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37 アルバイト日和5

 井の頭ライブホール一階機材搬入口。

 中に入ってすぐの壁に、直径10センチほどの奇妙な魔法陣が描かれていた。

 そこには魔法っぽい仕掛けの隠し通路があったようで、魔法陣に触れるとアーチ型の通路が出現した。

 俺はさらわれた三浦さんを追いかけるため、通路へと踏み込んだ。


 三浦さんをさらったのは、一緒にバイトに雇われていた四人組の大学生らしい。

 ひとりは二階席で倒れている沼田って男で、ふたり目は三浦さんと一緒に通路に消えた水田という男。他にも荒井という人や、もう一人名前を知らない男がいるようだ。


 緩やかなスロープ状の通路は、大きなカーブを描いて下へと向かっていた。

 全体的に磨かれた石のような材質をしている。

 周囲は薄暗くて色は分からないし、先は10メートルくらいしか見通せない。

 ただどこにも照明がないので、本当なら真っ暗になりそうなものだ。

 不思議だった。


 どれだけ歩いたか。

 時間感覚が分からなくなっている。

 振り返ったら当たり前だけど、同じような通路が伸びていた。

 前も後ろも同じ景色なので、もしもうっかり反転したら、気づかずに元の場所に戻ってしまいそうだ。


 携帯端末のアプリには方位磁石もあったんだけどな。

 ふと思い出して、そう言えば自分が端末を持っていない事に気が付いた。

 あれは警備員の制服のポケットにある、つまり俺の本当の肉体が持っている。

 肉体まで戻って持ってくれば良かったかも。

 懐中電灯アプリもあったし、今の時間だって確認できる。

 ほんと俺、どれだけ歩いているんだろ。

 10分くらいだろうか、もしかして何時間も歩いているのかも。

 夢の中にいるような、ふわっとした感じがしている。


 やがて周囲が、少し明るくなった。

 見上げると通路の先から光が差し込んでいる。

 あれは、出口か!


「やっと終わりか、長かったな。でも何で上にあるの?」


 いつの間にかスロープは登り坂になっていたようだ。

 まったく気が付かなかった。

 余程ボンヤリしていたらしい。

 でも出口が見えたから気力が戻ってきた。

 少し早足になった。


 あらためて周囲を見たら、もう通路はアーチ型をしていなかった。ゴツゴツした岩肌になっている。

 足元も平坦じゃない、慌てると突き出したデコボコに引っかかって転びそうだ。

 たった今まで平坦なスロープだったのに。


「なんか洞窟っぽい」


 知らないうちに周りの環境がすっかり変わっていた。

 変わり過ぎていた。

 まさに洞窟だった。あるいはダンジョンってやつかも知れない。

 井の頭ライブホールって、ダンジョンへの入り口?


 まあいいや、とにかく進む。


 洞窟は高さも横幅も5、6メートルはあって広い。

 だが何でだろう。

 明るい方へ向かうほど気温が高くなっていく。


 やがて出口にたどり着いた時は、汗だくになっていた。

 外へ踏み出すと、そこには広大な砂漠が広がっていた。


 え、砂漠?


「嘘でしょ……」


 思わず声がうわずる。


 洞窟から出た場所は、砂漠の小さな岩場になっていたようだ。

 空は晴天で青く澄み切っており、太陽の直射が大地を干上がらせていた。

 砂丘に反射した光が、暗闇に慣れた目を焼いて痛い。

 何よりすごく暑い。

 さっきまでいた井の頭は初冬だったし、気温差が大きすぎてキツい。

 真夏に冷房の効いたコンビニから外に出た時よりもひどい。

 あまりの激変に、身体も心もついていかない。


「くっそ、こんなの無茶だって」

 いろんなストレスで頭がフラフラする。


 ふと海原を眺めるうちに、遠くに何か動いているものを発見した。

 眩しさを堪えながら目を凝らしたら、動物っぽい影に見えた。

 二本足の……、ダチョウ、か?

