13 ワイト迎撃戦 直前
気が付くと、背中にあったベッドの感覚が消えて、もっとずっと硬いゴワゴワした感触になっていた。
俺は地面に馬車のホロ布を敷き、毛布をかぶって仰向けに寝ていた。
ゆっくりと目を開くと、夜空に満天の星雲が浮かんでいた。
それは空を覆うような巨大な星雲だった。赤や青のガスが透明な帯になって巻きついている。
思わず息を飲んだ。
周囲はとっくに日が落ちて、雑林は真っ暗になっていた。
焚き火の薪のはじける音がしたので、首をかたむけて視線を向けた。
ちょっと離れた場所で、エルシアさんとチェルシ、それにドーマンが焚き火を囲んでいた。
彼らはコンピュータ・プログラムのAIかも知れない。でもAIは感情までは持てないし、全然違う存在かも知れない。
そもそも雰囲気からして、現実の人間と変わらない気がする。
ユンピアにしてもNPCにしても、一体何者なのか。
ハードレザーを着てマスケット銃を抱くようにしたドーマンは、焚き火を見つめながら、とても静かな表情をしていた。
落ち着いて、戦いの時を待っているようだ。
足元には、愛用の槍も置かれている。
弓を持つ少女エルフのチェルシは、怒ったような顔をしている。
あれは本当は怖いのに、それを隠して去勢を張っている感じだ。
怖いのは仕方がない。去勢を張るのも、張れないよりはずっと良い。
俺だってアバターキャラの身体じゃなく、本当に命がけだったら、こんなに落ち着いていないと思う。
だからチェルシは、きっと俺よりずっと強い。
エルシアさんは、ぼーっと焚き火を眺めている。
と思ったら、突然眉をしかめて、浅いため息をついた。
うーん。
意外にストレスを抱えている?
誰よりも余裕があるように見えていたのにな。
「いつまで寝てんのよ」
ユンピアが、俺の顔の前に降りて来て、鼻の頭をペチペチ叩いた。
「やめろ、ムズムズするわ」
「ふーんだ」
「あなた一時間くらいは寝てたわよ、よく眠れるものね」
チェルシが気づいて、声をかけてきた。
緊張のためか声が刺々しい。
「だったら今は二十時くらいか」
俺の言葉にチェルシが肩をすくめる。
判るはずがないって意味だろう。
この世界の一日は24時間で、時刻も24時間方式と午前午後方式があったが、残念ながら持ち運びできる時計は存在しない。
街であれば女神教会の鐘が時刻を知らせてくれるらしいが、真っ暗な雑林の中では、月や星の位置で何となくしか分からない。
まあ俺は頭で念じてコンソールを呼び出したら、脳裏に正確な時間が浮かび上がるのだが。
正確には、ダナウエル大陸の現在時間は20:17だった。
これから長丁場だ。
夜明けの頃が午前六時半くらいだから、まだ十時間も先だ。
いっそワイトには、さっさと襲撃してもらいたいくらいだ。
時間が経つほど、こちらの体力と集中力が消耗していく。
「さてと」
呟いて立ち上がると、寝ている内に強張ったかも知れない身体を伸ばす。
が、まあ、伸ばしてみたら実際は強張っていなかった。
アバターキャラの身体は便利だ。
でも、こういうものは気分だ。もう一息、背筋を伸ばしておく。
「もう一度、装備類を確認をしておくか」
ログアウト前にも最終確認をやっていたが、べつに何度やってもかまわないだろう。
焚き火の側に居た三人が顔を上げて、こっちを見ていた。
「お前さん、本当にやるのか」
ドーマンが言う。
今夜の作戦のことだろう。
「もちろん」
と応えておく。
「勝率が高いと、思うんですけど」
「そりゃそうかも知れねえが、どう考えても危険過ぎる」
「今さら他の案は出ませんよ」
「わかってる、わかってるんだよ。だがナミノ、お前さんが俺たちのために矢面に立つってのが、どうにもな」
「だから、それで良いんですってば。こうなったのも運命、ほら女神様のお導きってやつ」
「あなたって、なんか言い方が適当よね」
何気に責めるような口調って、どういうことよ。
良いじゃないか、本人からやるって言ってんだから。
俺の立てた作戦は単純だ。
さっきまで敷布団として使っていたホロ布、馬車の屋根になっていた分厚い布を、ワイトの頭からかぶせて、皆でボコボコに殴ろうというものだ。
これまさに袋叩き。
相手が一匹だけらしいので、この作戦にした。
ランタンに使うオリーブ油が7本、サイズは200mm入りくらいの陶器瓶のもの。これも布をかぶせた後に、全て投げつける予定だ。
絶対に割れるように、叩いてヒビを入れてある。
ちなみに油はもう一本あったのだが、実験と練習をかねて使ってしまった。
油まみれにした後は、エルシアさんの魔法で気化させつつ火を放つ。
ワイトの皮膚を焼いて、パニックを起こさせるのが狙いだ。
冷静になって鋭い爪で布を裂かれたら面倒だし、それならいっそ燃やしてしまえと。
で、作戦のキモになるのが、どうやってホロ布をワイトにかぶせて、覆い尽くすのかという部分だ。
ここだけは、運任せに出来ない。
布をかぶせるのに失敗した途端、きっと誰かが殺されて、俺たちは総崩れになる。
だからこそ、俺がワイトに抱きついて、動きを止めるという作戦を立てた。
ドーマンには不評のようだが。
俺なら体力の高さから、バイタル・ドレインというヒットポイントを吸い取る攻撃に、他の誰よりも耐えられる。
もし俺以外にHPの高い人がいたなら、その役目はその人になっただろう。
