10 旅客馬車とエルフの母子
「喋ったぞ、生きた人間なのか!」
しゃがれた、男の声がした。
「気を許さないで! 人間だからって善人とは限らないのよ!」
幌馬車の屋根に乗った女が言う。
子供っぽい声だった。
「待てよ、敵意はない!」
俺は両手の石を投げ捨てて、手のひらを掲げて見せる。
「武器も持ってないぞ!」
遠目からも分かるように、ヒラヒラと手を振って見せた。
「武器がないだと? まあ良い、こっちへ来い!」
男が言う。
「なんだか偉そうね、何様のつもりかしら」
ユンピアがお冠だ。
「まあまあ、良いじゃないか、悪い連中じゃなさそうだし」
妙に殺気立っているようだが、盗賊みたいな連中では無さそうだ。
馬車の見える方に近づいていくと、そこそこ立派な幌馬車であることが分かった。
十人くらいは乗れそうなサイズだ。
馬がついていない、と思って見回すと、少し離れた場所に二頭いた。
その二頭の横に、火縄銃を構えた三十代半ばって感じの男が立っていた。
持っているのはマスケット銃だ、恐らくさっき聞こえた銃声のやつだろう。
幌馬車の上にいたのは、14才くらいの少女だった。
あまり大きくない弓を構えている。
他には木綿っぽい生地のシャツとスカート、それに膝下まである革のブーツを身につけており、金髪で緑の瞳をして、両耳がとがっていた。
「あらエルフだわね」
ユンピアが言った。
「止まれ、両手は見えるようにしておけ」
マスケット銃の男は、丈夫そうな革鎧を身につけていた。背が高く筋肉質で、ただの一般市民には見えない。
「まだガキだな、お前ら何者だ」
俺に銃口を向けながら言う。
ううむ、なんて答えようか、考えてなかったぞ。
「本当に武器も持っていないのか、しかも濡れネズミか、ここで何をしている」
なかなか渋い顔つきのオッサンで、無精髭など生やしている。
目つきが鋭く隙のない構えをしながら、銃を構える立ち姿に余裕がある。
かなり強そうな人だった。
「なあユンピア、ログインとか転送のトラブルとか、そういう話をしても通じるのか」
「アンタ馬鹿なの、そんなわけないじゃない。少なくとも今現在は通じないわよ。そういうメタ発言は控えてよね」
「そうかよ」
「なにをコソコソ話しているの! やっぱりこいつら怪しいわ!」
幌馬車の屋根にいたエルフの少女が叫んだ。
弓に矢をつがえて構えているが、革鎧の男と違って余裕がない。
緊張して、今にも矢を放ちそうだ。
しかし幌馬車の屋根は布で覆われており、かなり分厚い生地ではあったけど、よくもまあ布の上でバランスが取れるものだ。
片足は骨組みに乗せているのかな。
「うるさいわね! こっちにだって都合があるんだからね、何でも簡単に教えてもらえるなんて思わないで頂戴!」
ユンピアが煽るような口調で言う。
さっき矢を射られたから、けっこう腹を立てているようだ。
でもな、うん、やめてくれ。
あの少女は今にも暴発しかねない雰囲気だぞ。
「なによ小っこいやつ! こんな妖精見たこと無いし、新手のモンスターね!」
見事に挑発に乗った少女が叫んだ。
そしたら今度は、ユンピアが目をむいた。
「だれがモンスターよ! あんた馬鹿なの!」
なに煽られてるんだ。
もーう、なんなのこいつ、面倒くさい展開はやめてよ。
俺があきれ顔のままで男の方を見ると、無精髭の男も困った顔をしていた。
目が合った後、何となく二人してため息をつく。
男は構えていたマスケット銃を下ろした。
俺はうなずいて、感謝の意を示す。