 しかしダチョウにしてはクチバシが長い気がする。

 頭部も太いような。

 てか砂漠にダチョウって居たっけか。

 こっちに近づいて来るが、俺の姿には気づいていないようだった。


 うーん、とりあえず身を隠すか。

 野生の動物って意外に凶暴だし、危険かも知れないし。

 用心のため、洞窟の入り口に身を潜める。


 やがて近づいてきた謎の動物は、身の丈が4メートルを超える巨大なダチョウっぽい何かだった。

 やっぱり頭部が妙にでかい。

 こいつには見覚えがあった、ガァーガックという名前のモンスターだ。

 肉食で人間くらいなら丸呑みにしてしまう。


「やっぱり、ここはダナウエルか」


 薄々は思っていたけど、ガァーガックはダナウエル大陸オンラインに登場しているモンスターだ。

 もしやと思ったが、やはりこの場所はダナウエル大陸らしい。

 俺はいつの間にかログインしていたようだ。


「ってことは、三浦さんもダナウエル大陸に来てるんだろうか。いやしかし俺と違って肉体のまま通路に入っていたけど……。えっとでも、現実の身体のまま夢の世界に入るなんて、有り得るんだろうか」


 首をかしげる。

 本当に今日は、冷静に考えれば有り得ない出来事ばかりが続いている。

 人の胴体が増えたり伸びたり、現実世界にゴブリンが現れたり。

 たぶん自分が渦中に居て経験しているから、実際にあった事だと受け入れているんだと思うけど。

 正直あまりにも常識外れなので、気持ちが落ち着くほど現実味が薄れてしまい、ついさっきの経験を前提に思考を進めて良いのか不安になる。


 三浦さんが肉体ごとダナウエルに連れて来られた。

 そう考えて良いのだろか。

 さらわれたから追いかけなくちゃいけないと思い、あまり考えずにやって来たけど。こんな感じで探し続けても大丈夫なんだろうか。


 ……夢だったら目を覚ませば終わりだけど、肉体ごと来てるなら、こっちの世界のNPCというか住人と同じように、本当の命に関わるんじゃないのか。

 それって凄く危険だよな。

 例えばここは砂漠みたいだけど、こっちの住人と同じ条件で存在するのなら、水が無いだけで生命の危機じゃないのか。


 まあ、三浦さんが砂漠に来ているとは限らないんだけど。

 二階席の通路と搬入口の通路は、それぞれ違う場所に繋がってた可能性もある。


 ダチョウに比べたら大きな頭を持つガァーガックは、どういう目的があるのか知らないけど、俺のいる岩場を無視して通り過ぎていった。


 こいつの姿は、以前ネットのプレイ動画で見たから知っていた。

 あの時は五人パーティで戦闘しており、プレイヤーたちの完全敗北だった。

 ガァーガックに二人が丸呑みされて、そのまま逃げられたんだよな。

 仲間を食い逃げされたプレイヤーたちが、呆然と砂丘に立ち尽くしていた。

 初心者用の始まりの街周辺には、あまり強力なモンスターは生息しておらず、恐らくガァーガックもそれほどの強敵ってわけじゃないだろう。

 少しレベルを上げるか、あるいはプレイヤーの連携が上手くなれば、そんなに苦労しなくても倒せそうな印象だった。

 とくにガァーガックはHPが残ってる間は丸呑み攻撃をしないから、HP管理に気を付けて立ち回れば、戦闘時間の長短はともかく、まず勝てる相手だと思う。

 攻撃力よりも防御の高い敵っぽいし。


 ん?

 そうだ、始まりの街ってのがあった。

 フレイヤーキャラクターたちがキャラクリ後、スタート地点にしている都市だ。


 俺は何故か弾かれて別の場所から始まったけど、始まりの街は三箇所用意されていた。どこからスタートするのかはランダムで割り振られていた。

 三箇所の距離は移動に何ヶ月もかかるほど離されており、ひとつは俺のいたヘルンから近い港街サンミャコ、もうひとつが平地の城塞都市ニノジョウカ、最後が砂漠の街イチザートだった。


 だから、ここが砂漠って事は。

 もしかして始まりの街イチザートの近くだったりするかも。

 だって確か街から北西に、ガァーガックの出現地域があったはすだ。


 さっき近づいて来たガァーガックが遠くに離れたのを確認して、俺は洞窟の陰から出ると360度の全体を見渡した。

 近くに都市があるなら、なにか建造物でも見えないだろうか。


 ……うーん駄目か、あるのは砂丘ばかりか。


 現在スキルポイントが1点残っているから、ゲームのシステム画面が使えたら偵察や捜索に役立つスキルを覚えられるけど、残念ながら現状はRV四号型を通してログインしてないので、システム画面どころか、ユンピアと連絡さえ取れない。

 さらにどうやら完全ログアウトも半ログアウトも出来ないみたいだ。


 もしかして俺が現実世界に帰るためには、もう一度ここの洞窟を通って井の頭ライブホールに行かないと駄目なのかも。

 あるいは普通に肉体が目を覚ませば大丈夫かな?


