3 ユンピア・ユンピアーノ
それは不思議な感覚だったけど、同時に慣れ親しんだものにも思えた。
意識を保ったまま、眠りに落ちていく。
ふと気が付くと、俺はいつの間にか両足で立ち上がっていた。
ゆっくりと目を開いてみる。
するとそこは、今までいた、自分の部屋の中だった。
普通に、俺の部屋。
何の変哲もない。
いや、違う。
普通じゃない。
ベッドの上には、俺自身が寝転がっていた。
ゆったりしたズボンと、紺のセーターを着ており、横に立っている俺と同じ服装だ。
「へ?」
思わず変な声が出てしまう。
頭にRV四号型をかぶって、ベッドで仰向けに寝ている俺を、ベッドのそばに立った俺が見下ろしている?
これはいったい何なんだ。
恐る恐る手を伸ばして、寝ている俺の肩に触ってみる。
ちゃんと感触があった。
少し強めに肩をつかんで、左右に揺さぶると、寝ている俺の身体が揺さぶられた。
その感覚は俺には伝わってこない。
まるで他人みたいだ。
足元にあったRV四号型の分厚いマニュアルを手に取ると、問題なく普通に持ち上げられた。
PCを見ると、これまた何の異常もなく普通に動いている。
ディスプレイの設定の一覧を確認しようとしたけど、ログイン中のLDS関連の操作はロックされていて出来ないようだ。
「録画してみるか」
そう思ってセンサーボードを操作して、キャプチャソフトを立ち上げた。
現在起動中のゲームソフトにリンクさせてみたが、モニター画面は真っ黒なままで、右上にRECが表示されている。
駄目かな。
キャプチャソフトがRV四号型に対応していない可能性もある。
まあでも、とりあえず録画は続けてみよう。
しかし、これはいったい何だ。
どこまでが夢で、どこまでが現実なのだろう。
一番高い可能性は、今現在、自分が見ている夢の中にいるってケースだ。
そもそも自分の夢のなかを、覚醒した意識で探索できるのがLDSなのだ。
だからある意味、まったく問題ないようにも思える。
でもなあ。
これが夢なら、ちょっとリアルすぎるんじゃないのか。
「あー、あー、あー、あー」
何となく試しに声を出してみた。
するとディスプレイの録画中画面に付属している、音量バーが反応した。
どうやら録画は駄目でも、録音はできているらしい。
いや、録音だけはできる、という設定なのか、俺の夢は?
うーんどうしよう。
ラチがあかないな。
そうだな、よし、部屋の外へ出てみよう!
ドアのノブに手をかけて、廊下へ出ようとする。
その瞬間。
強烈な真っ白い光に包まれた。
「なっ!」
思わず目をそむけるが、光は全方向から迫っていたので、そむけた先も眩しくて仕方がない。
目をつぶっても、薄いまぶたを通して眩しいから、両腕でかばうような格好になる。
しばらくして、たぶん数秒くらいだと思うけど、その奇妙な光が消えたようだった。
ゆっくりと目を開く。
するとそこは飾り気もない、ただ全体が白いだけの小部屋だった。
<それではぁ、アバターの設定を始めてもぉ、よろしいですかぁ>
「え?」
ちょっと舌っ足らずな、可愛らしい女の子の声がした。
その声に聞き覚えがあると思ったら、俺が昔PCのAIイメージソフト用に購入した、とある声優さんの声データと同じだった。
いやーなんちゅうか、俺も一度はPCの人工知能に可愛い3Dキャラと声を当てて、擬似恋愛みたいなことをしてたんだよなあ。
ある日をさかいに、ピタッと辞めてしまったが。
具体的には、AIイメージソフトの18禁バージョンを購入する直前に、このまま進んだら人生が終わると確信して、一切を絶ったのだが……。
くっそ、PCの音声対応はOFFにしていたけど、音声そのものは変更してなかったもんな。さっきリンクしたとき、RV四号型がPCの設定を採用してしまったんだな。
あああこの声で思い出してしまう!
とてもとても恥ずかしい黒い歴史と!
それを上回る、なぜあのまま突き進まなかったのかという、強い自責の念を!
18禁アダルト仕様の人工知能、それは男のロマン。
今からでも、遅くはないぞおおお!
