ギデオン
申し訳ありません。途中から、王子と王弟の名前が混ざってしまいました。混乱された方もいらっしゃると思われるので、訂正させていただきます。
王子はロイス、王弟はレオナルドになります。
三話目からは正しい表記になっています。ご迷惑をおかけしました。
数週間ほど経った頃。
アルベルティーヌはラファエルに連れられて、王宮を訪れていた。
ラファエルは黒地に金糸で刺繍が施され、肩にはセルディック家の紋章が縫われている、一級魔導師の制服を着ている。
王宮の大理石が敷き詰められた白い床はピカピカに磨かれ、空調はほど良く効いており、真夏のこの暑さを全く感じさせない。手紙が飛び交っていたり、つむじ風と共に人が現れたりしていて、アルベルティーヌの好奇心をかきたてた。
今日着ているグレーのドレスの裾には、黒いサテンのリボンがついており、胸元には繊細な刺繍がほどこされている。それだけではなく、襟は二枚重ねになっており、上の方は花柄のレースになっているドレスを着ていた。
ラファエルの執務室でいろいろ詮索したあと、アルベルティーヌは庭に連れ出された。
庭には、一級魔導師の制服を着た栗色の髪をした男が、アルベルティーヌと同じくらいの年頃の少年と、明らかに上質な服に身を包んだ金髪の少年がいた。
二人とも、アルベルティーヌとはそう変わらない年齢だろう。
「カジミール」
カジミールとよばれた男は振り返ると、かすかに微笑んだ。
「ラファエルか。君に隠し子なんていたかな?」
ラファエルの手を握るアルベルティーヌを見て、カジミールはにやっと笑った。
「アルベルティーヌだよ」
父がそう言うと、カジミールは半ば呆れたような、半ば驚いた表情をした。
「お前は相変わらずセシリア夫人一筋だよな。いや待て、それより本当にアルベルティーヌか?でもドレスが……随分と、その、良くなったね」
「ああ。昨日、木から落ちて記憶喪失になったあと、趣味も好みも何もかも変わってしまったらしい。それに、10歳とは思えないほど頭も良い」
「木から落ちた? 前から思っていたが、お転婆な娘さんだな」
「今はブルームキャッチャーに夢中だよ。相変わらず、飛行魔法はお手の物だ」
「セシリア夫人に似たんだね」
「そうかもしれない。セシリアもブルームキャッチャーは得意だったから」
ブルームキャッチャーとは、箒に乗って行うサッカーにようなものである。蹴る殴る、及び棍棒の持ち込みは禁止だが、箒から相手を叩き落とすのは問題ない。という、かなり野蛮で意味不明なところが多いゲームだが、ナショナルリーグもあるくらいなので、国内では凄まじい人気を誇る。
亡き母、セシリアはブルームキャッチャーは好きで、学生時代は代表選手に選ばれていた。
「ああ、そうだ」
カジミールが二人の少年を手を向けて言った。
「右が息子のギデオン、左が第一王子のロイス殿下です」
「ええっと、初めてではないかもしれないんですけど、初めまして。ラファエル・セルディックの娘、アルベルティーヌと申します」
ドレスの裾を少しつまみ、足を折ってお辞儀する。
「久しぶりだね、アルベルティーヌ。ドレスもよく似合っててかわいいよ」
「ありがとうございます、ロイス様」
いかにも王子さま然としているのは、さすがというべきか。顔が整っているせいで、ちょっと笑っただけなのにとんでもない破壊力がある。
