33 アルバイト日和1
「浪野君、こっちのドラムセットをステージまで運んでくれ。組み立てはドラマー本人がやるそうだから、適当にまとめて置いてくれ」
「はい、分かりました」
「それじゃ任せたから、よろしくな」
「はい、えっとステージの後ろの方に仮置きしても良いですかね」
「それで良いよ」
今日は吉祥大寺にある井之頭ライブホールで、ステージスタッフ&警備のバイトをしている。
俺は高島さんという現場の作業チーフから指示を受けていた。三十歳くらいの筋肉質な男性で、今回のイベントライブ主催者のひとりらしい。俺を含めた五人のバイトの誰よりもエネルギッシュに仕事をしている。
ちなみに俺以外の四人のバイトは全員大学生で、ひとりだけ高校一年生の自分はちょっと浮き気味だ。
しかも彼らは同じゼミの人らしく、頻繁に会話をしていた。
軽く疎外感があったけど、別に友達を作りに来た訳じゃないし、まったく問題ないんだけどね。
ただその四人の仕事ぶりがノロノロしていて、今ひとつ身が入ってないように見えるのが残念だった。
初対面な上に年上だったし、真面目にやってくれと注意するほど不真面目な訳でもなかったし。
なんか、とてもやりにくい。
しかもこっちがテキパキこなす程に、嫌そうな目線を向けてくる。
そういう雰囲気はチーフの高島さんも伝わっているようで、時折顔をしかめたり、溜め息をついて大学生たちを見ていた。
なにか事情でもあるのかねえ。
勤労感謝の日。
今日の吉祥大寺は晴天だった。冬の眩しい日差しが、冷たい透明な空気を貫いている。
バイト日和である。
俺は136万円という、かなり高額のゲーム機RV四号型を購入するために、父と母と祖父と、二人の祖母と、さらに妹に借金をしている。
頑張って稼いで返済しなければならない。
妹からは8万円、他からはそれぞれ12万円ずつ借りており、来月から毎月1万円ずつ、全員同時に返済を開始する事になっている。
六人から借金しているので、毎月最低でも6万円を稼がなくてはならない計算だ。
ちょっと面倒だけど、やっとひと息つけるって感じでもある。
これまでの二ヶ月半の間は、足らなかった残りの六十八万円を稼ぐため、毎日毎日二つも三つもバイトを入れていたからな。
何とか稼ぎきった後、過労で倒れたのは先々週の事だ。それを思えば月に6万円分くらいの労働は余裕だ。
でもねえ、確実にゲームをする時間は減るので、それだけが本当に残念だよ。
さて仕事をするか。
搬入口近くの壁に寄せられていたドラムセットの太鼓を持ち上げると、よちよちと歩いて運ぶ。
カートを使いたかったけど、他の荷運びに使用中らしく見当たらなかった。
なるほど、さっき全部任せるみたいに言われたのは、こういう事だったか。
行ったり来たり順番に運んでいく。
金属製の骨組み、ドラムラックと呼ぶらしいけど、これだけでもけっこう重たい。
ましてや真ん中にセットする大きなバスドラムは、ひとりで運ぶのがちょっと苦しい。
ダナウエル大陸の俺だったら、楽々持ち上がりそうなんだが。
そのバスドラムを運ぶために動かしたとき、陰になっていた壁に魔法陣が描かれていたのに気がついた。
ん?
なんで魔法陣なんだ。
直径十センチくらいで二重円だった。
中心あたりに三つの八芒星が描かれている。
円の中には細かい記号文字がビッシリ書かれており、微かに青白い光を放っていた。
……蛍光塗料かな。
と言うか、こんなところに落書き?
