19 幕間の章 うんえいだより3
南下する風に乗って海原を進むキャラベル級の中型帆船、ユージーン号が波を割って泡を立てる。
武装結社サムイット騎士団の所有していた角帆の二本マスト、ラティーナと呼ばれる帆船で、順風では四角帆に速度で劣るものの、逆風で足の早さを出せる。
片面に3門、計6門の大砲と、船尾に大型弩砲バリスタが設置されている。
戦列艦などには相手にされない程度の火力だったが、中型の海洋モンスターを追い払うくらいなら充分な武装だ。
サムイット騎士団の女剣士クリスティは、薄くても丈夫な上質の革鎧を身に付け、風の強い甲板で背伸びをしていた。
冬の強い日差しと、海の匂いが心地良い。
イギリス人の女性クリスティ・ブラントンは、日本アストリック社、ダナウエル大陸オンライン運営部の、れっきとした社員である。
24才、金髪のベリーショートに、透明なグレーの瞳。筋肉質で、あまり大きくないバスト。アバターキャラクターは現実と同じ背格好をしており、立ち姿にはモデルのような雰囲気がある。
クリスティの仕事はガーディアン・スタッフだった。
ガーディアン・スタッフ、略してGSの仕事は、ゲーム内で規約違反者がいた場合、直接的な対応をしたり、被害者の救済をするものだ。
またトラブルから抜け出せない一般プレイヤーを手助けしたり、困難な事件の解決に手を貸す事もある。
クリスティが初めてダナウエル大陸にログインしたのは、正式サービスが始まる今日より、二年ほど前だった。
これはリアル時間の話しであり、ゲーム時間であれば六年前という事になる。
彼女は今日までの時間を使って、アバターキャラクターのレベルを上げ、スキルの熟練度を磨いて来た。
ある時はソロで、ある時はパーティを組んで、大陸のあちこちで冒険をして来た。
それもまた、クリスティのやるべき仕事だったからだ。
何故ならこのゲームは、不思議なことに、運営の方で勝手に数値をいじったキャラクターは、原因不明の動作不良を起こすようになるからだ。
そしてしばらくするうちに、勝手にいじる前の数値に戻されている。
数値をいじるとフリーズしたり動作がおかしくなり、何日かすると数値が元に戻って普通に動けるようになる。
まるで病気にかかった者が、回復するような感じだ。
したがって運営側や開発側でも、手軽に無敵のキャラクターを作る事が出来ないので、一般プレイヤーと同じように冒険をして、モンスターを倒して、経験値を得てレベルを上げながら、スキルの熟練度を磨かなくてはいけないのだ。
そのための準備期間が、サービス開始前の二年間だった。
「ずいぶん鍛えたわよねー」
クリスティは背伸びのついでに、自身の身体の節々をチェックしながらつぶやいた。
あまり力を入れずに軽くジャンプしても、4、50センチくらいなら楽々跳べる。
身軽さにしても筋力にしても器用さにしても、現実の肉体と比べたら雲泥の差がある。
だがそれでもまだ足りない。
特にこれからは、多大な時間を犠牲にプレイする、いわゆる廃人ゲーマーも出て来るだろうし、そんな人の中には自己の肥大したタイプもいて、他のプレイヤーへ過度に干渉したり、足を引っ張ったり、ダナウエル大陸を荒らし回ったりする可能性がある。
だからクリスティたちGSは、廃人ゲーマーにもきちんと対抗できるだけの武力や実力を、つねにキープしておかなくてはいけないのだ。
どれだけ鍛えても、安心はできない。
ちなみに普通のオンランゲームなら使える最終手段、いわゆるアカウントBANというやつは、ダナウエル大陸オンラインでは通用しない。
誰もが入れる夢の世界の延長にあるのがダナウエル大陸オンラインなのだ。
そもそも下手に制限をかけようとすると、今度は大陸世界全体で不具合が発生する。
だからガーディアン・スタッフのような存在が必要だと思われた。
見過ごせないほど素行の悪いプレイヤーがいたら、実力行使で無理やりアバターキャラクターを確保しなくてはいけない。
例えば大陸のどこかで檻に入れておけば、対象プレイヤーがログインしても、つねに檻の中だから安心である。
もしもそんな対象プレイヤーが、ひとつしか作れない自分のアバターキャラクターを削除して、新たにゼロから作り直しても問題ない。
何度作り変えようが、誰がどんなプレイヤーで、どのキャラを扱っているのかは、運営側から見れば丸分かりなのだ。
まあ流石にキャラを作り変えてレベル1から再スタートするのであれば、新たな人格として扱う事にしているので、前科は消えないものの、問答無用でアバターキャラを束縛したりはしない。
執行猶予である。
ずっと執行猶予は解かれないだろうが。
そう言った権力を行使するためにも、クリスティたちガーディアン・スタッフは、日々の努力を怠らず、自分たちを最強と呼ばれるほどに鍛えておかなくてはいけないのだ。
ちなみにクリスティのレベルは62である。
サムイット騎士団の中でもトップクラスの実力であり、それはつまり現在のダナウエル大陸に置いても、間違いなくトップクラスの実力者という事だった。