「どうか、アルベルとお呼びくださいませ」
にっこりとすれば、ロイスはさらに笑みを深めたが、その隣に立っているギデオンは一言も発さないどころか、仏頂面だ。
「ギデオンも、よろしくね」
砕けた口調で言えば、ギデオンはぎょっとしたようにアルベルティーヌを見た。そして、少し硬い口調で言った。透き通るような淡い青色には警戒するように光っている。
「よろしく」
「アルベル、殿下とギデオンと遊んでおいで。また迎えに来るからね」
ラファエルはそう言うと、カジミールと戻っていった。
「ねえ、アルベル」
ラファエル達が去ると、ロイスが声を潜めて話しかけてきた。
ふふん、これはきっと、秘密のお願いね。
「街に少しだけ出たいんだ。良いよね?」
「駄目ですよ、殿下。護衛もなく出かけるなんて」
冷たく制止するギデオンを他所に、ロイスは語り続ける。
「頼むよ、アルベル。お母様もお父様も駄目って言うんだ。今のうちから民達の生活をよく知っておくのは悪くないだろう?」
明らかにこれは体の良い言い訳だ。五歳の子供が、こんな理屈を並べられる訳がない。誰かが入れ知恵したに違いなかった。もしかしたら、ロイスを排除したいと願う者たちの可能性だってある。
確か、ロイス様は弟君がいたのよね?名前は…確かレオナルド様。ロイス様のお母様は亡くなってて、今の王妃様が生んだ王子殿下がレオナルド様なのよね。
「一体誰に、そう言ったら良いと言われたのですか?」
アルベルティーヌがそう言うと、ロイスはびっくりしたように目を大きく開いた。
あら、図星なのね。
「それは…」
もごもごとするロイスを見て、アルベルティーヌはため息がついた。
誰に吹き込まれたのか覚えてる訳ないわよね。
「なりません、殿下。刺客が放たれているかもしれないのですよ」
「刺客?」
ロイスは恐々として言った。
「殿下を殺そうと狙う者達です。それより、公式の訪問が嫌で、どうしてもお忍びが良いと言われるなら、自分の身を自分で守るしか術を身につけてからにしましょう。私や、ギデオンを社会的に抹殺したいというなら別ですが」
社会的に抹殺、という意味は理解できていないだろうが、とにかく言いたいことは伝わったらしい。ロイスはギデオンに早速魔法の使い方を教えろとせがみ始めた。
面倒臭そうな顔をしてアルベルティーヌを睨むギデオンを無視して、アルベルティーヌは木陰にロイスを誘った。
「簡単な防御魔法からやろうよ、ギデオン」
「そうだね。殿下、見ていてくださいね。(呪文)」
ギデオンが唱えると、透明な気泡のようなものがギデオンを覆った。触れてみると、それは案外硬かった。
「硬さは訓練すれば強くなっていくし、魔力による個人差もあるけど、殿下やアルベル…特にアルベルなら魔力の強い家系だから、問題ないと思う」
「ギデオンも硬いわ。どこの家の生まれなの?」
「ド・シャロンジェ侯爵家」
答えたのはギデオンではなく、ロイスだった。
「ギデオンの母親は侯爵の愛妾なんだ」
そんなことを勝手に言って良いのかと思ったが、ギデオンはそっぽを向いていた。
「ド・シャロンジェ家の正妻は今の王妃の一族の者だけど、男の子供が産めなくてね。愛妾に子供を産ませたんだよ」
嘲り笑うようなロイスに、アルベルティーヌは不快感を覚えた。
何なの、この王子。嫌な感じね。ギデオンに対して失礼じゃない?