「ナミノって言います。ちょっとトラブルに合って、この先の川に放り出されたんですけど、道に迷って困っていました」
「俺はドーマンだ、この馬車の持ち主だよ。客を乗せてダビットとヘルンを行き来している」
「ダビットとヘルン、それ都市の名前ですか」
「知らないのか、お前さん旅人なのか」
そう言いながら、俺の全身を上から下まで眺める。
うん怪しいよね。
旅人なら荷物のひとつくらい持っているはずだし、武器も防具も持たずに出歩くなんて、この世界じゃきっと異常だよね。
「ええと、荷物や上着が川に流されちゃって、ほんと参っちゃいますよ」
「あーそうか、落ちたとか言ってたか。船から落ちたのか大変だな」
「ええまあ、その、ちょっと面倒に巻き込まれまして」
「面倒ねえ」
ドーマンと名乗った男が、ユンピアの方にも視線を向ける。
モンスター扱いされた小っこいのは、エルフ少女の鼻先まで飛んで行って、喧々諤々と言い争っている真っ最中だ。
まあ相手も弓矢を下ろしているから、さっきみたいな険悪な危険は無くなったようだが。
「あらまあ、こんなところに可愛らしいお使い様!」
突然女の声がした。
透明感のある、美しい声だった。
「ママ! 駄目よ出てきちゃ、馬車の中に隠れていて」
エルフの少女が言う。
いつの間にか馬車の後ろから姿をあらわした女性がいた。
二十歳くらいに見える、美しい人だ。
耳の形からするとエルフか。
雪のように白い肌、輝く長いブロンド。
活き活きとした緑の瞳。
ほのかに浮かぶように色づく桜色の唇。
めちゃくちゃ可愛い。
って、え、いまママって言った?
「ママったら!」
「あらあら、チェルシは落ち着きがないわね」
「落ちつている場合じゃないでしょ!」
「さっきからあなたと言い合っている方、女神様のお使いですよ」
美しいエルフの言葉に、チェルシと呼ばれた少女エルフが目を見開いた。
「こ、こいつがお使い様なの!」
天使は、お使い様って呼ばれているのか。
御使いじゃなくて、お使いなんだな。
て言うか、やっぱりママなのか。
信じられん、なんという可憐な人だろう。
「本当に、あの娘の母親なんですか」
無精髭のドーマンに尋ねると、苦笑いしながらうなずいた。
「見えねえだろ」
「見えませんね、危うく一目惚れするところでした」
「旦那も健在らしい」
「そうですか、許し難いですね」
旦那というのがどんな奴かは知らないが、いまこの瞬間、俺の人生の中でもっとも憎むべき人物に認定される。
くっそ、未亡人でも全然OKなのに。
せめて未亡人なら良かったのに。
まあ娘の方は、俺とあまり変わらない年頃っぽいから、実際に母親と付き合ったら微妙な関係になりそうだが。
いやエルフってことは、あの少女も見かけとは違うのだろうか。
「だがまあ実際、あの嬢ちゃんが言うように、落ち着いている状態でもないんだ」
ショックで固まってしまったチェルシを眺めつつ、ドーマンが頭をかきながら言った。
「なあエルシアさん、そこの妖精は本当に女神の使いなのか」
続いて綺麗な人妻エルフに問いかける。
エルシアさんって名前なのか、良い響きだな。
「そうですよ。四枚の短翼にピンク色の髪の毛、小さな妖精の姿。神殿で見かけたことがありますわ。女神ダナウエルの七大天使のお一方、ユンピア・ユンピアーノ様ね」
「それは凄いな、それじゃこっちの小僧はどうなんだ」
俺の方を顎でしゃくる。
「殿方のことは存じませんけど」
「そうか」
てか今、七大天使とか言った?
