担任の知る同居人
先日の一件以降、深入りは危険と判断した俺は、速水の身辺調査を一時中断していた。彼女の交友関係は、俺には知らないこともまだ多く、首を突っ込めば突っ込むほど、どこから速水に俺の行いがバレるのかわかったもんじゃなかった。
「武田君。高校生活は思っているよりも長くないんだよ」
ただ、そんな俺に喝を入れるような台詞を宣う連中がいた。
安藤や広末さん含む、速水仲良し女子連中だった。
特に安藤は、隣の席という関係も相まって、暇さえあれば俺に人生観を説いてくれた。実になるような話も多かったが、あんたはどうなんだと思ったら、やる気は盛り上がるどころか盛り下がっていった。
「三年あるだろう」
だから俺は、反論をすることにした。
「三年なんてあっという間だよ。三年あれば、贔屓のチームのスタメンもほぼ変わるでしょう?」
「そういえば、あんたの贔屓のチームの大砲も、今年からメジャー挑戦だっけか」
「そうなの。凄い寂しい。好不調はっきりしていて、ヤキモキする時期もあっけどさ。なんだかんだこの五、六年チームを先頭で引っ張ってきたのはあの人だったんだもんね」
「だけど俺、今年から取ったタイラーには期待しか感じないぞ。あんな強靭な筋肉を、俺もほしい。基本、外野は粒揃いだからな。枠自体は埋まる気がする」
「そうだね。新キャプテンも、ここまでは好調だしね」
反論した拍子に野球談義になってしまった。
女の野球ファンとは如何ほどのものかと思っていたが、どうにもこの安藤という女、彼女の家系同様、熱心な野球オタクらしい。
まあそんなことはどうでも良くて、とにかく俺は、速水の生態調査を続けるかを悩み耽っていた。
それはもう、とてつもなく悩み耽った。
どうしてそこまで知りたいのかと言われれば、上手く説明出来る気はしないし、自分の感情もまとまっていないが、とにかく悩んだのだ。
その結果俺は、
「ということで、武田。今日中に宿題まとめて俺ん所に持ってくること」
宿題を忘れて、須藤先生から叱られていた。
弁明はあった。
速水という同じクラスの同居人がいるが故、昨晩俺はキチンと宿題をこなしてから、いつもの自主トレに耽ったのだ。
だけど、運悪くその宿題を鞄に仕舞い忘れて、こうなった。須藤先生は、意外とこういうところに厳しかった。
「チクショウ」
放課後の教室、一人虚しく宿題をする自分が酷く惨めに感じた。
帰り際、安藤達は「凛に手伝ってもらったら」とまるで妙案でも思いついたように俺に宣った。
だけど、俺はその妙案を無下にし、一人で宿題にあたっていた。完全なる自分の都合で彼女の手を煩わせるのは、いつかも思ったがやはり気が引けた。
俺はあの人より早く家に帰ったことがない。
野球強豪校の部活はやはり拘束時間が長く、調理部やバイトに勤しむ彼女よりも、それが長くなっているためだ。
それを嫌だと思ったことは一度だってない。
その時間は、俺にとってはパラダイスみたいなものだから。
だけど、ならば速水にとっても、部活やバイトに勤しんでいる時間はパラダイスなのではないだろうか。
そんな大切な時間、俺が奪うわけにはいかないではないか。
多分、手伝ってもらうことに気が引ける理由は、こんなところだった。
赤い夕日が、教室の机や椅子を赤く染めていた。
俺の伸びた影は廊下側の壁にまで伝っていて、どこか不気味だった。
思えば、一人でこの時間まで教室で勉強しているというのは始めてだった。
喧騒とするグラウンドに混じらず、教室からそれを見下ろすことも、入学して以来始めてだった。
……グラウンドで練習をしている野球部の連中を見ていたら、急に体が疼いてきた。練習をしたくてしょうがなかった。
「……やっぱり、速水に手伝ってもらえば良かったかもな」
そうすれば、いつも通りの時間から練習に混じれたかもしれない。
そうお願いすれば、速水はいつかの赤点回避の時みたく、どこか嬉しそうに俺を手伝ってくれたかもしれない。
そうすれば、俺は今日も楽しい一日を送れたかもしれない。
「俺、あいつに甘えてばかりだな」
「誰に甘えてばかりだって?」
「どわひゃあっ!」
突如背後から声をかけられて、俺は飛び上がった。振り返れば、須藤先生がいた。
「どうしたんですか。びっくりした」
「びっくりしたのはこっちだ。お前の様子を見に来たんだよ」
「……ああ」
納得しながら、俺は手元の宿題に視線を落とした。
「なんだよ、あと一問じゃんか。早く解けよ」
進捗具合を確認した須藤先生は、どこかホッとしたように言った。
「誰かに甘えるどうの言ってたから、まったく進んでないかと思ってヒヤヒヤしたよ」
「ごめんなさい」
「そうだぞ。あと、宿題は自分だけの力でやらなきゃ、自分のためにならないからな。先生も、何もお前達が嫌いで宿題出してるわけじゃないんだからな」
「じゃあ、何故?」
「そりゃあ、仕事だからだよ」
「……もっと熱い言葉が来ると思ってた」
そう呟くと、須藤先生は膝を叩きながら笑っていた。
「そういうの、嫌がる子も多いからな」
「そうなんですか?」
「おう。特に女子とかからは度々クレーム言われるぞ」
「へぇ。意外と色々あるんですね」
「そっ、色々あるんだ。それでもお前達のことちゃんと見ないといけないしで、結構本当に、色々考えさせられるよ。
ただまあ、嫌いじゃないから続けられてる」
「そうですか」
こうして担任と一対一で雑談するのは、多分初めてだった。
須藤先生のこと、俺はこれまで断片的にしか知らなかったことを、実感されられていた。
そして、思った。
この人には、自分が担任をする生徒は、どう見えているのだろう、と。
「最後の問題も解けたみたいだな。よくやった。部活行っていいぞ、頑張れよ」
「ありがとうございます」
お礼を言ってから、俺はしばし黙った。
やはり俺は、知りたかったのだ。
この先生から見て、クラスの連中はどう見えているのか。
「……先生。先生から見て、速水はどう見えますか?」
速水が、どう見えるのか。
「ん? 何、武田、速水のこと好きなの?」
「はい」
友達として。
「うはー。若いなー。若いっていいなー」
須藤先生は身に沁みたように言った。
しばらくして、
「良い生徒だと思うよ」
須藤先生は言った。
「成績優秀。美人。友人も多い。無遅刻無欠席。サボりもしない。クラス活動にも率先して参加する。どう見ても、模範的な生徒だ」
「そうですね」
「ただ、一つだけ文句をつけるところがあるとすれば……」
須藤先生は、天を仰いで続けた。
「部活に入ってないことが勿体ないな」




