたまま動く気配を見せないので、呆気の無さを感じ取った。
「こっちも高耐久型と踏んでいたんだがな……」
《シードマイン》にも装甲貫通効果はあり、丈夫な装甲を持つ相手には劇的な効果を発揮する。
マッドフラワーのように一回行動の度に回復してくる者かと知れないと念には念を入れて挑んだ彼だが、待っていたのはクノスペヴォルフやアブノーマルウォッチャーの時のような一方的な戦いだった。
後はあいつらが片付けてくれそうだ、とマディスは生命反応が消失した大鬼から目線を外す。
その視界の先にあるのはこれ見よがしに子葉を生やした、太い筒のバルカン砲を備えた自動砲台の数々。
これらもまた設置型のスキルであり、《シードバルカン》という名称を持つ。
毎ターンの開始時や、設置したユニット自身やその味方が攻撃する度に援護攻撃を自動で繰り出す優れものである。
理不尽めいた回数の回復をしてくる相手への対策として新たに設置したものだったのだが、結局のところ本来の意図で活躍する事は無く、今は残党狩りをしている。
『やあ、マディス君。東の大鬼はどうだったかな?』
無機質且つ能天気な声がいつもの調子で聞こえてくる。
マディスは拍子抜けした直後だからか、苛立つ事も無くその声に返答した。
「念を入れて挑んだんですがね、倒す順番を間違えたみたいです」
『おや、それは残念。マッドフラワーを最後にすべきだったと』
「そうなりますね」
辺りを見渡すと、《シードバルカン》の数々が次々と魔物の肉体を撃ち抜いて、痛めつけていく。
マス目の展開以前より、そこまで機動力がある訳でも無い魔物達では《シードバルカン》を傷付けるより先に自分の身を傷付けるのが関の山だった。
暗い夜の中で硝煙だけが立ち昇っている。
鮮血で出来た液溜まりに沈み、体のあちこちに縁の焦げ付いた小さい穴を開けた魔物達の死体が散乱する。
誰がどう見ても、全滅と断言出来る光景だった。
「…終わりましたね。結局、《シードバルカン》の試し撃ち会場になってしまいましたが」
『まあ、勝てる戦いであるのは良い事だよ』
やり取りを続けていると、マディスの体内のレーダー機器が魔力の反応を捉える。
ベノメス達帝国軍人の識別方法は既にジナリアから叩き込まれている。
だが、その方法を参照するまでも無く、反応の正体が帝国軍人ではない何者かである事は明らかだった。
「ですが、悠長な事をやってる暇は無いようで。妙ちくりんな反応がこっちに向かってきてます」
『おや。私の分身はもうそちらに向かっているかい?』
見ると、ジナリアの分身が到着早々ブラックオーガの遺体を収めようとポーチに吸い込ませている様子が見えた。
「ええ。回収はどうにか間に合いそうです」
『終わったら直ちにその場を離れるんだよ。隠蔽システムも忘れないように』
こういう非常事態で的確な判断を速やかに下せるからこそ、マディスは忠誠を誓っている。
頼れる上司に感謝しつつ、マディスは撤収するジナリアの分身を尻目に激戦の痕跡を消去しにかかるのだった。
「ブラックオーガの反応が消えた! 急げ!!」
プルグレリス率いるブラックオーガの討伐部隊。
彼らは予めブラックオーガについて念入りに調べており、王国から託された球体型の魔導具にそのオーガの情報を収めて、専用のレーダー代わりに扱っていた。
その魔導具に表示されるオーガを示す反応が消えた事で、彼らは急いで現場へと向かっていた。
待ち伏せをしていたが、帝国軍人が来た痕跡は一切無い。
帝国所属ではない何者かの仕業と見て間違い無いだろう。
反応が消えた理由はプルグレリスが察していた。
オーガが死亡したか、王国はおろか魔導国に匹敵する隠蔽技術の持ち主と出くわしたか、あるいはその両方。
どうであれ、急がねばならなかった。
ブラックオーガが何者かに持ち去られ、また帝国軍人が凱旋する最悪の状況だけは避けなければならない。
また、その何者かの痕跡を掴まなければ、王国の進退に関わる。
(一体、どんな怪物が潜んでいると言うんだ!?)