なにそれ。
その偉そうな役職名は何なんだ。
ユンピアが? 七大天使どころか大エセ天使だろ。
ドヤ顔で胸を張るな、こっちを見んな。
「あなたエルフみたいだけど、私を知っているんだ。もしかして聖属性持ちの巫女見習いだったの?」
言葉を失ったエルフ少女を無視して、エルシアさんの方へフワーと飛んで行く。
「あらあら違うんですよ。残念ながら聖魔法は使えませんの。見習い方のお世話をする女中でしたので、ユンピアさまを何度か見かけたのですよ」
「あーそうか、そう言えばエルフがいたわ、あなただったのね」
「はい修道神殿で二十年ほど働いていました、役目中はお世話になりましたわ」
「それはこっちのセリフよ」
どうやら知った顔だった二人を確認したドーマンが、俺の方に向き直った。
「お前さんが何者かは知らんが、天使様と行動してるのなら悪人じゃないんだろう」
「はあ、まあ」
素直にハイとは答えにくい質問だな。
いや悪人のつもりは全然ないけど。
「何者か分からないし怪しいが、まあ信用させてもらうよ。それでだな、ちょっと手を貸して欲しい」
ドーマンが言う。
いやー困っているのは俺も同じなんだけどね。
それに、多分アレのことだと思うが。
「グールの件なら、さっき襲われたときに退治しましたよ」
「「はぁ!?」」
俺の言葉にドーマンと、馬車の屋根のチェルシも驚きの声を上げる。
「銃声がしたから、聞こえた方へ行こうと思ったんですよ。そしたらグールが目の前にあらわれて、こっちに襲いかかって来たんです。川沿いまで追い込まれて、もう駄目かと思いました」
「そうねー、正直私も観念したわよ、こりゃナミノ死んだなって。ほんと死なれると後が面倒なのよね」
「おい」
ユンピアが話に入ってきた。
何が面倒だ、腹の立つやつめ。
「でもねー、まさか拾った石を投げて倒しちゃうなんて、心底びっくりしちゃったわよ」
「はあぁ!?」
「石ぃ?」
またドーマンとチェルシが驚く。
いやいや石だって、立派な凶器ですよ。
サスペンスドラマだって、大理石の置物とかで殺人を犯すじゃないか。
「見ての通り武器を持ってなかったですからね。場所が河川敷だったので石だけは山のようにありましたし」
両手で石のサイズを教える。
「このぐらいのやつですよ、けっこうなダメージでしょ」
「そりゃそうかも知れないが」
ドーマンが持っていたマスケット銃を見ながら言う。
「ちょっと本当に倒したの? 天使が言うんだし嘘ってわけじゃ無いんだろうけど、勘違いしてるんじゃないの」
「は? アンタまた難癖つけようっての」
チェルシの言葉に、ユンピアが目を釣り上げる。
いやもう、やめろって。
「そこのところは、どうなんだ」
ドーマンが俺に問う。
「間違いないと思いますよ、肌の状態も普通の遺体みたいに戻ってました」
「なら大丈夫そうだな」
「そう言えば、あなたと同じタイプの革鎧を着てましたが」
ここまで話していて気がついたが、グールの身につけていた分厚い革鎧と、ドーマンの着ているものは、まったく同じものに見えた。
「そりゃマックは仲間だったし、同じ店であつらえたからな」
ドーマンが目をつぶり、深くため息をついた。
「お前さんナミノだったか、ちょっとこっちへ来てくれ」
「え、はい」
うながされて馬車の反対側に行くと、少し離れた場所で、地面に仰向けに寝ている男の姿があった。
首のあたりに食い千切られた痕があった。
衣服が血だらけだ。
死んでいるようだ。
「あいつはハングレイだ、ついさっきグールになったマックに襲われて死んじまいやがった。マックを含めた俺たち三人で、旅客馬車を経営していたんだよ」
旅客馬車ってのは、ようするに駅馬車か長距離タクシーみたいなものか。
「下流の港町ダビットから上流の街ヘルンに向かっている最中だが、途中でアンデット・モンスターのワイトに襲われた」
