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35 アルバイト日和3

 一階ロビーの茶色いタイル床の上には、ダナウエル大陸で見られるゴブリンの姿があった。


 えっ、なんでモンスターがいるの……?

 ゲーム世界に慣れているため、この状況が異常なのか普通なのか、一瞬分からなくなって混乱もした。

 いやいや間違いなく異常だよな。


 ゴブリンはゲームだと、始まりの街周辺に多く生息するモンスターだが、俺は実際に会っていない。

 なにせ始まりの街に行ったことが無いのだから。

 でも、さっき叫んだ誰かと同じように、ネット配信で見たことはあった。

 背丈は小学生高学年くらい。

 ダナウエルのゴブリンは、緑の皮膚と灰色の毛をしている。

 そして特徴的なのは頭にある角だ。個体差があるみたいだけど、ここにいる奴は短いのが一本だけ、左の側頭から生えていた。


 ひどく臭くて、濡れた犬が腐ったと言うか、そんな感じだ。

 臭いがリアルすぎて困ると、配信をしているプレイヤーが言っていた。


 ゴブリンは右手に、何か尖ったものを持っていた。

 動物の骨を簡単に加工しているようだ、先端に血らしきものが付着している。

 奥の売店の方でうずくまっている男がいるが、腹から血が出ているようだ。もしかしたら刺されたのかも知れない。


 てかあの人、やばくないか。

 重症だったら大変だ。


「ギャギャ!」

 ゴブリンが叫んだ。

 目が血走っている。

 息も荒い。

 興奮して牙をむき出しながら、周囲を威嚇している。


「マジでゴブリンだ!」

「おい、どうすんだ」

「気をつけろ、こいつ噛むぞ!」

「それよりあの武器がヤバいって」


 人が集まって押し合いながら輪を作っていた。

 ゴブリンの周辺だけにスペースが出来ている。

 ゴブリンが動くたびにどよめきが起きるが、取り巻いている人達は誰も逃げ出さす、興味津々でテンションが高い。

 携帯端末をかざして撮影もしている者もいる。


 何をどう対処するべきなのか。

 パニックに襲われそうになったけど、一番大事なのは人命だろう。

 わけの判らない状況だけど、人命優先だけは間違ってないはずだ。


 集団心理というやつだろうか、何故か放置されている倒れた男へ駆け寄った。


「ええと、怪我は大丈夫ですか」

 跪いて声をかける。

 抱きかかえようかと思ったけどやめた、下手に動かすと余計に痛そうだ。

「ううぅ……」

 近づいてみると高校生くらいの男子だった。

 顔を歪めて泣きながら、視線だけ俺に向けた。

 すごく怯えているように見えた。

 もちろん刃物で刺されるなんて生まれて初めてだろうし、怪我の大小に関わらず怖くなって当然だ。

 ゲームじゃないんだし。


 ざっと見たところ右脇腹を刺されたようだった。

 位置的には肝臓の少し下だろうか。

 解剖学は詳しくないけど、脇腹あたりで肝臓が無事なら、きっと絶望的じゃないと思う。

 傷の深さが問題かも知れないが、俺には判断がつかない。


 こんな時は、救急車だよな。

 すぐに携帯端末でコールをかけた。

 受付のAIの指示にしたがって、要救護者の状況を説明する。

 撮影をして画像も送った。

 現在23区では、スタッフ&AI救急車による巡回制が敷かれている。近くに巡回する車両があればすぐに駆け付けてくれるだろう。


「……えっと、急所は外れているみたいだし、本当に大丈夫そうです。すぐに救急車が来ますから、安静にしていて下さい」


 声をかけると、痛みとショックで泣いている男子が弱々しくうなずいた。

 とりあえず、こっちはこれ以上やれることはない。


 次はゴブリンだ。

 だけど。

 これ、どうすりゃ良いんだ。

 ゴブリン?

 やっぱり本物なのか?


「ギャギャ!」

 囲まれていきり立っている。

 腕を振り、歯をむき出し、口のすみに唾液の泡がこびり付いている。

 気味悪い。

 どうしよう。


 あらためて考えると、最善の対応が思い浮かばない。

 自分が戦う?