 まあ何はともあれ、まず三浦さんを探すとしよう。

 見つけ出して、一緒に現実に戻らなくちゃ。


 ……いや、とは言うものの。

 ううむぅ、本当に困ったなぁ。

 手がかりが無さすぎるぞ。

 溜息が出る。

 周辺は変哲も無い砂地だけで、たいして広くもない岩場にしても、目を引くようなものは何も見つけれない。

 探し始めるにしても、砂漠をあてもなく歩くなんて無謀すぎる。


 雲さえ浮かばず、ただ太陽が照っているだけの、孤独で広大な風景。


 ん、待てよ、太陽か!

 えっと今は何時だ?

 あ、くそ、脳裏に時間が浮かばない。ステータスは見れるのに時計は駄目なのか。

 時間が判れば、太陽の位置が推測できるのに!


 ダナウエルの太陽も現実と同じで、日の出は東側から日の入りは西側だ。

 ええと、インディーズバンドる〜がる〜の「二周年だから遠吠えで祝う!」イベが始まったのが15時30分だから、ダナウエル時間だと昼過ぎくらいだっけか。

 歌が始まってすぐ地震があって、それからゴブリンやらの騒動があった後だから、多分現実は16時過ぎかそのぐらいだと思う。

 ダナウエルの時間だと、昼下がりになるはずだ。


 つまり現在ダナウエルの太陽は、真上より少し西に傾いているって事だよな。

 ガァーガックの出現地帯は、始まりの街イチザートから見て北西だったから。

 もしもだ、もしもこの場所が始まりの街の周辺地帯だったならば、南東の方角に向かえばイチザートに近づけるはずだ。


 うん、これしかない。

 南東に向かおう。


 ええと、太陽が西にあるとすれば、右側を向ければ正面が南になる、よね。

 南東って事は、少しだけ身体をまわして、太陽を右斜め後ろに持ってくれば良いのか。

 良いんだよな?

 ううむ、大丈夫なはずだ。

 つねに太陽を身体の右斜め後ろに置いて歩く。

 あ、自分の影が目印になるじゃないか、これを見ながら歩けば楽だ。

 いけるはずだ。

 よし、出発だ!