かなり精巧に描かれていたので、一見するとインテリアデザインに思えなくもない。だけどライブホールの機材搬入口に、しかも目立たない端っこの壁に描く意味が分からない。まるで人目を避けているようだ。
まあいいか。
早く運んでしまおう。
ちょっと面白そうだけど、遊んでいる暇はない。
大物のバスドラムを舞台上まで運び終える。
途中で何度も降ろして、腰を伸ばしながら運んだ。
フローリングのステージは、ほぼ全ての垂れ幕を上げているので、やたら広く閑散としている。
それぞれの楽器のアンプやら、キーボードのセッティングは終わっているようだ。
床には、どこに何を置くのか指示しているらしいテーピングがあった。
客席を見渡すと、ずらっと設置型の椅子が並んでいる。
井之頭ライブホールには一階席二階席を合わせて、1450脚の席がある。
赤いコールテンのような生地のソファーが、人気のない空間にズラッと並んでいる。
普通にプロがコンサートに使用できる立派なホールだ。
舞台に目を戻すと、スタッフたちが忙しそうにアンプにコードを差し込んだり、マイクスタンドの位置を確かめたりしている。
青年に見える数人がライブホール専属のスタッフで、六十歳くらいに見える男性たちが、どうやら主催の人たちのようだった。
バンドのメンバーだろうか。
る〜がる〜、という名前のインディーズバンドが、今回のライブイベント「二周年だから遠吠えで祝う!」の主催者だ。
遠吠えイベと呼ばれていて、去年も一周年記念で開催したようだ。
自分たち以外にも三組ほどバンドを招待して、それぞれの演奏や、コラボ演奏などをするらしい。
招待されているバンドの中にはメジャーレーベル所属もいるとかで、インディーズ主催にしては、かなりレベルの高い音楽祭という話しだった。
あまり音楽に詳しくないから、俺は今回初めて名前を知ったのだけど、る〜がる〜のメンバーは、女子高生ボーカルがひとりと、平均年齢が六十歳を超える演奏メンバーが五人という構成らしい。
かなり異色らしかったが、本格的な古典ロック&オルタナミュージックという事で、ファンの年齢層も厚いとか。
まあ、うちの婆ちゃんもそうだけど、今のご時世六十歳くらいだと全然若い。
さすがに何のケアもしなければ老けてしまうだろうけど、生活に気をつけていれば八十歳でもマラソンランナーとして、優秀な上位成績をおさめる時代だ。
もっとも高齢のスポーツ大会優勝者は、体内に保険適用外の血中ナノマシンを入れている場合が多いから、不思議でも何でもなかったりする。
テロメアを始めとする細胞内の微小修復により、若返りの効果が高いらしい。
……俺や妹の小夜が高齢者になる頃には、もっとナノマシンが安くて手軽になっていれば良いけどなぁ。
「よっしゃ組み立てるか!」
太い声がしたので振り返ると、ガタイの良い筋肉質の白髭オジサンがいた。
口の周りの切りそろえた白髭が、かなり印象的だ。
黒い革のズボンにTシャツを一枚、上着はジャンバー姿で、身長が190ほどもある大きさだった。
ぱっと見が、往年の悪役レスラーって感じだ。
目付きが凶暴だったし、刑事ドラマでヤクザの役とかも似合いそうだ。
その白髭オジサンは、舞台奥にまとめていたドラムセットの部位を手に取り、ステージ中央の後方辺りでラックを組み始めた。
この人が、る〜がる〜のドラマーなのかも知れない。
って事はこの筋肉で、平均年齢六十歳以上のメンバーって事か。
「あ、手伝います」
とくに指示もされずやる事が無かったので、俺も手を貸そうと近づいた。
いつまでも油を売ってちゃ駄目だよな。
「お、そうか、悪いな」
白髭オジサンがちょっと驚いた顔をしながら言った。
いやかなり驚いている?
