休日に向かう先は
同居生活四日目は、いつも通りの早朝ランニングから幕を開けた。
当初色々な混乱や問題を抱えていたこの同居生活も、遂に折返し地点に辿り着いた。
未だ速水という女の生態は理解しきれていないが、それでも関係というか、仲というか、そういうものはこの前と比べると雲泥の差に思えた。
「明後日には学校始まるし、その前にランニングポーチ買いに行きましょうよ」
速水がそう提案したのは、四日目の十時くらいのことだった。
「おう、行くか。ご飯はどうする?」
「どっかのレストランとかで、たまには食べない?」
「えぇ、あんたの手料理、美味いのに」
「あんたって、思ったことは何でも口にするわね」
速水は照れ臭そうに苦笑していた。
「そんなことはないぞ。俺だってたまには言葉を選ぶ。これは言っておいた方が良いと思ったから言っただけだ」
「そうなのか。じゃあ、あたしは何て返事をするべきなんだろうなー」
速水は頭を抱えていた。
「とりあえず、ありがとう」
「それはこっちの台詞だ」
互いに頭を下げあって、頭を上げた後は二人で苦笑した。
「で、ランニングポーチってのはどこで買うの」
「ちょっと電車に揺られて、雑貨屋に行きましょうよ」
速水が提案したのは、このアパートから徒歩二十分先にある駅から電車に乗り継いで行った先のターミナル駅にある雑貨屋だった。
「じゃあそれで」
「ご飯もその駅周辺で探しましょう。何かはあるでしょ。何食べたい?」
「牛丼」
「却下」
速水は怒ったように眉をひそめていた。
「何故」
「ムードがないから。折角なんだから、エスコートする気で選んでよ」
「別にデートしに行くわけでもありゃせんし」
「デートであろうがなかろうが、女の子は常日頃からエスコートしてもらいたいものなの。男の子なら、その辺理解しておかないと痛い目見るよ」
「そんなもんか?」
「そんなもん」
「そっか」
俺は、あっさりと言い含められていた。
「じゃあ、着いてから探そう」
「あんまり高いのは嫌だよ?」
「ちょっと注文多くない?」
文句を言うも、速水は我関せずの姿勢を貫いた。これが女の子をエスコートする、というものなのだろうか。
駅までの道中、更には電車の中、俺達は互いの話をたくさんした。とりわけ、脚色を加えられたような昔話は、互いに馬鹿らしいと言いたげに笑い合うのだった。
この女のする話は、なんというか呆れる話が多かった。
バレンタインで父にケーキをホールで作ってあげたら、砂糖と塩を間違えて、「プリンと思って茶碗蒸しを初めて食べた日を思い出した」と言われただとか。
そのケーキは家族三人で苦悶の表情を浮かべながら三日かけて食べ切っただとか。
洗い物は母に全てやらせただとか。
本当、呆れる話ばかりだった。
「あんた、本当にこの後一人暮らし出来るのか?」
昨日と同じ感想を、俺は言った。
一度同居した身として、本当に不安でしょうがない。
「何よ。なら、同居生活続ける?」
速水は反抗的な視線で言った。
「何を言うか」
俺は否定的な言葉を述べるべく、この数日を振り返った。今日までどれだけこの人に俺の生活の邪魔をされたことか、端から突き付けてやろうと思ったのだ。
……が、頭から血が降りた頃、俺は気付いた。
俺、この数日、この人に邪魔されたようなことあったか?
基本的に俺、素振りかランニングで道に迷ってたし。
その後も、食材調達を手伝ったのは同居人として当然として、ルーティーンの部屋の掃除はむしろやらせてもらって助かってるし、唯一欠点のご飯の支度は嬉々としてこの人はこなしてくれる。それも高水準で。
……あれ?
なんだかむしろ……。
「別に悪い話じゃないな」
「また変なこと言い出したよ、この人」
速水は呆れたように肩を竦めた。
しばらく物思いに、俺は耽った。
そんな俺を見て、速水はため息を吐いていた。最早先程までのくだらない世間話を続ける気は、多分なさそうだ。
「……で、どこでご飯食べるかは決めたの?」
「え、まだだけど」
「もう。しっかりしてよ」
速水は呆れたように文句を口にしたが、しばらくすると苦笑していた。
「お馬鹿で方向音痴でマイペースな武田君」
そして、速水は優しげな声で続けた。
「あたし、行きたいレストランがあるんだけど、寄ってかない? 価格帯もリーズナブルだよ」
「ふむ、味は?」
「保証する」
「おお、じゃあそこにしよう」
「うん。そうしよっか」
「まったく。食のことに関しては、あんた本当に頼りになるな。いや本当、頼りになるよ。
このまま同居生活続けるのも悪くないと思った」
そう言うと、速水は少しだけ困ったように笑っていた。
「そういうのは、将来好きになった人に言ってあげなよ」
どういう意図でそう言ったのかはわからない。
だけど、今の速水の複雑珍妙な顔を見ても、可笑しいとかアホっぽいとか、そういう邪な感情が浮かぶことは、微塵もなかった。