だから別に、自己犠牲の精神というわけじゃない。
必然的な役割分担だ。
それにグール戦の時にレベルアップで入手した能力値ポイントを使って、体力の数値を25に上げている。
これでHP100だ。
常人の平均HPが30くらいだから、三人分以上という事になる。
どう考えても、俺が適任だ。
何よりもギフト、ゲートの存在がある。
今回は作戦のキモを担当するため、俺は自分がギフト持ちだと、皆に話していた。
また実際にやって見せて、練習もしていた。
エルシアさんをワイトに見立てた練習だ。
他意はない。
布をかぶせる役割がドーマンと、風魔法使いのチェルシだったからだ。
もちろん、幸運には感謝したけど。
エルシアさんにギューッと抱きついて動きを止めた後、ドーマンとチェルシが真上からホロ布をかぶせる。
余裕があれば、ロープでぐるぐる巻きにしたい。
次に俺は自分の横に転送アーチを出現させて、少し離れた魔法陣の場所まで移動する。
ゲートは自分と所持品しか転送できない。
だから結果的に、ワイトを置き去りにするという具合だ。
たっぷり十回も練習して、全員が感覚をつかんだ。
後は、ワイトが俺を狙って、つかみかかるように仕向けるだけだ。
まあ接近戦を仕掛ければ、恐らく大丈夫だと思う。
もっとじっくり考えれば、もっと良い作戦だって浮かんだかも知れない。
例えば決戦場を河川敷にして、足元を悪くしてみるとか。
しかし現時点では、こちらが不利になる可能性も高いので、こんな作戦になった。
全員が生き残るために。
ワイトに、速やかに撤退してもらうために。
「ちょっと失礼しますわ」
エルシアさんが立ち上がり、焚き火から離れた。
さっきから少し様子が変だ。
日が沈んでから、あまり時間も経っていない。
ワイトが襲って来るには早いようだけど、独りになるのは危険だ。
「ユンピア、ぼちぼち警戒を頼む」
小さな天使に声をかける。
「まだ早くない?」
「そうだけどさ、ぼちぼちって感じで」
「ん、了解」
女神からスキルの使用を禁じられているユンピアは、直接的な戦力には成り得ない。
その代わりに、高い場所からの見張りをやってもらう。
戦いに参加したのは俺の意思だったが、ユンピアだって参加させたがっていたのだ。
言い出しっぺの本人には働いてもらう。
もっとも夜目は普通人と同じらしいので、あまり見張りとして期待は出来ないが。
とりあえずユンピアに警戒を任せて、俺は馬車の後ろあたりに居たエルシアさんに近づいた。
「焚き火から離れたら、寒くないですか」
声をかける。
「あらあら、ナミノさん」
余裕のある笑顔を作ろうとして、失敗したようだ。
突然、泣きそうな表情になった。
「あの、エルシアさん」
普通の男子高校生である俺は、こういうシュチュエーションには慣れてない。
どうしたら良いのか分からなかったが、エルシアさんの手を取って、両手で包み込むようにした。
き、気安かっただろうか!
「大丈夫ですエルシアさん、一緒に切り抜けましょう」
多少声がうわずってしまうのは、許してもらいたいところだ。
「あらあら」
エルシアさんが、ちょっと笑った。
「駄目ね、私ったら」
目を細めながら言う。
「平然と居たいのに、怖くて仕方がないの」
「怖くて当たり前です」
「違うのよ、私が怖いのはあの子が、チェルシが無事に済まないかも知れないから」
「チェルシですか」
「私が平然と動じないで居たいのも、チェルシを不安にさせたくないからよ」
エルシアさんが、俺の目をじっと見た。
「私が怖がってしまったら、多分あの子も一緒になって怖がってしまうわ。私が平気な態度だから、見習って自分も頑張っているのよ」
確かにチェルシは危なっかしいところはある。
だけど芯はしっかりしていると感じさせる。
「そうかも知れないですね。でもチェルシは勇気のある娘ですよ、きっと俺よりも心が強い。頼りになります」
「あらあらナミノさんより強いなんて、言い過ぎですよ」
「そ、それは違います、俺は本気で言ってるんです。チェルシは大丈夫だし、全員が慌てずに行動を取れれば、きっと上手く行きます。もちろん誰もワイトにやられたりしません、絶対に切り抜けられます」
そうだ、上手く行かないわけがない。
練習だって、あんなに繰り返したのだから。
「ありがとうね、ごめんなさいね」
「エルシアさん」
「ふふふ、私もね、ちょっと弱音をはきたかったの」
エルシアさんが、俺の手を両手で包み返してきた。
「だから本当にありがとうナミノさん、やっぱり天使様が見込まれるお方だわ」
「え、あ、いや」
少し上目遣いになりながら、エルシアさんが微笑んだ。
ぐっはぁ!
めちゃくちゃ可愛いんですけど!
どこのアイドルだ、これで人妻だと言うのか……。
人妻……orz
「ナミノ!」
もう人妻でもいいや。
もう一回ワイト役の練習をしませんか、皆にはナイショでギューっと!
と言おうとした瞬間。
ユンピアの悲鳴のような叫び声が切り裂いた。
「目の前! ワイト!」
そいつは馬車の影から、身体を半身だけ見せるように立っていた。
大人の男性よりも、いくらか小柄に見える。
干からびてシワだらけの皮膚、落ち窪んだ眼窩に浮かぶ目玉。
そいつはカサついた薄い口元で、俺たちを嘲笑していた。




