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29 マリベル

 チェルシと一緒に水を飲みつつ休憩した後、よっこらせっと身体を起こす。

 穴は狩人小屋の敷地から、少し外れた場所に掘ることにした。

 大型スコップを地面に刺し、足で体重をかける。

 予想外に地面が硬かったので、ここはひとつ、何かと便利な狙いうちスキルを発動させてみる。

 だがしかし思ったほどの効果を得られなかったので、それならばと攻撃エンチャント魔法をスコップにかけてみた。


 するとまあ、突然砂場のように楽々と掘れるようになった。

 うはー、これは便利だわ。

 ものの三分と経たない内に、満足いく深い穴が出来上がった。


 そろそろ日もだいぶ落ちて、夕暮れも暗くなって来た。

 薄い雲と、蛍光色の空。

 大陸時間で17時49分。

 あと半時間かそこらで日没だ。

 手元の見えるうちに、面倒な作業が終わって良かった。


 大きめの桶に入れた大猪の内臓類を、一気に穴の中に落とし込んだ。

 続いて半分潰れた頭も落として埋めておく。

 何かに使えるかもしれないと思って、両牙はもらっておく事にした。

 小屋に置いてある。

 メスの牙にしては大きかったけど、売り物としては二束三文らしい。

 小物細工の材料にはなるそうだ。

 これが強靭な魔物の素材であれば、それなりの価値があったかも知れない。


 桶を持って広場に戻ってくると、チェルシが申し訳なさそうな顔をして待ち構えていた。

「ゴメン、もう一つだけ力仕事をお願いさせて」

 と言う。

「まあ良いけど、何をさせたいんだ」

「大猪なんだけど、物置の所まで運んで欲しいの。このまま外に放置してたら、誰かに食べられちゃうかも知れない」

「狼が来るのか」

「うーん狐や狸もかじりに来るかも」

「あー、そういう奴らか」

「あと朝になったら鳥も」

「……鳥葬かよ」

「物置に獲物用のフックが吊るしてあるから、そこにかけて欲しいの」

「わかった」

「物置は裏の両扉から入れるわ。表のドアだと大猪が通らないから裏へまわってね、今から案内するから」

 なるほど、裏口は大きく開くって事か。

「よし任せろ」

 うなずいて作業台の方へ行く。


 作業台の上の大猪は、頭と内臓を無くしたせいで、かなり食材っぽくなっている。

 ただ毛皮をそのままにしているので、何となく何だか分からないものって感じだ。

 大きくて持ちにくそうだが、短い距離なら背負わなくても行けるだろう。

 そう思って、両手で抱えて持ち上げる。

「よっこらせっ」

 まさにお姫様抱っこ。

 日の沈む夕焼けの森の中、ロマンティックだよな。

 あ、いかん、デカすぎて前が見えない。


「ユンピア! 前が見えない、音声ナビを頼む!」

「はいはーい」

 早速サポート天使を召喚した。

 役に立つとこ見せてくれ。


 俺の背中に手を当てたチェルシと、前を飛びながら状況を実況するユンピアたちから情報をもらいつつ、裏手の物置まで運んだ。

 中のフックを二本突き刺して吊るす。

 後ろ足の膝上あたりだ。

 天井からぶら下がる大猪は、あまり広くない物置の三分の二を占拠していた。

 これでやっと、一段落だ。


「完了だな」

「お疲れ様、ありがとうねナミノ」

「おう」

「いっぱい働いてもらったから、晩御飯は私が作るわ、期待してね」

「え、料理できるの」

「……なによその顔」

「あ、いや、期待しています」

「ならばよろしい」

「猪はこのままで良いのか」

「うーん本当は篭もってる熱を全部取ってしまいたいけど、森の夜は冷えるから問題ないかな」

 そう言いながらチェルシは、両扉を木のカンヌキで施錠した。


 作業に使った道具を片付けるために庭に戻ると、作業台の前にゾンビの子が立っていた。

 あたりは日が落ちて、今は最後の薄闇が空を覆っている。

 東の空には星が浮かんでおり、もうすぐ天空には見事な星雲が見られるだろう。

 薄闇の中、暗い人影になったマリベルは、白く濁った目を俺の方へ向けた。

 相変わらず無表情だ。


「どうかしたのか」

 近づいて尋ねる。

 マリベルは俺のみぞおち辺りの身長だ。

 距離が近づく程に背丈の違いが出て、俺を見上げるような形になる。

「ズギ……ハ、ワタジィノ……バ……」

「ん、なんだ」

「ツ……ギハ、ワダシ……ノ……バン」

 そう言って作業台を指差す。

「え?」

 次に自分のお腹を指差す。

「え、ちょっと、何を言ってるんだ」

 マリベルが、ずいっと俺に一歩近づいた。


「イ……たム、バァエ……ニ、ト……ル」

「傷む前に内臓を取る?」

 マリベルがうなずく。

「いやいや、お前は猪とは違うだろ。それにゾンビなんだから、とっくに傷んでいる……いやその、関係ないんじゃないのか」

「イタ……ンダ、オナ……カ……ヲ、トル」

 そう言って作業台に上がろうとする。

「まてまてまて、いくら何でもそれは無いから! 駄目だよ上がらないで、まだそこ洗ってないし汚れちゃうだろ」

「ム……」


「なにやってるの?」

 ブラシを持ったチェルシがやって来た。大猪をさばいた作業台を洗うつもりだったのだろう。

「いや別に、大した事じゃないけど」

「オナ……ガ、キタ……ナ……イ」

「どうしたのマリベルちゃん? ねえナミノ、なんて喋ってるの」

「いやさ、内臓が傷んでるからって……、ちょっとまて!」

 

