24 狩り
ヒュンっと風を裂くように矢が放たれる。
わずかに弧を描きながら、木の幹を避け、木陰をぬいて、数枚の葉を蹴散らせて、吸い込まれるように飛んでいく。
しかし。
俺たちが狙った子鹿は、矢の音がした瞬間に歩くのを止めて立ち止まり、聞き耳を立てる仕草をする。
すると子鹿が移動するのを計算して放った矢は、その胸先を掠めるようにして外れてしまった。
胸先に正体不明の刺激を受けた子鹿は、身をひるがえして走り去った。
あっという間に木々に紛れて見えなくなる。
「ああ……」
チェルシが溜め息をついた。
一時間ほど前は大人の鹿を見かけたのだが、これで二度目の失敗だ。
最初の鹿は近付きすぎたようで、姿が見つかって逃げられた。
俺たちが今回考えた作戦は、チェルシが弓矢で怪我を負わせて、俺の銃でとどめを刺す。仕留めきれなくても、さらにチェルシが次矢を放つという三連続攻撃だ。
単に獲物を狙うだけなら、初撃を弾丸にした方が移動力を奪いやすいが、火縄銃の発砲音はひどく大きい。
弾が命中しなかった時の事を考えると、弓矢の方が都合が良い。
矢であれば初撃を外して逃げられても、狙った獲物以外には存在を気づかれない。
だが銃声が轟けば、森中に存在を示すことになる。
敵が森に入り込んだ。
と、宣伝するようなものだ。
動物たちの警戒レベルを上げないためにも、まずチェルシが矢を当てて、次に銃でとどめを刺した方が良かった。
もちろん一度銃を使えば、どのみち発砲音は響くのだけど。
一頭狩れたら充分なので後のことはどうでも良いのだ。
だって二頭も三頭も狩ったって、どうせ街まで運べない。
大物なら鹿であれ猪であれ、百キロを超すやつもいるからな。
普通なら二人がかりでも街まで運ぶのは難しいだろうが、俺の筋力は高いから、ひとりで担いでも平気だ。
アバターの俺って、頼れる力持ちだ。
さすがに二頭は苦しいが。
大物と言えば街の記録によれば、過去に二百五十キロを超える赤大鹿を仕留めた事もあるそうだ。
丸ごと領主に買い取られたらしい。
どんだけデカかったんだろうな、運ぶのも大変だったはずだ。
と言うかよく運べたな。
なお俺であれば、もしも大物過ぎて運べない時も、ゲートという裏技を用意してあるから問題ない。
現在の転送先は、宿屋の自分の部屋に設定してある。
もっとも今回みたいに同行者がいるような時は、よほどでなければ使うつもりはない。
便利すぎる能力が、人間関係を歪めそうで怖いから。
臆病かもしれないが、俺は今の心地良い関係を壊したくないのだ……。
そんなわけで裏技的なのは封印。
地道な狩りを楽しもう。
逃げた獲物だってさっさと忘れて、次の獲物を探しに行こう、そうしよう。
「どんまい、どんまい」
「どんまい?」
落ち込んだ様子のチェルシに声をかける。
「さっきのは子鹿だろ、むしろ外して良かったよ、もっと大物を狙わなくちゃな」
「そ、そうよね、言えてるわ!」
「次は大物だ」
「やってやるわ」
チェルシの瞳が燃え上がった。
意外と戦闘民族ぽいノリをしているな、このエルフ娘は。
そして正反対に緊張感の欠片もないユンピアが、ひとの頭の上で丸くなったまま欠伸をした。
このやろうは、さっきから本気で寝ていやがる。
狩りの間は静かにしろと言ったら口数が少なくなったので、とりあえず助かってはいるけれど。
お前の大好きな肉を狙ってるんだから、もう少し興味を持てと言いたい。
