同居生活、また始めました!
ほぼ2話連続投稿
放課後、俺はグラウンドでいつも通り野球部の練習に勤しんでいた。
体験入部を始めて、先輩達とも一緒に練習するようになって、早一週間が経とうとしている。
「くそがっ」
背後から前川の苛立ち交じりの叫び声が聞こえていた。
我が校野球部定番の学年別のポール間走。毎日のように行われるこの練習だが、俺はこの競争で毎回当然のように勝利を収めている。そんな今日の俺の餌食になったのは、前川だ。
あの日の対戦以降、前川の俺に対する視線は非常に鋭かった。いや、あの日も軟式糞野郎的な意味で鋭くはあったのだが、今はどちらかと言えば、ライバル的な視線で、熱くたぎる視線を俺に寄こし続けている。
とにかく事あるごとに、前川という男は俺に勝負を挑んでくるのだ。
勿論、端から一蹴しているが、この男、とにかくしつこい。いくら負かせど負かせど、諦め悪く絡んでくるのだ。
まったく……。
面白くってしょうがない。
こういうのを、俺は待っていた。
名門シニア出身で、客観的に見てもこの男はエリートこの上ない。
そのエリート相手にしのぎを削り、成長していく。
それも、大好きな野球においての成長だ。
これが楽しくないわけがない。
「お、覚えておけよ」
息を切らしながらそんなことを言う前川は、どうにも情けなくて、俺は笑っていた。
順調な滑り出しだった。
不安も多少あった高校生活。部活動。ここまでそれらは、とてつもなく順調に進行出来ていた。
毎日が楽しい。
よきライバルとしのぎを削り、成長していくこの日々が、楽しくないわけがなかったのだ。
だが一つだけ、この俺をもってしても憂うことがあった。
「ただいま」
十時頃、アパートの自室に辿り着いた。明かりは灯っていなかった。
野球部に体験入部して一週間。
つまり、速水と別の部屋で暮らすようになって、一週間。
前までなら、夜俺がランニングから帰ってくると、いつも部屋には明かりが灯っていた。当然だ。同居人がいたのだから。
俺は大きなため息を吐いた。
速水と別の部屋で暮らし始めて、まだ一週間。いいや、もう一週間。
クラスでも彼女とは顔を合わす。だけど、彼女はその生真面目な性格も人気を博して、すぐに同性の友達をたくさん作っていた。今では、当時並みのコミュニケーションは取っていない。
「同居始めた頃は、早く終わってほしいとか思っていたのにな」
あの女は、俺に色んな顔を見せてくれた。
呆れ顔。怒り顔。寝ぼけ顔。笑顔。本当、色んな顔を見せてくれた。
全部が全部、つい一週間前の話なのに、酷く懐かしく感じた。
「……いかんなあ」
珍しく自分の気持ちが女々しくなっていることに気付いて、俺は頭を掻いた。こういう時は、さっさと風呂に入って寝るに限る。
風呂に入って汗を流して、居間に戻った。
「そういえば、この前までは俺、廊下で寝ていたんだよな」
居間を占領していたあの女は寝相が悪くて、いつだか変な寝言も宣っていた。
アハハ。
本当に、馬鹿な女だったな。
「……寝よう」
* * *
高校野球連盟こと高野連は、各学校の野球部に対して、練習は週六までにするように指導を入れている、とどこかで聞いた覚えがある。
それは高校生というまだ体が出来ていない子供に対して、必要以上の無理を体に強いないように定めたルールなのだが、ならばそのルールを守っている学校がどれだけあるか、と問われれば首を傾げざるを得ない状況だと俺は思っている。結局、一日の休みを挟むことで、周囲の学校、周囲の選手に置いていかれると強迫観念にも似た感情を抱く各々が、自発的もしくは多発的に練習を始める、というのが実態だ。
事実、我が校もそれは同様で、今日は日曜日であるものの、いつも通りに野球部の練習は行われている。
そのことに対して、個人的に言いたいことがある。
練習時間足らん。もっと増やせ。
朝起きて野球して夜寝る。
そんな生活を俺は希望している。我が国の軍歌である『月月火水木金金』。あれ最高。あんな感じで、俺にも野球をさせろと思っている。
そうしたい理由は言うまでもなく、俺が野球好き、練習好きだから、なのだが、どうも最近邪な感情が芽生え始めていることに、俺は気付いていた。
それは、家に帰りたくないという感情。
どうしてそう思うのか。
その理由の一つは、速水という同居人を失ったから。しかし、最近になって俺は、ようやく両親が傍にいないことに対するホームシックを患ったように思えた。
一人暮らし出来るのか、と当時あの女に度々言った身としては非常に心苦しいが、俺は今、寂しさを胸に感じている。
だからそれを紛らわすように、ひたすら練習に明け暮れているのだ。
これがまずいパターンであることは自覚している。
