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六畳一間の共同生活の始まり

 ため息を吐いて、引っ越し業者が渡してくれた段ボールを端に寄せた。段ボールの中身は、生活必需品を除きほとんど出さなかった。


「部屋が空いたら、あなたが向こうに行ってくれるでしょ」


「わかった。それでいいよ。面倒だし」


 という速水とのやり取りがあったから、どうせまた荷物を運ぶ手間を考えると、必要以上に段ボールを開ける気にはならなかった。


 部屋の内装は、侘しいものだった。

 

 備え付きのIHの電気コンロと洗濯機。そして冷蔵庫。居間には一九インチのテレビと小さな机しか置かれていなかった。

 ……侘しいと思ったが、これはどうやら、居住者の問題らしい。


「簡素な部屋だな」


「何よ、ケチつけるつもり?」


「そうだよ」


 速水は頬を膨らませていた。初めて会って以降、彼女とのコミュニケーションは上手くいっている気がしない。同い年の女子という人種は、どうも苦手だ。


「布団敷いたら、部屋が一気に狭くなるな」


「あんた、廊下で寝てよ」


 不機嫌そのままに、速水は横暴な態度で物を言ってきた。


「わかったよ。どうせ一週間だし構わない」


 面倒だから、それに応じた。

 速水は本気にすると思っていなかったのか、目を丸めていた。


「じゃあ、俺練習してくるから」


 そんな初対面の速水との会話もそこそこに、俺は開けていた段ボールからジャージを取り出した。


「練習?」


「ああ、走り込み」


 しばらくポカンとした速水だったが、俺がジャージを取り出したことに気付いた辺りから、頬を染め出した。


「ちょっ、ここで着替えないでよ?」


「え、ああ。そうか」


 確かに、人目も憚らずにこんなところで着替えるわけにはいかない。人の目があるということに、少しは気を付けないといけないな。


 ユニットバスの風呂場に入り、俺は手早くジャージに着替えた。


「じゃ、行ってくる」


 速水からの返事はなかった。まあどうせ一週間の付き合いだし、それでも別にいいかと思った。


 それから俺は、初めて訪れる地を巡りながらランニングを行った。まだ外は少し肌寒かったが、しばらく走ったら体は段々とポカポカしてきていた。


 しばらくすると、すっかり平常心でのランニングを行っていた俺は、ぼんやりと現状を鑑みていた。


 まさか同級生と同居することになるとは。人生何があるかわからないものだな。一週間の付き合いとはいえ、その間はオチオチ居間で着替えも出来ないと思うと億劫だなとも思った。


 そうして、どれくらい走っただろうか。

 考えに耽るあまり、周囲を見回して、俺は気付いた。


「……迷った」


   *   *   *


 荒れた息を整えながら、俺は部屋の扉を開けた。外はすっかりと真っ暗だった。こんな時間まで走りこむつもりはなかったのにな。


「ただいま」


「うひゃあ!」


 声を出した途端、どこからか叫び声が聞こえた。


「ど、どこまで行ってたのよ」


 多分、風呂場の方だった。声色からして、この部屋の同居人の速水のものだろう。


「わかんない。道に迷った」


「道に迷ったって。何やってるんだか」


「正論過ぎて何も言えない」


 風呂場から、くすっと笑い声が聞こえた。


「ごめん。一旦部屋から出てくれない?」


 そして、速水が俺に言ってきた。


「なんで?」


「あたし、今お風呂入ってるの」


「わかってる。そこから声聞こえるし」


 それきり、速水はしばらく黙りこくった。よくわからず、俺は首を傾げていた。


「えぇとね」


 しばらくして、ようやく速水は語り始めた。なんだかとても言い辛そうな声だった。


「あんたが帰ってこないから、あたしすっかり油断してたの」


「油断?」


「き、着替え」


「着替え?」


「だから、着替え居間に置いたままお風呂入っちゃったの!」


 大声で怒られた。


「ああ、そういうこと」


「そっ。だから、一旦出てよ。出ないとケーサツ呼ぶから」


「わかったわかった」


 話を聞いたら、なんだかとてもあほらしくなった。


「ちょっと待っててくれよ。バット取ってくるから」


「バット?」


「外で素振りしてる」

 