そういう仕事をするバイトなんだから、意外な事じゃないと思うのだが。
「君はバイトの子か」
と格好良いバリトンの声で尋ねられる。
「そうですよ、よろしくお願いします」
「ふむ、そっちを持ってくれ」
「はい」
二人して、でっかいバスドラムを担いだりした。
「おつかれでーす」
ドラムの部品をいじっていると女の子の声がした。
低めの声だけど、明るい口調の気持ちの良い響きだった。
顔を上げると高校生くらいの娘が、スタッフたちに挨拶をしていた。
ロングヘアーだ。
俺とも目が合ったので思わず会釈すると、その娘も軽く頭を下げる。
可愛い。
少しつり目の瞳が印象的だ。
とくに笑った表情はしていなかったけど、その分だけコケティッシュで、好奇心旺盛な猫みたいな表情をしていた。
身長165くらいで、クリーム色の長パンツに、所々ヒラヒラ付きの白シャツ、ニット風の緩いカーディガンを着ている。
耳元には赤い果実のようなイヤリング、足元はデニムっぽいスニーカーだ。
髪の先端あたりは特殊な塗料で青く染めていた。ある種の光源を当てると光る塗料だ。
「私だけ先に音出しする?」
その娘が周囲を見回しながら言った。
どうやら、る〜がる〜のボーカリストのようだった。
「もうちょっと待ってろ」
白髭オジサンが、顔を上げずに応えた。
「十五分くらいで組み終わる」
「はーい」
「田岡も来てないからな」
「そかそか」
言いながら彼女はこっちに近づいてきた。
床に座ってハイハットを組み立てる俺の、ほぼ真横で立ち止まる。
妙に近い。
「それで君は何者?」
「うわっ」
突然耳元で囁かれて、危うくシンバルを落としそうになった。
その娘は前かがみになって、後ろから俺の顔を覗き込んでいた。
不意打ちもいいところだ。
「ええと」
「じっちゃんの弟子?」
「ただのバイトです、弟子ってなに」
ちょっと後ずさりながら言う。
「ふーん、バイトは例の大学生たちって聞いてたけど、どうみても同年代よね」
「高1ですけど……」
「そっかそっか」
彼女はそのまま、しゃがみ込んだ。
「私は三浦那由、高2よ。でもってバンドのボーカル」
「そ、そうですか……。えっと俺は浪野大斗です」
「自己紹介するなら俺も混ぜろ、三浦幸之助六十四歳、バンドのドラムだ!」
「うお」
前にいた白髭オジサマが、上半身の筋肉を膨らませながら目前に接近して来たので、思わずのけぞってしまった。
のけぞると、後ろにいる彼女にぶつかりそうになる。
「ちょっと二人とも近い……、あれ、二人とも三浦ですか?」
「おうよ」
「そうよ」
言いながらふたりが、グイグイと前後から挟み付けてくる。
目の前の筋肉だけでなく、背中の方も意外と力強い。
「み、三浦さん、と幸之助さん? は、挟まないでっ」
「……なんでじっちゃんは名前で、私の方が名字なのかしら」
「ふむ、ますます気に入った、挟むぞ」
「私は気に入らない、挟むわよ」
「せ、せまいっ」
「なにやってんの、あんたらは!」
バコンっ
バコンっ
と、気持ちの良い音が、ふたつ響いた。
見ると作業チーフの高島さんが樹脂ボードを振りかざしている。ふたりの三浦が後頭部をさすっていた。
「い、痛いぞ」
「痛いわ……」
「すまない浪野君、三浦の脳筋爺と脳筋孫娘が迷惑をかけた」
「は、はあ……」
「まったく、あの四人のバイトが帰ったから、人手が足らないって時に」
「え」
「なんじゃ帰ったのか」
「何度か注意したら、むくれて居なくなりましたよ。だから雇うのは止めておこうって言ったんです」
「う、そうか、すまん……」
「はぁもう、荷運びや舞台セットはここのスタッフさんも手伝ってくれますが、警備が私と浪野君のふたりだけなんて、絶対に足りませんよ」
「それは……、ふむ、他のバンド連中にでも頼んでみるか」
「……ゲスト出演者を会場スタッフに回すとか、恐ろしく身勝手な話しですね。と言うよりファンに見つかったら、そっちの方が騒ぎになりそうです」
「むうう」
「ただし幸之助さんはファンに見つかっても怖がられるだけなので、出番が無い時は非常口待機の警備を手伝って下さいね。ベースの田岡さんにも頑張ってもらいましょうか。まあ立っているだけの簡単な仕事だから大丈夫でしょう。まさか舞台に登ってくるような熱狂的ファンもいないでしょうし」
「仕方がないな、任せておけ」
どうやらさっきの大学生のバイトたち四名が、職場放棄して帰ってしまったという話しらしい。
どうなるんだ、大丈夫なのか。
「よし、こっちも早く終わらせて作業を手伝おう。おい那由、俺と浪野君でドラムを組み上げる間に、田岡と岩木姉妹を呼んできれくれ。さっさと音合わせも終わらせよう」
「OKじっちゃんガッテンでい!」
唐突に江戸っ子口調になる三浦さんだった。
「忙しくなりそうだが、まあ頼むわ」
「はい頑張りましょう」
「ふ、そうだな」
彼の言葉に答えると、幸之助さんは凶暴そうな目付きをゆるめて、楽しげに笑った。
だが俺たちは知ることになる。
バイトが居なくなるなんてトラブルは、この後の常識外の混乱に比べたら、ごくごく些細な問題にすぎなかったことを……。
しばらくは、ゆっくりゆっくり投稿を続けます。
よろしくお願い致します。




