7 お隣さんは王様一家
「ノゾミちゃぁ~ん! おっかえりー☆」
帰宅すると、お母さんがスリッパの音をパタパタとひびかせながら玄関までやって来て、出迎えてくれた。
お母さんは、二匹の子猫が毛玉でたわむれているイラストがプリントされたかわいいエプロンをつけている。キッチンからはとてもいいにおいがただよってきていた。夕ご飯の準備の最中だったのだろう。
ボクは「ただいま」と言葉短く答え、トイレに急行した。
さっきは衝撃のあまり一瞬だけ尿意を忘れていたけど、家に入ったとたん、激しい尿意の波が再び押し寄せてきたのだ。
あ、危ない、危ない。家までたどり着くことができたのに、玄関でもらしちゃうところだったよ。
用を足してスッキリしたボクはトイレから出て、お母さんに、
「お母さん、いまさっき『ノゾミ』って呼んだ……?」
と、言った。
朝は男子の制服を着て家を出た息子が、帰宅して女子の制服になっていたら、ふつうの母親はおどろくだろう。でも、お母さんは別におどろいている様子はない。なにごとにも動じないマイペースなお母さんだが、ちょっと動じなさすぎだ。
「もしかして、ボクの女装のこととか、タタリ王子のこと、学校から聞いているの?」
「うん。だから、だいじょーぶよ。事情は校長先生にお電話をいただいて、ちゃーんと把握してるからぁ~」
お母さんは、息子のボクでも聞きほれてしまうような美声で歌うようにそう言い、ニコニコとほほ笑んでいる。まるで、あどけない少女のように。
ボクのお母さん――宮妻七海は、本人が「あたしは永遠の十七歳です☆」と言いはっているため、ボクたち子供はその実年齢を知らない。
ただ、十七歳だと主張するだけのことはあって、とてもかわいくてお肌ピチピチ。なにも知らない人がお母さんを見たら、高校生ぐらいだとかんちがいしてしまうだろう。
結婚する前はトップアイドルとしてテレビに雑誌にひっぱりだこだったらしいけれど、いろいろとなぞの多い女性だ。
「じ、じゃあ、近所の人たちがみんな引っ越しちゃったことも……」
「うん。ウラメシヤ王国の王様とご家族が引っ越してきたことも、知っているよ。ノゾミちゃんが家を出た後、すぐにご近所さんたちの家がドッカーン☆って解体されちゃってね。あーっという間に大豪邸が建っちゃたの。本当にもう、お母さんびっくりしちゃった~! 引っ越しのあいさつに引っ越しそばをもらったのもびっくりしたけどね~」
「ひ、引っ越しそば? ウシミツドキ国王、日本の伝統にくわしいんだね……」
「そうねぇ~。わざわざ王様と王妃様の二人で持って来てくださったから、あたしもちょっとあわてちゃったわぁ~」
「すでに家族ぐるみの付き合いが始まってる⁉」
まずいよ、これは。ボクの家のご近所さんになって、早速、お母さんに気に入られようとしているじゃん。どんどん外堀をうめられちゃっているよ……。マジで逃げられない。
「お……お母さんは嫌じゃないの? ボクが女の子のかっこうをして……」
ボクは、息子が女の子になってしまってお母さんがショックを受けていないか心配し、そうたずねた。でも、お母さんはいつもの気楽そうな笑みを崩さず、「ぜんぜん嫌じゃないわよ」と言ったのである。
「あなたは、元のノゾムくんでも、今のノゾミちゃんでも、あたしのかわいい子供なんだから。なにも変わらないわ」
「お母さん……」
「それに、『かわいさ千里を走る』がわが家の合言葉なんだから、かわいい今の自分の姿に疑問なんて持たなくてもいいのよ☆」
「……そうだね! かわいければそれでよし、だもんね! ありがとう、お母さん!」
「でも、王子様がノゾミちゃんを困らせたり、泣かせたりしたら、お母さんがちゃんと守ってあげるから安心しなさい。あたし、こう見えてものすご~い人脈を持っているのよ」
えへん、と自慢げに胸をはるお母さん。
ものすごい人脈……? 芸能人のお友達がたくさんいる、とかかな?