「あっちに行ってみましょう」
しばらく耳をすましていたチェルシが、俺の顔を見て言った。
森エルフの森の中での感覚は、他種族の訓練を積んだレンジャーよりも優秀らしい。
たいしたものだ。
うながされるまま、エルフ娘の後に続く。
体感的にそろそろ昼が近い気がする。
ふと思いついて、コンソールパネルの時間表示を呼び出すと、大陸時間で11:20と脳裏に表示された。
気温の項目があったので確認すると、現在12度となっていた。
やっぱ結構寒いな、いつまでもジーンズにブレザーだけってのは身体に悪そうだ。
初期装備は保温性に優れている気がするけど、そろそろ本格的な冬服を購入した方が良いかもしれない。
前を歩いているエルフ娘の毛皮や羊毛の腰巻きを眺めながら思った。
いま着ているブレザーの上から、厚手のコート一枚でもいけるかな、裏地が羊毛のやつとか売っているだろうか。
チェルシが片手を上げた。
止まれの合図だ。
何か居たらしい。
視線の先を覗き込むと、四十メートル程先に、猪の姿があった。
子連れだ。
親らしいのが一頭と、ウリ坊よりは大きい個体がふたつ。
合計三頭。
親の方は、予想以上のすごい大物だ。
パッと見で全長2メートル、体重は百五十キロから二百キロというところか。太くて短い牙が二本出ている。
迫力満天で俺の身長どころか、父の乗っているホンダの電動カブよりも大きい。重量感だけで言うなら400ccにも引けを取らない。
厳しい冬を前に、丸々と肥えている。
これは逃したくないな。
俺とチェルシは、顔を見合わせてうなずいた。
作戦通りに、まずはチェルシが弓を構えて、慎重に矢をつがえる。
その間に俺は火縄の火が弱まっていたので、息を吹きかけて盛り返しておく。そして火皿に被されている火蓋をスライドさせて、いつでも撃てる準備をする。
チェルシは鹿相手の時とは違って、しっかり身体を起こして大地に立ち、基本通りの大きな構えで弓を引いていた。
あれだけ大きなイノシシであれば俊敏さに欠けて、初動がモッサリしているだろう。
例えこちらの姿を気取られて逃走されても、問題なく射抜けるはずだ。
とても自然に、チェルシの呼吸が静かになるのが分かった。
極限まで引き絞った弦が、一際高く軋んだ瞬間。
チェルシは矢を放った。
素晴らしい勢いで飛んだ。
狙い違わず四十メートル先の大猪の脇腹に突き刺さる。
「ブヒモォッ」と大猪が悲鳴を上げた。
「よし」
これで痛みのせいで、動きが鈍くなるだろう。
次は俺の番だ、とにかく命中させて動きを止めてやる。
だが、しかし。
大猪が身体を乱暴に震わせた拍子に。
刺さったはずの矢が、ポロリと下に抜け落ちた。
「は?」
思わず声が出る。
チェルシの様子を見ると、真っ青になっていた。
「すっかり忘れてた、私の弓じゃ赤大鹿を狩る威力がないんだった」
「肉焼き屋台のお父さんが話してたな、だからどうだってんだよ」
「あれだけ立派な猪だと、赤大鹿よりも皮が厚いかも知れないと思ったの」
「あーなるほど」
「つまり」
「チェルシの弓じゃ、ダメージを与えられないってことか」
大猪の息が荒い、俺たちの方を向いた両目が血走っている。
前足が地面を引っ掻いている。
まるで興奮した闘牛のようだ。
あれれれ、猪ってそうなの?
他の動物みたいに、逃走しないの?
こっちへ向かってくるタイプ?
