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どうして断ったのか

 速水は何故か、口走った後に涙目になって俯いた。なんだか後悔だとか、切なさだとか、色々な表情が彼女の顔からは見て取れた。


 今更ながら、この同居人に入江さんへの返答を教えていいのか、と俺は戸惑った。最早ここまで包み隠さず話しておきながら、やっぱり俺はまだ、勇気を振り絞ってくれた入江さんの行為を軽はずみに伝えることを躊躇ったのだった。


 とはいえ、このまま何故か落ち込む同居人を放っておくわけにもいかなかった。


「誰にも言うなよ」


「……うん」


 今にも掻き消えそうな速水の声に、俺は大きなため息で返事をした。


「断った」


 速水はしばし、目を思い切り閉じて唇を必死に噛み締めて、何かを堪えるような顔で俯いていた。

 

 真実を咀嚼し終えると、速水は途端に目を丸めて顔を上げた。



「は?」



 先日球場で会った時にふざけた時よりも冷たい返事が返ってきた。


「だから、断った」


「どうして?」


「どうしてって……断ってほしくなかったのか」


「そ……そういうわけじゃなかったというか……断ってくれていて良かったと言うか」


「なんだそれ。それじゃああんたが俺のこと好きみたいじゃないか。アハハ!」


 まったく、それこそ面白くもない冗談だ。

 そう思って笑っていたら、一層冷たい目で速水に睨まれた。なんだ、こいつ。一体全体どうしたというのだ。


「……でも、やっぱり不思議。哲郎、どうして断ったの?」


「いや、今更ながら根掘り葉掘り教えることでもないだろう。というか、なんでそんなに不思議がる」


 今更な文句を言いながら、俺は咎めるように言った。


 速水も多少は良心が痛んだのか、それきりしばらく俯いた。


「だ……だって……」


 とはいえやっぱり納得出来なかったのか、もじもじしながら速水は続けた。


「入江ちゃん。学年でもかわいいってことで、凄い有名だし。お淑やかだし。いつも丁寧だし……几帳面だし」


 なんでそんなに几帳面なことを言う時、悔しそうなんだよ。


「真面目だし。面倒見もいいし。配慮も出来るし。……ほらやっぱり、凄くいい子じゃん。そんな子の告白を、どうして断ったのよ」


 女子のコミュニティーは良く知らないが、まあなんというか。入江さんのことをよくご存じで。

 そんな皮肉めいたことを言ってやりたくなったが、そんなことを言ったらまた怒りそうだと思って、俺は言わなかった。


 そして、ふと思った。


 多分このまま、断った理由をまともに言わないのも、彼女はきっと怒るのだろう。


 ……なんとなく。

 数か月の同居生活で、笑い合い、怒り合い、ふざけ合い、生態調査をしたり、そんな色々な出来事を通じて知った彼女の性格を鑑みると、彼女は多分、怒るだろうと思った。




「面白くないだろう。恋に現を抜かして、折角ここまで頑張ってきた野球をおろそかにするのは」




「うわあんた、そんなこと言って入江ちゃんを振ったの? 入江ちゃん可哀そう……」




 どっちにせよ怒るんかい!


「あー、断ったよ。そういう理由で断りましたー」


 なんだか面倒になって、俺は気だるそうに続けた。


「入江さん、それでも俺のためにって言って、家事でもなんでもしてあげるって言ってくれたけど、ルーティーンの邪魔をするなって断った。

 断りましたー。

 野球の障害も欲しくなかったし、生活の障害も欲しくなかった。

 だから断りました。悪いですか。文句ありますかー」


「なんで拗ねてるのよ」


 真面目に語ったら部外者に怒られたからだよ。


 まったくこの女、面倒臭いことこの上ない。


 ただまあ……少しでも機嫌を戻してくれたのなら、良かった。代わりに俺の機嫌は損なわれたが、それは俺が我慢すれば済む話だしな。


「入江ちゃん、やっぱりなんでも出来るんだー」


「そうみたいですね」


「ねえ、哲郎?」


「なんだよ」


「哲郎、ルーティーンの邪魔をしないで欲しいから断ったって言ってたけどさ。あんた料理出来ないじゃない?

 どうして料理を作ってもらおうって思わなかったの?」


「はあ?」


 何言っているんだ、こいつ……。




「そんなのあんたが作ってくれるからに決まっているだろう」




 この同居生活は一度終わったことがあった。

 だけど、再び始まった。この同居生活は、初めの契約ミスによるところで続いている同居生活ではない。

 いつか母にも言ったように、この同居生活は互いの都合が合致したから今でも続いている。


 俺は、彼女の料理を食べるために今でもこの同居生活を続けている。望んで続けている。


 速水は、何故か茹蛸みたいに顔を真っ赤にして俯いていた。


「……て、哲郎?」


「なんだよ」


「本当はそんなこと、言われたくないと思って言うんだけどさ。……別に、あたしじゃなくてもいいんじゃないの?」


「はあ?」


「ご飯を作ってくれる人は、あたし以外の人でもいいんじゃないの?」


「何言ってんだよ、あんたじゃなきゃ駄目に決まってるだろう」


 唸りながら一層顔を赤くして、速水は少し縮こまった。


「な、なんで?」


「なんでってそりゃあ……」




 はて、なんでだろう?

 えぇい、まだるっこしい。




「俺がそうしたいからじゃ駄目なのか」


「あぅぅ……」



 今度は、あわあわしだした。端から見ている分には面白いな、こいつ。


「なんだよ、駄目なのか?」


「い、いえ……駄目じゃないと思います」


 ならいいじゃん。この話、もう終わりだな。


 俺がそう切り上げるよりも早く、速水はまるで居た堪れないといった感じにコンロの鍋の方に居直った。


「ご、ご飯よそるから」


「え、ああ。頼んだ」


 一体どうしたというのだろう。年ごろの女というのは、やはりわからん。


「あいたっ」


 しばらく慌てふためいて作業していた速水は、突然痛がった。


 あ、忘れてた。


「破片で切ったか?」


「ひゃっ」


「は?」


 慌てて速水の手を握って確認すると、速水が声をあげた。慌てて顔を見ると、目を逸らされた。何故だ。


「ちょっと切っただけだな。絆創膏取ってくる。掃除機も。待ってろ」


「う、うん」


 リビングにあるクローゼットを開けると、


「て、哲郎?」


 俺を呼ぶ声が聞こえた。


「なんだよ」


「あ、ありがとう」


 何に対するお礼かは、俺は聞かなかった。

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