ボクのお父さんは、仕事で海外を飛びまわっているいそがしい人なので、めったに家に帰ってこない。だから、ボクはお母さん、中学三年生のお姉ちゃん、小学四年生の妹と暮らしている。そして、わが家の女性たちは、お母さんに似たせいか、ものすごく能天気な性格である。
ボクもまあまあ能天気な部類だけれど、今回のタタリ王子の騒動に関してはうんざりしている。プロポーズされている本人なんだから、当然だ。第一、ボクは男だし。
でも、ボクより三倍は能天気なお姉ちゃんと妹は、この異常な状況に遭遇しても、ぜんぜん動揺していない様子だった。逆に、ちょっと楽しんでいるようにも見える。
「いつタタリ王子がこの家にやって来るかわからないし、家の中でも女装していたほうがいいんじゃない? わたしのおさがりでかわいい服をみつくろってあげるから、ちょっとこっちにおいで」
「そ、そんなことを言って、ボクを着せかえ人形にして遊ぶ気なんでしょ⁉」
お姉ちゃんの深雪は、ファッション雑誌のモデルをやっていて、そのクールビューティーな外見のおかげで学校では男女問わずモテモテ。でも、本性はイタズラが大好きな少し困った人で、弟のボクをオモチャにしてよくからかっている。
そんなお姉ちゃんが、ニヒヒ~と笑いながらボクの手を引き、自分の部屋に招き入れた。
「葉月もおいで。今からノゾミお姉ちゃんのファッションショーをやるから」
「え? ファッションショー⁉ わーい、わーい! 楽しそう!」
妹の葉月まで、お姉ちゃんに声をかけられてついて来た。
葉月はとても純真かつ明るい女の子で、ボクやお姉ちゃんの言うことをよく聞くいい子だ。でも、ボクよりもお姉ちゃんの言うことに従う傾向が強いのが、兄としては少し悲しい……。
「も、もう……。お姉ちゃんはすぐにボクをオモチャにするんだから……」
「うっふっふっ~。そう言いつつ本気で抵抗しないのは、あんたもかわいい服に興味があるからでしょぉ~?」
「どきっ! な、なんでボクの心が読めるの⁉」
「そんなことぐらい、わかるわよ。わたしたちきょうだいは、全員、お母さんのかわいいもの好きの遺伝子を受けついでいるんだから」
「う、うう……」
「別に恥ずかしがらなくてもいいじゃん。甘いデザートが大好きな男の人がいるように、かわいいものにあこがれる男の人もいるもんだよ。別に、おかしなことじゃないでしょ?」
お姉ちゃんはそう言いながら、ボクの前にたくさんの洋服をどさっと置いた。
うっ……。どれもかわいい服ばかりだ。
「さあ! 美少女ノゾミちゃんのファッションショーのはじまり、はじまり~!」
「わーい、わーい! ノゾムお兄ちゃんのファッションショーだぁ~!」
「ちがうよ、葉月。ノ・ゾ・ミお姉ちゃんだよ」
「あっ、そうだったぁ~。あはは~」
お気楽に笑うお姉ちゃんと葉月。
……し、仕方ないなぁ。ちょっとだけだよ?
などと言いつつ、三十分後。ボクはのりのりでファッションショーを楽しんでいた。
「お姉ちゃん、このピンクのワンピースかわいいね!」
「おっ、いけるじゃん。だったら、こっちのフリルいっぱいの服はどう?」
「わー! これも、かわいい! 着てみる!」
「わーい! わーい! ノゾミお姉ちゃん、すっごくかわいい~!」
なにも知らない人が見たら、美しき三姉妹がキャッキャッ、ウフフとファッションショーに興じているようにしか見えないだろう。でも、残念。ボクは男である。
「気に入ったのなら、全部あげるよ。タタリ王子があきらめて国に帰ってくれるまで、ずっと女装していなきゃいけないんだしね。服はたくさんあったほうがいいわ」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
さっきまでの態度とは打って変わり、ボクはお姉ちゃんにお礼を言っていた。そして、お姉ちゃんからもらった服を持って、上機嫌にスキップしながら自分の部屋にもどったのである。
「そんなにも服をたくさん持って、どうしたんだ? クリーニングにでも出していたのか?」
部屋に入ると、タタリ王子がボクのベッドに寝転んでマンガを読んでいた。その横では美少年執事のカナ・シバリさんが直立不動で立っていた。
おどろいたボクは、ズコー! とずっこける。お姉ちゃんからもらった服は部屋中に散らばった。
「なんでタタリ王子がボクの……げほ、げほ、わたしの部屋に⁉」
そこまで言って、ボクは大変なことに気づいてしまった。
ここはボクの部屋――男部屋だ。いろいろと非常識なタタリ王子でも、部屋に置いてある本や置物、装飾などを見て、ボクが男だということにさすがに気づいてしまうかも知れない。
これは、まずい。そう思い、ボクは自分の部屋をぐるりと見まわしてみたのだけど……。
本棚には、恋愛ものの小説やマンガ、料理の本、かわいい動物たちの写真集。(ボクは少年向けのバトルもののマンガにいっさい興味がなく、一度も読んだことがない)
ベッドには、女の子たちに人気のゆるキャラ「うさずきんちゃん」(赤い頭巾をかぶったかわいいウサギの女の子。見た目に反して凶暴というキャラ設定)のぬいぐるみ。
机にも、ネコやイヌの小さなぬいぐるみ。
