第29話 魔法の鏡の過去
魔法の鏡ヴァイオレット視点のお話。
少し長めです。
ヴァイオレット・メイザーは一流の魔術師だった。
特に「空間を捻じ曲げる」という術を得意とし、他の魔術師を圧倒していた。
人間界で一番大きな国に呼ばれ、宮廷魔術師として籍を置いたこともある。
しかし、彼は普通の男性ではなかった。
女のように髪を長く伸ばし、また女のような言葉を使い、もともときめ細かだった肌を熱心に整えたりと美容に気を使っていた。
服装は黒い魔術師用の丈の長いローブを常に使っていた。それが特別女性用というわけではなかったが、多くの者はその姿を奇異な目で見た。
「おい、お前……そんななりをして。もしかして男が好きなんじゃないだろうな?」
ヴァイオレットよりも下級の者たちは黙っていたが、貴族などの上級の者たちは、そうあからさまに侮蔑の言葉を投げつけてきたりした。
そのたびにヴァイオレットは余裕の笑みを見せ、
「いいえ。アタシは自分しか愛してないの。男だとか女だとか他人にキョーミはないわ。ただアタシはアタシらしくしていたいだけ」
そうあしらっていた。
けれど、その態度をよく思わない者たちは彼を国から追い出そうと、とある計略をめぐらせた。
「我が王よ! ヴァイオレット・メイザーは王に不純な思いを寄せているようであります。あの者の力をもってすれば我々はいざというとき王をお守りできません。なにとぞ、彼の者の他に新しい魔術師をお迎えください!」
王はすぐにはその話を信じられないようだったが、すでに大部分の貴族、そして王妃や下女・下級騎士たちの一部までもがその噂を信じ込んでいたため、王国内の秩序を守るためにはやむなしということになってしまった。
「な、なぜ……! どうして突然……!」
ある日王に呼び出されたヴァイオレットはそう叫んでいた。
王は、渋い表情を浮かべながらヴァイオレットに宣告する。
「ヴァイオレット・メイザー、許せ。お主が……悪いわけではない。だがここまでさまざまな悪感情が国に蔓延してしまえば、もう我が一存ではどうすることもできないのだ。私の力が及ばず、済まぬ」
「そ、そんな……王様! アナタが謝る必要なんてどこにも……でも……!」
「本当に済まぬ。いままで、この国のためによく尽くしてくれた。礼を言おう、ヴァイオレット。だがもうその役を降りてくれんか。頼む」
「……っ」
そこまで言われてしまうと、もうヴァイオレットも何も言うことができなかった。
王は十分な報酬をヴァイオレットに与えると、そのまま国外追放を命じた。
ヴァイオレットは、もはやこの国にい続けることはできなかった。
地位や名誉にはもともと興味がなかったヴァイオレットだったが、王が自らを必要としてくれたことは嬉しかった。はじめて「居場所」というものを与えられて、心の底から感謝していた。
こんな幸せがずっと続くと思っていた。
でも、それは突然幕を下ろした。ヴァイオレットはひどく落ち込んだ。
「は~あ。この国に留まり続けることもできないなんてね……どうしようかしら」
ひとり身支度を終えたヴァイオレットは、徒歩で王城の門をくぐり出た。
誰も見送りにくる者はいなかった。
彼を友好的に見ていた者も、いまや噂の方を信じ、嫌悪の感情に支配されていたのだ。
悲しみに打ちひしがれながらヴァイオレットは国境の峠を越え、隣の国へ至る森へと入った。
「さあて。隣国へ行ってもアタシの噂が届いているかもだし……このままじゃあさっきの国の二の舞ね。もうここの森で暮らしちゃおうかしら。うん、それがいいわ!」
そう思い立つと、ヴァイオレットは山道からそれた場所に進み、とある広場に来ると空間魔法を使って石材を召喚しはじめた。
どこぞの山の岩を真四角に囲ってそのまま転移させる。
するとその岩がドンと目の前に現れた。それを何度も繰り返して、手ごろな大きさの部屋の壁を作っていく。
「ええと、次は屋根ね」
今度は近場の大木に視線を向け、大きな板になるように空間転移させる。
石を積み上げた壁の中の床と天井になるようにその板を配置する。
そうして何度も空間魔法を使い、ようやく家らしくしていった。
