スーパーまでの道のりを、二人並んで
朝、目を覚ますと、速水は昨日と同じようにとても気持ちよさそうに寝ていた。
昨日の苦い記憶を思い出した俺は、手早く静かに身支度をして、部屋を出た。鍵を閉めると、少しだけ冷たい冷気が俺の肌を震わせた。
「あら、武田君。早いのね」
庭で準備運動をしていると、木下さんに声をかけられた。
「木下さん、おはようございます」
「はい。おはようございます。走りにでも行くの?」
「はい。ランニングは俺の日課ですので」
「そうですか。昨日も遅くまで素振りしてたのに、若いっていいわね」
「そんな、木下さんもまだまだお若いですよ」
「あら、お上手ね」
木下さんは少しだけ嬉しそうに見えた。お淑やかに微笑む姿は、今頃部屋で寝相悪く寝ている女子には数年かけても到達出来ない姿だなと思った。
「じゃあ、行ってきます」
気を取り直して、俺は会釈をしてアパートを出た。
昨日同様、ポケットにはスマホを仕舞っていた。確か、速水はそのままじゃ危ないから、今度なんとかを買いに行こうとか、昨日行っていたな。まあ確かに、走る度に豪快に振れるポケットに、時たま危ないなと思う場面はあった。
そんなことを考えながら走って、俺は無事迷うことなく家に舞い戻った。この戦績はスマホのおかげ、というよりも、ランニングルートを開拓出来たおかげの方が大きいと思う。四度目にして、俺はようやくランニングルートを大まかに定めたのだった。
「ただいま」
「あ、おかえり」
部屋に戻ると、寝起きの速水は寝癖一杯の頭で俺を出迎えてくれた。丁度台所で歯磨きをしているところだったらしい。
「髪、すごいな」
「そう? あたし、寝相良くないみたいなんだよね。それが原因かも」
知ってる。なんだ、自覚あったのか。
速水は俺の冷たい視線に気づくことなく、大あくびをかましながら涙を流していた。せめて、口は手で塞げ。
この女が完全に覚醒したのは、朝食を食べて、うつらうつらな中、俺が彼女の布団を端に寄せた頃だった。どうやら彼女、朝は相当弱いらしい。
目が覚めたのが理由なのだろうか、速水は今日はいつにもまして快活に見えた。
「よし、買い出しに行こう」
「買い出し?」
段ボールから取り出していたハンドグリップを握りながら、俺は返事をした。
「あんた、本当いつでもトレーニングしてるね」
速水の視線は冷たかった。
「当然だろう。好きなんだから」
「本当、変態ね」
「そんなことより、買い出しって?」
「読んで字のごとくよ。冷蔵庫の中、もう全然食材ないの。これじゃあ、今日の昼ご飯、何も作れない」
「そりゃ困ったな。早速行くか。男手があった方が助かるだろう」
即答したら、速水は目を丸めていた。
「何さ」
尋ねると。
「いや、あんたって変態だけど、物分かりはいいわよね。あたしを手伝う分、大好きなトレーニングの時間は減るわよ?」
「ウォーキングも荷物持ちも立派なトレーニングだろう?」
何を言うか。
速水はため息を吐いていた。
「頭の中、トレーニングのことしかないのね」
「そんなことない。同居しているんだから、家事の手伝いをするのは当然だろう。それに加えて、それはトレーニングにもつながる。だから断る必要がないだけだ」
「あんたってさ……」
速水はしばらく目を細めて、呆れたように苦笑した。
「ストイック過ぎて、若干引くわ」
その割に、どこか速水は楽しそうに見えた。
「ありがとう。なら、お言葉に甘えさせてもらう」
「そうしな」
微笑み合って、俺達は二人揃って部屋を出た。
階段を下りながら、俺は覚えたての地図アプリを開いて、向かうスーパーの場所を速水に聞いた。
「ここよ、ここ」
速水が指さしていたスーパーは、ここから十分ほど歩いた先にあった。アパートを出て、すぐに左折するそうだ。
俺は地図通りに歩き始めようと、アパートを出て左に曲がろうとした。
「ちょっと、こっちから行きましょう」
「え」
しかし、速水は何故だが真逆のルートからスーパーに行くつもりらしかった。
「地図だとあっちの方が早いぞ」
「そうだけど、あえて遠回りしましょうよ」
「なして?」
「知らない道歩いて行った方が、この辺の地理感掴めるようになるでしょ」
「おお、あんた賢いな」
「ふふん。それほどでもあるよ」
速水は自慢げに胸を張っていた。
「それに、あんたともう少し喋ってみたかったんだよね」
しばらくして、速水は言った。
彼女の方を見れば、速水は少し照れくさそうにはにかんでいた。
「あんたって、気付いたら庭で素振りしてるか、ランニングに行って道に迷ってるじゃない」
「失礼な。昨晩と今日は迷わなかったぞ」
あれ、昨晩は未遂だったか。まあいいや。
ムッとして訂正を要求すると、速水はおかしそうに笑っていた。
「怒んないでよ」
速水は俺を諭して、続けた。
「そういうわけで、今のこの時間みたいに、あんたとゆっくり話せる時間ってあんまりないじゃない」
「そうかなあ」
「そうよ」
「そっか」
俺は、あっさりと言い含められていた。
「それにさ」
速水は、再び少しだけ照れながら続けた。
「ただ同居してるから、あんたのこと知りたいって思ったわけじゃないよ。むしろ、ただの同居だったら早く終われーって思ったと思う。
だけどあんたさ、お馬鹿で方向音痴でマイペースな割に、我が強くて几帳面で協力的じゃない。普通、誰もが嫌がるようなことも積極的にしてくれるし。そんなあんたのことを見てたらさ……」
速水はこらえきれなくなったのか、噴き出して、再び続けた。
「あんたとは、意外と仲良く出来そうだって思ったよ」
速水の台詞は、いつかの俺の台詞と重なった。
俺は、少しだけ微笑んで、
「気色悪いこと、言わないでくれるか」
いつかの彼女みたいに、そう言った。
「ひっどーい。冷たい男だー」
速水は大層楽しそう笑っていた。
「もっと教えてよ。あんたのこと。同居生活が終わってもさ。学校でも、同じアパートでも、あたし達は顔合わせる仲になるんだからさ」
そうだな。
この同居生活の終わりが、俺達の別れ、というわけではないんだよな。この同居生活はわずか一週間。今日は、もうその三日目。
この二日もあっという間に終わったように、残りもあっという間に、この同居生活は終わっていくだろう。
「わかった」
であれば、俺達が思っているよりも、俺達の残りの関わる時間は短いのかもしれない。話せる内に話した方が、きっと良い。
「ただ……」
ただ、だから。
だからこそ。
「俺にも、お前のこと、もっと教えてくれよ」
一週間の制約のせいで、突貫工事みたいな急ピッチで二人が仲良くなっていく。