 リビングで一段と大きな段ボールを開けて、中にあるバットケースを開き、俺は黒色の金属バットを一本取り出した。


「風呂出たら呼んでくれよ」


「わ、わかった」


 そのまま部屋を出て、俺はアパートの庭で素振りに明け暮れた。バットの軌道を確認し、フォームを確認し、汗を滴らせながら、俺はそれに明け暮れた。


「武田」


 その途中、背後から誰かに呼ばれた。

 振り返れば、そこにいたのは速水だった。


「お風呂、出た」


「わかった」


 タオルで汗を拭うと、タオルが水分で重かった。


「……野球部入るの?」


「おう」


「そうなんだ」


 速水は、ジャージに半袖Tシャツという軽い出で立ちだった。冬が過ぎたばかりのこの季節では、少し寒いのではと心配になる服装だった。


「ウチの野球部、結構強いらしいね」


「うん」


「練習も厳しいらしいし」


「うん」


「……どうして、一人暮らしなんてするの?」


「え?」


「だから、どうして一人暮らしなんてするのよ。練習厳しい野球部だよ? 普通、自分の世話までしなくちゃならない一人暮らしなんてしないでしょ」


「……ああ、そういうこと」


 再び素振りをしながら、俺は続けた。


「俺の親。今年から海外赴任になったんだ」


「どこに」


「中国、上海」


「百万ドルの夜景ってやつね」


「そう。俺も、実はこの前両親についていって旅行してきた。綺麗だったよ」


「……いいなあ」


 速水は、大層羨ましそうに言った。


「で、俺が一人暮らしをする理由だっけ。まあ大したことじゃないよ。海外赴任する父さん、結構ズボラでさ。母さん的には、自分の血が流れて結構几帳面な俺より、ズボラで危うい父さんの方が心配だったわけさ。だから付いていった。

 で、ウチの学校は野球部の寮がない。だから、こうして一人暮らしをするほかなかったってわけさ」


「だったら、全寮制の野球部のある学校に行けば良かったじゃない」


 俺は黙って、黙々とバットを振った。

 しばらくして、速水はどうしてよと言って、首を傾げた。


「……頭が悪いんだよ」


「え?」


「だから、頭が悪いの。仕方ないだろ。小さい頃から野球にハマって、ずっとそれだけして生きてきたんだからっ」


 速水は最初目を丸めていたが、しばらくすると高笑いを始めた。


「近所迷惑だぞ」


 恥ずかしさを隠すように、俺はそう野次りながらバットを再び振り始めた。


「ごめんごめん。そっか。頭が悪いんだ。頭が悪いんじゃしょうがないね。クックックッ」


「連呼すんな」


 いくら咎めても、速水は笑うことをやめる様子はなかった。

 しばらくそうして、速水は突然豪快なくしゃみをかました。丁度、冷たい風が吹いたタイミングだった。


「この季節にそんな恰好してるからだぞ」


「そうだね」


 俺はため息を吐いて、素振りをやめた。


「そろそろ俺も、風呂入ろうかな」


 速水の隣を横切るついでに、羽織っていたジャージの上着を彼女の肩にかけた。


「……汗臭い」


「喧しい」


 速水は、再びクスクスと笑い出した。そんな彼女のことを気にも留めず、俺は階段傍まで近寄っていた。

 鉄骨の階段を昇る足音は二つ。


 振り返れば、


「ま、悪くないかな」


 速水は肩にかけてある俺のジャージの袖を握りしめながら、俺の後ろを歩いてきていた。


「そう」


「うん」


「……あんたは?」


「え?」




「あんたは、なんで一人暮らしなんてすんの?」


 

 再び、強めの風が吹いた。桜が芽吹き始めたこの季節、まだまだ残寒の様相は拭えないけれど、もうしばらくすれば、春が訪れる。

 それが、今までにない青い春になる気がするのは、俺の気持ちがなんだかんだ、新天地で浮かれているからなのかもわからない。


 今、後ろにいるこの子はどうなのだろう。


 この子は、どんな生活をこれから送っていくのだろう。一週間の関係とはいえ、そんな気持ちを抱かされた。


 彼女は……。


「一先ず、お風呂入ってきなよ」


 俺をはぐらかすように、微笑んでいた。

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