「窓のガラスだけは今度別に調達してこなきゃねえ……ああでも、良い感じじゃなーい! うん、ステキステキ!」
家の完成度合いにきゃっきゃと喜んでいると、やがてそこに何名かの兵士たちが現れた。
彼らは強い殺気を放っている。
「な、何、アンタたち?」
ヴァイオレットはすぐに向き合って戦闘態勢を取る。
だが、兵士たちはヴァイオレットを囲むだけで攻撃してくるそぶりはなかった。
よく見ると、その兵士たちが身に着けている鎧は、今さっき出てきた国のものだった。
「アタシはもう二度とあの国へは入らないと王様に誓ったわ。なのに、こんなところまで追いかけてくるのよ……いったい何の用!?」
そう叫ぶと、兵士たちの後ろからもう一人の男が現れた。
「ヴァイオレット・メイザーさん。はじめまして。僕は……あなたの後釜に入った魔術師です。とある人たちから依頼されましてね」
「依頼?」
「そう。あなたを殺せという依頼です。こんな仕打ちをうけたあなたが、復讐のためにまた戻って来られると困るんだそうですよ。僕もこんな依頼、受けたくなかったんですが……仕方ありません」
「それは……王様もご存じのことなの?」
「さあ? 僕に依頼した人はなんにも言ってませんでしたよ。どう……なんでしょうね。とりあえずこのことは内密に、とだけ言われましたが」
ヴァイオレットはとっさにあの貴族連中だと気付いた。
貴族連中が自分の暗殺を計画したのだ。
けれど、いまさらそれをこの男に問い詰めたところで何にもならない。
「ねえ、見逃してくれない? アタシ、本当にもうキョーミないのよ。王様も、あの国も、アタシを嫌いになった人たちのことも。ここでずっと独りで隠れ住もうと思っているの。ねえ、それじゃダメ?」
「ダメもなにも。僕はもともとこういう汚れ役なんかやりたくなかったんですよ。人殺しなんて何の益にもならない。むしろ損失だ。偉大な力を持つ、あなたという魔道士を見逃したいって気持ちの方が大きい。でも、これから僕はあの国の宮廷魔術師にならなきゃいけないんです。僕には、こうしなきゃならない理由があるんですよ。だから……申し訳ないですけど、死んでください」
「……くっ!」
そう言うと、魔術師の男はヴァイオレットに向かって手をかざし、強力な火炎の玉を放ってきた。
即座に自分の体を転移させて火炎を交わし、家の屋根へと移動するヴァイオレット。
「アナタも、いろいろとワケありのようね! でも、アタシだって死にたくないわ。悪いけど……もっと遠くに逃げさせてもらう!」
「……」
ヴァイオレットが空間魔法でさらに遠くの地へと移動しようとしたとき、周囲を炎の壁が覆った。
その炎は空も覆い、ヴァイオレットは炎のドームに包まれてしまう。
「なっ!」
「僕は……火炎の魔術師なんです。この火炎は何物も通すことはできません。通り抜ける時に必ず対象を燃やし尽くすようになっているからです。例え空間魔法を使用しようとしても、こっちの術式がそれを阻害します。これは……魔族の転移能力を封じるために編み出した術なんですよ」
「そ、そんな……」
火炎の魔術師の声だけが外から聞こえてくる。
その間にも、徐々にその炎のドームは小さくなっていた。
ヴァイオレットは必死に空間魔法でそこから脱出しようとするが、できずにいる。
たしかに移動しようとすると、一瞬でも物理的に体が炎と接触するようにできているのだ。
「くっ……だったら!」
逆に空間魔法で水や氷を召喚できないか。
それも試そうとしたが、一瞬で火炎の壁に焼き尽くされて蒸発してしまった。
「無理ですよ。ただの水や氷ではこの炎の温度にはかないません。さあ、大人しく死を受け入れてください……ヴァイオレットさん」
その声を聞いて、ヴァイオレットは静かに笑い出した。
「くくっ、くくくくっ。あははははっ!」
「……さすがに、狂わざるを得ませんか」
「いいわ。いいわ、殺されてあげる。でも、アタシは恨まない! 誰も……! アンタもせいぜいあの国にいいようにされないことね。すでにそうなりかけているけれど……アンタはそれでも、それに抗って。どうか、幸せに……」
