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30 狩人小屋の夜

 聖属性。

 それはギフトと呼ばれる女神からの寵愛のひとつ。

 RV四号型からログインしたプレイヤーには全員に、何らかのギフトがひとつ配られていたので、プレイヤーであれば持っていて当然と感じるかも知れない。

 だけど元からダナウエル大陸に住まう人たちにとっては、とても珍しいものだった。


 そんな中でも聖属性と邪属性は、さらに特別な扱いを受けている。

 なぜならアンデットの中には、聖と邪でなければ滅ぼせない種類もいるからだ。


 また何より聖属性は、回復や浄化系への専門性を持っているし、滅多に無いが病気を癒せる者が出たり、結界魔法で魔物から町を何年も守った者もいる。

 女神教会などは聖属性持ちを発見したら速攻でスカウトに走り、もちろん本人が望めばだが巫女の修行をさせて、女神の代理人として巨大な権力を与えるほどだ。


 その聖属性をアンデットが、それも八才くらいの女の子のゾンビが持っていたのだから驚きだ。

 もっとも、これがどれだけ特殊なケースなのか、実のところ俺にはよく分からない。

 さっきユンピアは、アンデットがギフトを使用するのを初めて見たように言っていたから、珍しいことに間違いなさそうだけど。


 マリベルを抱き上げて、俺は夜の森林を歩いていた。

 日が落ちたばかりだけど、辺りはすっかり暗くなっていた。

 木々の隙間から見える頭上には、巨大な星雲が浮かんでいる。

 ユンピアの話しによると、あれは俺たちの住んでいる天の川銀河だそうだ。

 現実の銀河と少し違うらしいが、夢の中の風景だから正確とは限らない。

 お姫様抱っこで運ばれるゾンビのマリベルは、相も変わらず無表情のまま、俺の顔をじっと見上げていた。


 彼女は自分の身体から出した黒い体液によって、ほぼ全身を汚していた。

 見た目も酷いが、何より臭いが酷い。

 腐った牛乳を凝縮したような、とにかく吐き気をもよおす腐臭だ。

 恐らくだけど、これは古くなった血液だと思う。

 いや血液っぽい何かだろうか。

 油のようにベタベタするし、そもそも真っ黒だし、ただの血とも思えない。

 なんかタールみたいだ。

 抱き上げているから俺の衣服にもベッタリ付いてしまった。まあそれに関しては、裏技っぽいけどログアウトして固有結界に戻れば、一瞬で新品の初期装備に着替えられるから問題ない。

 それにどうせ大猪を背負った時に、背中側に泥血が付いていたから、いまさらって感じだ。


 しかしマリベルは軽いな。

 アバターキャラの筋力のお陰だけど、猫の子を抱いているくらいの感覚だ。

 この道は昼間に何度も往復して慣れたので、例え暗くて印象が違っても、間違えて迷ったりもしない。

 とくに何の問題もなく、早足10分ほどで小川に到着した。


 マリベルを降ろして、昼間と同じようにバンザイをして、黒い体液で汚れた衣服を脱がせた。

 俺も靴と上着を脱いでおく。

 彼女をうながして川に入り、持ってきたブラシで身体をこする。

 皮膚が心配だったので、あまり力は入れないように気をつける。

 しかし夜になると、さすがに水の冷たさが堪えるな。


「あれ?」


 水をすくい掛けながら撫でたとき、違和感を覚えた。

 皮膚の感触が昼間と違った。

 何というのか、柔らかくなっている。

 体温がなくて冷たいのは同じだ。けれど昼間の触感は古びて劣化したゴムみたいで、ゴワゴワした感じだったのに。

 今は硬いゴムだとしても、新品みたいに弾力がある。


 空の星雲の光が、地上に薄く届いている。

 森林の中だと真っ暗だったが、上空に遮るものがない川の中であれば、お互いの姿の確認くらいは充分にできる。

 星明かりに浮き出たマリベルは、不気味なゾンビと言うよりは、何かの妖精のような雰囲気をまとっていた。

 昼と夜とでは、印象が違うのだろうか?


「お待たせナミノ」

 チェルシが、赤々と燃える松明を掲げながら姿を見せた。

 もう片方の手には毛布と手拭てぬぐい、背中には弓と矢筒の他に薪を背負っている。

「ちょっと待っててね」

 そう言って薪を組むと、松明の火を移し焚き火を作った。

 すぐ近くには畳んだ毛布を置いて、三枚の手拭いを重ねる。

 毛布の端には、ユンピアが無言のまま腰をかけた。


「どうナミノ、黒いは取れそう?」

 川岸に立ったチェルシが声をかけてくる。

「うーん、なかなか手強いな、もうちょっと時間がかかりそうだ」

「そっか」

 チェルシが手をすり合わせる、ちょっと寒そうだな。

「川の中だと身体が冷えるでしょ、休憩して焚き火にあたった方が良いわよ」

「そうだな、もう少しで休憩するよ」

「うん」


 そうチェルシに返事はしたものの、最近のと言うか、ダナウエルでの俺はすぐ時間を忘れて集中してしまう。

 ひと息つくために焚き火にあたったのは、声をかけられてから三十分ほど経った頃だった。


「おつかれさま」

 マリベルと一緒に焚き火に近づくと、チェルシが手拭いを渡してくれる。

 マリベルが裸だったので何か着せたかったけど、まだ身体が黒く汚れていたし、恐らく着替えの代わりに持ってきてくれたであろう毛布は、今の状態だと使いたくなかった。

 もともとマリベルが着ていた服は体液まみれなので、とても着られそうにない。ボロ布みたいなワンピースなど、力を入れて洗ったら本当にボロ布になりそうだし、もうこのまま処分するしかないと思う。

