夜、二人で
夜、こうして速水と一緒に外を出歩くのは、思えばいつ振りだろう。多分、いつか隣県のターミナル駅に行って、シーバスに乗った時以来かもしれない。
夜道は、静かだった。人通りもあまりない。
住宅街も多い地区に住んでいるのだが、それでも静かだと言うことは、世の社会人の方々は残業せずにもう家の中で、家族団らんを楽しんでいるのかもしれないと思った。
その証拠に、時々横切る家屋から、香ばしい匂いが鼻孔をくすぐった。
カレー。
焼き魚。
こっちは……肉じゃがか?
俺の腹の虫がなった。
「ごめんね? 管理不行き届きで」
そう言う速水は、言葉とは裏腹にどこか楽しそうだった。
「早くあんたのご飯を食べないと、このまま倒れるかもしれない」
「アハハ。オーバーだなあ」
「そんなことあるもんか。あんたのご飯はやっぱり美味い」
「えへへ。ありがとうございます」
相変わらず俺の言葉はそこまで真に受けていないようで、速水は茶化すように言った。
しばらく、俺達は談笑しながら夜道を歩いた。
野球ばかりに明け暮れる日々を送る最近だと、こうした速水との時間は中々に新鮮に感じた。
同居し始めた当初は、それなりに一緒にいる時間が多かったのに。
互いに目指す夢へ向けて、傍にいながらこういう時間をないがしろにしていたんだな、とふと気付かされた。
「哲郎、聞いてる?」
「おう、聞いてなかった」
「ちゃんと聞いてよー」
速水はいつも通りコロコロと顔を変えるが、どこかいつもと違った。
「……ねえ、哲郎?」
「なんだ?」
「頑張ってきてね」
「おう」
夏の大会前の合宿、そして大会が始まれば負けるまで宿舎に缶詰。
当分、俺はこのアパートに帰ってこないだろう。
だから今、速水は俺に激励の言葉を送ってくれた。
「あんたも、部屋は絶対に汚すなよ」
「えぇ、どうしよっかな」
「汚してもいいけど、当分掃除してくれる人はいないぞ?」
「そうなんだよね」
「ゴキブリとか出たら嫌だろ? 夏場なんて、すぐ湧くぞ、あいつら」
「そういえば哲郎、前部屋にゴキブリが出た時は慌てて逃げ出したよね」
「ゴキブリは苦手。本当に無理」
確かにいつか、俺は部屋にゴキブリが出た時、速水に奴の処理を全て任せて部屋を一旦退散した。
本当、そういう余計なことはよく覚えているんだよな。
「あの時のあんたの狼狽え方ったら……くくく」
「笑うな。ゴキブリが出現したのは、同居を再開してすぐだったんだぞ? つまり、あんたが部屋を汚すからそうなったんだ。自分の物ぐさぶりを棚に上げるな」
「わかってるわかってる。アハハハハ」
わかっているなら普通笑わないのでは?
「……まあ、掃除も頑張るよ」
「掃除以外もな」
「うん。料理は勿論として……洗濯も、か」
「そうだな」
「……ねえ、哲郎?」
「なんだ」
「あたしがもし。……もしさ、合宿中に哲郎に助けてって連絡したら、どうする?」
「どうって、終電で帰ってくるけど?」
「え……」
隣を歩いていた速水が、突然足を止めた。
「なんで?」
「なんだよ、助けを求める癖に俺が帰ったら迷惑なのか?」
「ううん。そうじゃない。大事な野球をないがしろにすることなのに……どうして帰ってこようとなんて決断するの? 絶対しないと思ってた」
「なんでって、そりゃああんたが同居人だからだろう」
そう言うと、速水は目を丸めていた。
「房総半島の方の合宿所も。兵庫県も。タクシーとか新幹線使えば、数時間で帰ってこれる距離だからな。同居人のピンチとあれば、練習後だって駆け付けるさ」
あくまでそれは、出来ないことじゃないからな。
「……そっか」
「おう」
「……なら、なるべくあんたに甘えないようにしないとね」
「なんで?」
意味がわからず、俺は眉をひそめていた。
「そりゃあ、あたしが哲郎にお世話になっているからだよ」
そういう速水は、何やら憑き物が落ちたように歯切れ良かった。
「お馬鹿で方向音痴でマイペースな哲郎君」
「なんだよ」
「優勝するまで、帰ってきたら駄目だよ?」
「……わかった」
翌日の終業式を終えて、練習に明け暮れて、その翌日。
俺は速水に惜しまれながら、大会前の追い込み合宿、そして大会へと向かうのであった。




