17 幕間の章 うんえいだより1
「あれ、もうログインしてる人がいる」
コーヒーサーバーの前で、煎れ終わるのを待っているところ。
恵のかけているサングラス・ディスプレイの隅に、青文字で01/20という数字が表示されていた。
透明度99%のディスプレイには、様々な情報を簡易に知るための数字やアラームをセッティングしていた。
例えば使用中の量子サーバーの稼働状態であったり、コンビを組んでいるガーディアン・スタッフの現在位置だったり、メールの届いた合図であったり。
そんな中で、一際大きなフォントサイズの青い数字が01/20であり、これは恵が担当するモニター監視の対象人数だった。ダナウエル大陸オンラインの一般プレイヤーが対象である。
01とあるので、どうやら担当する二十名中の一名が、ダナウエル大陸にログインをしているようだった。
本日発売して朝方から順次発送しているゲーム機、RV四号型は日本国内から世界に向けて発送していた。
だから最も早く手に入れるのは日本国内にいる人であり、さらに関東地方に在住する者だった。
当選した購入権の分布から考えても、本日24時までにゲームにログインする予想人数は100名前後で、ほぼ日本人。また配達速度やチュートリアルのプレイ時間から考えて、ゲームへの初ログインは日が落ちてからだろうと思われていた。
現在の時刻は15時34分。
「ちょっと、もう入っちゃったの、早すぎるわよ」
本番は早くて夕方だと思っていたので、完全に気を抜いていた。
さっきまで、どうやって時間を潰そうか、などと考えていたのに。
突然耳元で軽やかなアラーム音がした。サングラスのフレームに付いたスピーカーがメール受信を知らせたのだ。ディスプレイにも、受信4通の表示が浮かんでいる。
さっと流し読みしたら、どれも似たような内容だった。
一般プレイヤーの初ログインだよ!
担当一番乗りおめでとう!
という、開発部など別フロアの同僚たちからの連絡だ。
皆このプレイヤーを素早くチェックして、恵の担当であることを知ったのだろう。
プレイヤーとモニタースタッフの組み合わせ、誰が誰を担当するかは、双方ともに完全にランダムで、計画では合計で千名のプレイヤーを、交代要員を含めて二百名のモニターで監視する事になっている。
監視と言っても怪しい意味合いではなく、主にシステム面で不具合が発生しないかどうかの確認だ。
他にも、この新しい世界に降り立ったプレイヤーたちが、どんな精神状態になって、どんな行動を選択するのかを、レポートにまとめるのも仕事だ。
今後の運営に役立てるらしい。
ちなみに恵たちモニタースタッフには監視の他に、ゲーム世界を守護するガーディアン・スタッフのバックアップオペレータ、バディとしての仕事も任されている。
なかなか多忙なのだ。
コーヒーサーバーが熱いコーヒーを煎れ終えたので、恵は自前の陶器のカップを取り上げて、猛然と急ぎ足で自分のディスクに向かった。途中で何人かの同僚たちが手を振ったり、目配せしたりするので、適当に返事を返しておく。
同じフロアの低い壁で区切られた個人ブースには、最新型のパソコンが置かれている。自分個人では絶対に手の届かない、超高価なニューロチップの搭載されたディスクトップだ。恵にとってはこれを好きにイジれることが、このアルバイトの最大の報酬と言えない事もない。
木ノ下恵(きのした めぐみ)23才、量子科学科大学院生。
日本アストリック社、ダナウエル大陸オンライン運営部のアルバイト生。
今でこそ薄化粧にスカートスーツ姿だったが、正体は服装も化粧にも大して関心のない、重度のパソコンおたく。
懇意にしている教授がダナウエル大陸の基幹開発に関わっており、その手伝いをしていた流れで、開発後の現在もアルバイトという形で運営に関わっている。
「どれどれ、やたらとログインの早い悪い子は誰でしょね」
椅子に腰掛けて卓上のセンサーボードを叩くと、表示されたのは「波野大斗」という名前だった。
16才、現役高校生男子。
東京都鳥小金井在住。
「あー鳥小金井線の沿線か、あそこってド田舎じゃなかったっけ、東京都の風上にも置けないほどの」
すぐ近くの地区に吉祥大寺という、そこそこ有名な街があるので、自分が高校生の時に彼氏や友人と遊びに行った記憶がある。
そのときに鳥小金井駅のバス停を使っていたのだ。
「ちょっと懐かしいわね、でもやっぱり関東の日本人だったか。あら、純朴そうな感じが可愛い少年ね、ふふふふ」
