28 大猪解体
猪の解体の話しです。
ちょっとグロいかも。
ネットの動画を参考にしてます。
読み飛ばしても、さほど本編に影響ないです。
「遅かったわね」
ブラシの手を止めてエルフ娘が言う。
毛皮の上着を脱いで、麻のシャツは腕まくりしている。
「ごめん、うっかりしてた。川でマリベルを洗ってた」
「マリベルちゃんを?」
「水浴びがしたかったみたいだな」
「そうなんだ……」
遅れた理由を聞いたチェルシが、首をかたむけて考える仕草をする。
俺にしてもゾンビの子の行動は意外だった。
どこまで生前の記憶というか意識というか、価値観や欲求みたいなものを持っているんだろうか。
少なくとも空腹になったり、人間を食べたいと思ったりとか、そういうのは無いようだが。
さて、もう午後四時をまわっている。
日の入りは半時間後くらいだ。
初冬の日の入りから日没は、秋に比べれば長いらしいけど、夕方が早く訪れる分だけ日没も早く感じる。
太陽が完全に沈むのは大陸時間で18時半くらいだ、だから午後六時までには作業を終わらせておきたい。
「ところで、何をやっていたんだ」
かなり低めに作ってある庭の作業台の上で、仰向けに寝かせた大猪に水をかけ、ブラシで洗っていたようだが。
「流れた血に土がへばりついて、あまりにも汚れていたでしょ。このままさばいたら、どうしても肉に汚れが入っちゃうのよ」
俺の質問にチェルシは、額に浮かんだ汗を袖でぬぐいながら答える。
「お腹まわりだけでも洗っておかないと、血泥で汚染した部分を削ぎ落とす事になるわ。かなりの量になるのよね、もったいないわ」
「そんなにか」
「うん、お腹の肉を台無しには出来ないわ」
なるほどバラの話か。
俺は背中側のロースの方が好みだけど。
牛の話だけどね。
猪は食べたことがないんだよな、どんな味なんだろう。
ふたつの中サイズの水樽を見ると、一個がほとんどカラになっていた。
調度良いのでいま汲んできた分を継ぎ足しておく。
「ありがとうナミノ、助かるわ」
「お安い御用だな、他に何を手伝えば良いんだ」
「後ろ足を広げていて頂戴、全体が大きすぎて手が届かないの」
「ん、分かった」
「パパたちの作業を見たことはあるのよ、それこそこの場所でね。自分でやるのは初めてだから、もし失敗しても許してね」
「了解だ、失敗しても怒らないから思いきってやってくれ」
「ふふ、ありがと」
チェルシがニッコリと笑顔を見せる。
その様子がエルシアさんに似ていたので、ちょっとドキっとした。
チェルシは仰向けて洗った大猪の腹を布で拭くと、並べた刃物から刃渡り15センチ程の、長細い二等辺三角形みたいな包丁を手に取った。
「骨スキ包丁よ、器用なハンターだったらこれ一本で全部解体しちゃうわ」
噛みしめるような口調で説明する。
「ってパパが言ってたの」
と付け加えた。
どうやらお父さんから聞いた話しを、喋ることで思い出しながら作業をしているようだ。
「丁寧に切るのは当然だけど、ためらってちゃ駄目。刃物は押し込むのじゃなくて、力を入れつつ斜めに削ぐような感じで」
自分に暗示をかけるような喋り方をしながら、大猪の腹の喉元から尻尾までを、何度も表面をなぞるように切りつけ開いていった。
さっき矢が通らなかったくらいだから、かなり硬かったみたいだ。丁寧になぞりながらも全身に力を入れて切っている。
「体毛が邪魔だわ、本当は最初に毛剃をするのが良いって聞いたけど、その通りだわ」
一緒に切れてしまう体毛を摘んで投げ捨てながら、作業を進めていく。
固い表皮の内側からは、さらに白くて分厚い皮があった。皮下脂肪かと思ったらギトギトしていないので、別のものらしい印象を受けた。
包丁がスッと入るところを見ると、表皮みたいに固くはないようだが、相当分厚い。
チェルシは手早く、その白い部分も切り開いていった。
まず胸が開いて、赤い肉が見えるようになる。
腹の方の部分は薄い腹膜に覆われていた。
「内臓は腹膜にくっついているから、一気に切ろうとすると、勢い余って内臓も破っちゃうのよね。だから刃を上に向けて進めなくちゃいけないの」
そう言うとチェルシは包丁の刃を上に向けて、先端を腹膜に突き刺し、すくい上げるように動かしながら腹膜を切り開く。
小腸のかたまりが姿をあらわした。
「次は胸骨を取り外して、肋骨部分を開けるわ」
今度は重たい片刃斧のような、そんな刃物を手に取った。