そして、壁には、毎月いろんな国のネコがのっているカレンダー。
……うん。まず男だと疑われる心配はないな。下着とかを荒らされないかぎりは。
「日本の庶民の住宅は警備が甘いな。カナ・シバリがたった一分でおまえの家のカギをピッキングしてしまったぞ」
「恐れ入ります」
カナ・シバリさんが照れてはにかむ。
「いやいやいや! カナ・シバリさん、そこで照れないで⁉ それ、思いっきり不法侵入だからね? いくら王子様の命令だからって、犯罪行為はやめて!」
「も、もうしわけありません……」
「それに、タタリ王子。さすがに女の子の部屋に無断で入ってこないでよ。プライバシーの侵害だよ? 本棚にある本も勝手に読まないで」
「いずれ夫婦になるのだから、別にいいだろ。おまえの物はオレの物じゃないか」
「そんなわけあるか! どこのジャイ〇ンだ! わたしの物はわたしだけの物だよ!」
「ふぅ……。わがままな女だな。わかった、今度からは気をつけよう」
な、なんで、こっちが聞き分けの悪い女みたいになっているんだよぉ……。
「みんなぁ~、晩ご飯ができたわよぉ~」
ボクがタタリ王子の横暴っぷりにガックリしていると、キッチンからお母さんののほほんとした声が聞こえてきた。
「タタリ王子。うちの家、今から晩ご飯だからもう帰って」
「いや、おまえの母上にあいさつしたいから、いっしょに行こう。なんなら、晩ご飯を食べていってやってもいいぞ」
「庶民の料理は食べないとか言っていたじゃない」
「母上に言われたのだ。『あなたは庶民の娘をお嫁さんにもらおうとしているのだから、庶民の気持ちをもっと理解しないといけませんよ。ペットを飼う時でも、ペットの気持ちを考えて世話をするものなのだから、それぐらいの努力はしなさい』とな。だから、オレも庶民の料理とやらを食べてみようと思う」
「わたし、ペットあつかい……?」
もう、どこからツッコミを入れたらいいのかわからなくなってきた……。
言っても聞かないだろうし、ボクは仕方なくタタリ王子といっしょにダイニングルームに向かう。すると、そこにいたのは――。
「おお。この麗しき娘が王子の妃候補か」
「なんとまぁ、想像以上に美しい子だわぁ。女嫌いだった王子がようやく運命の女性と出会えたのね……」
王冠を頭にのせた四十代ぐらいのおじさんとおばさんだった。
ニコニコと笑い、わが家の食卓に堂々と座っている。どう見ても、ウラメシヤ王国のウシミツドキ国王とクチサケ王妃だろう。カナ・シバリさんがうちの家のカギを開けちゃったから、簡単に入って来ることができたのだ。
ちなみに、クチサケ王妃の口は……裂けてはいなかった。
「あらあら、国王様と王妃様。いつの間に……」
さすがのお母さんも、無断で入って来た国王夫妻にビックリしているようだ。日本では他人の家に勝手に上がりこむ人間はまず泥棒しかいないからね……。
「息子がほれた日本の少女とはどんな子なのかひと目見てみたくて、お邪魔した。うむうむ、美しい。このような美少女は、ウラメシヤ王国にもおらんぞ」
「ノゾミちゃん。タタリ王子のことをよろしくお願いしますね。う、う、う……。女嫌いで性格が地上最悪なタタリ王子にも、やっと恋人が……」
タタリ王子……。母親に「性格が地上最悪」とか言われるって、日ごろからどんだけわがままに振る舞っているのさ。どうせ、カナ・シバリさんたち家来にわがままを言いたいほうだいなんだろうなぁ~……。
「父上、母上。いくら王族とはいえ、不法侵入はいけませんよ。ノゾミの家に勝手に入るのはやめてください。ノゾミとその家族に迷惑がかかります」
いやいや、君もついさっき不法侵入したでしょ? ボクが注意したことをいちおう守ろうとしてくれるのはうれしいけど……。
「いつもわがままで傲慢な鬼畜王子が他人を気づかうなんて、ビックリだわ。人間は恋をしたら優しくなるものなのね」
おどろいて目を見開くクチサケ王妃。この王妃様、おっとりとした見た目のわりには案外口が悪い……。もしかして、天然の毒舌家?
「母上。オレは傲慢でも鬼畜でもありません。ノゾミの前で変なことを言わないでください」
「あら、本当のことなのに……」
さすがのタタリ王子も、母親には頭が上がらないらしく、いつものでかい態度もなりをひそめて「むうう……」と困り顔でうなっている。
「わぁ~! 王様と王妃様だぁ~!」
いつの間にか、深雪お姉ちゃんと葉月もダイニングルームにやって来ていて、王冠をかぶった国王夫妻とイケメン王子(鬼畜)を物珍しそうに見ていた。
「へぇ~……。王子様、かなりのイケメンじゃん。あんなの、アイドルにもいないよ。あんたが本当の女の子なら、玉の輿だワッショイ! ってみんなで喜べたのにねぇ」
お姉ちゃんがイタズラっぽく笑いながら、ボクに小声で耳打ちする。
たとえボクが女でも、こんな意地悪でかわいくない王子と結婚するのはごめんだよ! ボクは、姫路さんみたいなかわいい人と結婚したいんだ!
「はぁ~……。これから本当に、どうなっちゃうんだろう……」
まさか外国の王族と近所づきあいをすることになるなんて、夢にも考えていなかった。めちゃくちゃ先が思いやられるよ……。