悪趣味令嬢
不定期になりますが、改稿を始めます。
かなり大幅に加筆修正を加える予定ですので、ご迷惑をおかけしますが、お付き合いください。
夢から目が覚めた時、私の体は小さく縮んでしまっていた───。
生まれつき病弱だった私、鈴木佳奈は幼稚園にも小学校にも、まともに通ったことがない。
体調が比較的安定し、中学は無事に卒業できたものの、通信制の高校に通うことができたのは半年に満たなかった。
両親は私の治療費を稼ぐために休む間もなく仕事をしているために、お見舞いにもなかなか来れない。学校に行けなかった私に友達がいるはずもなく、裕福ではないので兄弟もいない。両親は若くして駆け落ち結婚したため、祖父母とは音信不通だ。汗水流しながら、病弱な娘の治療費を稼ぐためにせっせと働く両親に寂しい、とは言えず、私は一日のほとんどを一人で過ごすことが多い。
それでも、毎日を病院の無機質は天井を見上げることが苦痛でしかなく、両親の他に主治医や看護師がプレゼントしてくれた本を読んで過ごした。その中でも、お姫様が登場する物語が好きだった。
なぜ、そのような物語が好きなのか。理由は簡単である。
自分がお姫様のように、美しくなりたいのではない。だけれど、彼女たちは例外なく、王子様と出会うとたちまち一目惚れされて、無条件に愛されるからだ。数々の苦難を乗り越え、最後はめでたくハッピーエンド。バッドエンドのプリンセスストーリーなど聞いたこともない。だから、好きだ。必ず幸せになれるという結末が前提になっているから、読み終わって気分が悪くなることもない。登場人物は、たいてい美男美女だから目の保養にもなる。
ちょっぴり捻くれ者の私は、病気ではなく、事故で死んだのだと思う。実際に死んだ記憶はないから、不確かなのだけれど。
久しぶりに母が見舞いに来てくれたので、嬉しさのあまり病院の階段を駆け下りていた。そして、転んだ。ふわっと宙に身体が浮いたと思うと、母が絶叫しているのが見えた。死ぬのか、と思う間もなく、私の意識はブラックアウトした。
───そして、次に目覚めたのは、見ず知らずの世界だった。
***
「お嬢様、お嬢様!」
「ああ、旦那様にご連絡しなくては!」
ぼんやりとした意識の中、慌ただしい音と共に誰かが大声をあげながら部屋を出て行った。
お母さん、かな?
はっとして目を覚ますと、そこはふわふわしていた。佳奈の予想ならば、そこは固い床のはずだった。
私、階段から落ちなかった?
目をやると、そこはレースで飾られたベッドの上。そして、フリルが控えめにつけられた光沢ある高そうな生地のネグリジェを着ているほか、身体は10歳児ほどの大きさに縮んでいる。佳奈は驚くことに170センチ近い身長だったのだ。目線がこれほど下にあったのはいつのことだったか。
どういうこと?!
混乱しつつも、鏡の前に座って頭を働かせる。そうすると、とある考えに行き着いた。
ラノベでもよくあるように、佳奈は恐らく「転生」してしまったのだ。だから、黒かった髪は亜麻色の髪に、同じ黒かった虹彩は深い青色になっている。それに、身体は小さくなっている。おまけに、とびきり可愛い。
そうすると、ある問題にいきついた。
そもそも、私…この子は誰?