この西大陸に於いて、王国の目を欺く事の出来る国は限られる。西大陸の西側に存在する列強二国ぐらいだ。
だが、その二国は中立を貫いており、西大陸内での抗争があったとしても、王国が幾ら横暴を働いていても、直接的な被害が無ければ介入する事はまず無い。
よって、あり得る可能性からは外れる。故に帝国に与する何者かの正体が分からない。
プルグレリスは、少ない材料でその何者かの目的を探る。
何の利益があって。それは恐らくラキンメルダの世界的鉄鋼技術を欲しての事。
だが、何を理由に帝国に味方するのかが分からない。
王国や魔導国並みの技術を有するのならば、彼我の差がはっきりしている帝国に味方するなど矛盾している。
数多の犠牲は覚悟の上で、その怪物の正体と目的を探らねばならない。
備えはあるが、それが通用するかどうか、プルグレリスは王国の索敵技術の通じない現実を見て自信を打ち砕かれていた。
ようやく、ブラックオーガが主要拠点としている場所へ辿り着く。
しかし、その光景を見て部下の一人が驚愕した。
その驚愕はすぐに伝播する。
何せ、現実的にあり得ない光景がそこにあったからだ。
広い平原以外の何物も存在しなかった。
此処ではブラックオーガとその取り巻き達が大群を形成していた筈。
それが、冗談であったかのように姿を消していた。
「ブラックオーガは何処に……?」
周囲を見渡してもそれらしき生物の類いは見当たらない。
一体どうやって。それを探ろうとした矢先、プルグレリスは嫌な予感がした。
(『暗夜衆』は!? 今どうなっている!?)
彼は急いで同行した第2分隊長の方へ顔を向ける。
「『暗夜衆』から連絡は!?」
「そ、それが、連絡がつきません…」
「何!?」
静かな夜の中で、プルグレリスは金縛りにあった様に硬直する。
同時に自身の軽薄さを思い知る事になった。
「奴らの中にも勘の良い奴は居るらしい。…いや、消去法で此処に来る事になったのか」
マディスは東の平野に来た『懲罰部隊』の面々を遠目から見る。
彼のいる方向を見る顔が少々あるが、やはりと言うべきか、その中にも彼を見ている視線は無い。
「連中、オレの事はやっぱり見えていないみたいだな。…行動力は良いが、所詮その程度か」
マディスは一週間程前に戦った海賊の話を思い出す。
こちらにレベルという概念がこの世界に存在するという事実を知らしめた戦いだったのだが、結果的には艦隊指揮を担ったパンドレネクが不満を露わにする程につまらない、一方的な戦いだったとか。
海賊の使用した《レベル・ドレイン》という魔法はその名の通りこの世界の概念に依存したものであり、それがレベルを持たないメカに対し効かなかった事と、ジェネレイザの艦隊へのそれ以外の対抗手段を持たなかった事が勝敗を分ける決定打になった。
今回もまた、そんな戦いになりそうな予感がする。
マディスはマカハルドを困らせる大物を全部狩った今、最早『懲罰部隊』は脅威ですら無いと認識し、人知れず姿を消すのだった。
マディスが姿を消した一方で、ジナリアはベノメス達を珍しく月が既に高く昇っている夜に呼び出していた。
合流場所は勿論、彼らが積極的に利用する集会所の第3控室。
ベノメスは朝を待たずしてのジナリアからの呼び出しに慌てて準備し、最低限の護衛とアルコミックしか引き連れていなかった。
目を閉じ沈黙するコルナフェルを背後に待機させ、彼らの到着を待っていたジナリアは寧ろ好都合、としたり顔を浮かべる。
「やあ、夜分遅くに失礼」
「一体、どうしたと言うのです。急ぎの報告というものですか?」
「うん、その急ぎの報告というものだよ。つい先程、私の部下が東の大物を討伐した」
扉を閉め切って、隠蔽システムが作動しているのを確認した上でベノメス達は小さく喜びを露わにする。
ジェネレイザに任せっきりになってしまったが、大物を全て討伐出来たのは喜ばしい事であった。
「おお、ついに。では、また明日に凱旋を行うんだな」
「そうだとも。だけど、君達に伝えることはそれだけじゃない」
ジナリアが表情を改めるとともに、彼らの顔付きもまた真剣なものに変わった。
「懸念材料が少なくなって、丁度いい頃合いだ。彼らを排除する」
「もう直接排除に出るのか…!?」
大物の一角ブラックオーガを討伐したその日に『懲罰部隊』の排除に出向くと言い出すジナリア。
実情を知らない彼らからすれば、部下の疲労は癒えているのか、と少し心配になっていた。