 いや無理だろう。

 正直言って相手が野良犬でも怖いし、野生の猿でも嫌だ。


 って言うかゴブリンは猿というよりゴリラっぽい感じもするし、1メートル越えの身長になるから、中型犬よりはずっと手強そうだ。

 こっちは素手だし、大きな動物をグーで殴っても怒らせるだけで、倒せるとは思えない。


 じゃあ警察を呼ぶのか。

 それとも保険所なのか。

 でも今すぐコールをして、こっちの話を信じてくれるだろうか。

 何をどうすれば正解なのか。


 いや、まずは人だかりを何とかした方が良いかも。


「皆さん、危険だから近づかないで!」


 叫んでみたけど、誰も聞く耳を持たなかった。

 数人がチラッと視線を向けただけだ。


 なんで誰も逃げないのだろう、怖くないんだろうか。

 一人刺されて、重傷かも知れないのに。

 もしかして見なかった事にされている?


 でも、これは仕方がないのかも知れない。

 常識的に有り得ない状況は、まるで物語のワンシーンだ。

 自分がSFかファンタジーの世界に迷い込んだ気がする。

 だから事件に関われるだけで、ちょっと特別になった気分になる。


 うーん、今は面白がってる場合じゃないんだけどな。


 どうしたものか。

 状況の真っ只中で楽しんでる人達に、今すぐ関わるのを止めろと言っても、簡単には従ってくれそうにない。

 俺だってそうだもんなあ。

 例えばネトゲの最中に他のプレイヤーが「すぐにゲームを止めろ!」とチャットで叫んでいても、迷惑な奴としか思わないだろうし。

 多分みんな、そんな感じに思ってるんだろうなあ。


 いや待てよ。


「ゴブリン退治にご協力下さい!」


 だったらいっそのこと、がっちり関わってもらえば良いんじゃなかろうか。


「皆さん、ゴブリン退治に協力して下さい!」


 思い切って協力を呼びかけてみると、大勢の人がキョトンとした表情で俺の方を見てくれた。

 これは成功かも。

 スルーされていた俺の言葉に、興味を持ってもらえた。


「低レベル帯のモンスターとは言え、たぶん危険な存在です。えっと、力を貸して下さい!」

「た、確かに……」

「分かった、なにをすれば良い!」


 数人がうなずいた、他の人たちからも肯定的な気配を感じる。

 上手く乗ってくれたようだ。

 周囲が良い感じに俺を認めたのは、警備員の制服のお陰もあるだろう。

 ユニフォーム効果って大したものだ。


 でもどうしよう。

 どう言葉を続けようか。

 まずはこの人達をゴブリンから引き離さなくてはいけない。


 あたりを見回すと、ロビーに置かれたソファーやテーブル、売店の自動販売機コーナーが見えた。

 床のタイルは薄いブラウンで高級感があるけど、ちょっと滑りやすいのが難点だ。


 ロビーの向こうにはホール客席への両扉がある。

 ストッパーで開けっ放しになっており、あそこから中に入られたら今以上に大変な騒ぎになりそうだ。


 他にも二階席へと上がる広めの階段があった。今回は使用しないので通路に紐がかけられて、立入禁止の札も置かれていた。

 目に入るのは、そんなところだろうか。


 ……うん、よし、二階席だ。

 今日は使ってないのだから客がいない。

 ゴブリンが暴れたとしても、一階よりずっと安全なはずだ。


「まずは使っていない二階席に追い込みます。あそこに見える階段まで誘導したいので、合図したら道を開けて下さい!」


 ゴブリンを包囲している人達に言うと、数人がうなずいた。


「あと何人かで壁を作って、ゴブリンが階段に向かうように遮って欲しいです。他に逃げないように協力して欲しいのですが」

「わかった協力しよう」

「俺もやろうか」

「ありがとうございます、配置お願いします!」


 数人が名乗り出てくれたので、階段の近くで壁になってもらう事にした。

 こうしておけば人の居ない方向は階段だけになる。

 あからまさな誘導だが、あまり頭は良くなさそうだし、ひどく興奮して冷静さもないし、引っかかってくれるだろう。


 まあ、駄目なら他の手を考えるまでだ。

 