佳奈は自分が何者か調べないといけないし、この身体の持ち主である少女になりきらなくてはならない。間違っても、生前(?)の名前を口にしてはいけない。
バタン、と音がして佳奈は扉のある方向をぎょっとして目をやると、ふくよかな女性が心配そうな顔つきで私を覗き込んでいた。
「ええっと…ごめんなさい、あなたは誰かしら?」
佳奈が訊くと、その女性はこの世の終わりのような顔をして叫んだ。
「ああ!だからあれほど、木登りをするなと言ったのに!」
「あの、落ち着いてね?」
予想外に冷静な口調で話す佳奈を、まじまじと見ると、その女性は姿勢を正して私に向き直った。
「あのね、多分、私は記憶を失っているの。ごめんなさい、貴女のことも私自身のことも何も覚えていないの。だから、私に一から何もかも教えてちょうだい。そうね、それから15歳の娘に話すように言ってね」
下手に嘘をつくよりも、教えてもらった方が得策だ。
女性は唖然とした様子だったが、すぐに気を取り直して、こほん、と咳払いした。
「…本当に忘れてしまったのですか?」
こくり、と頷くと彼女は嘆息して話し始めた。
「分かりました。私はお嬢様、アルベルティーヌ様の教育係のマチルダと申します。お嬢様は、セルディック侯爵家のたった一人のご令嬢です。奥様は、つまり、お嬢様のお母様のセシリア様は、数年前に亡くなっておられます。当主のラファエル様は、王宮の一級魔術師で、魔法省にお勤めなさっています。国王陛下からの信頼も厚く、次期魔法大臣の候補でもあらせられます。ですが、奥様亡き後も旦那様は、相変わらずお嬢様を溺愛しておられ、新しい奥様をお迎えするつもりは微塵もないと、公言なさっております」
「よく分かったわ。ありがとう、マチルダ」
そう言って微笑むと、マチルダは別な生き物を見るかのように私を見た。
「ごめんなさいね、驚いたでしょう?でも、頭がとてもすっきりしているの。ちょっと難しい言葉の方が理解しやすいのよ」
マチルダはしばし黙った後、納得したように頷いた。それでもまだ、微妙な顔つきではあったが。
「お嬢様は木が落ちたことで、今まで外れていたネジがそれはしっかりしまったようですね」
にこやかに微笑むマチルダを他所に、私は心臓が跳ね上がりそうだった。アルベルティーヌという名のこの少女の父親が優秀であったことに感謝するばかりだ。
「ねえ、マチルダ。何か温かいものを持ってきてくれないかしら。お腹が空いたわ」
本当はホットミルクを飲みたかったのだが、ミルクがあるのかさえ不安だったから、敢えて抽象的な言い回しをした。
「承知いたしました。それでは、ホットチョコレートをお持ち致しましょう」
そう言いながらマチルダが部屋を出て行ったことを確認すると、佳奈は気になっていたクローゼットを開けた。このアルベルティーヌという少女は、どうも信用ならない。
家人から「頭のネジが外れたお嬢様」と言われてしまうほど、アルベルティーヌはお馬鹿な娘だったのだろうか。それを調べるチャンスは今しかない。
扉を開くと、大方、予想通りの服が並んでいた。ベビーピンクやレッドピンク、ローズピンクなど、ありとあらゆるピンク、原色の洪水が起きている。派手な生地に悪趣味な装飾がなされ、目がチカチカする。
げっ、こんなの着れないわよ!
試しに1着取り出してみると、あちこちにリボンやフリルが飾られているだけではなく、薔薇の刺繍が施されている。あまりの酷さに、手を震わせていると、マチルダが部屋に戻ってきた。
「お嬢様、何をなさっているのですか?」
アルベルティーヌはくるりとマチルダのいる方へ向き直った。
「……マチルダ、正直に答えてね」
不覚にも声が震えてしまった。
「この服は私のお気に入りだったの?」
佳奈が訊くと、マチルダは別段、何事でもなさそうに頷いた。
「ええ、お嬢様が大変お気に召されていらしたドレスです」
やはり、アルベルティーヌは悪趣味だったらしい。
でも、ちょっと待って。なんでマチルダは笑いを堪えてるのよ?!
「悪いけど、ここにあるものはリボンやフリルを生地から取り除いてから、どこかに寄付してちょうだい」
こんな悪趣味な装飾のまま寄付なんてできないわよ!どうせなら、そこそこまともにしてからプレゼントさせていただくわ!リボンもフリルも、きっと再利用できるし!
このまま寄付すれば、まず間違いなくアルベルティーヌは悪趣味令嬢の看板をいただきかねない。
「取り除いたものはどうなさいますか」
「生地と一緒に贈って構わないわ。それこら、新しいドレスを買いたいの。街へ行きたいわ」
「承知しました。ですが、お嬢様が街へ行かれる必要はございません。仕立て屋を呼びましょう」
アルベルティーヌを椅子に座らせて、ホットチョコレートを手に持たせると、マチルダはドレスを全てクローゼットから回収すると、足早に部屋から出て行った。
再び一人になった佳奈は部屋全体を見回した。
壁は白く塗られ、天蓋付きのベッドは繊細なレースは幾重にも重なっている。
ザ・令嬢というような部屋の典型だ。そして残念なことに、この部屋には山のようなぬいぐるみがあるにも関わらず、本が一冊もない。
アルベルティーヌって、最悪な趣味をしてるわ。何よあのピンクのカバは!!!