「ああ。これ以上は彼らが邪魔だしね。部下にさっぱり取り除いてもらう」
しかし、ジナリアは確信のある表情を変えない。
彼女がこうまで言うのだから、成功率は極めて高いものなのだろう、と彼らは一先ず納得する。
彼らの表情を一通り伺った所で、ジナリアは続ける。
「それと、今日は帰り道に気を付ける事だ。君達、狙われるよ」
「暗殺部隊が出向くと…?」
「そう、彼らの誘導は既に行っている。この集会所を出て、数歩歩いたら出くわす事になるよ」
「待ち伏せの危険性は?」
「あるけど、無いようなものだ。こっちは何人居るのか把握してるし、だいたいあんまり出入り口から近いと目立つじゃないか」
ジナリアの報告はあまりにも詳細で、冗談のように聞こえるが、彼女が同時に展開させていたコンソールの画面が嘘では無いと証明している。
集会所である事を示す箱を囲むように、敵を示す赤い点が大量に表示されている。
彼女は赤いコンソールをもう一つ展開させ、外に配置したドローンが映す映像を一同に見せた。
「だけど、妙なんだよねぇ。さっきから誰かを探すような様子を見せてる。もしかしなくてもターゲットの一部が見当たらないのかな?」
「…そのターゲットの一部というのは、あんたらの事じゃないのか?」
わざとらしい問い掛けに対し、ベノメスは呆れ気味に答える。
すると、ジナリアはいたずらっぽく笑みを浮かべて、再度問い掛ける。
「ふむ、何故そう思うのかな?」
「何故も何も、あんたはこの前言ってただろう。狙っているのは俺とあんたらだと。……あんたらの隠蔽技術を持ってすればこの連中を欺くぐらい容易だったんじゃないのか?」
それを聞いて数秒沈黙すると、ジナリアは軽く拍手をする。
唖然とするベノメス達の一方で、コルナフェルがため息を吐いたのはきっと気のせいでは無いのだろう。
「ご名答。ジェネレイザの事がよく分かってきたね」
「……あんた、俺を試したのか?」
「まあ、少しばかりね」
ジナリアは木製の椅子に座ると、軽快な動きで足を組んだ。
よく見ると、ワイシャツの一番上のボタンが外れており、ラフな体勢故にラフな格好が一層目立って見えた。
「絶対に失敗出来ないと、真剣に取り組むのは結構な事だよ。でもね、私は懸念材料の減った今、君達には肩の力を抜いて、リラックスして欲しいんだ」
ジナリアの言うことは尤もではある。失敗が許されないからと緊張していてばかりでは、何時か綻びが生まれてしまうと言うもの。
……ただ、肩の力があまり抜けない状況下を作った張本人に言われた所で説得力はあまり無かった。
「…人を英雄に仕立て上げておいてよく言うよ……」
「まあ、人生経験上人の前に立つ、人々に歓迎されるというのは何れ役に立つんじゃないかな」
「俺は一介の兵士に過ぎないんだが……」
彼女はころころと笑うが、ベノメスはあまりにも馴れ馴れしく振る舞う、この規格外な存在に振り回されっぱなしの現状に辟易としていた。
同時に、結局大物を全て狩るまでに会う事の無かった彼女の部下に同情の意を示しながら。
「まあ、ご忠告感謝する。あんたも夜道に気を付けてな」
「ああ。良い夜を」
ベノメス達が部屋を後にし、第3控室の扉は再び閉まり切る。
彼らに軽く手を振り、部屋を出ようとしない姉の姿に、コルナフェルがようやく口を開く。
「…助けなくてよろしいので?」
「それは暗殺部隊の動向次第だね。確証が持てない以上不用意に動くべきでは無いよ」
コンソールは集会所から出てきたベノメス達の姿を見て慌ただしくなる暗殺部隊の様子を捉えている。
やはり、ターゲットの数が足りないらしく、暗殺部隊の少数だけが彼らの追跡を開始し、大勢が集会所の近くの屋根の上に留まっている。
「…さて、私達も行こうか。これでたくさん来てくれたら面白い事になりそうだね」
「居るな。さっきから」
ベノメスは長年の経験からか、不躾にこちらを見ている視線の数々を感じ取った。
隠蔽魔法の類いを用いて姿を消しているようで、現在護衛の一人がその魔法の解除を試みている。
「…ダメです。流石は王国の部隊と言いますか、こちらの解除を受け付けません」
「やはりか……」
追手に聞こえないよう小声でやり取りする。
…が、相手は王国の部隊である為に集音魔法の類いを使っているとも考えられた。
小声は一先ず取り止め、帝国でのみ用いられるハンドサインを使ってやり取りする。
(何処に誘い込むのが一番だ?)