そこまで言うと火炎のドームが最小になり、ヴァイオレットは一瞬で燃え尽きた。
後には黒こげになった死体と、全焼した家だけが残る。
やがてガラガラと音をたてて、石の壁がヴァイオレットの躯の上に崩れ落ちた。
「終わりました」
火炎の魔術師はそう言って、後方に下がっていた兵士たちを振り返る。
彼らは、火炎の魔術師が言いつけどおりに行動するかを見届ける見張り役だった。
火炎の魔術師もまた、とある弱みを貴族たちに握られていてそれと引き換えに今回の汚れ仕事を引き受けていたのだった。
「どうか、どうか許して下さい。ヴァイオレットさん……」
火炎の魔術師は今や巨大な墓のようになった石の山を見つめて、小さくつぶやいた。
そのつぶやきは誰にも聞き取られることはなく、やがて皆その場からいなくなった。
「おい、おい……。お前だ、お前!」
「えっ?」
「お前だ。そうそう。呼びかけが聞こえたならこっちに来い。そうだ。よし。フフッ……いい魂が手に入ったぞ」
ヴァイオレットはしばらく幽体となってどこともしれない空間をさまよっていたが、ふいに強い意志のある声を聞いて、反応してしまった。
その瞬間、意識がぐんとひっぱられて、とある場所に到着する。
「我が名の元、この者の精神をこの鏡に定着させよ。グレイフィール・アンダー!」
威厳のある低い声と共に、禍々しい強大な魔力が周囲に満ちあふれる。
気が付くと、ヴァイオレットはとある鏡の中に転移させられていた。
「え? アタシ、いったい……」
目をぱちぱちとさせながら、己の体を顧みる。
するとそこには焼け焦げた身体ではなく、もとの美しい肌と紫の長髪と、いつもの黒い魔術師のローブを身にまとった自分の姿があった。
「な、何これ!? どうなってるの~~~!? アタシ死んだはずじゃ?」
「落ち着け。うるさい。今お前は我が魔力によって鏡の精に転生したのだ」
「は? 鏡の精に……転生? どういうことよ! てかアンタ誰! アタシの体に勝手に何してくれてんのよ!」
やや怒りながらも、ヴァイオレットは目の前の人物をあらためて見る。
すると透明な壁を隔てた向こうには、意外な姿をした者が立っていた。
「え? あ、アンタって……もしかして……」
そこには真っ黒な二本の巻角を頭に生やした、幼い魔族の少年がいた。
「そうだ。私は魔族だぞ、人間! それも魔王の息子だ。二度目の人生を迎えられたこと、光栄に思えよ」
「な、なんですって!?」
「今私は、我が母を慰めるため、その話し相手となる魔法の鏡を制作中なのだ。明確な意志が宿っていないとそもそも会話をすることができない。その鏡の精にふさわしい魂を探していたところ、幸運にもお前という魂を発見したというわけだ。あとはうまく調教すれば……」
「えっ? い、今、調教とか物騒な言葉が聞こえたんですけど」
「ああ。めったなことを口走られたら、母上が癒されるどころではなくなるからな。せいぜい覚悟しておけ、人間」
「い、いやああああっ! な、なんか超怖いんですけどぉおおお~~~~!」
それから数週間をかけて、ヴァイオレットはグレイフィールからの厳しい指導を受け、グレイフィールの母親の話し相手となった。
今、過去を振り返って思う。
二度目の人生はそれほど悪くなかった、と。
元聖女であったグレイフィールの母親とは、人間界でひどい仕打ちをされた者同士共感し合えたし、話し相手としてもとても楽しい日々を過ごせた。
彼女が死んだ後は、グレイフィールに避けられ、長い間倉庫に放り込まれていたが、またひょんなことで陽の目を見ることができた。
自分を見つけ出してくれた吸血鬼の少女には、感謝してもしきれない。
そんな彼女と、彼女に影響されて変わりつつある魔王の息子を、ヴァイオレットは微笑ましく眺める。
「ほーんと、他人のことなんかまったくキョーミなかったはずなのに……なぜかしらね。アタシも性格が変わったってことかしらねえ……」
二度目の人生は悪くない。
悪くないと思うのは、きっと一度目よりも充実しているからだ。
今生の「居場所」をくれた者たちには、あの自分を殺した火炎の魔術師以上に幸せになってほしいと思うヴァイオレットなのだった。