その刃を胸骨の上に乗せると、持っていた骨スキ包丁の柄の部分を振り下ろして、片刃斧の刃の無い方をガンガンと叩き出した。
「ここは胃や胆嚢、肝臓を破らないように、気をつけないといけないの、よっ」
かなり乱暴に胸の真ん中の板みたいな骨、胸骨を取り外す。
これでバラバラになったアバラが開き、肺臓や食道を取り出す準備が出来た。
チェルシは肩で息をしている。
いまや大猪は、巨大な蛙の解剖みたいな有様を見せていた。
全然違う動物なのに、不思議と似るもんだな。
「よ、よし、次は食道よ」
切り取って無くなった胸骨の部分から奥に手を差し込み、手探りで食道を見つけて引っ張り出す。
沢山の皮膜によって周囲の組織に癒着しているので、それを骨スキ包丁で断ち切りながら、徐々に上を目指していく。
「うう重たい、これ意外と力がいるわね」
大猪の身体が大きいので、食道も太いようだ。
小柄なチェルシでは大変そうだ。
「おい大丈夫か」
「うん、もう終わる」
喉の上の方で食道を切断して、胸部のあたりまで強引に引っ張り出し、横にたらして中に戻らないようにした。
チューブのような食道が、ダラリと横にたれる。
かなりの組織を刃物で切っているが、ほとんど血が出ないのは、しっかり血抜きが出来ている証拠だろう。
「ふうぅ……、つ、次は一番危険な膀胱周辺と肛門の部分よ。とくに膀胱や尿道が破けたら悲惨だわ、肉の価値が落ちるどころか売り物にならなくなるわ。パパのハンター仲間が、獣の尿と胆汁は最悪の調味料だって言ってた」
大猪の下腹部に、恐る恐る手を差し入れる。
「ううう、どれが膀胱か全然分かんない」
ちなみに大猪はメスのようだ。
膀胱からは尿道が出ているはずだが、素人目には周囲のスジや皮膜と混ざって、どれがどれだか区別が付かない。
「とにかく大きめに切っておくわ、明らかに肉の部分も一緒に切り取っているけど、仕方ないわよね。って言うか恥骨なのかしら、骨が邪魔で本当に分かりにくい……」
俺も人間の身体であれば生物や保健の授業で大まかに学んだけど、大猪の解剖学的構造などまるで知らない。
何かアドバイスが出来ればいいけど、まったく何も出来ない。
「駄目、分かんない、でも何となく切り取れた気がするから良し!」
どうやら肛門周辺の処置も終わったようだ。
腸と繋がっているので、糞尿合わせて肉を汚染しないために、肛門は周辺の肉ごと切り取り、直腸と一緒に外して抜き取るらしい。
「次は他の内臓部分よ、もうすぐなんだから。後は腸とか肝臓とかすぐに終わるわ」
そう言って小腸の裏側に手を入れる。また恐らくスジや皮膜を断とうとしているのだ。
細い両腕の根本まで大猪の腹に差し込んで、えいっ、ふんっ、とか言いながら作業を続けている。
「こ、これは、思ったより力がいるのね、けっこう疲れるわ」
しばらくして腕を引き出す、肩で息をしている。
大猪が本当にデカイもんな。
それに作業を始めてから、もう三十分は経過している。
体力の低いエルフ娘にはキツイはずだ。
「ええと、手伝おうか」
声をかけると、グッタリしていたチェルシが、俺の顔を見ながらうなずいた。
「う、うん……、それじゃお願いするわ」
「よっしゃ」
「あのさ、慎重にやってね、素手で内臓を周辺から剥がすのよ」
「了解だ」
上着を脱いでシャツをまくると、心配そうな目に見守られながら大猪の腹部に手を入れた。
何と言うか、生っぽい手触りが気持ち悪い。
そして想像以上に暖かかった。
ちょっと大袈裟だが、熱いくらいだ。
「こんなに温いのか」
「そうね、時間が経っても深部の体温はすぐに冷えないのよ」
「そういや何かの映画で動物の腹に入って暖を取っていたな、古典SFでスターウォーズのエピソード5だったっけ」
「映画? スターなに?」
「あ、ごめん、こっちの話しだ」
「もう……」
「ええっと、その、肺とか心臓の方も同じにするのか」
「そうよ、動静脈は切ってあるから引っ張れば外れると思うけど、まずは小腸と大腸をお願いね」
「これ意外と難しいな」
「うん素手じゃ無理みたいね。裏の奥のスジには、その骨スキ包丁を使ってみて。……パパたちがやってるのを見たら簡単そうだったのになぁ」
「他を傷つけないように包丁を奥に差し込むって、手元が狂いそうで怖いよな」
「そうなのよ。……でもナミノってすごく器用なのね、もしかして私より上手いんじゃないの」
「器用さには自信があるけど、解体の知識がないからな、簡単なところしか出来ないよ」
