第48話:遥の過去(前編)
結構長くなっていたので二話に分けます。
私は、おばあちゃんっ子だった。おじいちゃんも好きなのだけど、それでもおばあちゃんっ子だった。
今思えば、私が私である所以はそこにあるのだと思う。
私は幼い頃から祖父母の家で育てられた。
理由はいろいろあるみたいだけど、私の父が俗に言う一流企業の社長で、母も父の秘書として仕事に勤しんでおり、育児などしている暇はなかったことと、育児をベビーシッターや後々は家政婦に任せる手もあったものの、二人が私に『愛情』というものに包まれて育って欲しいという願いがあって、血の繋がり、信頼の置ける祖父母が適任と考えた、ということが大きいらしい。
両親は、私が物心つく前は、ないに等しい暇を作っては顔を見せていたらしいが、保育園に行き出す頃にはもう来なくなったし、それ以降に一度会っているが、状況的なものもあって顔も覚えていない。
そんなわけで、私はなるべくしておばあちゃんっ子になったのかもしれない。
私の幼少期は、祖父母の家に集約されていた。
幼稚園には心を許せる親友、というか、友達と呼べる存在はおらず、当時優秀だったらしい私と張り合えるライバルも、叱ってくれる先生もいなかった。
だけど、祖父母は違った。
淡白な幼稚園から家に帰ると、花の咲いた笑顔で迎え入れてくれ、いたずらをしたら本気で怒ってくれる。
私にとって、あの家だけが鮮やかに色づいて見えていた。
特に、私が好きだったものはおばあちゃんの作る手料理。
祖父母の二人に順位をつけたなら、ここが決定的な違いだったのかもしれない。
おばあちゃんはいつも決まった時間に料理を作り始める。
私は冷蔵庫を開ける音が聞こえると決まって台所に行き、とんとんとまな板を叩く音、水が蛇口の鉄を鳴らす音、ぐつぐつと鍋の具材が食べ頃を知らせる音を飽きることなく聴いていた。
「つまらないでしょう?」
一通りの作業を終え、私用に置かれたイスに座る私におばあちゃんは、柔らかな声で、どことなく嬉しそうにいつもそう声をかける。
私はいつも決まって返す。
「ううん。おばあちゃんの料理、大好きだからっ」
私の好物は肉じゃがで、そのなかでもほくほくのじゃがいもが好きだった。
今日はその肉じゃがだ。とびきり気分がいい。
「そうかい」
おばあちゃんは私を抱きしめ、そして再び調理に戻る。
そして、並べられた料理は、後に食べたどこかの無添加野菜、高級和牛を一流シェフが作った料理よりも、何倍も私には美味しく感じた。
私はこの狭い世界の幸せな生活が、いつまでも続くと信じて疑わなかった。
――だけど、それは子供の儚い幻想だった
幼稚園も卒業間近のある日。
私は幼稚園で、いつもの時間に送迎バスに乗り込み、見慣れた灰色の風景をぼんやりと眺めていた。
私の住む町は人口が多いとは言い難く、人通りの少ない場所も多い。
誘拐などの危険も考慮して、私の通う幼稚園の送迎バスは、各自宅に児童を送り届けることになっていた。
家に着いた。私は今夜テレビで放送される『ドラえもの』に心浮かれていた。
「今日はどんな動物をどら焼きに挟むのかな?」
るんるんと居間に行き、テレビの前に陣取る。
ドラえものの放映開始時間は、家に着いてから十分しかないからだ!
しかし、いつもは放送を待つ私に、微笑みを携えてジュースとお菓子を出してくれるおばあちゃんがいない。それを見て、「太っちゃうぞ」と脅かしてくるおじいちゃんがいない。
最初は不思議に思ったけど、そんな日もあると思い、ドラえものを見終わった。
空は青と橙が綯い交ぜになっていた。
いつもなら、おばあちゃんが料理を作り始める時間。
鳴り響くはずの包丁の音が、水のせせらぎが、火の揺らめきが聴こえない。
空は、橙を闇が包み込もうとしていた。
いつもはもう布団に入って、三人川の字で寝る時間。
右にあるおじいちゃんの少しゴツゴツした身体の感触が、左にあるおばあちゃんの包み込むような暖かさがなくて、少し肌寒かった。
空は、漆黒が支配していた。
そして、おじいちゃんとおばあちゃんは、私の前に帰ってくることは二度となかった。
翌朝、両親が家に来た。
「遥。落ち着いて聞いて欲しいんだ。遥のおじいちゃんとおばあちゃんは、遥の小学校入学祝いを買いにタクシーに乗って、行き掛けに交通事故で――」
悲痛な面持ちで私になにか話しかけていたけど、それは私に届くことはなかった。
それから二年。
両親は、私の精神的負担も考えて、環境を変えることはしなかった。
万が一、両親が私を彼らの家へ連れて行こうとしても、私は頑として行かなかっただろうけど。
そうして、私は家政婦と一緒にこの家に残った。
小学二年生の三学期に差し掛かった頃。
元々敬遠されていた私への、イジメが始まった。
シューズ隠しから始まり、盗難、落書き、面と向かっての罵詈雑言を吐かれたりもした。
けど、そのどれも、私にとってはどうでも良かった。
期待通りの反応を示さない私にイラだったのか、イジメは苛烈さを増していった。
その頃、おばあちゃんの料理を食べられなくなってから、ほかの人が作った料理が喉を通らなくなっていた私は、少し食べ物を口にしては嘔吐することを繰り返し、その苦痛が嫌になって、食べることすら減り、どんどん痩せ細っていた。
そして、その不食にも限界がきて、通院のために学校を休みがちになったのと、イジメのピークがきた時期が偶然重なった。
もはや身体が骨と皮だけなのでは、というほどに痩せていた私が学校を欠席し始めた頃に、ようやく見て見ぬ振りをしていた先生が事態を重大に感じて動き出した。
こっ酷く叱られたいじめっ子たちは、私の元に謝りにきて、その件はひとまずの終点を迎えた。
もとよりイジメと私の不食にはなんの関連もないため、私の体調に向上の兆しは全くなく、作った料理をほとんど口にしない私へのストレスに耐えきれず、家政婦も出ていった。
学校から帰り、机に置かれたその手紙を見て、私は自分の死期を悟った。
私がここまで生き長らえたのは、身の回りの世話をしてくれたあの家政婦のおかげだった。
その家政婦が、親から渡された私の生活費を持ち逃げしたことで、私の人生は詰んだのだ。
いや、親に電話するなり、生きる方法は身近にいくらでもあったのだから、これを機に自ら人生を諦めたと言った方がいいのかもしれない。
ただ、私はこのまま死にゆく道を選んだ。
大好きなおじいちゃんおばあちゃんが遠くに逝ってしまったなら、私もそっちに逝けばいい。そう思った。
二人のいない世界になんて価値を見出せなかったし。
私は、手紙を投げ捨て、目を瞑った。




