2 ログイン準備スタート
十一月のこと。
比較的どうでも良いんだけど、勤労感謝の日まで残り一週間ほど。
例年より早く到来した冬の風が、まるで冷蔵庫のように冷たい今日この頃。
ここ鳥小金井町は東京都だったが、23区には属していない。そしてもの凄い田舎だ。二十一世紀なかばでも開発が進まず、田畑や手付かずの森林が豊富に残っている。
俺の家は別に由緒など全然正しくないのだが、この土地に昔から住んでいる地主の家系だった。
有り余る土地は農業と、祖母の方はマンション経営などに使用している。
そんな田舎村のような風景の中を、宅配業者が電動ワゴン車を走らせ、待望の荷物を我が家まで運んで来てくれた。
「ありがとうございます」
「ありがとうございました」
受け取り確認用のタブレットにマイナンバーのパーソナルチップをかざすと、配達のおばさんは挨拶を残して去っていった。
おばさんから受け取ったのは、日本アストリック社からの宅配で、みかん箱サイズのダンボール箱。
貼り付けられたラベルの内容物表記欄には、精密機器と印字されている。
ニヤニヤが止まらない。
「お兄ちゃん、なんか気持ち悪いよ」
「そうかそうか、変な虫でも見つけたんか」
「違うよ、お兄ちゃんのニヤニヤが気持ち悪いの!」
いつの間に隣に来たのか、小学三年生になる妹の小夜が、トレードマークのポニーテールを揺らしながら怒った顔をした。
小夜はからかうとすぐ怒る。
可愛いやつだ。
白いモコモコのセーターも似合っている。俺も紺のセーターを着ていたが、こんなにモコモコではない。
さて重要な案件の最中だし無視しようかと思ったが、俺は妹に借金をしている身なので、以前ほど大きな態度が取れないのだった。
仕方がないので、丁重に対応するとしよう。
「そっか残念だな……、お兄ちゃんの幸せな気分が、小夜にとっては嫌なものだったんだな」
「え、そんなの違うよ」
「ほんとに?」
「本当だもん!」
小夜が心外だという表情になった。
「だったら俺の幸福を祝福してくれないか」
「しゅくふくってなに?」
「一緒に幸せな気分になることだよ、具体的には一緒にニヤニヤすることだよ」
「わかった、小夜もやる!」
ダンボールを横に置き、屈んで背丈を合わせると、しばし妹と顔を見合わせてニヤニヤする。
もはや、にらめっこの逆バージョン的な何かだ。
うーん可愛いなあ。
小夜になにかあったら、お兄ちゃん何でも力になるから頼ってくれよ。
お金以外で。
しばらくすると、俺の心が生暖かい何かで満たされた。
これで当分は、殺伐とした世の中を渡って行けることだろう。
俺は妹の頭をなでて区切りを付けると、受け取った荷物を抱えて階段を上がることにした。
自室は二階の廊下の突き当りだ。
どうやら小夜も生暖かい何かで満たされたらしく、居間のコタツに戻ってくれたようだ。
ふむ、夕飯まで一人の時間を確保できそうだな。
いま十五時くらいだから、約三時間と言ったところか。
部屋に入ると、さっそくダンボールを開封して、中に入っている商品の箱を取り出す。
さっきまで梱包材にまみれていた商品の箱を開けると、ヘッドホンのような形をしたRV四号型が収まっていた。
RV四号型。
日本アストリック社が開発した、新型のルシード・ドリーム・システム、略してLDSのヘッドセット。
睡眠中に見る夢の中を、目が醒めている時の意識を保ったまま、自由に冒険できる装置。
全体的に青っぽい塗装だったが、耳あての他にも額から両目にかけて、シルバーのプレートが付いてる。
箱の中には本体とは別に、充電器をかねたスタンドと、PCに接続する時の専用量子通信端末が付属していた。
あと読み応えのありそうな紙のマニュアル。
……分厚いな。
読むのは後でも良いよな。
まずはPCと接続してみよう。
少し旧型のディスクトップの電源を入れると、簡易なニューロチップのAIが起動してディスプレイに明かりが灯る。
今の時代、パーソナルコンピュータと言えば人工知能の事を指しており、簡単な疑似人格も備えている。
さすがに感情を持つまでには至ってないけど。
それなりに個性を持たせることは出来るので、ペットのように扱う人もいるそうだ。