「殿下、ひどいです」
ロイスは心外だと言うような様子だった。
「僕は王子だよ」
未だ傲慢に言うロイスにアルベルティーヌは諭すように言った。
「王子だからこそ、ですよ。王となるべき殿下は、そのようなことを言ってはいけないのです。暴君や傲慢な王は論外なのはご存知でしょうが、本当に民が求めるのは優秀な王ではなく、思いやり深い王です。殿下はそうなれるチャンスがあります。今から、そうなさっていれば、レオナルド様に皇太子の座を奪われることはありません」
アルベルティーヌは一気に言った。ロイスは気圧され、不貞腐れていたが、アルベルティーヌの顔を見ると素直に謝った。
「ごめん、ギデオン」
その顔に、一瞬だけ悔しそうな表情が浮かんだ。
あれ、もしかしてギデオンに嫉妬して意地悪しちゃっただけなのかしら。でも、王子様だからそれを言えなかったとか?それに、ちょっと陰湿になったのは、まだ幼いからなの?私、少し言い過ぎたかも。
「あの、ロイス様。私こそ、先ほどは無礼を致しました。申し訳ありません」
ロイスは頬を紅く染めて、それからにっこりと笑った。
「気にしないで、アルベル。僕も少し言い過ぎたんだから」
和やかに呪文を練習していると、あっという間に時間は過ぎてしまい、専属の教師による英才教育があるロイスとは別れることになった。
ギデオンと二人で庭に残されたアルベルティーヌは、美しい池の周りに敷き詰められている芝生の上に座った。
「殿下があんな風に言ったのは、王妃殿下が嫌いだからで、僕を貶めようと言ったんじゃないよ」
そんなことは百も承知だ。先ほど純粋だということには気づいたのだから。
「知ってるわ。でも、あの言い方は良くないわ。殿下は王になるの。彼にとって大切なことは今のうちから、民のことを殿下よりよく知っている私たちが教えるのは悪いことじゃないでしょう」
「そうだね」
王妃様がどんな方か、ギデオンなら、知ってるよね?
「今の妃殿下は、どういう方なの?」
ギデオンはアルベルティーヌをちらりとみやり、おもむろに口を開いた。
「生まれて間もなく先の妃殿下が亡くなって、まもなく嫁いで来られたのが今の王妃様だよ。公爵の令嬢でいらしてるから、プライドが高い。政治にも口を出されるし、今はレオナルド様を皇太子にと声高におっしゃられているよ。だから陛下と妃殿下の仲は、ここ数年で悪くなったんだ。陛下は先の王妃様とそれはそれは仲睦まじい夫婦だったから。陛下はロイス様を必ず皇太子にすると思うよ」
「でも、確証はないでしょ。悪いけど、陛下がこのまま亡くなってしまったら妃殿下が政権の中心につくようなことは、なきにしもあらずだよ」
「縁起でもないことを言うな!陛下に無礼だ!」
いきなりギデオンが怒鳴りだしたので、アルベルティーヌは驚いて後ろに仰け反った。
「あくまで可能性の話よ」
「些細なことでも、殿下は不安になられるんだ」
「ごめんなさい、ギデオン」
アルベルティーヌは言うべきか迷ったが、やはり言うことにした。自分の考えは、はっきりと示すべきだと思ったからだ。
「ただ、現実を見るべきだと思うわ」
アルベルティーヌがそう言うと、ギデオンはむっつりと黙り込んだ。
「私はロイス様のことをよく知らないわ。でもね、ロイス様をいずれ、国王にしたいというなら、現実を見て、それに対応できるようにするべきだわ」
ギデオンはアルベルティーヌを訝しげに見やると、睨みを利かせて口を開いた。
「君は誰だ?」
いきなり何を言い始めるの、この人!!
とぼけるしかないじゃない!!
もちろん、意味がわからないという風を演出して。
「はい?」
「以前、君と話したことがあるけど、こんなに知的で理路整然とした物言いはしなかった。むしろ、感情的で稚拙な理論ばかり展開してきた」
む、地味に侮辱された!
「聞いてないの?あなたのお父様から」
「何を?」
「私、木から落ちたの。だから、ごめんなさい、今までの記憶は一切ないのよ」
そこで、私はある矛盾に気づいた。
この人、さっきは私に初めましてって言ってたわよね?
「貴方、嘘をついてるのね」
「さっきは初めましてって言ったのに、今は以前にも会ったことがあるって言ったわ。どうしてかしら?」
問い詰めても、ギデオンは顔色一つ変えない。それどころか、片方の口角を上げて、小馬鹿にするようにアルベルティーヌを見つめていた。
うわ、面倒くさくて狡猾な人の典型じゃない!