「反対側から叫んでゴブリンを脅します、皆で走って追い立てましょう。客席の方へ行かないように回り込んで、階段の下までお願いします!」

「よし分かった」

「いつでもいいぞ!」

「では、行きます。そこの囲いを解いて道を開きますよ」


 ひと呼吸置く。


「行きますよぉ……、せーの、今です!」


 囲んでいた人たちがザザッと動いて、大きく誘導路を作る。

 目ざとく視線を走らせたゴブリンが身をかがめて四つん這いになり、スタートダッシュのごとく身を踊らせた。

「ひっ」

 誰かが息を飲んだ。

 意外に素早い、まさに野生の動物だ。

 でも上手く誘導路に引っかかってくれた。


「よっしゃ、たあああぁぁぁぁっ!」


 こんな時は思い切りが大事だろう。

 俺は声を張り上げて走り出す。

 ゴブリンを追わなくてはいけない。

 囲んでいた人たちもハッとなって後に続いた。

 ゴブリンの予想外の動きに、目を奪われていたらしい。


「どりゃあああああ!」

「があああああああ!」

「このやろぉおおお!」

「きゃああああああ!」


 大勢の人が色々な叫び声を上げなら、ゴブリンを追い立てる。

 もはや何だか訳のわからない集団だ。

 中には狼の遠吠えみたいな声を上げる人もいた。

 さっきのライブの遠吠えみたいだ。

 うん、誰だ悪ノリしてるのは。


 ロビー全体で誘導路だけは、まったく人がいない状態だ。

 ゴブリンは一目散に階段にたどり着くと、勢いのまま二階に駆け上がって行った。

 ホールへ向かわれたら困るところだったけど、作戦通りの理想的な結果だ。


「皆さん、ありがとうございます!」

 俺も後を追って階段に足をかける。

「協力ありがとうございました。ここから先は私たちにお任せ下さい。後できればこのまま階段を封鎖して欲しいのですが」

「封鎖するのか?」

 俺より年上で二十歳くらいの青年が問いかけてきた。

「はい、もしもゴブリンが降りてこようとしたら上に追い返して下さい。他にも勝手に誰か二階に上がらないように、見張りもお願いします」

「なるほど、分かった任せてくれ」

「すみません、よろしくお願いします」


 などと言いながら二階に向かう。

 八割は本心だったけど、残りのニ割は付いて来られないための方便だ。

 正直言ってあんなに怯えた動物を、無理に退治する必要は無いと思った。それこそ保健所の人でも呼んだ方が確実だ。

 だから俺は、ゴブリンを隔離して一般客が近づかないようにするのだ。


 というわけで、さっそく保健所に電話をしよう。

 猿っぽい動物が入り込んだって言えば、すぐに来てくれると思う。


 携帯端末を出して音声検索をかける。

 三鷹市、吉祥大寺、井之頭ライブホール、保健所、動物駆除、などのキーワードだ。

 結果、生活環境課とか動物愛護センターが紹介された。

 愛護する気はないな……。


「ギギッ」

「…やめ…っ」

「……ギャッ」


 生活環境課をタップしようと指を伸ばしたとき。

 奥の方でゴブリンらしき声がした。

 そして他にも、誰かの物を叩くような音もした。

 って人の声……?


 えええ、もしかして。

 すでに二階に誰か居たのか!


