慢心。驕り。
二打席目の勝負は、一打席目と打って変わって慎重な投球を前川は見せていた。
初球。二球目。三球目。いずれも曲がりの大きなスライダー。恐らく、空振りを取りたいという意図の下の投球だった。頭の中に、センター前にクリーンヒットされたイメージが残っているのだろう。
俺はその三球をしっかりと見送っていた。カウントはスリーボールノーストライク。
「チクショウ」
青い顔で、前川は言っていた。明らかに苛立ちが見て取れた。
「ヘイ、ピッチャー」
しかし、このまま勝負されないのは微塵も面白くなくて、俺はバットを突き立てて前川を煽ることにした。
「ボールゾーンにしかいかないそんなミエミエのスライダー、誰も振らないぞ。ストレートで勝負しろ、ストレートで」
「なんだと、こら!」
前川は先ほどの新井相手と同様に怒り始めた。どうやらかなりの短気らしい。
ようし。
これで、全力のストレートが来るだろう。
俺は身構えた。
しかし、どうやらこの前川という男は、俺が思うよりもクレバーな男らしかった。
ボールを投じる直前、俺は前川の四球目の球種を悟って、思いっきり踏み込んだ。
前川の投じた球は、俺の懐に入る直前に大きな円弧を描いていた。スライダーだ。
……届く。
刹那的に理解した俺は、右側に引っ張る意識でボールを振りぬいた。先ほどよりも痛烈な当たりは、一塁線上に転がった。
「フェア。ツーベースだな」
前川は絶句していた。
「だから言ったろ。ミエミエなんだよ、そのスライダー。もうストレートで勝負しようぜ」
再び煽ると、前川は目の色を変えていた。
三打席目。
初球、彼の投じたストレートを、俺は豪快に振りぬいた。
打球は……。
「ば、バックネットまで飛んだよ」
「両翼どんなもんだっけ?」
「百十メートル」
「えっぐ」
周囲が騒がしかった。
「次、ピッチャー大平。打者、三井!」
「なんでだっ!」
前川は叫びながら、俺に歩み寄っていた。
世話しなく準備を始めていたピッチャー、バッターがこちらを向いていた。
「お前、何をした。なんで俺の球をお前なんかが打てる!」
「言ったろ。ミエミエだったぞ、あんたのスライダー」
「なんだと?」
「あんた、スライダーを投げる時、大きく曲げようって意識があるだろ」
「何?」
「だからその意識のせいで、ストレートを投げる時より、スライダーを投げる時の方が腕の角度が下がってるんだよ。球種がわかれば、百三十キロのストレートも、百十キロくらいのスライダーも大したことない。その球打てるくらいの特訓、俺は日々やってる」
俺がそう伝えると、
「下がってたか?」
「全然わからなかった」
背後からそんな会話が聞こえた。
「……研究したのか?」
「はあ?」
「この日のために。この日のために俺の癖を丸裸にしたのか! そこまでして評価を上げたかったのか!」
前川は興奮気味に息を荒げていた。
「してない。数打席見ただけで、お前の癖なんてわかったよ」
「嘘をつくな」
「というか、そもそもの話だけど……」
呆れたように頭を掻きながら、俺は続けた。
「研究したとして、何が悪い?」
「なんだと?」
「あんた、皆が皆、相手に対して対策もなしに挑むと思っているのか。あんたもシニアの時、対戦相手の動画を見たりしなかったのか。もし仮に俺が前々から対策を踏んでいたとして、やってることはあんたが過去やったそれと何ら変わらないだろ。
あんたの敗因は色々ある。
煽り耐性がないこと。
俺を圧倒的弱者と見て、碌な対策も講じなかったこと。
そして何より、その慢心と驕りだよ」
前川は悔しそうに歯を食いしばっていた。
「新井とやらみたいに、俺にもまともな攻めをすればよかったじゃないか。新井とやらには腰引かすような際どいコースにも何度も投げてたよな。だけど俺相手には侮って、ストレートは真ん中高め以外来てなかったぞ。
球種を見破られているとわかった時点で、曲がりの角度を落としてでも腕の角度を上げて対策すればよかったじゃないか。その見極めが出来なかったら、俺は他の五人みたいに凡退していただろうぜ。
あんたが負けたのは俺じゃない。甘くて慢心していて驕っている自分にだよ。
あんたは人事を尽くさなかったんだ。自分なら力だけで押し切れると、慢心したんだよ。
フリー打撃で良かったな。試合だったらあんた、即交代されてたぜ」
捲し立ててやると、前川はぐうの音も出なくなったのか、さっさとファールグラウンドに戻っていこうとした。
「だから、今度は本気のあんたとやらせてくれよ」
そんな彼の背中に、俺は言った。
「は?」
「楽しかった。すごい楽しかった。こんなに心が躍ったのは久しぶりだ。だからこそ、俺は今、あんたにここまで言ったんだ。
次は、本気で来てくれよ。
そうしなきゃ、面白くないだろ」
「……お前」
前川は続けた。
「戦闘狂過ぎて、引くわ」
とてつもないうんざりげな顔で。
「悪いか」
「ああ、はっきり言って、キモイ」
前川はそう言って、頬を染めて俯いていた。
「つ、次は負けねえからな」
「そうでなくちゃ困る」
こうして、俺の高校野球初日は幕を閉じた。
前川という好投手を打てたからか、その後の練習ではすっかりと周囲の視線は軟化していた。なんとか、この野球部には馴染めそうだと思ったら、意外にも緊張のようなものが解れたのがわかった。
日頃誰かにストイック過ぎて引くとか言われていたが、どうやら俺も大概人の子、のようだ。
……帰ったら、早速このことを同居人に報告してやらなきゃな。
強豪校の新入生の入部時期とか調べてもまったくわからなかったのでさっさと書いた。
私立ならセーフと思った。
有識者いたら教えてくだちい。