 砂漠に足を踏み出した。


 しばらく歩いて思ったのは。

 自分が生まれて始めて砂漠を歩いてるって事と、海辺の砂浜よりもはるかに歩きにくいって事だった。

 だってサラッサラに乾いた砂は普通に歩いていても、くるぶしまで砂に埋まるんだから。

 しかも熱い。

 たぶん自動車の焼けたボンネットと同じくらい熱い。

 しかもしかも、シューズの隙間から砂が入ってくる。

 これがまた熱いし、すっごく鬱陶しい。

 砂漠を歩くのにカジュアルな服装は、本当に合わないんだって理解した。

 最低でも長靴っぽいのか、逆に砂の詰まらないビーチサンダルっぽいのが欲しいし、日差し対策に帽子は必需品だった。

 直射日光で髪の毛に火が付きそうだ。


「そして何という果てしなさ……」

 体感で半時間ほど歩いたくらいに、思わず愚痴が口をついた。


 どのくらい歩けば良いんだろう。

 周囲は砂しかない。

 砂だらけ。

 足元の影だけが、気持ちを支えている。

 延々と足を運び続ける。


 俺のキャラクターの体力値は25だ。

 これはダナウエルの一般人の倍位以上もある。

 恐らくこの数値の高さのお陰だと思うが、どれだけ歩いても疲れに襲われなかった。

 頭も足元も服の中も暑いし熱いし、砂のザラザラとチクチクで堪らないが。

 疲れで動けなくなる気配は微塵もない。

 それに喉は乾かないし、空腹も感じない。

 これは体力値は関係なくて、本物の肉体が現実にあるからだろう。

 こっちは仮の身体なので、食事等の必要がないのだ。

 先の見えない砂漠の歩き業だから、この仕様はすごく助かる。


 さらに歩き続ける。

 太陽が傾き、少し影が伸びたようだ。

 身体は疲労しなくても、心がすり減っていく。

 心の弱る原因は、きっと不安感だ。

 この進む先にイチザートがあるという保証はない。

 三浦さんが居る保証もない。

 むしろ俺の願望に近い。

 見渡す限りの広大な砂漠で、存在しているのは俺だけだ。

 ポツンとたった一人っきり。

 過酷な地獄のような場所で、たまに砂混じりの熱風が吹くだけの静寂の地で。

 一人っきりだ。


 このまま、どこにもたどり着かなかったらどうしよう。

 そんな折れ掛かっている心に、気づかないフリをして歩き続ける。


 太陽がさらに傾き、またほんの少し影が伸びた頃。

 ふと顔を上げると遥か遠方に、小さな黒い粒の塊が見えた。

 目にゴミが入ったか、あるいは何かの見間違いかと思ったが、揺れるような大気の先で黒い粒のような影が、列を作って動いていた。


「あれは……、魔物?」


 だとしたら不味いな。

 武器が無いのも問題だけど、この足場でまともに戦う自信がない。

 うーん、ゴブリン数匹くらいなら相手に出来そうだけど。


「おや、塔がある?」


 黒い影のさらに向こう側に、細い棒のような建物が見えた。

 ずっと下を見ていたから気づかなかったけど、けっこう大きな塔かも知れない。

 最上階のあたりが、星の瞬きのように光っていた。


「あれって、もしかして目印じゃないのか! 砂漠を渡るための!」


 ふと思い当たって、思わず声を上げる。

 そう言えば以前にネット情報で、貿易のための誘導灯が、街道沿いに設置されていると聞いた気がする。

 自分と関係のない地域だったし忘れていたけど、そんな話があったはずだ。


 ってことは、助かったのか。

 遭難の危機は去ったのか。

 あの塔まで行けば、正しい道が分かるのか。


「よ、良かった、本当に良かった!」


 急に軽くなった足を進ませる。

 現金なもので、先の見えない不安感が消えた途端に、身体から活力が溢れ出てきた。

 暑さだろうが熱さだろうが、ドンと来いってんだ。


 遠くの小さな粒の列も、どうやら誘導灯を目指しているようだった。

 だとすれば、たぶん人間の集団だろう。

 いわゆるキャラバンって人たちかも知れないな。


 やがて空の色が濃くなり、太陽が地平線に触るほど落ちた頃に、やっと誘導灯のある塔の下まで辿り着いた。


 そこは広めの岩場を利用した休憩場のような施設になっていた。

 高さ30メートルほどの石の塔が奥にあり、手前にはホロ布で作った大きなテントが、ちょっとした小屋くらいあるものが幾つか建てられていた。

 雰囲気からして、備え付けっぽい。

 他にも共同の広場っぽい場所に、炊飯に使えそうな簡易なカマドが二つあった。

 テントの出入り口は布のブラインドのようになっており、どうやら昼間は巻き上げられているようだった。

 もうすぐ夕暮れだけどね。


 何か動く気配がしたのでテントを覗いてみると、ラクダに似た動物が四頭つながれていた。

 沢山の荷物が端の方に積まれている。


「誰だ!」


 男のするどい声がしたので振り返ると、頭にターバンを巻いた、いかにも砂漠の住人っぽい格好の青年が立っていた。

 身長180くらいだろうか、瞳は青い。浅黒い肌に引き締まった身体つきで、顔中の髭が伸びている。

 腰の帯に太いダガーが差し込まれていたが、その怖そうな凶器には手を触れていない。

 しかし眉間にシワを寄せ、怪しむような目付きをしていた。


「このテントは俺たちが使っている、中にあるのも俺たちのラトゥーと荷物だ。砂漠のルールに従って覗くのは止めてもらおう」


 髭のせいで年長に見えたが、声は若かった。

 もしかすると俺と同じくらいかも知れない。


「あ、いや、ええと、すみません中に誰か居るかと確認したくて」

 とりあえず謝ると青年は表情を緩める。

「ああそうか、それなら当然の行為だな、こちらこそ悪かった……。しかしお前、おかしな格好をしているな、もしかしてイチザートの住人か」


 イチザート!

