スマホを使いこなすことは、中々難しい
速水の作ったご飯はやはり美味だった。さすが将来の夢、シェフである。
ご飯を食べた後、俺は少しだけ休憩を挟み、ランニングへ出かける準備を始めていた。
「ちょい」
そんな俺に声をかけたのは、同居人速水だった。
「何か」
「あんた、さっきの話もう忘れたの?」
「何だったか」
速水は大きなため息を吐いていた。
「スマホの地図アプリの使い方、教えるって言ったでしょ。こんな時間から迷子になる気?」
「そういやそんな話あったな」
俺は手を叩いた。ご飯を食べるのに夢中なあまり、俺はそんな話記憶の外へと弾き出していた。つまり、美味なるご飯を作る速水が悪い。責任転嫁である。
「なんか失礼なこと考えてない?」
速水は目を細めて言った。
「鋭いな」
「……まあ、いいけど。ほら、スマホ出して」
「ん」
言われた通り、俺はスマホを速水に差し出した。
「ん」
速水は俺のスマホを受け取ると、
「あんた、ロックかけてないんだ」
呆れたように言った。
「かけかたわからん」
「あ、そう。パスワード忘れそうだし、ロックはかけないでおく。わかってると思うけど、スマホは個人情報の塊なんだからね。失くしたらダメだよ」
「おいおい、あんた俺を何だと思ってるんだ」
「二日で二度も迷子になる高校生」
「まだ入学はしてないからセーフ」
「余裕のアウトでしょ」
速水は頭を抱えて、再び大きなため息を吐いていた。
「で、地図はどうやればいいんだ」
「ああ、そういう話だったね。えぇと、ね」
速水は俺のスマホを手慣れた指捌きで操作した。画面にある逆涙型のマークを、速水は指さした。
「これ。これがマップのアプリだよ」
「へえ」
「ほら、押してみて」
「ん」
画面を押しこむと、スマホの画面が地図に切り替わった。
「青いマークが現在地ね」
速水はスマホの画面を指さしながら説明してくれた。
「で、自宅をここに登録しておくから。もし今晩のランニングで道に迷ったら、スマホをタップして周辺を見回して。で、この自宅ってマークがある場所目指して帰ってきて」
「なるほどなるほど。わかった」
生きの良い返事をすると、速水はまるで俺を信用していないように目を細めていた。
「なんだよ、これくらい、俺だって出来るぞ」
本当、人を馬鹿にするのも大概にだな。
文句の言葉を考えている内に、速水は再び大きなため息を吐いて、スマホを操作し始めた。どこからか、自分のスマホも取り出していた。
「はい」
二つのスマホを振ったかと思ったら、速水はようやくスマホを返してくれた。
「チャットにあたしの番号登録したから。何かあったら電話して」
「ああ、はい」
なんだか庇護対象にされている気分で、あまり嬉しくない。
「さて、そろそろ走りに行った方がいいんじゃない。出る時間が遅くなったら、その分帰ってくる時間が遅くなるんじゃないかな」
「そうだな」
ポケットにスマホを突っ込みながら、俺は立ち上がった。
「今度、ランニング用ポーチ買い行きましょうか。その入れ方、危なっかしい」
「そう? じゃあ、そうしよう」
なんだか至れり尽くせりだな。哀れみの目で見られている気がするのは置いておけば。
「じゃあ、行ってくる」
「うん。行ってらっしゃい」
簡素な会話を残して、俺は部屋を出た。
四月二日。相も変わらず、外はまだ肌寒い。
一瞬、寒さで鳥肌が立ったが、手早く準備運動をして走り出すと、すぐに体は熱くなってきた。
そうしてしばらく走って……。
「あれ」
ここ、どこだろう。
まさか、三度目のなんとやらか?
「おっ、そうだった」
俺はポケットに仕舞っていたスマホの存在を思い出して、一度立ち止まりスマホを起動した。そして、速水に教えられた通りにマップを起動した。指で画面をスライドすると、地図がクルクル回ったり、移動したりした。
「お、ここか」
自宅のマークを見つけた俺は、少しだけ嬉しい気持ちを覚えつつ、自宅へ向けて移動を始めた。結構、ランニングをしていたらしく、大体十キロくらいの距離がある。
道を確認しては走って、道を走っては地図を確認して。
そんなこんなで、無事家に辿り着くことが出来た。
「ただいま」
扉を開けると、部屋の中は静かだった。
不思議に思いつつ居間に入ると、机に突っ伏して寝ている速水を見つけた。
俺は頭を掻いた。
つい先ほど、彼女もすっかりと俺の存在に慣れた、とか思ったが、思えば俺と彼女はまだ出会って一日と少し。それにも関わらず、昼食にスマホの使い方と、色んなことで彼女には心労をかけていたのかもと思い始めていた。
そのせいで、彼女も疲労が溜まり、こんなところでこんな態勢で寝たのかもしれない。
俺は彼女の布団を敷いて、彼女を抱えあげた。
彼女は、まるで羽のように軽かった。
人間一人を軽いと思えるほど、俺は日々の鍛錬で鍛え上げられたのだな(感涙)。
彼女を布団に降ろして、
「ありがとうな」
俺はお礼を伝えた。
ありがとう。
あんたのおかげで、俺はまた一つ自己の成長を感じられた。
そうして歓喜していた俺は、台所のシンクの存在を思い出した。
お昼同様、そこには食器が積まれていた。
「誰かさんは洗い物してくれるし、か」
一食の恩、というわけではない。
むしろ、彼女に感じた恩は既に計り知れない。それこそ色々と。
ならば、食器洗いくらい、やってやるのが筋ってものだろう。
蛇口から流れる水は冷たくて、走ってきたせいか少し熱に浮かされた俺の気持ちを落ち着かせてくれた。
そうして、この一週間の同居生活の二日目は終わりを告げた。