(物陰や屋根の少ない場所が一番ですが、そうなると限られてきます)
(ジナリア様方と合流したいところだが…上手くいきそうには無いな)
ハンドサインでのやり取りの結果、とりあえずは集会所より遠い場所に移動する事を選んだ。
だが、ある程度走っていると暗器の類いが足元を狙って飛んできたのが見えた。
躱してみせるも、これでは遠ざかるのもままならないとして、彼らは迎撃に移る。
「彼女らに助けを求めますか?」
「いや、何時までもおんぶに抱っこではいられん。此処は俺に任せろ。お前たちは背中を取られないよう固まっておけ」
不可視の敵集団が相手だが、ベノメスは夜闇の中、腰に下げた二本の剣に手をかける。
それを見ているアルコミック達は残った面々に背中を預け、剣を引き抜いた。
「俺も、一人の隊長だからな」
技能:《虚空眼》
ベノメスは目を閉じ、集中力を高めて己の世界に入る。
使った技能はまるで妨げる者など無いと言わんばかりに不可視の敵集団の位置を閉じた視界の中で知らせる。
それを隙と見たか、ベノメスへ向けて複数の鋭利な暗器が至る方向より飛んできた。
技能:剣・《流水剣》
目を開き、ベノメスは暗器の数々を近いものから順に弾いていく。殆どを打ち落とす中、一部の暗器を飛んできた方向へと向け跳ね返した。
「がっ…!」
小さく呻いた声を聞き漏らさず、ベノメスは勢い良く屋根へと飛んで登る。
その者が再度動くより先に、ベノメスの振るった剣の一閃が斬り伏せた。
屋根を血で染め上げ、闇夜に溶け込んでいた黒尽くめの男が地面に落ちていく。
《虚空眼》の効果時間はまだたっぷりある。
隠蔽魔法が作用しているのを良い事に不用意に動く相手など、ベノメスの敵では無い。
技能:剣・《飛閃鷹翼》
次に彼が放つは、飛ぶ斬撃。居合の要領で横一閃に放たれたそれは、暗殺部隊の三人を捉え、背中を深く抉った事で夜闇の中からその者達の姿を晒させる。
これで4人目。
ベノメスの実力に驚いたか、彼の背後からがむしゃらに暗器の数々を投げる者が一人。
しかし、量を求めるあまり精度の落ちたそれらは彼に命中する筈も無く、迫りながらも、干渉してくる軌道のもののみを切って弾く彼を止められなかった。
技能:剣・《燻らせ三刃》
ゆらりと小さな煙のように曲線を描いて動く刃の動きを誰にも読まれず、一回の剣閃が一人を撫で切り、二回目の剣閃が近くに居たもう一人を袈裟斬りにする。
三回目の剣閃は主に血飛沫がかからぬよう、斬った二人から彼を遠ざけた。
6人目。
ターゲットが思いの外強かった為か、あるいは自分達だけは見つかっていないと思ったか、今度は四人同時に飛びかかってくる。
他の隊員たちには何が起ころうとしているのか理解出来ていなかったが、ベノメスからはその動きが見えていた。
ベノメスは呆れながらも構える。
隠蔽魔法に頼り切りだからこうもなるのか、と。
技能:剣・《裂鬼斬》
空中の四人を強く振るった横一閃が薙ぐのは、時間の問題だった。
深々と服の上から開いた裂け目より血を噴き出して四人が一斉に倒れる。
《虚空眼》は斬った10人以外に残った敵が居ない事を示し、ようやくベノメスは剣を鞘に納めて一息吐いた。
「お、お見事です」
部下達はあまりにも速すぎた為に何が起きたかを理解出来なかったが、隊長が一息吐いているのを見て、無傷で追手を全滅させたと理解した。
暗殺部隊の平均レベルは30である。
平均レベル20程度の帝国の兵士達では力量差もあって不利な戦いを強いられるだろう。
だが、一人だけマカハルドに配置された帝国軍の中で、レベルの突出した男が居る。
その男こそ、ラジール・ベノメスだ。
彼のレベルは42であった。
「さて、あのお二方は逃げおおせたか」
ベノメスは集会所の方へ向き直り、ジナリア達の身を案ずる。
恐らく案ずるだけ無駄だろうな、と思いながら。
「見つけたぞ……」
鼻から下までを布で覆っているものの、少々皺のある顔だと分かる逆立った白い短髪の男がようやく姿を現したターゲットを静かに尾行する。
彼こそが此処マカハルドに送り込まれた『暗夜衆』の派遣部隊、そのリーダーを務めるゾルバである。