 そう言えば上着があったか。

 俺はさっき脱いだ革の上着を取って来て、マリベルの肩にかけてみた。

 膝のあたりまで、スッポリとかぶさっている。

 うん、間に合わせには充分だな。背面は大猪の血、全面は黒い液体で汚れていたが、内側は汚れてないから大丈夫だ。

 またマリベルが、じっと俺の顔を見ている。

 この子は、よく人の顔を見つめてくる。


「優しいんだね」

 チェルシがつぶやくように言った。

「えー」

 とユンピアが応える。

 やかましいわ。まあ優しいとか、俺自身も違うと思うけど。

「優しいわよナミノは、私の時だって助けてくれたんでしょ」

「あれはまあ成り行きだよ」

「ママとドーマンから聞いたけど、私の心臓が止まってたのは確かなんでしょ。身体も氷みたいに冷たくて。あとワイト化の兆候が出てたって」

「それは、まあ……」

「すっごく長い間、ずっと蘇生法をしてたってドーマンが言ってた。途中から口元が笑ってたらしいわよ、ドーマンが怖くなったって言ってた」

「え、へえ、そ、そうなのか」

 なんだよそれ、ヤバイ奴じゃないか。

 あの時の俺って、笑っていたのかよ。

「ワイトを撃退できたのも、私が死なずにすんだのも、全部ナミノのお陰だわ。あの時、まともな人なら逃げ出していたはずなのに、残って一緒に戦ってくれたし」

 チェルシが静かに語る。

 いやもう、あの件はもう話題に上げなくて良いんじゃないかな。

 プレイヤーとかアバターキャラの、死なない立場からすると心苦しいのだけど。

 って言うか、まともなじゃないって、どういう事よ。

「まともな人じゃないのか俺は」

 思わず口に出していた。

 するとチェルシがちょっと笑った。

 横にいたユンピアも、ウンウンとうなずいたりする。

 なんなんだよ。

「ナミノの場合、常識がない以前に、まったくまともじゃないと思うわ。だって普通なら思い付かないことを思い付くし、思い付いたことを実際にやってみせるし。……今だってそうよ、私が戸惑っているうちに、どんどん先に行っちゃうもの。まともな人だったら、ちょっとくらいは躊躇ちゅうちょするはずよ」

「えっと褒めてるんだよな? まあ褒めてくれるのは嬉しいけどさ、大袈裟に言いすぎだと思うぞ。それにほら、俺って稀人まれびとってやつなんだし、普通と違うように見えるのは、そのせいじゃないかな」

「稀人ねえ……」

 チェルシが首をかしげながら、いぶかしげに俺を見る。

 なんだよ、そこは疑うところじゃないと思うんだけど。


 パチっと焚き火が弾けた。

 何となく、そろそろ再開しようと思う。

「やるか」

 つぶやいてマリベルを見たら目が合った。

 虚ろな白濁した瞳。

 この子は、ずっと俺を見ていたのだろうか。

 立ち上がって、マリベルの肩に掛けていた革のブレザーを取り、促しながら川に入って行く。

 やっぱり水が冷たいな、さっきよりも温度が下がっている気がする。

 水をすくって身体に掛けて、ブラシで慌てずに擦る。

 ゾンビの皮膚って、一度痛めたら治らなそうだから怖い。


 結局それから二時間ほどかけて、やっとマリベルを洗い終えた。

 倒れた時に髪の毛についた分は完全には取れなかった。

 もともと黒調の強いブルネットなので見た目は良いとしても、臭いが付いたままなのが問題だった。

 しかし今夜のところは、どうしようもない。

 洗い終えたマリベルは毛布に包んで、俺が抱き上げて狩人小屋まで運んだ。

 

 小屋に入り、暖炉に薪を入れて火をくべるまでは良かったのだけど、色々あって疲れたチェルシは、そこでダウンしてしまった。

「晩御飯を作るって言ったのに、ごめんさない……」

 と、なんかすごく落ち込んだ風だったけど、もともと体力が低いのだから、無理をするのは良くない。

 気にしなくて良いからと暖炉の前に毛布を敷き、早めに寝てもらう事にした。


 マリベルは毛布一枚にくるまったまま、テーブルの所の椅子に腰掛けてもらった。

 詳しくは聞いてないけど、彼女にとっては寝ていても立っていても座っていても、あまり関係ないらしい。だから風景として一番落ち着きそうなので、椅子に座ってもらうことにしたのだ。ユンピアは一応火の番である。