はあはあはあ……。
ふう……。
よし、少し落ち着こうか。
まったくもう、あまりに突然の不意打ちで、動揺してしまったじゃないか。
<それでは、アバター設定を始めても、よろしいですか……>
返答がなかったせいだろう、システムが同じ言葉を繰り返した。
こころなしか、口調が固くなった気がする。
まあ俺の被害妄想だろうけど。
しかしそれにしても、さっきの一連の出来事は何だったのだろうか。
自分の部屋の自分のベッドに寝ていた自分を見下ろす自分。
わけがわからん。
って言うか、たぶん俺の見ていた夢なんだろうけどさ。
うんうん、きっと全部夢だ、そんな夢を見た、ってキャッチコピーの古い映画があった気がするな。
昔の古い映画。
そんな夢をみた。
なんか格好良い言い方だよな、LDSっぽくて良い。
俺けっこう昔の映画好きなんだよな。
<それでは! アバターキャラクターの設定を! 始めてもよろしいですか!>
「りょ、了解です、設定とやらを始めてください!」
確実にシステムの声に怒気が混じっていた。
怖え。
誰だよ、こんなどうでも良い作り込みをしたプログラマーは。
<アバターの外見はぁー、現時点では現実の御本人の外見イメージから変更はできません。外見イメージとは、御本人が記憶している御自身の姿のことですぅー>
ほほう、なるほど。
現時点ってことは、将来は変えられるってことなのかね。
そのうち姿だけじゃなくて、性別も変えられるのかな。
<基本的な姿は御本人の持つ自己の外見イメージとなりますがぁー、衣類を始めとする装備品についてはぁ、自由に選択することができまーす。またぁ、初期装備についてはぁ、こちらで用意した一覧から選んでもらう形になりまーすぅ>
システムのキツイ口調が元に戻って、舌っ足らずな可愛らしいものになっている。
形になりますぅの語尾の音が、上に抜けていく感じだ。
俺の好きだったアニメキャラそのものだ。
だがさっきの豹変ぶりを知った後だと、微妙にひいてしまう。
と言うか、むしろ気持ち悪さがあるな。
まさに猫かぶり。
しかも一匹じゃ足りないレベルだ、二、三十匹の猫を乗せているな。
わははは、全身猫だらけ。
<………………>
ん、あれ?
なんか背筋に冷たいものが走ったぞ。
こ、これは殺気か。
なんてね、まあ気のせいだ。
<ア、アバターモデルとぉ、選択できる初期装備一覧を表示するからね……、表示いたしますぅ>
何やら口調が、たどたどしい。
システムの状態が情緒不安定だな。
まあ初期ロットだし、多少のバグは仕方がないのだろう。
変に複雑な表現プログラムを組むから、無理が来てるんじゃないのか。
それとも俺のPCの設定とRV四号型が競合を起こしているんだろうか。
だとしたら面倒かも。
そういや声や声のトーンはPCの設定のままだけど、単語の選び方は事務的で硬いもんな。
さっきだって俺のことを、御本人の、なんて言ってたし。
PCのAIには、大斗にぃにぃって呼ばせていたもんな。
なんで大斗にぃにぃって呼ばないんだろうか。
ほれ、呼んでみろ、大斗にぃにぃって。
ん?
できないのかな?
うちのPCにも出来ることが、RV四号型には無理なのかな?
ほれほれ。
言ってみ。
ほれ。
<だ、大斗にぃに……、だーーーっ! 言えるかー!>
システムが叫んだ。
いや違うな。
システムのフリをしていた何かが叫んだ。
さっきから心を読まれているのは分かっていたんだ。
たぶんLDSは睡眠中の夢の中だから、意思を伝える方法が音声じゃなく思念のようなものなのだ。
つまり俺は今、心で思っているつもりでも、全部口にだして喋っているのと同じ状態なのだろう。
そしてシステムのフリをしている奴は、きっと運営の人なんだろうな。
<くっ……>
だからLDSの最中に本音と建前を使い分けたければ、意識を二重にする必要が出てくると思われる。
意識の表層は全部筒抜けだから、もう少し深い場所で思考する習慣をつければ良い。
うん、頑張ってトレーニングすれば出来そうな気がするな。
「そんな複雑な事をする必要なんて、ぜんっぜんないわよ!」
「は?」
白い部屋の真ん中に、ピンクの煙のようなものがブワっと広がって、濃縮するように小さな塊になっていった。
ぽんっと弾けるように、可愛らしい小人、あるいは妖精が宙にあらわれる。
身長15センチくらいで白い肌、絹のように薄くて軽そうな白いドレスを着ている。
ボブカットの髪はピンク色で、背中には短かい純白の翼が四枚あった。ちなみに上の二枚に比べて下の二枚はすごく短い。
全体的に真っ白い小人だったが、ピンクの髪とクリっとした黒い目が印象的だ。
「思考が筒抜けになるのは、ここみたいな個人の固有結界の中だけよ。外に出ればブロックがかかる仕様だから、口に出して喋るって行動を取らない限りは、思考が漏れる心配はないっての」
「は、はあ」
「個人的な明晰夢ならともかく、RV四号型を通しての行動なら、そのあたりのフォローも完璧なのよ。ついでに言うなら言語の壁だってないんだからね。夢の中ってのは、本来は記号化するよりも以前の、純粋なイメージなんだから」
妙に得意げな口調で妖精が、よく意味の分からない事を言った。
ときおり翼が、思い出したかのように羽ばたく。
宙に浮いていたが、羽で揚力を作っているわけではないようだ。
しかしこの突然登場して、得意気に胸を張る小さい変な奴に、どう対処して良いのか分からない。
とりあえず呆然としてみようか。
ってか、こいつ運営なのか?
