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等身大の同居人

「ただいま」


 明かりの灯った部屋に戻ると、室内はいつにもまして静かだった。鍵は掛かっていなかったので、速水はいると思うのだが。


「あ、おかえり」


 少しばかし不思議に思いながら居間まで進むと、速水はテレビを見てのんびりとしていた。そろそろGWも終わり、最近少しずつ暑い季節になってきたからか、どこか無防備と思わされる薄着のTシャツにショートパンツという出で立ちだった。


「今日はありがとうな」


「ううん。あたしも、結構面白かったから。試合には負けちゃったけど」


「あー、そこは確かに残念だった。まあ、本番で勝てば、それでいいだろう」


「うん。そうだよね、うんうん」


「……あんた、夕飯は友達と食べてきたの? そうなら、俺これから弁当買いに行くけど」


「え……、あ、もうこんな時間か。ううん。食べてきてない。だから、すぐ作るよ」


 どうも、今の速水の様子には違和感を覚えさせられた。心ここにあらず、というか。


「なんかあったの?」


 速水が慌てて立ち上がる拍子に、俺は尋ねた。

 途端、速水は動きをピタっと止めた。


「……目、瞑ってもらえる?」


「はあ?」


 こちらを振り向いた速水は、真剣な眼差しで俺に言ってきた。俺は意味がわからず、声を荒げた。


「なんで?」


「……ダメ?」


「いや、ダメってわけじゃ」


「じゃあ、お願い」


 甘えるようにねだる速水に、俺は断りきることが出来なかった。

 何をされるかという恐怖を胸に抱きつつ、渋々目を閉じた。


 暗闇の中、速水の気配だけを肌でぼんやりと感じていた。

 足音が鳴った拍子に、その気配が近づいてきて、敏感になった頬に何か温かい物が触れた。


 しばらくその温もりを感じて、それが手だとわかって、俺は異様な羞恥を抱えた。


 何をされるのだろう。


 疑問に思っていると、


「いってぇ!」


 思いっきり、頬をつねられた。


「何するんだいっ」


「ご、ごめん。やっぱりあんた、武田だよね」


「はい?」


 一体、どこにそこを疑う余地があるのか。


「……ってことは、さっきのホームランを打った人も、武田なんだよね」


「はい。そうです」


「あんな凄そうなピッチャーから、ホームランを打てる凄い人が、武田なんだよね」


 そうなのだが、及川との一件もあり、素直にそうだぞと言うのは癪で、俺は黙った。


「……初めて。初めて、ね?」


「うん」


「君のこと、遠い存在だと思ったの」


「遠い? 吐息を感じるくらいの距離にいるだろ、今の俺達」


 恥ずかしげもなくそういうと、速水は頬を染めて、一歩後ずさった。


「忘れて」


「うい」


 しばらく速水は俯いていたが、何かの拍子に、突然笑い出した。


「君が異常なまでにストイックなのは知ってたのにね。君が自惚れない、謙遜しない男だってのは、知ってたのにね。

 君のファン第一号だったのにねっ。


 まさか、君があんなに凄い人だとは、思わなかったの」


 速水は苦笑していた。 

 そういえば、俺が試合観戦を速水に依頼したのは、俺がオオカミ少年じゃないと彼女に証明することだったな。

 つまり、当初の目的であるそれは見事達成できたわけだ。


 これも、また一つの実績の形、なのだろう。


 また一つ結果を残せたことが嬉しかった。



 だけど、


「もっと凄くなるよ、俺」


 やっぱり、俺はもっと高みに昇って行きたかった。


「そっか」


「おう」


「君、本当にさ。ストイック過ぎて……」




 引く。


 いつも通り、そう言われるのだろうと思っていた。

 だけど、今日の速水はどこぞのストイック馬鹿のせいで少しおかしかった。


 俺に対して向ける視線は、まるで羨望を抱いているように見えた。

 俺に対して戸惑う姿は、尊敬の念を感じているように思わせた。




「凄い尊敬する」


 速水は言った。純度百パーセントの誉め言葉を、宣った。

 今までも、速水は度々俺を褒めるようなことを宣ったことはあった。だけどそれは大抵、どこか皮肉とか茶化しとかが入っていた。


 だからだろう。


