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初めての洗濯

 定例の夜のランニングを終えて、俺達はすっかりとのんびり気分になっていた。


 既に速水はお風呂にも入っていて、居間でのんびりテレビを見て、時々「あほくさー」とか「ばからしー」とか言っていた。

 圧倒的ボキャ貧。


 俺も丁度お風呂から上がって、バスタオルを洗濯機に押し込んでいた。


 そして、洗濯機の中が洗濯物で一杯になっていることに気が付いた。


「もうこんなに溜まってたのか」


 そうと知れば話は早かった。


 俺は洗濯機の隣の棚に置かれた洗剤を適量入れて、洗濯機の電源を付けた。ピッという軽快な音と共に、いくつかの工程のランプが灯った。


 俺は何も考えずに自動のボタンを押して。洗濯機が水を貯め始めて。



「あー!」



 速水の叫び声に驚いた。


「どしたの」


 ドタドタと慌てた音が近くなってきて、それからすぐに速水が洗濯機に目を向けた。


「洗濯しちゃったの?」


「回し始めたところ」


「うわー、やっちゃったー」


 速水は、目に見えてうろたえていた。一体、どうしたというのだろう。


 しばらく叫んで、




「手洗いだけのカーディガン、一緒に洗濯しちゃったー」


 そう聞いて、俺はため息交じりに一時停止ボタンを押した。


「まったく。手洗いだけなら、最初から洗濯機に入れるなよ」


「面目ねえ……」


 速水を咎めると、彼女はシュンとしてしまった。こうも凹まれると、こっちも多少申し訳ない気持ちになるものだった。


「……まだ引き抜けばセーフかな?」


 俺は尋ねた。


「どうだろ。でも、このまま洗濯されるよりはマシかも」


「ようし」


 俺は洗濯機を開けた。既に洗濯槽の半分くらいは水が張っていて、洗剤も溶け出していた。


 少しだけためらったものの、俺は意を決して洗濯槽の中に手を突っ込んだ。


 しかし、水が張っていること。衣類が多量にあることから、洗濯槽の中はとにかく視界不良だった。いくつかの衣類を触って、手探りで目的の物かと確認していたが、正直どれもこれも違いはあまりわからなかった。


「よくわからん」


 渋い顔で所感を漏らすと、


「片っ端から取ってみたら?」


 速水からそう提案された。


「よし、それでいこう」


 俺は、早速手短な衣類を掴み、洗濯槽から引き上げた。


 引き上げた最初の獲物は……。




 速水の下着だった。



 無言で、俺はそれを洗濯槽の中に戻した。ポチャンという水音だけが、辺りに響いた。


「め、面目ねえ……」


 ここまで人に対して、申し訳ないと思ったのは初めてだった。


 速水は、俺の背後で苦笑していた。





「そもそもだ。俺達の洗濯物は、果たして一緒に洗濯して良かったのだろうか?」


 七度目の正直でカーディガンを引き抜いてベランダに干した後、俺達は居間で今回の反省会に興じていた。


 議題は、所謂ラッキースケベに関してだ。


「別に問題ないと思うけど」


 未だ居た堪れない気持ちの俺に対して、速水は意外とドライな反応を示していた。


「その心は?」


「水道代、勿体ない」


「なるほど」


 俺との同居以降、この部屋の住人になる速水は、意外と倹約家らしい。それこそ、他人に下着を見られるよりも節約を優先する程度には。


「じゃあまあ、それはそれで良いとしよう」


「うん」


「その後のことを話そうか」


「うん」


「洗濯物は、誰が干す?」


 正直俺は、この質問に対して速水は顔を真っ赤に染めると思っていた。

 いつかの速水は言っていた。俺が無遠慮で居間で着替えをしようとすると、ここでは脱ぐな、と。

 あれ以降、彼女のことを気にして、着替えはいつも風呂場で行っているのだが、その現状から推察するに、自らの下着を見られることになるこの状況も、自分でやると言い出すはずだと思った。


「あれ、干してくれないの?」


「正気か?」


 ただそんな俺の考えは、あっさりと翻された。


 なんでだ?


 脱いでいる物はセーフなのか? 


「あんた、本当にそれでいいの?」


「だって洗濯物干すのって、結構時間かかるじゃん。誰かがやってくれるならそれに越したないよ」


 あっけらかんと話す速水は、どこか男らしさを感じた。


「それに、もう一回見られたわけだしね。一回も十回も百回も変わんないよ」


「初めてあんたのこと尊敬したよ、俺」


「そう? なんだか嬉しいな」


 照れたように頭を掻く速水を見て、俺は色々と馬鹿らしいと思い始めていた。

 思えばこの女、料理は好きだが食器洗いは大嫌いとか宣った女だったな。もしかして、料理以外の家事全般嫌いなのでは。


 だとすれば、よく一人暮らしをしようなどと思ったものだ。


 というか、この割り切りの良さは何なんだ。

 思えばこの女、初めはこの同居生活にうだうだ言っていたのに、一日も経てば昼ご飯を振る舞ってくれるくらいには、開き直っていたな。


 もしかしたら元々、この女はこういう強かでものぐさな性格をしていたのかもわからん。


「まあ、あんたが良いなら良いけどさ」


「うん。全然良いよ。よろしくね」


 速水の笑顔を見ていると、本当に別に恥ずかしいことに思えてこないから不思議である。


「……来週から大丈夫か。あんた」


 目先の羞恥を克服した末に、幸先の不安を俺は覚えた。今が同居人という気の置けない間柄だからなのか、本当に心配でたまらない。


「……ちょくちょく様子見に来るわ」


「え、なんで?」


 どうやら無自覚らしい。

 俺は大きなため息を吐いた。本当、いつもと立場が逆な気がする。


 そうこうしている内に、洗濯は完了した。


 彼女が気兼ねなくやるよう望んでいることを知ったので、俺も最早変な羞恥も外聞もなく、平常心で洗濯物達をベランダに干していった。


「……お前の下着、外に干していいの?」


 念のため、俺は聞いた。


「え、なんで?」


「外から見られるぞ」


「うわあ、そりゃあ恥ずかしいや。中に干してくれる?」


 それは恥ずかしいんかい。


「わかった」


 よくわからん女だ。

 

 スーパーに向かう途中、俺のこともこいつのことも結構話し合ったが、どうやらもう少し、この女の生態は理解しておく必要がありそうだ。


 俺はそう思いながら、無心で洗濯物を干していった。

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