プレイヤーの登録画像を見ながら、そこはかとなく不謹慎な笑みを浮かべる。さっそくプレイヤーキャラクター周辺の動画情報を確認しようとしたが、不可と返された。
「あ、そうか、プレイベートルームの中か」
プレイベートルーム、通称個室、ファンタジー好きなスタッフの中には、固有結界と呼ぶ者もいる。
それは各自に割り当てられているリソース、完全なプレイベート空間。
運営と言えども、本人の承諾なしに侵入はできない。
と思ったが、どうやら個室には入っていないようだ。
そもそもログイン表示されているのに、量子サーバー内のどこにもプレイヤーの存在が確認できない。
「ん、どゆこと」
唐突に、赤い文字が浮き出て警告を出した。
『女神の介入がありました』
「は?」
次の瞬間、プレイヤーの現在地がプレイベートルーム内だと表示された。
続いて、七大天使ユンピアがサポートに付いたという連絡。
「え? なに?」
途端に恵のサングラス・ディスプレイに、7通の新着メールが表示された。
その内の3通は、重要人物のマークが付いている。
恵が個人的に設定してあった、絶対に読み逃してはいけない人物からの連絡だ。
「はわわ」
慌ててチェックすると、ひとつは自分の上司、ひとつは開発主任、ひとつは大学の教授からだった。
急いで内容に目を通す。
全員が、これまでのモニター内容のデータと、恵の意見を求めていた。
「か、勘弁してよぉ」
意見も何も、何があったのかさえ分からない。
仕方がないので、何があったか分かりません、という、子供の使いみたいな一文と共にデータを送信した。
これで評価が、とくに教授からの評価が落ちたことは間違いない。
でもとにかく迅速に返信を送ったから、頭の出来はともかく、仕事はこなすという印象は守れたはずだ。
…………きっと。
と恵は自分を慰めた。
どうやら上司と開発主任は会議中で現場に居なかったらしい。
あと教授は、大学で実授業の講義中だ。
講義中のはずなのだが、こっちの様子も見ていたらしい。
ちなみに余裕ができたので他のメールに目を通してみたら。
めぐちゃん何やらかしたの!
とか。
いきなりミスか、お前大丈夫か。
などと、失礼極まりないメッセージが届いていた。
「うっさいわよ、私の仕事はモニターだ」
何もせず見ているだけだし、それだけで充分だし、むしろただのモニター業務で何かをやらかすなど、どうやっても不可能なのだ。
もちろんそれはメールを送って来た友人たちも知っている。知った上でからかっているのだろうが、なぜ自分がミスをしたように言われるのかと、恵は甚だ不本意だった。
広大な夢の海に浮かぶ人工の世界、ダナウエル大陸。
人類の無意識の欠片、集合無意識やら超意識などと呼ばれているアストラルゾーンの、浅層から深層まで満遍なく探って部品を拾い集め、ひとつの世界と呼べるものを作り上げた。
その世界の発展と、何よりも安定のために、外部からの直接的な介入が必要になった。
外部とはつまり、現実世界の人々の事だ。この上なく安定しながらも活発な精神体。荒々しいまでの開拓力に満ちた存在を呼び込むための仕組み。
そのためのネットゲーム化であった。
ただし直接的な介入は劇薬であり、非常にデリケートな調整が必要と思われた。作られた世界にも法則が存在しており、そんな場所に突然法則から逸脱する存在を送り込んだら、何が起こるか解ったものじゃない。
全てが手探りであり、とにかく注意してモニターするように言われていた。
そんな劇薬の第一号が、この日ついにログインしてきたのだ。
恵もしっかり監視しようと目を凝らす。
すると早々に、常識では考えられないデータに気がついてしまった。
「RV四号型のシステムAIが、書き換えられている!」
システムメッセージのウィンドウに、信じられない現象が記されていた。
ゲーム機本体のプログラムが、不正に改造されていた。
さっきの女神の介入が、これに関係しているのだろうか。
恵は頭を抱えた。
「記念すべき初の一般ゲームプレイヤーが、いきなりの利用規約違反者とか、いったい何の冗談なのよ」
何が起こっているのか、皆目見当がつかない。
というか、あの高度なシステムAIの代わりになる別のシステムAIを、配達後のせいぜい長くて半日の間に組み上げて書き換えるなんて、どんな大天才だろうが絶対に不可能だ。
という事は、RV四号型が配達される前から、書き換えの準備をしていたという事だろうか。
どうやって?