彼は一時的に上司となる若き優等生プルグレリスの名に従い、マカハルドに屯する怪しい女二人の生け捕り、もしくは暗殺を命じられていた。
怪しい女の情報はとにかく美しい、白髪と灰髪の二人組である事しか掴めておらず、最初は探す事から苦労した。
普段は外套を着てはいるが、料理店や露店などでその特徴的な素顔を晒していた為に、部下の一人が呆気なく見つけ、それ以降はその者達の動向、傾向を探るべく尾行に徹した。
だが、そこで問題が発生する。
尾行を続けていたにも関わらず、部下達からはターゲットを見失ったという報告が多数あがった。
視線を逸らしたからだとか、そのようなしょうもない理由では無く、追っていたにも関わらず突然視界の中から姿を消すのである。
まるで、そこには最初から居なかったかのように。
王国が誇る、隠蔽魔法を無力化する魔法の行使も行わせたが、それでも突然姿を消したという報告が多数寄せられる。
開示の魔法が無意味である事は誰がどう見ても明らかだった。
そのような二者が今、姿を隠さず堂々と散歩している。
その為じっくりと観察する事が出来た。
二人の整えられた白と灰の髪、時折互いに向き合う事で見える紅と青の瞳が、彼女達の美貌を一層際立たせている。
令嬢と平民程に出で立ちに決定的な差がある事に疑問を覚えるが。
正しく、両者共に美姫という称号が相応しい美しさであった。
思わず部下の一部が見惚れて息を呑む程に。
魔性の月は、時に隠密行動中の者でさえも狂わせる。
あの女達を抱けたなら。
どんな声で鳴くのだろうか。
油断し切った女達を見る視線からは次第に欲望が湧き出てきた。
何日も手掛かりを掴みそびれた事が続いた為に、苛立つ気持ちを欲望をぶつけて発散させようとしている。
ゾルバの命令が一つでも下されたなら、今にも飛びかかろうとするだろう程に。
ゾルバもまた、食い入るように、目で犯す勢いで美姫に不躾な視線を向けている。
だが、そんな甘ったるい時間は長く続かなかった。
「…そろそろ出てきてくれないかな。私達はもう待ちくたびれたよ」
冷水をかけられたように、冷静さを欠いた頭が急速に冷める。
それは紛れもなく美姫の片割れである白髪の少女から聞こえてきていた。
見ると、先程までもう一人の美姫を楽しそうに見ていた赤い瞳は冷酷に『暗夜衆』を見ている。
一体どうやって見つけた。
隠蔽魔法の類いは機能していた筈だというのに。
こうなっては仕方無いと、隠蔽魔法を解除し彼女達の元へ姿を現す。
「おやまあ。こんなに大所帯でどうしたのやら」
ゾルバは彼女が両手を広げながら紡ぐ能天気な言葉に、とぼけやがって、と思った。
「お前達の身柄を拘束する為だ。これも仕事なんでな、悪く思うなよ」
『暗夜衆』の面々は美姫二人へにじり寄る。
100人構成の派遣部隊の内、実に90人が美姫二人の生け捕り作戦に参加している。
髭面の男の暗殺に向かった10人に哀れみを抱きつつ。
こんな人気の少ない場所に誘い込んだなら、助けを求めた所で誰も来る訳は無い。
ゾルバを含め、『暗夜衆』の全員が任務の成功を確信していた。
「いやぁ、助かったよ。そろそろ妹が我慢の限界だったんでね」
何の事か、と誰もが思う。
すると、灰髪の美姫が白髪の美姫の前に歩み出た。
夜闇でも黒い服越しであっても分かる豊かな胸と尻に男達の視線は食い付いていく。
我慢の限界というのはそういう事か、と期待に胸を膨らませた。
それが勘違いであったと思わずに。
「マディス君とのやり取りで思ってはいたけど、腕が鈍るから、やっぱり試し斬りの相手は必要だねぇ」
そんな能天気な声が聞こえてくると共に灰髪の美姫の手に握られたのは一本の細い、単純な形状の剣。
異様なのは、その表面の模様。
単純な三角形でありながら、それが何処までいっても完結しない。
何かがおかしいと、誰もが理解する。
灰髪の美姫に宿る青い光は身が凍り付く程冷酷に見えた。
「威力は通常の10分の1に絞っています。耐えてくださいね」
「耐えた子はお姉さんが褒めてあげよう♪」
寧ろ、我々が誘い込まれたのではないのか。
そう思った時にはもう遅く、無造作に振るわれた異様な剣より放たれる閃光に誰一人残らず呑み込まれた。