 慌てて確認の為に通路の奥に走る。

 すると二階客席へ入る両開きのドアが、片方開けっ放しになっていた。

 開演前にチェックしたときは、確かに閉まっていたはずだ。


 誰だよ勝手に入ってるのは、客かよ。

 面倒だが確認しなくちゃいけない。

 逃げ込んだであろうゴブリンを刺激しないように、慎重に顔を覗かせた。


「あっ……」

 思わず息を飲む。


 あろうことか、そこには三浦みうら那由なゆさんがいた。

 席の奥、最後列の後ろの壁だ。

 舞台衣装の赤いワンピースの上にニットのカーディガンを羽織っている。

 高島さんが姿が見えないと言っていたが、まさか二階席にいたとは。


 そして最悪な事に、三浦さんは三匹のゴブリンに囲まれて、壁に追い詰められていた。

 三匹もいる。

 今にも飛びかかりそうに、腰を低く溜めていた。

 しかも一番身体の大きな一匹は、本物の金属製の刃物を構えていた。かなり大きなナイフだ、ダガーナイフってやつだろうか。

 刃渡りなら20センチ程もあり、一突きで胸から背中まで貫きそうだ。


「三浦さん!」


 今この瞬間、目の前で人が殺されるかも知れない。

 そんな状況を前に、後先を考える余裕は消し飛んだ。

 ゴブリンの注意をこっちに向けようと思って叫んだ。


「浪野君……っ」


 俺を見た三浦さんが目を見開く。

 一瞬すがりつきそうな、泣きそうな顔をした。

 しかしゴブリンたちが俺に対して身構えると、ハッと息を飲んだ。


「いけない、来ちゃ駄目よ!」

「ギギャ!」


 ロビーにいた骨っぽいものを持った奴が、俺の方を指差した。

 するとゴブリンたちの表情が変わった。

 明らかな敵意だ。

 それで分かったのだけど、今さっきまで浮かべていた表情は嗜虐らしかった。

 人間で言えばニヤけた表情ってやつだ。

 俺を見て怒りの表情を浮かべたので、違いが何となく伝わって来る。


「ギギーッ!」

「ギャギーッ!」

「うわぁ!」


 ゴブリンたちが一斉にこっちに向かって来た。

 一匹が通路を走り、他の二匹は八艘飛びのように、座席の背を足場に跳んで来る。

 あせった俺は身体を引っ込めて、思わず扉を閉めてしまった。


 ドゴンッとドアにぶつかる衝撃があった。

 とりあえず開かないように、しっかり押さえておく。


「ギャギャギャ!」


 怒った声がする。

 すっごい興奮している、何度も扉に体当たりをして来る。

 体重の差もあって、扉を押さえる力は俺の方が上みたいだけど。

 ……でもなあ、このままってわけにもいかないし、どうしよう。


「きゃぁ!」

 また三浦さんの声がした。

 ああくそ、そうだよな、こっちに来れなきゃあっちに行くよな!


 仕方がないので、扉を開けた。

 ほんと、何やってるんだ俺は。


 すると扉の前にいたゴブリンの一匹が、俺に気づいて飛びかかって来た。

 驚いて反射的に蹴り返す。

 右足で蹴ったつま先がゴブリンの胸あたりに当たったが、そいつは打撃をものともしないで、俺の足にしがみついた。


「ギャギ!」

「こ、この!」


 と、そこにもう一匹が襲いかかって来る。

 ダガーナイフを持った大柄な奴だ。

 そのナイフを振りかざしている。

 ヤバい!


 避けたいけど、足にしがみつくゴブリンのせいで身動きが取れない。


「離れろよ!」


 後ろに下がりながら両手でゴブリンにつかみかかる。

 首のあたり、首を締めるような感じだ。

 まごついているうちに大柄なゴブリンが迫って来た。

 大きなナイフが目前で振り上げられる。


「うわっ!」


 顔面に振り下ろされたナイフの先端を首をひねって避ける。

 冗談じゃないぞ、本気で命を狙われている。

 だが首をひねっただけでは避けきれなかった。

 思った以上にあっさりと、ダガーナイフが右肩に深く突き刺さった。

 一瞬、何が起きたか分からなかった。

 大柄なゴブリンはナイフを引き抜くと、素早く後ろに飛び退る。


 俺はショックを受けたまま数歩ほど後ずさり、廊下の壁に背中をぶつけた。

 俺、本当に刺されたのか?

 腕を動かそうとした途端、予想を遥かに上回る強い痛みが走った。


「うぐぅ!」

「浪野君!」


 三浦さんの声がする。

 ほとんど余裕がなかったけど三浦さんを探して周囲を確認する。しかし廊下からは客席の様子は分からなかった。

 代わりに三匹目のゴブリンが、こっちをうかがっているのが分かった。


 一匹は足にしがみ付いたままのゴブリン、一匹は少し間合いを取りながらダガーナイフを構えたゴブリン、最後の一匹も尖った骨を持って俺の方へ近づいている。

 どうすれば良いのか。

 このままだと、本当に殺されてしまうかも知れない。


 いきなりふくらはぎに、鋭い痛みを感じた。

 見るとゴブリンが食い付いていた。

 痛い!