主要スキルは剣術8と盾術6、続いて馬術5と治癒魔法5、後は攻撃スキルに補助スキルと言った感じだ。
ステータスは筋力と敏捷が突出している。
基本的に脳筋なので、魔法はあまり得意じゃない。
これがクリスティの持つ、二年間のアドバンテージである。
ただし廃人ゲーマーたちがこの域に達するのに、もしかしたら二年もかからないかも知れない。
そして五年後、十年後はどうなっているか分かったものではない。
やはり、絶対に危機感を無くしてはいけないと思うクリスティだった。
ふと顔を上げると、遠くの水平線に重なるように陸地が見えていた。
どうやら、そろそろ到着らしい。
港町ダビット。
八日間の船旅だった。
ダビットはミレーヌ大河の河口に作られた都市で、人口は三千人ほどだ。この大陸には十万人を超える大都市もあったが、そういう異常に巨大な都市は運営の手が相当入っており、いわゆる内政チートみたいな状態だ。
そうではなくて、もともとの住人たち、アバター生命体たちの作った都市としては、人口三千人というのは、立派な中規模の都市と言えた。
ダビットはこの辺一帯、地区で言うならB33からB38地区の玄関になっている。現在は少々閑散としているが、いずれ一般プレイヤーのレベルが上がってきたら、ダビットを経由して、他の街に向かう者たちが爆発的に増える事だろう。
しかしそんな社会現象というか、社会問題というか、それが起こるのはもう少し先の話である。
今現在では、ここらの地区に入っても無事でいられる一般プレイヤーは存在しない。
いや、存在しないはずだった。
何かの事故があったらしいと聞いている。
アンデット・モンスターのグールが徘徊するB34地区に、一人のアバターキャラクターが、転送トラブルで入り込んでしまったと、クリスティは聞いている。
被害に遭ったのは日本の男子高校生で、偶然にもバディを組んでいた相棒の恵が、モニター監視を任されたプレイヤーだった。
その彼を救済するために、ガーディアン・スタッフのクリスティは、船旅をして来たのだった。
要請内容は、「少年を近くの街まで護衛して、送り届ける」事。
だがしかし、その少年は、石を投げてグール一体を退治する程の実力者らしい。
レベル1の時に。
しかもソロで。
ちょっと簡単には信じられない話だ。
クリスティがグールと初めて戦ったのは、レベル14の時だった。
人間離れした敏捷力と、鋭く長い爪に苦労したのを覚えている。
さらにその後は、ワイトと格闘戦をして撃退したらしい。
まったくもって馬鹿げた話に聞こえる。
しかし嘘をついても仕方がないというか、むしろ業務妨害で問題にされるので、全部本当の話しなのだろう。
そして何より馬鹿馬鹿しいのは、少年はすでに自力で近くの街、ミレーヌ大河の中ほどにある、石造りの都市ヘルンに辿り着いているという話だった。
いったいどういう事なのか。
これでは、わざわざ出向く意味がない。
だがこの情報はユージーン号が出港した後で聞いたので、任務が実質的に消えたとしても、海の上にいる彼女はダビットに向かうしかなかった。
だからまあ、せっかくなのでクリスティは、その日本人の少年に会って、話してみようと思っていた。
ヘルンに滞在しているのなら、ダビットから川船で一日くらいだ。
流れに逆って上流に向かう事になるが、ミレーヌ大河の流れは緩やかだ。大きな帆と風の魔法があれば、さほど手間取らずに川を逆上れる。
さらに水使いが船の進行先の流れを消してしまえば、高高速で移動する事も可能だろう。
魔法使いを雇うと費用がかさむが、要請業務の一環なら経費で落とせるはずだ。
ゲーム内通貨と言えども、稼ぐのは大変だし、経費で落とせるものは全部落とす。
そしてその日本の少年、確かナミノというアバターキャラクター名だったか。
彼が本当に優秀で、なおかつ信用できる人柄であったなら。
サムイット騎士団に勧誘するのも、面白いかも知れない。
クリスティは、自分の思いつきにニヤニヤしてしまう。
この件は誰にも明かさずに進めよう、その方が楽しそうだ。
もちろん自分がガーディアン・スタッフである事も隠しておこう。
しかし森に囲まれた石造りの都市ヘルンには、ビアンカム機関という、魔物を専門に狩る組織があったはずだ。
優秀だと知れたら、先に勧誘されている可能性もある。
ビアンカム機関は魔物退治と言いながら、実際は付近一帯の獣型の魔物を、独り占めしている団体だ。
ヘルンの業者に手を回して、機関以外からの素材買い取りを、させないようにしている。
あんなつまらない団体に引っかかってなければ良いのだけど。
考え出すと、ちょっと焦りが生まれて来る。
「早くダビットに着いてくれ」
敵を前にしたら、何にも動じず氷のような態度になるクリスティだが。
日常生活の中では、意外と堪え性のない部分もあるのだった。
落ち着きのないクリスティは、港町ダビットに船が到着するまで、ずっと甲板をウロウロしていた。