こういう時に、人は粗暴になって無茶をしがちになる。無茶して怪我でもしたら、元も子もない。
「集合」
そんな危機感を胸に抱きながら、俺は監督の号令で駆け出した。
「今日の練習は中止とする」
「えっ!?」
監督の宣言に拒否反応を示したのは、俺だけだった。
周囲から、いつも通り稀有な視線で見られた。
「武田、お前マジで怖いわ。どんだけ野球好きなんだよ」
前川からはドン引きされた。
「今日、通院の日でな。指導者なしで練習などして、怪我でもされたら目も当てられない」
「うっ……」
唸ると、監督から鋭い視線を寄こされた。まさしく俺に言っていると言いたげな視線だった。
「では、解散」
監督の号令で、皆が散り散りに去っていった。
「ま、前川。練習してかないか」
「お前、監督の話聞いてたか?」
「むぐぐ……」
前川はそう言って、さっさと帰宅していった。他の部員も同様だった。
一人グラウンドに残された俺は、
「ほら、お前も早く帰れ」
監督に叱られた。
渋々、部室で着替えて、俺は学校を後にした。
それにしても、困った。
このモヤモヤとした気持ちを抱えたまま、部屋に一日入れる気がしなかった。
なんとかして時間を潰したい。
だけど、食費が結構馬鹿にならず、あまり金を使うことは出来そうもなかった。
どうするか。
ふと悩み耽った時、頭に浮かぶ光景があった。
それは、楽しそうに料理をしている、速水の姿だった。
「……料理でもしてみるか」
どうしてそう思ったのか、上手く説明は出来ない。多分、隣の芝生が青く見える現象に近いのだろう。
ただ、悪いことではない気がした。
一人暮らしをこれから続けるのであれば、料理のスキルは必ず必要になる。
暇を持て余した今、料理の修行がてらそれを行うのも丁度いいのではなかろうか。
そう思った帰路、俺は見覚えのあるスーパーに足を運んだ。いつか、速水と一緒に訪れて買い出しした、あのスーパーだ。
「……あ」
スーパーに入った途端のことだった。
「あ」
俺の前に、今一番会いたい……ような会いたくないような人がいた。
「武田」
速水だった。
「……買い物?」
「おう」
マイバックを持った速水に、俺は続けた。
「料理でもしようかな、と」
「出来るの?」
「いいや。何事も挑戦だろう」
「相変わらず、ストイックだね」
速水は呆れたように苦笑していた。
「……あのさ」
そんな速水の態度を気にも留めず、俺は重い口を開けた。
「これから、お前の部屋行っちゃだめか?」
言い終えてから、俺は頭を抱えた。何言ってるんだ、俺?
「えっ!?」
いつにもなく、速水は取り乱したような声をあげていた。
慌てて見上げれば、速水は冷や汗を掻いていた。まるで、何かをバレたくないみたいに。
……思い当たる節があった。
「あんた、さては掃除さぼってるな」
「ギクリ」
ギクリと声に出す人を、俺は初めて見た。
「あんたってやつは、本当に……」
一人暮らし、向かないな。
そう言おうとして、自分の現状を顧みた。
振り返ってみたら、先日まではあんなに文句を言えた彼女に対して、自分がそれを言う資格がないことを、俺は知った。むしろ俺が出来ないことが出来る分、彼女はすごいではないか。
「何よう」
「料理が出来るあんたはすごいなあ、と思ってた」
「は?」
「久しぶりにあんたの美味い手料理が食べたいんだ。ダメか?」
「まあ、それならいいけど」
苦笑気味に伝えると、速水は疑惑の視線を当初向けたものの、不承不承と言った感じに最後には応じてくれた。
「その代わり、掃除手伝って」
「勿論」
* * *
久しぶりに訪れた速水の部屋は、それはもう酷い散らかりっぷりだった。
当人からの弁明だと、バイトや部活動で忙しいとのことだったが、後ほど俺の整頓された部屋を拝ませたら文句を言うのをやめた。
結局、掃除が終わったのは昼を少し回った二時頃だった。
「ごめんね。こんな時間まで」
調理を始めた速水は、居間でくつろぐ俺に謝罪してきた。
「いいよ。勝手に押しかけて、むしろ悪かった」
「それは本当、驚いた。このままバレないと思ったのに」
「バレないならいいやって思考は良くないと思うぞ」
「そうだね。気を付ける」
「まあ、出来るだけそうしてくれよ。俺も今日みたいに暇な日は、あんたの手伝いに来てもいい」
「……なんかさあ」
速水は、調理しながら続けた。
「今日のあんた、いつにもまして協力的じゃない?」
「え?」
「いや、あんたが協力的というか、優しいというか、とにかくお願いしたことを断らない性格なのは知っているんだけど、さすがに今のあんたはお人好しすぎる気がする。
なんかあった?」
ほう、中々に鋭い。これが一週間、同居した成果、か。
「あったよ」
「えー、何々ー?」
言おうとしたら、速水は続けた。