 こいつ何しているんだ。


「くそっ離せ!」


 つかんで引き剥がそうとしたけど、噛み付いたまま激しく首を振り始める。

 すぐに、ふくらはぎの肉が食い千切りられた。


「ぃぎゃあぁ!」

 痛いぃ! 痛いぃ! 痛いぃ!


 痛みで埋め尽くされる意識の隅で、ワイトとの戦いを思い出した。

 あれも相当な激痛だった。

 今と同じように、ふくらはぎをグチャグチャにされた。


 だけどあれはゲームだ。

 こっちは現実だ。

 ……現実だよな?


 くそ、どっちでも良い、痛いんだよ!


「ふざっけんな、なんだよこれは!」


 もう形振りかまっていられない、右手は動かせなかったので左手で殴りつける。

 だがゴブリンの硬い頭に当たって、逆に俺のこぶしの皮が裂けた。

 だったら、これならどうだ!

 ゴブリンの顔面に左手を出して、親指を目玉に突き刺してやった。


「ギャアアア!」


 さすがにたまらなかったのだろう、しがみついていたゴブリンは慌てて腕を解くと距離を取った。

 だが安心など出来ない。

 様子をうかがっていた大柄な奴が、入れ替わるように襲ってきた。

 ダガーナイフを振りかざす。


 ナイフはまずい!