 俺はこっちの世界で眠っても仕方がないので、外の作業台付近の後始末をすることにした。

 例の黒い体液である。

 なにせ凄まじく酷い腐臭の液体が、そこら中に振りまかれているのだ。なんとか除去しておかないと絶対に問題にされる。

 狩人組合の怖いオヤジたちに、ボコボコにされるのは嫌だ。

 

 物置に行って、松明と大きな両手持ちのスコップを拝借した。

 粘着する黒い液体だけを取り除くのは困難なので、下の土ごとスコップですくってタライに入れようと考えたのだ。

 液体は大きく広がっていたけど、端の方からちょっと深めに土ごとすくい取っていくと、意外と簡単に取り除く事が出来た。

 もちろんスコップには攻撃エンチャント魔法をかけている。

 硬い地面も、砂場の砂のように楽に掘れる。


 松明の尽きるまえに作業は完了した。

 汚れた土は敷地外に穴を掘って埋めた。

 掘る時に出た綺麗な土は、作業台の周りに敷き詰めた。

 思った以上に庭の地面をえぐっていたので、調度良い感じに利用できた。


 全部の作業が終わったので、俺は着替える事にした。

 一応周りを見渡して、誰もいないのを確認したあと、脳裏でコンソールを操作して固有結界にアバターキャラを転送させる。


 途端に真っ白な部屋、多分八畳くらいの正四角形の空間に立っていた。

 中央辺りには、スタンディングディスクのようなコンソールがある。

「ちょっと、なによいきなり、行くなら行くって言いなさいよね!」

 ユンピアの声がした。

 姿は見えない。

 きちんと暖炉の火の番をしているのだろう。

 偉い偉い。

「うるさいわよ、ちゃんとやってるわよ」

 と返事が聞こえる。

 そうか固有結界の中だと、俺の思考が伝わるんだったな。


 ちょっと着替えようと思ったんだよ、俺の服も黒いのが付いて臭いがキツイからな。

「そうね確かに」

 明日また大猪を背負うし、臭いが移ったら嫌だからな。


 そう思いながら、等身大アバターを呼び出して装備クリアのボタンをタップする。

 俺のアバターが全裸になったので、続いて衣装ハンガーから初期装備を選んでタップ。

 これで装備は新品になった。

 ついでに俺自身も、汚れひとつ付いていない新品みたいになる。装備クリアーをすると、アバター自身も洗浄されるのだ。


 この後、一度狩人小屋の庭に戻ってからYシャツと上着を脱ぎ、またすぐに固有結界に転送して、もう一度初期装備を身に付けた。

 それからまた庭に戻ったら、いま自分の着ている服とは別に、新品のシャツと革の上着が置かれている。

 これぞゲーム的な小技、初期装備の無限増殖で小金稼ぎの術だ。

 いやまあ、別に転売目的で増やしたわけじゃなくて、裸のマリベルに着せようと思っただけなのだが。


 この小技は俺が考えたわけではなくて、ネットの情報を参考にしている。

 一部のプレイヤーは自分の初期装備を何着も売ることで、かなりの大金を稼ぎ出したらしい。

 特にシルクのランジェリーとか、レディース関係がすごい売上らしい。

 俺は別に商売をするつもりもないし、そんな成功を治める自信もない。

 ヘルンだったらライバルがいないから、上手くすれば大金が手に入るかも知れないけど。

 だがそれを考えた場合、もっと売るのが嫌になる。

 だって万が一、ヘルンで流行るほど売れたりしたら、街のそこら中で俺の服装が闊歩かっぽするわけだから、ちょっと気持ち悪い。

 それに俺は知っている、流行の後には流行遅れが来ることを。

 自分の初期装備が流行遅れ扱いされるのは、あまりにも悲しすぎる。

 着づらくなるわ。

 

 さて時間を確認すると大陸時間で22時半だった。現実時間なら夜中の2時半と言ったところか。

 俺明日、バイトが入ってるんだよな。

 向こう町の吉祥大寺の井の頭ライブホールで、ステージスタッフと警備員をする仕事だ。

 現実時間の午前9時に集合だから、ダナウエル時間だと昼過ぎの15時にはログアウトをしたい。でないと現地に間に合わない。


 まあ大陸時間的には余裕はあるけどね。

 問題は現実世界での俺の体力だ。

 睡眠時間だよ、まだ今夜は一睡もしていない。

 徹夜明けでお仕事とか、すげえつらそう。


 狩人小屋を出発するのは早朝なわけで、そうなるとあまり余裕がないが、一応睡眠を取っておこうかな。

 ニ時間ちょっとくらいは寝れそうだな。


 俺は小屋に入ってチェルシの隣に毛布を敷き、ユンピアに現実時間の朝5時に起こすように頼んで半ログアウトした。大陸時間だと朝6時になる。

 で、半ログアウトしたままベッドから起き上がらず、RV四号型も頭にかぶったまま、今度は脳を休める本物の眠りに旅立つことにする。

 何だかんだで疲れていたようで、俺はあっさりと深い睡眠に落ちていった。



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