 片手でスカートを捲し上げたマリベルが、もう一方の手で骨スキ包丁を構えて、自分の腹に突き立てようとしていた。

 チェルシが息を飲む。


「やめろって!」

 逆手に構えた骨スキ包丁を、マリベルから奪い取った。

「何やってるんだよ、自分の腹を切るとか正気じゃないぞ」

「ダ……ッテ、キタ……ナイ」

 相変わらず無表情だったが、もしかしてマリベルは泣いているのだろうか。

 なんて言ってやれば良いんだろう。

 こういう時は、嘘でもいいから、綺麗だとでも言えば良いんだろうか。

 そもそもどうして、そこまで気にしているんだ。

 ゾンビでいることが苦痛なんだろうか。

 どこまで生前の記憶や意識、価値観が残っているんだろうか。


 包丁を奪われたマリベルは、しばらく俺をにらんでいたが、やがて祈るように両手を胸の前で組んだ。


 何をしているんだ?


「ン……ウン……ン……」

 唸り声を上げる。


 突然、マリベルの両手が白く光りだした。

 これは魔法の光だ!


「マ……マト……オナ……ジニ……」

「マリベル、どうする気だ!」

「ヒカリ……ガ……ヤク……」


 何か決心したようにブツブツ言ったマリベルは、白く光った両手を、自分の腹部に押し当てた。


「ァァア”ア”ァア”ア”ア”ア”ァ!」


 マリベルが、驚くほど大きな声で、動物が絞め殺されるような凄まじい悲鳴を上げた。

 これは苦痛の声だ。

 あまりの音量に、思わず後ずさりながら耳をふさぐ。


「マリベル!」

「ア”ア”ァァァァア”ァア”ア”ァア”!」


 両手の光は治まらない。

 見ると腹部全体に、滲むように移っている感じがする。

 マリベルの肩が小刻みに震えだした。

 それはすぐに全身に広がり、震えも大きくなり、まるで痙攣のようにガクガクと揺らす。


 と思ったら、唐突に白い光が消えて、痙攣もピタリと止まった。


「ど、どうなったんだ……」


 様子見で近づこうとした瞬間、マリベルの口から、真っ黒い体液が溢れ出した。

「な、なに?」

 マリベルは無表情に立ち尽くしていたが、その口や、あと耳、鼻、目などからも、やけにドロっとした黒い液体が溢れている。

 そしてそれは、強烈な腐臭を伴っていた。


「うっ……」

「なんだ」


 俺と側にいるチェルシも、あまりの臭いに顔を覆いながら背ける。

 これは酷い。

 まるで腐った牛乳を濃縮して醗酵でもさせたような、とにかく今まで体験したことのない強烈な腐臭だ。

 大量の体液が身体を流れて地面に溢れる。

 チェルシは少しずつ後ずさりながら、ついに吐き気に耐えられなくなり、うずくまって嘔吐いた。

 俺はきっと体力の数値の高さのお陰だと思うが、吐き気には何とか耐えられる。


 マリベルは上半身だけでなく下半身も黒い液体に塗れていた。

 しばらくして黒いドロっとした液体の流出が止まった。すると今度は力が抜けたようにフラっと揺れたかと思うと、受け身も取らずにうつ伏せに崩れて倒れた。


「マリベル!」

 思わず駆け寄って抱き起こす。

「お、おい大丈夫か」

 起こしながら仰向けにすると、両目は閉じずに俺の方を見ていた。

 真っ黒に汚れた顔は相変わらず無表情だったが、どこか呆然としているようだ。

「……ゴ、メン……ナ……ザイ」

「なにをしたんだ」

「ゴ……メン、ナ……ザイ」


 それだけ言うとマリベルは、身体を起こして立ち上がった。

 フラフラと歩きだす。

 その歩調は、昼間よりもずっと遅い。

「お前……」

 辺りはすっかり日が落ちてしまい、存在感のある星雲が空を覆っている。まだ多少は薄闇が残っていたが、小屋の周辺も森林も暗くて見通しが利かない。

 マリベルが向かっている先は、きっと小川だと思った。


「チェルシ、これ借りるぞ」

「え?」

 俺はチェルシの持ってきたちょっと大きめのブラシを手に取った。

「あと悪いけど、身体を拭くものを小川まで持ってきて」

 それだけ言うと、ほとんど進んでいないマリベルの所へ行って、彼女をすくい上げて抱いた。

 さっきの大猪と同じように、お姫様抱っこだ。

 マリベルは抵抗せずに、俺の顔をじっと見上げている。


「ちょっとアンタ、どこへ行く気よ」

 ユンピアがふらーっと飛んで来る。

「小川だよ、汚れたから水浴びしなくっちゃな」

「あ、そうなのね」

「お前はチェルシと一緒にいてくれ、後はよろしくな」

「わかった……、あ、そうだっ」

 俺から離れようとしたユンピアが、ふと身体の向きを戻した。

「なんだよ」

「えっとね、その子がさっき魔法を使ってたの分かってた?」

「そうだな白く光ってるのが見えたよ」

「ふーん、まあその光を霊視できるのはナミノだけかも知れないけど……。えとね、光は見えなくても、ある種の魔法は私にも感じ取れるの」

「ほう」

「その子さっきね、聖属性魔法を使ったわよ」

「なに?」

「アンデットは生前のスキルを持っているんだけど、まさか生前のギフトまで持っているとは知らなかったわ」

 ユンピアが続ける。

「その子もしかしたら、巫女見習いの候補だったかも知れないわね」

 俺は思わずマリベルの顔を見た。

 抱かれたままの彼女は、相変わらず無表情のまま俺を見上げていた。



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