王立学院
それから、四年が過ぎ、アルベルティ―ヌは十四歳になった。
翌年から王立学院の最高峰、「ルポンヌ」に所属するため、アルベルティ―ヌは一日の大半を勉学に費やしていた。
ルポンヌには並大抵の魔力では入れない。なぜなら、ルポンヌは平常クラスよりも、はるかに高度な魔法を扱うのだ。例えば、闇魔法や時魔法のことである。アルベルティ―ヌが十歳で既にものにしていた「姿飛ばし」も、本来ならばルポンヌで扱う高度な飛行魔法なのだ。アルベルティ―ヌは、父と同じ官僚になるべく、何としてもルポンヌに入る必要があった。ルポンヌを卒業した魔導師は、準二級魔導師からスタートとなり、出世速度も極めて速い。最近の例では、二十歳の準二級魔導師が、わずか三か月で二級魔導師へと出世し、闇魔法対策室へ部署入りした。
しかし、アルベルティ―ヌは緑魔法以外の魔法は十分にルポンヌの入学条件を満たしているのにも関わらず、それが扱えないせいで、ルポンヌに一般の試験で合格するのは、かなり厳しい。しかし、ルポンヌには血の呪いの影響を強く受けた特化型の者が入学できる推薦制度というものがある。その推薦状が届くの期限はあと二週間しかない。その間に推薦状が届かなかった場合には、一般入試を突破しなくてはならないのだ。
「あああああもう!!なんなのよ?!」
今日も王宮のレオナルド専用の庭で勉強会の真っ最中なのだが、あまりの出来なさぶりに、アルベルティ―ヌは怒りの雄たけびを上げた。
「何が緑魔法よっ」
アルベルティ―ヌが召喚したのは、目的の花ではなくサヤエンドウだった。隣で、ギデオンが蔓を見事に操っているのとは途方もなくかけ離れている。
アルベルティ―ヌが癇癪を起した途端、バン、という音がしてサヤエンドウは一瞬にして灰と化した。お得意の火魔法を発動させたのだ。
「落ち着いて、アルベル」
「うるさいわね!私は大変なのよっ」
と、諫めるギデオンに八つ当たりをした。
「アルベル」
「どうせまた、〝血の呪い〟って言うんでしょ」
魔法族には、各々の男系の血筋に呪いが掛けられている。
伝説によれば、それは偏った一族に権力を集中させないためだというが、血の呪いの影響は個人差がある。アルベルティーヌの父ラファエルは、さほど血の呪いの影響を受けなかった。しかし、アルベルティ―ヌは血の呪いの影響をかなり強く受けている。だから、風魔法や火魔法、そして時魔法には異常なほど特化しているものの、緑魔法は扱いずらいのである。
恐らく、火魔法と相性の悪い緑魔法を体が受け付けないのだ。体に合わない魔法を無理に使い続けると、魔力を急激に消耗してしまうし、体を壊してしまう恐れもある。ルポンヌは、どの魔法も一定以上の能力を求める。だから、特化型というのは不利なのだ。
特に、アルベルティ―ヌのような者にとっては。
「こんなの、ずるいじゃない」
アルベルティ―ヌはきつく唇を噛みしめる。血が滲むくらいまで噛みしめてしまうので、瑞々しかった唇は荒れている。
「君なら平常クラスでも平気だよ。実力さえあれば、昇級できるんだから」
アルベルティーヌは上から目線で話すギデオンが嫌いだ。ルポンヌのことになると、ギデオンは傲慢さがでるのだ。
「私がルポンヌに入りたいのは、平常クラスでは学べないものが多くあるからよ。貴方だって、それを知っているじゃない」
ギデオンは気まずそうに視線を反らした。
「いいわね、血の呪いがない人は」
アルベルティ―ヌが意地悪くそう言うと、ギデオンがピクリと反応した。血の呪いは貴族にしか受け継がれていない。だが、ギデオンには皆無と言っていいほどその影響がないのだ。母親が平民だというのもあるだろうが、それにしては異常だ。
「何が言いたいんだ」
「あら、分かってるんじゃないの?」
二人の間に見えない火花が走る。最近、ギデオンとアルベルティ―ヌの仲があまりよくない。ルポンヌに関することが、二人にそれほど大きく影響していると言える。
昨日も一昨日も、ルポンヌ絡みのことで揉めたばかりだ。しばらくの間、二人の間を鋭い緊張が駆け巡った。ずっと二人を宥めてくれているロイスも、今日に限ってはロイスもいない。パチパチ、と音が鳴り、ギデオンとアルベルティ―ヌの右手に円形の光が宿る。魔法を発動させたのだ。
「やる気?」
「ああ」
ビュン、という音がして一陣の風がギデオンに迫っていく。一方、ギデオンが発動させた蔓はアルベルティ―ヌに巻き付こうとしていた。トン、とアルベルティ―ヌが一歩踏み出すと、炎はギデオンの周りを取り囲み、蔓を燃やした。ギデオンが慌てて水魔法を発動させるが、すでに手遅れだった。アルベルティ―ヌは素早い仕草で炎を消すと、さっと王宮を離れた。