コホン、と妖精が咳払いした。
「私の名前はユンピア・ユンピアーノ。ユンピアって呼んで頂戴。今回は女神様の指示により、通常のシステムでは処理しきれないトラブルの対策係として、大斗にぃ……、じゃなくてアンタのところに派遣されたのよ!」
妖精が苦しそうな顔をした。
「おい、大丈夫なのか?」
「うるさいわね、誰のせいで苦しいと思ってるのよ。設定が、気持ちの悪い設定が私の魂を侵食しようとしているううう!」
侵食?
そう言えば口調も態度も全然違うけど、声質だけは俺の好きな声優のままだな。
まあ、なにやら大変そうだが、俺に出来ることは何もない。
頑張ってくれ。
「と、とにかく、私は女神様の指示で来た、まあサポートキャラってわけね。断っておくけど、中の人なんかいないからね、運営とか思わないで頂戴。まあ仕方がないから、すごく不本意だけどAIの一種と思ってくれてもかまわないわ」
「そうか」
ユンピアと名乗った妖精は色々と喋るが、正直言って半分も内容が解らない。
そもそも処理しきれないトラブルってなんだよ。
「だからそれは、アンタが勝手にアイテール投射するからいけないんでしょ。しかも物理干渉の高さが超人並みだったし。ホント無駄に凄い才能よね、無駄に。おかげでアストラル投射への強制変換に、ものすっごい量のエネルギーが必要だったんだから。珍しく女神様がヘバッてたわよ」
とユンピアが、またもやまったく意味の解らないことを口にする。
と言うか、まくし立てる。
こいつのどこがサポートキャラだ、ただのかき回しキャラじゃねーか。
誰か助けてくれ。
説明プリーズ。
「うるさいわね、分かったわよ、ちゃんとやるから大丈夫だっての」
ユンピアが両手で、自分のほっぺたをパシンっと叩いた。
「よし、変な侵食はおおむね防げたようね、洗脳の危機は去ったわ」
そして俺の方を向き直る。
「あらためまして。集合無意識領域の人工島、ダナウエル大陸を管理する女神様から使わされた、天使のユンピア・ユンピアーノよ。アンタのLDSライフをサポートするために、これからしばらく専属でフォローすることになったわ」
「えー」
「えーじゃありません、殴るわよ」
「はい……」
「本来サポートはRV四号型内蔵のAIで充分だったけど、アンタが仕様外の奇妙な現象を起こすから、ただのAIじゃ役者不足ってことになったの。で、私を上書させる形で、ゲーム機本体に送り込んだってわけ。つまり今のRV四号型本体は私の肉体みたいなものだから、大切に扱いなさいよ」
「はあ」
結局よく解らないが、ようするに俺の買ったRV四号型を使う限り、この自称天使とも付き合わなくてはいけないわけか。
「し、失礼な、誰が自称よ!」
ふむ、しっかり思考が届いているな。
まあ良いか。
「とにかくそういうわけだから、これからどうぞよろしく!」
根が単純なのか、寛容なのか、それとも変人なのか。
ユンピアはプリプリ怒りながらも、そこはかとなく友好的な態度を取ってくる。
けっこう可愛いかもな。
「わかった、俺もよろしく頼むよ」
そう言って右手を差し出すと、ユンピアは俺の中指を両手でつかんで上下に揺らした。
「サイズ的に仕方がないでしょ、てか何で握手なんかさせてんのよ」
ちょっと赤くなりながら言う。
「そ、それじゃ早速さっきの続き、設定を始めるわよ。まずはアバターの初期装備からね」
そう言って指を一本立てる。
やっと本筋に戻ったようだ。