 とにかく避けようとして腰を落とす。

 しかし途端に、何かぬるっとしたものに足を取られた。


「しまっ……!」


 それは足元にたまった、ふくらはぎの血だった。

 タイルにこぼれた血のせいで足を滑らせたようだ。

 踏ん張ろうとしたが、痛めた足や右肩の痛みもあって力が入らない。

 大柄のゴブリンが飛びかかって来る。

 これは、かわせそうもない。

 だがナイフで刺されたら死んでしまう。


「ギャギャッ」

「くそっ!」


 なんとか左手でゴブリンの手首をつかんで防いだ。

 しかし崩れたバランスはどうしようもなくて、のしかかるように襲ってきたゴブリンに押し倒される。

 受け身さえ取れずに、床に頭をぶつけてしまった。

 かなり強く打ち付けた。


 ゴッっと嫌な音と同時に、後頭部に衝撃が走る。

「はぐぅ……」

 変な声が出る。

 鼻の奥がつんとして意識が消えそうになる。

 やってしまった。

 そう思った。

 このまま気絶したら、俺は多分殺されるだろう。

 朦朧とした意識で、必死に耐えようとする。


 だけど、もう意識が……、消える……。


「負けるかあぁぁぁ、根性おぉぉぉ!」


 気合で気絶を回避する。

 やればできるもんだな。

 こんなところで分けもわからずゴブリンに殺されるとか、そんな終わり方は嫌だからな。


「こいつらは、絶対に俺が倒す!」


 何故だか突然に、とてつもなく気持ちが大きくなった。

 闘争心が沸き起こる。

 それは身体が震えるほどの気持ちの高ぶりで、全身の痛みさえ吹き飛ばしていた。

 三匹のゴブリンたちが、慌てたように距離を取って離れた。

 何かを感じたのだろうか。


 俺はゴブリンに向かって踏み出そうとして、近くに誰かが倒れているのが見えた。

 そいつは男で、仰向けに倒れていた。

 若い顔つきだった。

 ズボンに血が滲んでおり、かなりの怪我をしているのが分かる。

 てかこの顔、ものすっごく見覚えがあるんだけど……。


 そこに倒れていたのは、どう見ても俺だった。


 警備員の制服を着ており、完全に気を失っている。

 血まみれで、白目をむいている。

 かなり痛々しい。


「何だこれ?」


 今の自分の身体を確認してみた。

 普通に自分の身体だった、何の問題もなさそうだ。

 ただ服装だけが予想と違った。

 警備員の制服でもなければ、ここに着て来た私服でもない。

 白のワイシャツ、丈夫そうなジーンズと焦げ茶色のブレザー。

 完全にダナウエル大陸オンラインのキャラ、ナミノの初期装備だった。


「どうなってるんだ」


 目の前で寝ている俺を、横から眺めている俺。

 なんか、以前にも一度あったな……。


「グギャ!」

 ゴブリンが叫んだ。

「ギャギャ!」

「ギー!」

 威嚇がやかましい。

 ふん。

 弱いやつほど、よく吠えるって言うよな。


 俺は再度、自分の身体を確認した。

 痛みは消えた。

 と言うか、肩の刺された傷も、食いつかれた脹らはぎの傷も、完全に無くなっている。

 そうなんだよね。

 今の俺は現実世界の存在ではなく、夢の世界の住人だ。

 ダナウエル大陸オンラインのキャラクター、ナミノなのだと。


「どういう理屈か知らないけど、やっとこっちのターンみたいだ、お前ら好き放題やってくれたよな」


 ひとつ深呼吸した。

 両手をグッと握ると、これまでにない力強さを感じる。

 ダナウエルの俺は力持ちだ。

 筋力15は、常人の限界を超えている。

 残念ながら武器は持ってなかったけど、まったく問題を感じない。


「エンチャント」


 両腕に白い光が宿った。


「ギギャー!」


 三匹のゴブリンが、今度は一斉に襲いかかってきた。

 でも驚異は感じなかった。

 さっきまでのリアルな生身が受けた攻撃により、ゴブリンたちの程度は分かっていたからだ。

 多分ナイフにだけ気をつければ問題ない。


「うぉりゃ!」


 他のゴブリンをガン無視して、大柄なゴブリンを思いっきり右手で殴りつけた。

 カウンター気味に決まったそれは顔面にめり込み、骨の砕ける感触が伝わってきた。


「ペギャ!」


 殴り飛ばされた大柄ゴブリンは、おかしな声を上げながらタイルの床に転がった。

 そのままピクリとも動かない、どうやら息絶えている。


「!?」

「っ??」

 残った二匹が目を見開く。


 自慢にもならないが、恐らく現実世界の俺の筋力は、せいぜい7か8くらいだ。

 他の身体能力も似たようなものだ。

 それにも関わらず、ゴブリンたち相手にそこそこ戦えた。

 もし何かしら武器を持っていたら、あそこまで追い詰められはしなかっただろう。


 比べて今の俺は筋力も器用さも体力もかなり高い。

 それはグールやワイトと肉弾戦が出来るほどだ。

 ゴブリン程度に遅れを取るはずもない。


「ほら、お前もだ!」


 湧き上がる高揚感に突き動かされ、俺はもう一匹のゴブリンに殴りかかった。

 及び腰になった二匹のゴブリンだが、俺との距離は1メートルも離れていない。

 かがむように姿勢を低くして腹に一発当て、顔にフックを叩き込む。

 俺のふくらはぎを喰ったやつを、あっさり二発で倒した。


 骨を持った最後の一匹は、慌てて逃げようとした。

 だがもう遅い。

 フックを打った流れのまま、そいつの脳天めがけて拳を振り下ろした。


「ク、キャ……」


 頭蓋が砕けた感覚があり、ゴブリンは動かなくなった。

 全部倒した、終わったな。


 ゆっくり深呼吸をする。

 膨れ上がっていた闘争心が、スッと薄れて行った。

 同時に両手のエンチャントが消える。

 さて、残された問題は倒れたままの俺の肉体なわけなのだが。

 振り返ると、そこにある。

 いったい何なんだこれは。


「いや、離して!」

 三浦さんの声がした。


 え、あれ。

 なんで?

 まさか他にもゴブリンがいたのか!


「くそっ、油断した!」


 急いで廊下から二階の客席に入ると、そこに居たのは二人の男だった。

 見覚えがある。

 バイトに来ていた大学生たちだ。

 なんでこいつらが居るんだ。


「来いよ、おとなしくしろ!」

「もっとしっかり押さえろ、運ぶぞ」

「やめて!」


 男たちは三浦さんを羽交い締めにして、ズルズルと引きずっていた。

 二階席の最後尾の奥、壁に向かっている。

 よく見ると、そこには直径二メートルくらいのアーチ型の穴があった。

 中は暗くてよく分からないが、下り階段になっているようだ。

 あんな通路は無かったはずだが。

 二人の男は、三浦さんを連れてアーチに入る。


「何やってんだ、あんたら!」


 俺が叫ぶと、大学生たちがキョトンした表情を浮かべた。


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