家に帰るなり、アルベルティ―ヌはベッドの上で泣き出した。ギデオンとは仲良くしたいのに、あんな態度をとられると癪に触って仕方がない。アルベルティ―ヌがルポンヌに入りたくて仕方がないのを知っているくせに、平常クラスだも大丈夫だ、などというギデオンにどうしようもなく腹が立つ。
落ち着くようにと、マチルダが運んできてくれたミルクを飲み、アルベルティ―ヌは再び王宮に足を運んだ。
しかし、ロイスの庭には人影がなかった。ギデオンもロイスも、どこかへ行ってしまっているらしい。
仕方がないので、アルベルティ―ヌは父のいる執務室へ遊びに行こうかな、などと考えていると、途中でばったりとレオナルドに会った。こげ茶色の髪は、この数年のうちに銀髪に変わった。年下とは思えない落ち着きのある風貌のレオナルドに、アルベルティ―ヌは密かに好意を寄せている。
魔導師は、成長期に使う魔法によって髪の色や瞳の色が変化する。アルベルティ―ヌは、佳奈が転生した時には既に髪の色が変化したいた。
「ちょうど良かった。兄上の庭に行こうと思っていたんだ。君をお茶会に誘おうと思って」
ロイス誘拐事件から、レオナルドとアルベルティ―ヌは、すっかり気心の知れた仲となった。たびたびアフタヌーンティーやらピクニックにやら行くことも多い。皇太子の座が確実視され、王宮から出ることを許されていないロイスとは違い、レオナルドはある程度、外へ行くのを許可されている。
「本当?ロイス様のお庭には誰もいなくて寂しかったから、ちょうど良かったわ」
ギデオンやロイスには言えないようなセリフも、レオナルドの前ではすんなりと口にすることができる。二人は大切であるけれど、やはり友人である。想い人のレオナルドとは、少し違った意味で気が置けない仲だ。
「んん~美味しい!」
「でしょ?抹茶のクッキーなんだけど、あんまり苦くないんだよ」
今日はアルベルティ―ヌが大好きな抹茶のマカロンやクッキー、小さなケーキやパフェが並んでいる。
「レオナルド様は抹茶が好きなの?」
「いや、そうでもないけど。セルディック卿に君が抹茶が好きだと聞いたから」
にっこりと無邪気な笑顔を見せるレオナルドにアルベルティ―ヌは真っ赤になった。
レオナルド様、なんてお優しくて紳士的なの!!
ハートを鷲掴みにされたアルベルティ―ヌは、レオナルドに熱い視線を送るが、鈍感なレオナルドは気づく様子がない。
「ごちそうさまでした」
優雅に腰を折ってお辞儀するアルベルティ―ヌに対して、レオナルドも片膝をつき、アルベルティ―ヌの手の甲にキスをした。
「いつでもお待ちしていますよ、お姫さま」
気障なセリフも、レオナルドが言えば、うっとりしてしまう。レオナルドとアルベルティ―ヌが見つめあっていると、後方から蔓が飛んできて、ぴしゃりと二人の手を打った。振り返ると、そこにいたのは怖いほど無表情なギデオンと、苦笑しているロイスだった。
「何しているんだ、アルベルティ―ヌ」
低い声でギデオンは訊いた。
「別に。レオナルド様からお茶会に誘われたから、少しお邪魔してただけよ」
「それが手をつなぐ理由にはならない」
「あら、別に深い意味なんてないわ。それに貴方に何か指摘されるようなことをしてるわけでもないでしょう。いちいち首をつっこまないで」
アルベルティ―ヌは、つい突き放すような口調になってしまった。
「そうだよ、ギデオン。アルベルだってお年頃なんだから」
ロイスは面白いものを見たようにクスクスと笑っている。
「殿下まで…」
ギデオンは渋い表情になった。彼としてはアルベルティ―ヌを気遣ったつもりなのだろう。周りの者にアルベルティ―ヌが誤解されないために。
王宮で同い年の友人がアルベルティ―ヌにできないのは、こういう所以があるのだ。
ロイスともレオナルドとも親しいアルベルティ―ヌは、二股をかけて、どちらが王位に就いても良いようにしていると。アルベルティ―ヌに全くその気がないことは、傍にいればわかることなので、当のロイスもレオナルドも全く気にしていない。むしろ公然と噂を否定しているのだが、それが返ってアルベルティ―ヌの立場を悪くしていた。廊下を歩いている時、アルベルティーヌに向かって「魔性の女」と聞こえよがしに言っているのを何度も見たことがある。
アルベルティ―ヌが美しくない上に、侯爵令嬢でもなければ、状況はまた違ったのだろうが、アルベルティ―ヌは自他ともに認める美人だし、貴族の中でも高位の爵位を持つ令嬢だ。真っ向から立ち向かえる者は、ほとんどいない。
「それより兄上、アルベルティ―ヌを探していらっしゃったんでしょう?」
レオナルドがそう言うと、ああそうだった、と思い出したようにロイスがアルベルティ―ヌに差し出した。それは、真っ白な便せんに王立学院の蜜蝋が押してある手紙だった。
「これって…」
手紙はアルベルティ―ヌが心待ちにしていたルポンヌからの推薦状だった。急いで開封すると、合格証明書と白紙の入学申込書が同封されていた。