怯える様子とか、皆無なんですけど。
「やばい……」
「ブモォッ!」
と叫んだ大猪が、こっちに向かって突っ込んできた。
二百キロ近いの巨体のくせに、四十メートルの距離を、あっという間に詰めてくる。
そう言えば前に動画で動物の足の速さを比べたものがあったが、猪はトップ20に入っていた事を思い出した。
オリンピック短距離走の、世界記録並のタイムを出すらしい。
時速四十キロ以上。
五十メートルなら四秒くらい。
凶暴な牙を持つ大猪であれば、確実に人を殺す速度だ。
「よけろ!」
掠めるだけでも大怪我になりかねない。
俺とチェルシは別々の方向へ、大きく身をひるがえした。
どでかい質量の固まりが、二人の間を通り過ぎる。
身が縮む思いだ。
「ブホォッ」
不満げに叫んだ大猪が、十五数メートルほど進んで足を止め、こちらに向き直った。
またいきなり走り出す。
狙いはチェルシだ。
「キャア!」
悲鳴を上げながら飛び退ったチェルシは、その一撃をかわしきった。
危なかった、しかも今回は直線ではなかった、微妙に軌道修正しながら突っ込んで行った。
と思うも間もなく、またも大猪は通り過ぎた後に向き直って、チェルシに襲いかかる。
今度の距離は十メートルほど。
かなり近い。
この距離ではトップスピードにはなれないだろうけど、充分な勢いだ。
そもそもゼロ距離でも、のしかかられるだけで圧死しそうだ。
「いやぁああ!」
いかん、やばい。
何とか突進を回避しているチェルシだが、完全に余裕を無くしていた。
大猪はステップを踏んで素早く向き直ると、また襲いかかって行く。
絶え間ない連続攻撃だった。
巨大な質量の迫力に呆然となっていたが、俺は慌てて銃を構え直した。
こっちは完全に無視されているのだからチャンスだ。
呆けている場合じゃない。
さっき避けた時に、火皿の中の粉火薬が外に溢れてしまったが、まだ必要量は残っているようだ。
銃身に仕込んだ弾と火薬は大丈夫だ、溢れていない。
本当ならカルカ棒で圧を入れ直したいところだが、そこまでの余裕はない。
目立つ動きをして大猪の注意を引くわけにもいかない。
奴はマスケット銃の脅威に気づいていない。この隙きにしっかり狙えば、大きなダメージを与えられるはずだ。
さっきの弓矢の様子から考えるに、普通にやってもダメージが通らないかも知れないので、攻撃エンチャント魔法をかける事にする。
飛び道具の場合は発射する物体が対象だ、つまり銃身ではなく弾にかけなくてはいけない。
さらに狙いうちスキルも発動させる。じっくりと狙う余裕はないので、溜め効果は期待できないだろう。だが命中率が上がるし、部位破壊とクリティカルは発生するかも知れない。
そして何より鉄砲術スキルが1しか無いから、絶対に慌てては駄目だ。
引き金を引く時に焦ってしまうと、すぐ銃口がブレる。
外したら荒れ狂う大猪との肉弾戦だ、また銃を棍棒にするハメになる。
それはもう嫌だ、避けたい。
大猪が動きを止めるのは、突進後の身体を向き変える時だった。
そのタイミングを狙うのが確実だ。
だから、あと一回だけ、チェルシには攻撃を避けてもらわなくてはいけない。
頼むぞ、これが最後の一回だ、上手くかわしてくれ。
大猪は、徐々に攻撃のリズムを掴みかけているように見える。
かわされる事を前提にしたような動きになっている。
距離も詰めてきている。
今度は七メートルほどの距離から、大猪は突っ込んでいた。
「このぉ!」
最初から数えて五度目の突進を、チェルシは見事に避けた。
避けるさいにジャンプしながら、風壁の魔法で身体を宙に浮かせていた。
すごいな。
チェルシの方も、回避のリズムをつかんだようだ。
お陰で奴との距離が大きく開いた。
その奇妙な動きに面食らったのか、向き直った大猪の足が完全に止まった。
大猪に対して、俺は右横の位置に付けていた。
狙うなら頭。
今こそ撃つタイミングだ!