「む、むず痒いから止めてもらっていいか?」


 褒めてくれるのは嬉しいが、体が受け付けなかった。


 速水は、


「何よう。人が褒めてあげてるのに」


 怒った。


「ごめんごめん。だけどさ、俺別にあんたに褒めてもらいたくて試合に呼んだんじゃないからな。俺はただ、あんたの中の俺の評価を正したいと思っただけなんだ」


「うん」


「だから、別に遠い存在になったわけでもないし、俺は何も変わらない。変に身構えられると、同居初日よりも緊張して、居た堪れなくなるから止めてくれ」


「何よ、それ」


「別に笑かしたくて言ってるわけじゃないからな」


「わかってる」


 速水は呆れたように言って、苦笑した。


「そうよね。わかってる。わかってたのよね。

 あんたがお人好しなことも。あんたが野球馬鹿なことも。自惚れないことも。謙遜しないことも。掃除好きなことも時々急に年相応になることも。

 この同居生活で、思えば全部知っていたんだもんね」


「そういうこと」


「うん。君は等身大の君だよ」


 凄い人、と言われたことは嬉しくないわけではない。

 だけど、凄い人と一口に割り切られて、距離を置かれるなんてたまったもんじゃない。


 少なくとも、速水に対してだけはそうなってほしくはなかった。


 なんでそう思ったのかは、イマイチ上手く説明出来る気がしないけども。


「本当、君は面倒な人だ」


「喧しい」


 陰鬱げな俺の言葉を聞いて、速水は笑っていた。ようやくいつもの調子を取り戻したように見えた。


「ご飯、急いで作るから」


「悪いな。もうお腹ペコペコだ」


「うん。先に汗、流してきなよ」


 速水に提案されて、俺は風呂場に着替えを持って入っていった。熱めのシャワーは心地よく、一日の疲れが取れるような錯覚を覚えさせていた。




 シャワーを浴びながら、俺はふと速水との現状を考えていた。


 一つの手違いが原因で、俺達は同居することになり。色々な都合から、今でもそれを続けている。

 まだ数か月という間柄のせいもあり、今日みたいな錯覚だとか誤解だとかの類のいざこざも後を絶たない。


 それでも、平穏無事に俺達の同居生活は過ぎていく。


 互いが目指す舞台へ向けて、一歩一歩確実に、一緒に昇っていっているのだ。



 ピンポーン



 そんな俺達に、来訪者がいた。


「はいはーい」


 シャワー上がり、バスタオルで体を拭いていると、速水の声が廊下から聞こえた。どうやら応対に向かってくれたらしい。


 鍵を開けて、扉を開けた頃、俺も服を着始めていた。


「どちら様でしょうか?」


 速水の快活そうな声が聞こえた。


「どちらじゃないわよー。……て、あれ?」



 相手の女性の声も、また快活な声だった。


「……ん?」


 Tシャツに袖を通しながら、その声が脳裏で反芻された。


 ……あれれぇ? なんだか今の声、聞き覚えがあるよう……な。


「あら? 部屋、間違えたかしら?」


 来訪者が困惑する声を上げた頃、俺は風呂場の扉を壊しそうな勢いで開けた。




 玄関で俺が見たのは。


 困り顔をしている速水と。

 大きな音に驚いてこちらを見ている、来訪者だった。


「あれ、あれあれぇ? えー、ちょっと待って。そういうこと? そういうことなのー? ちょっとやだー」


 来訪者は、俺と速水の声を交互に見て、どこか楽し気に頭を抱えていた。


「た、武田さん? この方、ご存じ?」


「はい」


 困惑気味の速水の問いに、俺は断腸の思いから敬語で同意した。


「……母です」


「そうですか」


 速水は、納得げに頷いた。


「ちょっと、哲郎。なになに。この可愛い子、あんた、こんな子連れ込んで何してるのよ!」


「な、何って……」


「あーいい。言わなくてもわかるから」


 母は聞いてきたくせに、俺に黙るように制した。


 そしてこの流れ、母は恐らく、いいやまず間違いなく、誤解している!


「ゼクシィ、買ってくるわね」


「違いますっ。お母さん!」


 母の洒落はよくわからなかったが、慌てる速水は中々に新鮮で、等身大の彼女っぽくて、なんだか面白かった。

これはラブコメ

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