嬉しさのあまり、アルベルティ―ヌは声も出ない。
「これは、直接渡したら良いだろうって、ギデオンが言うからさ」
ちらりとロイスがギデオンを見ると、ギデオンは照れたようにそっぽを向いた。アルベルティ―ヌは、ギデオンに向き直ると、勢いよく彼に飛びついた。
「やったわ、ギデオン!!ありがとう!!」
首を絞められながらお礼を言われたギデオンは、苦し気に顔を歪めながらも、アルベルティ―ヌの頭をぽんぽんと撫でた。
「おめでとう、アルベル」
優しいギデオンの声が、いつまでもアルベルティ―ヌの耳の奥で木霊していた。
***
ギデオンとロイスは、あっさりと一般入試に合格し、アルベルティーヌと共にルポンヌの入学することが決まった。ルポンヌの試験を通ったのは、この三人の他、十人の男子と一人の女子だけであった。年齢は、アルベルティーヌ達とさして変わらないという。
今か今かと待っていた入学式の日は、あっと言う間にやって来た。
濃紺のローブの下には白いブラウスとグレーのチェック柄のスカートを着ている。冬はローブとマントを着用するものの、秋は薄い生地でできた濃紺のジャケットを着る。ジャケットとローブには、それぞれに、名前とルポンヌの生徒であることを表す紋章が刺繍が施されている。
平民階級の生徒の中には、家と学院が離れているために、寮に入る者が何人かいるものの、アルベルティーヌたちは家から通学するため、寮には入らない。
大講堂で入学式を終えたアルベルティーヌ達は、明日から授業が開始される。基本的なことを一通り簡単におさらいした後、すぐに発展魔法を学び始める。十五で入学して、十九で卒業するまでの間に、アルベルティーヌ達は、ほとんど全ての魔法をマスターするのがルポンヌの課題となっている。
楽しく充実していた学院生活を期待していたアルベルティーヌは、入学二日目に、あっさりと裏切られることになるとは、夢にも思っていなかった。
翌日、魔法薬学と古代魔法の授業を終え、アルベルティーヌ達は動きやすい服装に着替えると、飛行魔法の授業を受けるために校庭へと足を運んだ。授業初日であるため、飛行魔法の授業ではブルームキャッチャーをやることになっていた。
アルベルティーヌが愛用している箒は、母のセシリアも愛用していたリベリアシャープという箒メーカーが生産している最高級品だ。ラファエルが、昨年の誕生日のプレゼントとしてアルベルティーヌにくれたものだった。ロイスとギデオンの箒は、高級箒メーカーのルヴィード社が一本一本、手作りしたもので、ナンバーが刻印されていた。
「アルベルティーヌ・セルディック嬢」
声のした方を振り返ると、アルベルティーヌを除いて唯一の令嬢である、シルヴィア・ジュベールが仁王立ちをしていた。シルヴィアは、背の高いアルベルティーヌと並んでも大きく、グラマーという表現がぴったりだった。
「貴女、ブルームキャッチャーがお得意なのよね?」
「ええ。母譲りですわ」
「セシリア夫人は私の母の学友なの。傲慢で魔性の貴女とは、随分と違うお人だったそうよ。貴女、まさか里子じゃないでしょうね?」
初対面から随分と失礼なことを言われたが、それよりもアルベルティーヌが引っかかったのは里子という点だった。
「あら、シルヴィア様はご存知ありませんの?私、セルディック家の血の呪いの影響が人一倍強と言われておりますの。どこを疑えば、そのような話になるのでしょうね?」
思わぬ反撃にシルヴィアは面食らったようだった。
「噂ですわ。まあ、二人の王子様を手玉に取る貴女は、さぞ良い性格をされているのでしょうから…。そのような噂がたっても、仕方がないのでは?」
「手玉に取るとは、人聞きの悪いことをおっしゃりますのね」
「あら、事実なのでしょう?」
「まさか。私はあくまでも、ロイス様ともレオナルド様とも親しくさせていただいている一介の臣下に過ぎませんの。殿下と恋仲になるのだとしたら、もっと早くから誘惑していますし、今頃は花嫁修業に励んでいるでしょうね。それなのに、わざわざルポンヌに入ったということは、殿下にお仕えするためであって、妃になるためではありませんわ」
アルベルティーヌが冷たく言い放つと、シルヴィアは苦々しげな表情になり、踵を返して歩き去って行った。
シルヴィアが去ると、アルベルティーヌはぐったりとして窓辺の縁に座り込んだ。王宮での評判が良くないことは知っていたが、面と向かって言われたのは初めてだった。それでも、影でコソコソと言われるよりは、ずっとたちは良かったが。
ギデオンが自分を心配してくれていた訳も、今は身に沁みた。彼はアルベルティーヌを守ろうとして、あのような態度を取っていたのだ。それなのに、自分は彼に対して何と酷いことをしてしまったのだろうか。
ごめんなさい、ギデオン。
予鈴が響き、慌ててアルベルティーヌは校庭へ走って行った。