そういえば、先ほどマチルダは魔法云々と言っていた。きっと、この世界には魔法があるのだろう。父は一級なんちゃらと言っていたから、その血を受け継いでいるアルベルティーヌも、魔力を持っているに違いない。だが、その魔法についての情報もない。後でマチルダに訊くにしろ、とにかく今は大人しくしているに限る。下手に動いて、アルベルティーヌではないと気づかれたら大変だ。
足をぶらぶらさせたりしながら、マチルダを待っていると、小一時間もしないうちに仕立て屋を連れたマチルダが帰ってきた。
「どのようなドレスをお選びいただいても構わないと旦那様から言われておりますので、お好きなものをどうぞ」
何十着もある内から佳奈が選んだのは、比較的シンプルな装飾のドレスだった。色は七割方が落ち着いた紺や緑、グレーや白といったもの。残りは上品な深紅、桜色、空色といった明るめのドレスも取り入れた。ついでに、靴や帽子も可愛らしいものをいくつか選んだ。
「お嬢様は随分とご趣味が変わられましたね」
と、マチルダが呟いていた。服屋も同感だと言わんばかりに、うんうんと頷いている。
それから、大量のメルヘンチックなぬいぐるみや、安っぽいアクセサリー類をすべて処分させると、特に気に入った瑠璃紺の生地に、裾の部分が金糸で刺繍された小さなマーガレットが魅力的なドレスを着た。髪をポニーテールに結ってもらうと、早速、お邸を探検することにした。ところが、いろいろと回って歩いたのに、肝心の図書室が見当たらない。
「ねえ、マチルダ。ここに図書室はないの?」
「ございますよ。所属数が1万冊を超えるので、とても広いお部屋です。お嬢様は一度も足をお運びになったことがございませんが」
またもや佳奈の予想は的中した。アルベルティーヌは本が嫌いだったのだ。
「あら、そうなの? でも、今は本が読みたいわ。案内してくれるかしら」
「もちろんです」
満面の笑みをたたえたマチルダに案内されたのは、父の書斎の隣にある重厚な扉が据えられた部屋だった。
きっと、素晴らしいところに違いない。
マチルダが扉を開けると、目の前に広がっていたのは、お伽話にでてくるような素晴らしい図書室だった。
ずらりと本が並び、天井付近まで本がぎっしりと詰まっている。すべて豪華版と呼ばれる装飾がほどこされている本だ。上にある本は梯子に登って取るようになっているらしい。
アルベルティーヌが目をキラキラ輝かせていると、マチルダは堪えきれなくなったように吹き出した。
「どうしたの、マチルダ?」
マチルダは笑いが止まらないらしい。
「いえいえ、あまりにもお嬢様がお可愛らしいので。今までは図書室など大嫌いでしたのに、今は目をきらきらと輝かせていらっしゃる。まるで、別人になったようですね」
その別人がアルベルティーヌになってしまったのだから、変わるのも当然だ。
「マチルダ、何冊か読みたいものがあるから、選んでくれる?」
「はい。どのようなものでしょうか」
私が選んだのは、この世界について著されている書、魔法書、教科書、そしてこの家についての本だった。最終的には10冊を軽く越してしまったが、マチルダは魔法で軽々と本を部屋まで運んでくれた。
「ねえ、その魔法は何の魔法?」
「浮遊術でございます」
「私も魔法が使えるのかしら」
「もちろんです。お嬢様は飛行魔法がお得意でした」
「マチルダは何が得意なの?」
「私は、この浮遊魔法が得意です」
ほんの数時間で、マチルダとは、すっかり打ち解けることができた。マチルダは知的で、この世界のことをよく知っていたし、佳奈の質問に丁寧に答えてくれた。
一通り気になった事を訊き終えると、最後にどうしても気になっていたことを訊いた。
「マチルダ、私はどんな子だったのか教えてくださる?」
「お嬢様、ですか?」