最近の俺は音声応答さえOFFにして単なるツール扱いをしているから、あるいは物静かな個性を獲得しているかも知れない。
ちなみにRV四号型もニューロチップを採用しており、むしろニューロこそがLDSを発展させた最大の要因だと、前に読んだゲーム・ジャーナル・サイトに書いてあった。
きっと俺のPCよりも、遥かに性能の良いチップなんだろうな。
ヘッドホン程度のサイズしかないくせに……。
PCディスプレイに、RV四号型とのリンクが完了したというメッセージが表示された。
専用の無線端末の通信感度は良好だ。
画面には設定項目が表示されていたけど、よく分からないのでデフォルトのまま触らず、他の情報から目を通す。
おお、何やらナノマシンとのリンクもできるそうだ。
レム睡眠を安定させるようだ。
いわゆる覚め落ち、目が覚めてログアウトをするのを防ぐらしい。
医療用ナノマシンが国や民間の健康保険の対象になったのは、たしか俺が産まれた頃だったと思う。
今では保険適用外のサプリ扱いで一般市場にも出回ってるけど、保険を使っても十万円単位の費用がかかるのだから、適用外はすごい値段になってしまう。
妹の小夜は幼少期から身体が弱く、四歳の時に血中ナノマシンを投与していた。そして毎年一度の補充&メンテナンス費用を稼ぐため、いつの間にか小夜には、自分の小遣いやお年玉を貯金する習慣が身に付いていた。
ナノマシンが高額だという情報を与えたのは家族ではない、保育園の授業だ。
仕方のない事とは言え、小夜が自分の体質を後ろめたく思うような教育は、ぜんぜんダメダメだと思う。
まあおかげで、妹の通帳にはまとまった額がたまっており、今回は俺も助かったわけなのだが。
……大丈夫、必ず返済します、ええそりゃもう本当に。
まあいずれにしろ、健康で年中金欠な俺にナノマシンの話しは関係ない。
スルーして他の項目にざっと目を通す。
ん?
キャラクター作成?
レベル1から?
おかしな説明書きを見つけた。
どうやらこのLDS、RV四号型には、ネットゲームがプレインストールされているらしい。
その名も、ダナウエル大陸オンライン、というゲームだ。
てっきり自分の夢の中を探検するゲームだと思っていたけど、こんなネットゲームが付属していたのか。
ダナウエル大陸とは、集合無意識領域から集めたパーツで作り上げた、集合無意識領域に浮かぶ人工島のような世界だ、と書かれている。
広大なマップを自由に行動する、オープンワールドらしい。
文明の設定は、西暦で言うなら1600年あたりで、その100年後には本格的な農業革命や、工業機器による産業革命が起こっている、そんな時代だ。
大航海時代の後期。
西洋中世の末期。
日本だと徳川幕府の江戸時代が始まった頃だな。
科学の発展はまだ低いが、魔法があるようだ。
剣と魔法と火薬とモンスターの時代らしい。
普通にファンタジー要素満載か、面白そうだな。
って言うか、集合無意識に浮かぶ島、つまり夢の中だから全感覚のアクションRPGって事だな、これは期待できそうだ。
だが無料期間は一ヶ月で、その後は月額六千円となっている。
ちょっと高すぎないか。
課金アイテムも、近い将来発売するらしい。
……まあ良い、とりあえず一ヶ月は無料で遊べるってことか。
時計を見ると15時半だった。
いつの間にか三十分も経っている。
少し急ごうか、さっさと始めないと変なところで中断する羽目になるぞ。
PCディスプレイに表示された設定画面の説明にしたがって、家族団らんの夕飯に呼ばれるであろう時間帯、18時に無音起床誘導をセットすると、ヘッドセットをかぶってベッドに寝転がった。
前面シルバーパネルの表面を指先で三度タップすると、RV四号型のスイッチが入って起動する。
プンッと軽い電子音と共に、目の前のパネルにメッセージが浮き出てきた。
いわく。
初期設定を始めてよろしいですか、と。
この段階でメインユーザーの網膜登録と、声紋登録をするらしい。
「初期設定を始めてくれ。5,9,1,1,0」
肯定の意思と、画面に表示された数字を声で伝えると、頭の真ん中に波動のようなものを感じ、身体が鉛のように重くなっていった。
俺は急速に、明晰夢の世界に落ちていった。