なんのために?
とにかく現在分かった事をまとめて上司にメール連絡した。
ついでに指示を要求した。
まあ流石に向こうも今はモニターしているだろうけど、さっきみたいに意見を求められる前に丸投げをアピールしておく。
あとは返事待ちだ。
わけが分からん。
またもや同僚からメールが届いた。
開けてみると、非難タラタラだ。
めぐちゃん、本当に何したのよ!
とか。
お前、開発室とか上の連中とか大騒ぎだぞ、どういう事なんだよ。
などなど、例によっていつもの4通。
スルーしても良かったが、知らん、と一言だけ書いて返信しておく。
と、上司からメールが来た。
いま連絡したシステムAIの事だった。
どうやら七大天使のユンピアというアバター生命体が、RV四号型のシステムAIを代行しているという内容だった。
は?
恵はテキストを読む自分の目を疑った。
確か七大天使というのは、かつて集合無意識領域、アストラルゾーンと呼ぶ領域に漂っていた、不安定な精神存在だったはずだ。
この漂う存在は、ルシード・ドリーム・システムを使用して、見た目や性格などの電子情報と融合することで、通称アバター生命体と呼ばれる、新たな存在に昇華した。
その第一号が五十年前に誕生した女神ダナウエルであり、七大天使というのは、女神が自分で漂う存在の中から選び、研究者の手で誕生させた、最初のアバター生命体たちだ。
そんな原初のアバター生命体が、なぜに一般プレイヤーのゲーム機本体にダウンロードされて、しかもシステム全般を代行しているのか。
技術的にどうやって成功させたのかも然ることながら、そんな事をした理由がまったく分からない。
さらに、七大天使ユンピアは、自身を構成している膨大なデータをサーバに残したまま、存在のコア部分をRV四号型本体に移動させている。
要するに財産の大部分を家に残したまま、手荷物だけで量子コンピュータ内から、家出をしたようなものだ。
日本アストリック社のトップシークレット。
原初のアバター生命体。
学会に発表どころか、社員でさえ一部の者しか知らない情報。
それが、社外に漏れ出てしまった。
非常に由々しき事態である。
そもそもアバター生命体たちとは。
人類が初めて発見した、人類以外の知的生命体という事になる。
にも関わらず日本アストリック社は、貴重な接触の機会を独占しているのだ。
様々な機関からの横槍を恐れた上層部は、隠蔽せざるを得なかった。
だからアバター生命体の詳細は、プレイヤーたちにさえ明かしていない。
と言うか、プレイヤーにさえ明かせずにいるのだった。
「よし!」
恵はひとつ、大きな深呼吸をした。
「考えるのは止めよう!」
そもそもAIの上書きとか、技術的な方法も、それをしなくてはいけない意味も分からない。
わけの分からない事は切り捨てるに限る。
考えるを止めて、美味しいコーヒーを堪能しよう。
まだ院生の身とは言え、研究者にあるまじき態度を取る恵であった。