激しくなる動悸を出来るだけ無視して、指にかけた引き金を引く。
網膜に焼き付くような、眩しい火薬のフラッシュの後に。
ドゴオォォン! と激しい発砲音が両耳を襲った。
銃口から弾丸が、圧縮されたガスと共に吹き出される。
鉛の弾丸は、大猪の右側頭部に命中して、左側頭部を突き破った。
その際の衝撃波によって、大猪の左側頭部位が、バンッ! と炸裂して吹き飛ぶ。
辺り一面に、血糊やら脳漿やら骨片やら左眼球やら肉片が飛び散った。
「「え?」」
巨体が音を立てて、横倒しになった。
かすかな銃声のこだまがおさまり、途端に静けさが蘇る。
頭の潰れた大猪は、完全に息絶えていた。
「ヒッ……」
数秒の間を置いて、チェルシが引き攣った声を出した。
俺に至っては声もない。
「……アンタ最低ね」
当然とっくに目を覚ましていたユンピアが、両手で耳を押さえながら周囲を飛んでいた。
「まさか普通の森の狩りで、こんな惨状を作り出すなんて」
「え、いや、だって」
藪の草木やら木の幹やら枝やら大猪の血や肉が掛かり、ドロドロのスプラッタな光景が広がっている。
ひどい有様だ。
「なんでこんな事になるんだ」
「アンタさっき攻撃エンチャントを使ったでしょ、あれは魔物クラスと戦う時に使う魔法なのよ。いくら大物だからって普通の動物に使ったら、こうなるのも当然ね」
「そうなのか」
「あと狙いうちスキルを全力で使ったでしょ、アンタの熟練度だとクリティカル時のダメージの倍率が高くなっているし、狙いうちスキルだけでも小口径が大口径の威力になるわよ」
「えっと、じゃあ普通に狙い撃つだけで良かったのか」
「まあ確実にクリティカルが起こるわけじゃないけど、猪程度ならエンチャント魔法は必要ないわ、狙いうちで急所に当てれば問題なく倒せるわよ」
「そうか」
最初の弓矢がまるで通用しなかったので、マスケット銃でも難しいと思ってしまった。
しかし実際は、充分な火力だったらしい。
考えてみれば戦争で鉄の鎧も貫いているようだから、猪の皮くらい楽に破くか。
うん、たしかに攻撃エンチャントは余計だったな、冷静に考えれば分かる。
逃げ去ると思っていた獲物がこっちに襲ってきたから、かなり慌ててしまったんだな。
……いずれにしろ、猪は怒って向かって来る、これはしっかり覚えておこう。
そう言えば小さいやつが二頭いたけど、いつの間にか姿が見えないな。
もしかしたら大猪は、小さいのを逃がすために向かってきたのかも知れない。
チェルシの様子をうかがうと、少しずつ落ち着いているようだった。
何はともあれ、大怪我も無く無事で良かった。
「銃って凄いのね……」
そんな事を呟いている。
するとユンピアがふらーと飛んで行って。
「ちちちちちっー」とか指を振っている。
「違うわよ、銃じゃなくてナミノが凄いのよ」
とか言い出す。
「おい」
突然何なんだよ。
「だから火縄銃なんて使い勝手の悪い武器を、凄いなんて思い込まない方が良いって話しよ。前も言ったけど、軍隊とか集団で運用して力を発揮する類の武器よ」
「まあそうだな」
「今回だって一発撃った後は、二発目を準備する余裕なんか無かったわけでしょ。それを考えたら絶対に弓矢の方が使い勝手が良いと言えるわよ。要するに初心者用じゃなくて、もっと威力のある弓だったら、火縄銃より武器として優秀って話よ」
「そっか、そうよね」
チェルシがうなずいた。
確かに連続で矢を射れる弓の方が効率が良いし、狙いうちにしても攻撃エンチャントにしても、本当なら弓で使った方が強いのかも知れない。
「でもこれを見たら、銃って凄いと思っちゃうわ」
とチェルシが惨状を見回す。
一撃の強さは、弓矢の比ではないもんな。
「そうね、いずれは対戦車ライフルを超えるかもね。でもそれは銃の力というよりも、使うスキルの組み合わせと、ナミノのスキルとの相性の良さがあるからよ」
「へええ」
チェルシが関心して俺を見る。
てか対戦車ライフルって何だよ、この世界の住人が分からない例えを出してどうする。第一そんな物騒な名前のライフルなど俺も知らんわ。
いやいや待て待て、そもそも何故それほど俺を持ち上げるんだ。
この天使は、何か企んでいるのか。
するとユンピアは「ふっふーん」と言いながら、得意そうに俺の頭の上に戻って来た。
何やら鼻息が荒い。
なんだよこいつ、もしかして俺をダシにして自慢話をしたかっただけか……。
身内相手に身内を自慢するなよ。
まあこんなに手放しで褒められたら、悪い気もしないけどな。
「で、これはどうすれば良いんだ」
俺は大猪を指差した。
持って帰るのは決定だとしても、流れ出る血の量がハンパじゃない。
「そうね、いっそ血抜きをしちゃいましょうか」
チェルシはアゴに手を当てながら言った。




