1.幼少時代
僕の幼少時代は、自分自身では幸せと感じていた時代だった。父は常に自分と一緒に野山や河川で遊んでくれ、自然について様々なことを教わった。そう、「常に」自分といてくれたことに対し、何の疑問も持っていなかった。
そして、父は僕と姓が違っていた。幼稚園まで、僕は母方の姓である、真島を名乗っていた。5歳の時に、現在の姓である澤科に変わったのだ。
もちろん、幼かった僕はそのことの意味が分かっていなかった。
後に、僕が生まれてから5歳までは、母がいわゆる内縁の妻であった事を教えられる。父は前妻がいたにもかかわらず、母を手籠めにし、僕を孕ませたのだ。
父としては母を本当に愛していたらしく、前妻と離婚して母と籍を入れようとしていたらしい。
前妻が拒み続け、僕が生まれて5年が経った時に、ようやく離婚でき、母と籍を入れたとのことだ。
僕は幼かったが、その時のことはよく覚えている。
「鈴、お父さんの名字に変わるのと、今のままと、どっちがいい?」
母が僕に聞いてきた言葉だ。
「鈴が良いって言ってくれたら、お母さんもお姉ちゃんも、お父さんと同じ名字になるよ」
そう言われ、僕は嬉しくなった。家族で姓が違うことについて、違和感を覚えていなかったわけではない。ただ純粋に、みんな同じ姓を名乗れることが、幼心に非常にうれしかった。
そして僕は澤科家の長男として、正式に認められたわけだ。
澤科家は、地元でも有名な大地主だった。
長男で跡取りである父は前妻との間に子供が二人いたが、どちらも女子だった。
だからこそ、僕が生まれたときには祖父・祖母共に大喜びだったそうだ。
それが妾に産ませた子供であっても、それすら受け入れるあたりが前時代的な感覚ではあるとは思う。
しかし、大地主で代々続く農家なんてものはそんなもので、閉鎖的な感覚の元でしか生活をしてこなかった分、現代の常識からは大きく外れているのだろう。
跡取りを産んだからと言って、妾を正妻にするための離婚を許そうとするあたり、やはりずれていると言わざるをえない。
その感覚のずれが、澤科家を大きく衰退させていく。
僕が7つになった時に、澤科家の土地のほとんどが無くなった。
理由は祖父が愛人に貢いだためだ。
その愛人は、あの手この手を使い土地の権利をほとんど持っていってしまった。
父が動き回り、祖父の住んでいた屋敷と、ほんの一部の土地のみを残し、9割の土地は手放すことになった。
そして、その時に僕は全てを知った。
父は働かず、なぜ自分と一緒に遊びまわっていたのかを。
父は実家から金を無心し続け、遊ぶ金を作っていたのだ。
僕と遊ぶだけではない。海外へ女性を買う旅行に行ったり、ギャンブルをしたり。とにかく、毎月数十万の金を無心していた。
母に対しては、一銭の金も与えずに。
母は僕が物心ついた時には働いていた。
父が働かない分、母が働いて家を借りなければ、僕たちには住むところすらなかった。
その苦労は、幼いながらに僕もわかっていた。ただ、僕は「母が働いて、父が家に居るのは、普通の家とは逆だな」程度にしか思っていなかった。
父が金を無心し続けていたことがわかってからは、僕の両親の心が離れていくのを、幼いながらに感じることができた。
元々、父はよく母に暴力を振っていた。働いてほしいと言われるたびに、付き合い始めた初期の話を持ち出し、誰のおかげで借金が返せたのか、と言っていたのを覚えている。
詳しく話を聞いたことはないが、母は前夫の借金を背負っていたらしく、それを父(の家)が弁済したようだ。
それもあって、母は父に頭が上がらなかったようだ。
しかし、これまで従順だった母も、金があるのに入れない、ということを知ったことで、遂に堪忍袋の緒が切れたようだ。
父を放っておいて、よくどこかへ出かけるようになった。
そのことに腹を立てた父は、また母に暴力を振う。悪循環だ。
ある日、母に対して、僕は話した。
「お母さん、もう離婚してもいいよ。もうお母さんが殴られるのは見たくないよ。」
この一言がきっかけで、母は離婚を決意したらしい。今まではあんな男でも、僕の父親だからと我慢をしていたようだが、やはりきっかけが欲しかったのだろう。
その後1月程度で離婚してしまった。
僕が10歳の時である。
その一連の出来事が、僕の幼少期は異常な環境であったと、僕に強く認識させた。
そして、僕は父のようにはならない、女性に手も上げないし、大人になったら家庭を守れるくらいにしっかりと稼ぐ、という、当たり前のことを誓ったのだ。