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夜、スーパーへ

 終業式を明日に控えた今日この頃。


 俺はアパートの外でバットを振っていた。夏のこの時間は、昼間に比べればそれなりに暑さは和らいでいて、俺としても練習をするのに好ましい時間帯だった。だから、最近暑さで奪われる集中力が中々損なわれることもなく、俺は入念にスイング動作を確認出来た。


 先日、入江さんに貸してもらったスポーツ工学の本はそれなりに読み進めていた。彼女の言う通り、本の内容は結構ためになった。多分体を動かすあらゆる所作は、独学でするよりも専門知識を有してから行った方が効果的なんだろう、とぼんやりと思わされた。


 最近では、速水に操作方法を教わって、スマホで動画を撮りながらバッティングフォームをチェックしている。

 こうして動画という形で見てみると、当人からは見えてこなかった癖が色々とわかった。


 一番は、バットをスイングする時、俺はどうやら前に突っ込む癖があるらしい。それは投手が投げたボールを体より更に前で……変化球ならば曲がる前で捉えようとする意識が強いからだった。だから、俺はいつの間にか前で前での意識ばかりが先行して、体が突っ込むのだろう。


 テークバックと足を上げるタイミングの調整は、それなりに上手くいき始めている。前で捉えようとする意識はバットを早く振ろうという意識に繋がっていて、だからテークバック達はバラバラになってしまっていたのだろうと、最近になると気付かされた。


 そんなわけで、八月初旬から始める夏の高校野球選手権に向けて、俺はそれなりに順調な仕上がりで進んできていた。


「哲郎、凄い汗だね」


 そんな現状を認識して恍惚としていたら、速水が二階の部屋から降りてきた。ジャージの半ズボンにパーカーという軽装な出で立ちだった。


「夏は夏だからな」


 タオルで汗を拭いながら、俺は一旦素振りを止めた。

 

「どうしたの、もうご飯出来たのか?」


「ううん。まだ」


「なら、余計どうした?」


 あっけらかんと首を振る速水に、俺は小首を傾げた。


「醤油がなくてさ。買いに行こうと思ってたの」


「あれ、切らしてたのか」


 この同居人と同居を始めて以来、俺は麦茶が飲みたい、だとか、プロテインを作ろう、だとか、そういうこと以外では滅多に冷蔵庫を開けていない。

 基本的に調味料だとか食材だとかは、速水から連絡を受けて俺が部活帰りに買って帰ることが多かった。


「えへへ、うっかりしてた」


 苦笑しながら頭を掻く速水は、あまり悪そうな素振りは見せていなかった。

 

 平日の夜八時。


 終業式を終わらせた翌日から、野球部は夏合宿を始める。例年、夏の全国大会に出れない年は、その大会の日程と被せるように合宿に行くそうだが、今回はまるで受験生の最後の追い込みだといわんばかりに、夏の大会直前に合宿は行われる。


 そんな都合もあって、今日は残念なことにいつもより早く部活動が終了になった。当分世話しなくなる部員達にとって、今日は最後の暇だった。


「ちょっと行ってくるね」


「おい、ちょっと待てよ」


「へ?」


「俺も行く」


 汗を再び拭って、俺はバッティンググローブを外しながら言った。


「いいよ、たかだか醤油くらいで」


「馬鹿いうな。あんたみたいな可愛い子が夜道を一人で歩いて、悪漢にでも襲われたらどうする」


「あんたがいたら、守ってくれるの?」


「それはない。大事な大会前に怪我するわけにはいかない」


「ならいてもいなくても一緒じゃない?」


「全然違う」


「どこが?」


「少なくとも、話し相手が出来る」


「あー。まあ確かに、夜でも汗ばむこの時期に、一人で陰鬱に歩きたくはないなあ」


「そうだろう。だから一緒に行くよ。悪漢からは守れないが、もし襲われたら抱えて走って逃げてやる」


「アハハ。だったら是非、あんたのトレーニングのためにも襲われたいね」


「そうだろ。……ちょっと待ってろ」


「うん」


 微笑む速水を待たせて、俺は一人一旦部屋に戻った。玄関先にバットを置いて、バットにバッティンググローブを被せた。あんまりお行儀の良くない行為だが、彼女を待たせるのも腹の虫を待たせるのも悪いと思った。


 鉄骨の階段を下りながら速水を見つめた。


 速水は、何かを憂うような顔で、半分欠ける月明りを眺めていた。


「何黄昏ているんだよ」


「ああ、ごめん。行こっ」


 快活な姿を取り戻して、俺達はスーパーへの道を歩き始めた。

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