そうですねえ、と頭を悩ませてからマチルダを見ていると、はぐらかされそうな予感がしたので、率直にお願いします、と前置きした。
マチルダはためらう素振りを見せつつも、コホンと咳払いして話し始めた。
「大変失礼ながら申し上げますが、実のところ、お嬢様はわがままで、高飛車で、侯爵家の御令嬢であることを鼻にかけていらっしゃいましたね。お勉強は目も当てられない成績でしたし」
つまり、性格が悪い上にバカ娘ということだ。
救いようのない小娘ほど、見ていて残念なものはない。
「ですが、今はとてもお優しいお方でござぃすし、先ほどの質問も高度で非常に論理的な解釈をなさる。そして、本が大好きになられましたわ」
嬉しそうに言うマチルダを見て、私はひとまず安心した。アルベルティーヌの人格を無視して良かったらしい。
「ありがとう、マチルダ。明日から、いっぱいお勉強をするつもり。飛行魔法も練習したいから、しっかり教えてね」
と言えば、マチルダは目元にハンカチを当てて、さめざめと泣き始めた。涙脆いのかもしれない。
「マチルダ、泣かないで」
と慰めれば、さらに、おいおいと泣いてしまった。
マチルダが泣き終えると、外からガタゴトという音が聞こえてきた。
「あら、誰か来たのかしら」
「旦那様がお帰りになったのです。お嬢様、お迎えなさってください」
マチルダに追い立てられるようにして玄関に行くと、がちゃりと音がして扉がひとりでに開いた。
入って来たのは、優しそうな温和な顔立ちの紳士だった。アルベルティーヌと同じ黒髪に深い青色の瞳をしている。線が細く、どこか頼りない感じがするが、少し垂れ気味の双眸は知的な光を宿している。
アルベルティーヌを見ると、その紳士はいきなりアルベルティーヌを抱き上げた。
「アルベル!記憶を失ったというのは本当かい?」
「間違いありません、旦那様」
アルベルティーヌの代わりにマチルダが答えた。
「マチルダ、アルベルは大丈夫なのか」
「はい。ホットチョコレートを飲まれたら、すっかりお加減も良いようで。早速、ドレスを全て買い替え、アクセサリーやぬいぐるみを処分し、数冊の本をお読みになられました。明日からは、お勉強なさると意気込んでおられます」
簡潔にすらすらと答えるマチルダの報告に、父は目を丸くしている。
「ドレスを買い替えた? アクセサリーやぬいぐるみを捨てた? 本を読んだって? おまけに勉強したい? それは本当かい、アルベル?」
佳奈はこくりと頷いた。
ラファエル私をまじまじと見つめると、嬉しそうに笑って佳奈を力一杯抱きしめた。
「じゃあ、お父さまはアルベルを応援しよう。好きなだけやったらいい」
うんうん、と一人で頷きながら、父は私の手を引いてダイニングルームに向かった。
そこには美味しそうなご馳走が上品に並んでいる。
「わあ、美味しそう!」
目を輝かせながら、父と対峙するように椅子に座った。
お腹がぺこぺこだったので、アルベルティ―ヌは喜んで食べ始めた。味気ない病院食とは比べ物にならない逸品ばかりの料理であり、どれもこれも全て美味しかったので、思わず破顔してしまった。
「そんなに美味しいかい、アルベル」
「とっとも美味しいわ、お父様!」
「そんなに美味しそうにご飯を食べるアルベルは初めて見るな。良いことだよ」
「ねえ、お父様。お食事の後、ご迷惑じゃなかったら、いろいろなお話が聞きたいの。今夜はお忙しい?」
ラファエルは目を丸くしていたが、やがて、にっこりと微笑んだ。
「もちろんだよ、アルベル。木から落ちたと聞いたときには、さらに頭のネジが抜けるかと思ったが、きっちりとしまったようだね」
マチルダと同じことを言う。
「そんなにわたしのネジは外れていたかしら?」
とアルベルティーヌが言うと、父は盛大に吹き出した。しばらく笑いが止まらず、ダイニングルームには賑やかな笑い声が響いていた。