「ワイト?」
「ああそうだ、生者の命を吸い取る忌々しい怪物め!」
ドーマンが吐き捨てるように言う。
「だからグールってわけね」
そこにユンピアが、暗い声で言い添えた。
「どういうことだよ」
「ワイトに命を吸われて殺された者は、半々くらいの確率でアンデット・モンスターになってしまうのよ。大抵はグール化で、運が良ければゾンビ化ね。最悪の場合は同じワイトになってしまうわ」
「最悪なのか」
「もちろん最悪よ、本人にとっても周囲にとっても。グールならいずれ身体が劣化して滅びるけど、ワイトは命を吸って回復するし成長もしていくわ。そしてアンデットを増やしていく。ワイト化して汚れ続ける魂は安らぎを失って、いずれ取り返しがつかなくなってしまう」
「グール化だって充分に最悪だけどな。マックとハングレイは仲の良い兄弟だった。名手だったハングレイの弾が外れたのは、グールになったマックを撃つのをためらったせいだ」
ドーマンが首をふる。
「それにグール化した者は自身が滅びた後に霊魂となり、何百年も嘆き苦しむと言われている。家族や友人を殺した記憶が残っているからな」
「ワイトは違うのか」
「魂が汚れすぎると、本質から変容して、嘆く気持ちも消えてしまうわね。罪の意識に苦しむことは無くなるけど、代わりに安らぎを手放すことになるわ。年中なにかを憎みながらイライラするようになって、殺人に走りだすのよ。殺して不幸をバラ撒いて溜飲を下すってわけね」
俺の問にユンピアが答えた。
年中イライラして、他人を殺して不幸にして、気分を晴らすのか。
だとしたら、そりゃ不幸が極まっているな。
本人も可哀想だが、自分の好きな人や大切な家族がワイト化してしまうのは、確かに最悪の出来事だ。
「だけどそういう話なら、そこまで魂が汚れる前に退治してやれば、ワイトにも救いがあるってことか」
「まあそうだけど、追い払うだけならともかく、魂が変質する前にワイトを滅ぼしてあげるのは難しいわね」
「どうしてだよ」
「ワイトには通常の攻撃だと、とどめが刺せないからよ」
「魔法があるだろ」
「通常の魔法も同じよ。聖属性か邪属性の攻撃じゃないと倒しきれないわ。あと炎なら一時的にすごく嫌がってくれるけどね。焼かれる攻撃は嫌いみたいだから、追い払うだけなら有効ね」
「そうなのか」
「本気で退治するなら火じゃ駄目だけど、知られている中では一番の攻撃方法ね。そもそも聖属性も邪属性も、習得している人が極端に少ないのよ。と言うかギフトで授かるものだから、努力しても習得できないのよ。他には直射日光に何十日も晒すと、衰弱して滅びるらしいわ。捕まえるのも大変だし、長期間束縛し続けるのも大変でしょうけど」
ワイト化した者を早期に退治して救いたくても、聖属性や邪属性のギフト持ちが身近にいなければ、どうしようもないって訳か。
直射日光ってのも面倒だな。天井のない部屋に入れて何十日も監視すれば退治できそうだけど、どんだけ手間がかかるやら。
「それでだ、さっきも言いかけたが、ちょっと手を貸して欲しいんだ」
ドーマンが二頭の馬を見ながら、ため息をついた。
あれ、グールの退治の話かと思ったが。
違ったのか。
それを尋ねると、ドーマンが困った顔をした。
「もちろんグールへの警戒も頼みたかったんだが、そっちはもう解決したんだよな」
「そうですね、ええと、マックさんの方なら」
「じつは俺たちは、ワイトに追われているんだ」
「え?」
「これまでに二度、深夜に襲われている。あいつは楽しんでいるんだよ、俺たちが恐怖に震える様を」
それを聞いた馬車の上のチェルシが、悔しそうな声を洩らした。
「絶対逃げ切ってやるわ」
「恐らく今夜が最後だろう、全員殺すつもりだと思う」
そう言うとドーマンは、俺に向かって頭を下げた。
「頼む、ワイトの撃退に力を貸して欲しい!」