「あっ、待って。どうせなら当てたい。
……あ、野球部の練習のレベルが高くて打ちひしがれてるんでしょ」
「それはないな。練習は物足りないし、何なら手薄な外野なら今すぐレギュラー取れるよ、俺」
自惚ずに客観的視点から見て言ったつもりだったが、速水はまるで信じる様子はなく、冗談をおかしいと言いたげに笑っていた。
「えー、じゃあ何よ」
「ホームシック気味なんだよ、最近」
「あんたが?」
「おう」
「何か意外ね」
「俺も驚いた。まさかこんな女々しい一面が自分にあろうとは。あんたと同居している内は全然気にならなかったのに、不思議だよなあ」
共感を求めるように笑い飛ばしたが、速水がそれに乗っかることはなかった。
しばらく無言の時間が流れたが、調理が終わった拍子にその無言も止んだ。
「はい。出来たよ」
お皿に盛りつけられたカレーを見て、俺は歓喜の声を上げた。
「ねえ、武田」
「なんだよ」
早速カレーを頂こうとしたら、速水に止められた。
「食べる前にさ、聞きたいことがあるんだけど」
そう言う速水の視線は、今まで見たことがないほどに真剣に見えた。
「あんたはさ、あたしのこと、好き? 嫌い?」
速水の声は、緊張しているように震えていた。
「え、好きだけど?」
俺は即答した。
「……そう」
「おう。あんたは料理も出来るし。気さくだし。時々お人好しだなあと思うこともあるし、抜けている時もあるし」
指を折りながらこの人のことを語って、俺はついつい微笑んでしまった。
たかだか一週間の同居だったのに、気付けば随分とこの人のことを知れたものだ。
寝相が悪いこと。
料理が美味いこと。
機械オンチではないこと。
賢いこと。
時々、我が強いこと。
色んな彼女の顔を見てきた。
その度に俺は、笑って。ムカついて。バットを振って。……道に迷って。
全てが懐かしく思える。
ふと開いた昔のアルバムのように、俺の心を優しくしてくれる。
彼女は、そんな不思議な力を持った人だった。
そんな彼女のことを好きになるのは当然じゃないか。
……本当に。
「本当、面白くて一緒にいて楽しい。良い友達を持てたよ、俺」
本当に、あんたは俺の良い友達だ。
そんな友達、好きに決まってるじゃないか。
速水は……。
「はぁぁ……」
大きなため息を吐いていた。何故だ。
「……お馬鹿で方向音痴でマイペースな武田君」
「なんだ」
「あたし、初めは君のこと、ただのストイック野球馬鹿だと思ってた」
思ってたってか、それ事実だから。
……あ、いや、馬鹿は余計だな。
「だけどさ。君はあたしが苦手なことは大体好きで。あたしが持てない将来へのビジョンを明確に持っていて。あたしにいつだって協力的で。
あたし気付いたら、君のこと結構好きになってたよ」
そう告白した後、速水は微笑んだ。
「……友達として、ね」
……なんだか恨み節っぽく聞こえるのは、気のせいだろうか。
「武田君。一つ提案があるんだけど」
「何さ」
「君のホームシックを解消する提案、だよ。これをしたら、君のその女々しい気持ちは、たちまち綺麗さっぱりなくなります」
「ほう。そんな素晴らしい手段があるのか」
「うん」
速水は、微笑みながら頷いた。
「しかもね、他にも色々、メリットがあるの」
「例えば?」
「まずは、三食ご飯が付いてくる」
「お昼も?」
「うん。お弁当が付いてくるよ」
「ほう」
「他には、病気にかかった時に心強くなれる」
「治りはしないのか」
「治りはしないね」
速水は笑っていた。
「後は、家賃、水道代、光熱費が少し浮く」
「なんだよそれ、素晴らしいじゃないか。俺、食費で結構お小遣い消費してるんだ。野球ばかりでバイトしている時間がないのが少し辛い」
速水さんや。
なんでそんな素晴らしい提案、今日まで隠してたんだよ、まったく。
「あたしも、高校生のバイトの時間制限されててさ。ちょっと困ってたの」
「え?」
なんで今、速水の話が……?
目を丸めた俺に、
「あとは……今度は、居間で一緒に寝よう?」
速水は、優しくそう提案してきた。
「あたしと同居、してくれませんか?」
第一章完結となります。
状況に流された男女が、自らの意思で再び同居を始めるストーリーでした。
状況に流されてなあなあで暮らすことは、ラブコメっぽいですが、キャラに中身がない感じがして嫌いです。だから、互いの意思で最後は同居を決断させたかった。
本来は同居のお願いは主人公からさせるつもりだったが、この男思ったよりも鈍感でいて、野球馬鹿だった。速水という存在のかけがえのなさには気付いているものの、じゃあまた同居すればいいやという思考にさせる手段がまったく思い付かなかった。
ある種抜け目ない男であり、既に作者の思惑を超えていて、後々扱いきれるか非常に心配である。