 いまこの人、イチザートって言った。


「いえ逆です、むしろ俺はイチザートを目指していて! ええと、この近くにあるんですか!」

 多少食い気味で尋ねると、青年は少し身体をかわすように下がる。

「お、おう、この塔がオアシスから一番近いからな、ここからなら五時間もかからずに着けるはずだ」

「ど、どっちの方角ですか」

「いやお前、どっちって塔を見れば一目瞭然だろう。ほらクチバシの方、こっからじゃ確認できないが東寄りの方角だよ」

「塔が方角も教えてくれるのか、さすが砂漠の目印だ……。ありがとうございます、助かりました!」

「そ、そうか」

「おいザァイ何をしている、ラトゥーの水やりは終わったのか」


 青年の後ろから別の男が現れた。

 今度は小柄な初老の男性だった。

 身長は160くらいか、同じようにターバンを巻き砂漠の住人ぽい服装をしている。顔も髭だらけだが、同時に深い皺も刻まれていた。

 青年も年配の男も同じような青い目をしていて顔つきが似ていた。

 血縁者かも知れない、もしや親子だろうか。


「ああイシュマシュ、これからやるところだよ」

「それは誰だ」

 俺に視線を向けながら言う。

「ああイチザートを目指している男らしい」

「旅人なのか、そんな格好で」

「さあな挨拶をしたくらいで大して話していない」

「そうか……」


 イシュマシュという名らしい初老の男は、やけに眼力のある視線で俺をにらんだ。

 ううむ。

 もしかして怒ってる?

 怒ってないよね?

「おいイシュマシュ、いきなり旅人をにらみつけるなんて、どうかしたのか」

 その様子に青年の方、ザァイと呼ばれた男が怪訝な顔をする。

 やっぱり俺は、にらみつけられていたのか。

「もしかして稀人か」

「え?」

「マレビトって何だ」

 ザァイは首をかしげる。


 いや驚いた。

 稀人ってのは確かユンピアがチェルシーに、俺の事を説明する時に使っていた言葉だ。

 俺は宿での睡眠時間が異常に長い事になっている。

 ほぼ丸々二日間だ。

 ダナウエル大陸は現実時間の三倍速で時間が過ぎており、それはつまり現実の一日がダナウエルの三日に該当するわけだ。

 どんなに頑張っても、俺が現実の一日で自由に使える余暇は三分の一、勉強やバイトや食事や風呂などなどに使って八時間くらいしか残らないので、余暇の全てをダナウエルに使ったとしても、向こうから見たら丸々二日眠った後に、丸々一日起きて活動している事になってしまう。

 この普通じゃない生活リズムを説明するのに、稀人という単語を使うと、じゃー仕方ないよねって、何の疑問も無く受け入れられるらしい。

 どうやらダナウエルでは、ルシード・ドリーム・システムでログインしている人を稀人って呼ぶ文化が、大昔からあったらしい。


 しかしイシュマシュって人、よく見ただけで俺の正体が分かったな。


「ザァイお前は稀人も知らないのか、いまイチザートに何千も居ると言われている存在だ。女神ダーナによって召喚されたクォンタム人、あるいはプレイヤーと称される若者たちだ」

「え、プレイヤー?」

「ほほう女神が召喚した者なのか」

「それぞれが女神ダーナの祝福を受け、大きな力を持っているが、邪悪な者も多いと聞く」

「なんだと、邪悪な者を女神が呼んだと言うのか、馬鹿な!」

「紛れてしまったのだ」


 そう言って砂漠の民みたいな初老の男は、また俺の方へ視線を向けた。


「かつての稀人は誰もが良きクォンタム人だった。今プレイヤーと称する者には、女神ダーナの祝福を悪用する不届き者が混じってしまった。果たしてお前はどっちなのか」


 イシュマシュは、またにらみながら言う。

 えーと、いや、そんな事を言われても困るのだけど。


「どうした、答えられないのか」

「待て待てイシュマシュ、出会っていきなり問い詰めるなんて砂漠のルールに反しているぞ。そもそも邪悪かと問われて邪悪だと答える馬鹿がいるものか、答えを強要すれば善良と言うに決まっているだろ」


 ザァイという髭青年が、もっともな事を言う。

 でも、お陰でイシュマシュの表情が少し緩んだので、俺も息をついた。

 助かったよ。

 視線で青年に感謝を伝える。


「ザァイ、イシュマシュ! こんなところにいた!」


 突然、若い女性の声がした。

 振り向くと浅黒い肌に黒髪の女が、慌てたように駆けて来たのが分かった。


「シラの様子が変なの、解毒が効かなかったみたいなの!」

「なんだと!」

「馬鹿な、高価な薬だぞ」

「いいから来て頂戴!」


 青年と初老の男が女性に連れられて行く。

 えっと、何が起こってるんだ。


 俺はひとり、なんだか中途半端な状態で取り残されてしまった。




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