「そっか」
話しながらも作業を続ける。
やがて手で探った限りでは、内臓各種を周辺組織から、完全に切り離せたように思えた。
肝臓や腎臓、胆も膵も大丈夫だ。
「いけるんじゃないのか」
「そうね、まとめて引き抜くわよ」
「どうすれば良いんだ」
「横に出してある食道をつかんで、一気に肛門まで引き剥がして抜くのよ。あっ、ゆっくりやるのよ、慌てないでね」
「よし、やってみよう」
最後の仕上げだ。
内臓全部を一気に持ち上げるようなので、小柄なチェルシには無理だ。
俺がやるしかない。
大猪の食道と気道を持ち上げて、まずは肺臓や心臓と一緒に引き抜く、横隔膜の次に胃や肝臓があって、破くと危険な胆嚢があって、膵臓もあるので、片手を差し入れてすくい上げるようにしながら、順番に腹部から抜き出して横腹に垂らす。
次に腎臓と大物の小腸があるので、両手を差し入れてすくい上げながら、続いて大腸も一緒にすくい上げる。
このあたりが、なかなか重たい。
そのまま垂らしている横腹の方向へ引き抜きぬいて、下に落ちるように持っていく。
最も危険な尿道や肛門は、チェルシが反対側から手を差し入れて、タイミングを合わせて一緒に取り外した。
喉元から泌尿器肛門まで、ひとかたまりになった全ての内臓が脇腹を滑り、どしゃりと重たい音を立てて地面の上に落ちた。
「や、やったわ!」
「おう、これは成功だよな」
「そうよ、どこも破けてないし、完璧だわ!」
チェルシが感激したように声を上げた。
よほど嬉しいのだろう、満面の笑顔だ。
しかしまあ、この光景は、ぜんぜんエルフっぽくないよな。
内臓の固まりの横ではしゃぐのが、金髪の美少女と来ている。
さすが狩猟民族だけあって、きっと子供の頃から見慣れている作業なんだろうけど。
ここまでグロいのを完全に無視されると、ちょっとシュールだ。
ちなみに今更だが、俺はこういうのは全然平気だ。
小学校高学年のときに課外授業で、食肉センターの屠畜場に見学に行ったが、生々しい鶏の解体を見せられても平気だった。
希望者のみの実授業だったにも関わらず、数人ほど気分を悪くしていたが。
まあうちは農家だったし、屠殺を見たことはなかったものの、畜産ってのはそういうもんだと聞かされて育っていたから、怖くなかったのかも知れない。
「それで、この内臓はどうするんだ」
「埋めて森に返しましょう、日持ちしないし、もし心臓とか肝臓が欲しいなら今夜食べても良いけど」
「あー、別にいらないかな」
「それじゃまとめて埋めちゃいましょう。あっそうだ、大猪の頭も切り落として欲しいのだけど、ナミノにお願いするわ」
「頭はいらないのか、牙とか」
「私は、いらないわね」
「そっか、了解」
「そこの大振りのナタがあるでしょ、長剣鉈って呼ぶんだけど、それを使ってみて」
「これか」
鉈ってのは作業用で、長四角で片方に刃のついた分厚い刃物、というイメージだが。
長剣鉈というのは、片刃の小剣というか、大きなアーミーナイフみたいな作りだった。
やたら分厚い鉄の固まりみたいな刃物で、凶悪な雰囲気は作業用に見えない。
持ち上げると、見た目通りの重量があった。
重たいな。
大猪に近寄ると、大きく振り上げてから、十秒ほど狙いを定める。
狙いうちスキルの発動だ。
十秒も使えば、溜め攻撃効果が追加されるのだ。
なお専門の溜め攻撃スキルだったら、二、三秒で良いらしい。
思いっきり振り下ろすと、意外なほど手応えが無かった。
簡単に首の骨も切断してしまい、一撃で大猪の首を三分のニほど切り裂く。
さすがに刃渡りの長さが足りなくて、一気に切り落とすまではいかない。
もう一度斬りつけると、首がゴトリと地面に転がった。
そばに大きめの桶があったので、首と内臓類をまとめて入れる。
さてどうしようかと思ったら、チェルシが小屋から大きなスコップを持ってきた。
穴を掘って埋めろという事らしい。
「ごめんナミノ、力仕事ばかりだけど穴をお願い。本当はこうなるって分かってたから、解体の方は私だけでやるつもりだったんだけど、結局手伝ってもらったし、本当にごめん」
「いやまあ大丈夫だから、この程度は任せてくれ」
「うん、ありがとね」
ふと顔を上げると、いつの間に帰ってきていたのか、マリベルとユンピアの姿があった。
ゾンビの女の子は白濁した目で、作業台の近くに置いた桶の中の内臓を、じっと見つめていた。




