第1話
暑さと湿気で蒸した体育館で、いつもと特段変わったことのない教師の話を、立ったまま聞かされるだけの終業式。
長期休みに入る前はいつだってこの儀式のようなイベントがある。どれだけの生徒がその話をまじめに聞いているのか。
ちらほらと小声でこれからの予定を話している声も聞こえる。
―高校三年生の君たちは最後の夏。悔いのないように。
生活指導の教師から言葉が聞こえる。高校3年生には学徒兵のように、受験という名の戦争に向かわなければならない。
いや、決して強制ではないが今のこの世の中、高卒で就職というほうが少数派だ。都市部で高卒での就職は少なく、皆特に目的はなくとも大学受験は行うといった様子で、世間からみたらこの流れは強制ではないかと思うほどだ。
終業式を終えて教室に戻る途中、周りでは予備校や模試の結果を話すなど、受験一色になった。遊ぶ予定を堂々と話している輩は見受けられない。
先生たちも口を揃えて「勉強をしろ」「夏休みが大事だ」と一様に話す。
いい大学に行って、いい企業に入ることが幸せだと、バブルが弾けた「不景気ゆとり世代」の僕らはそう洗脳されてきた。景気の悪い先行きの見えない時代に生まれ、周りからは安定した企業に入ることこそが至上だと洗脳された。
そしてことあるごとに「ゆとり」な僕らは卑下され、揶揄されてきた。
だからこそ、周りの友人たちもいい大学、いい企業を目指し「ゆとり」と呼ぶ大人たちと肩を並べられるように頑張るのだろう。そういう生き方もあるとは思う。
だけど、僕はそう思わない、柊一はそう考えていた。
いい大学、いい企業、いそいそと働く毎日。本当にそこに幸せがあるのか、疑問だ。
教室に戻ってからもわいわいと夏休みの予備校やらの忙しさ自慢をする友人たちで溢れている。柊一はそんな友人達を横目に窓際の席に着くと、頬杖を突き目線を窓に移した。
あぁ、空が蒼いな。僕は夏の空が好きだ。
蒼い空と白い入道雲のコントラストはとても鮮やかで、いつまでも見ていられるような気がする。1週間しか生きられない蝉の生命の声も、熱い空気のなかでそよぐ草木も。同じ方向を向いて同じ生き方を強いられた人間たちにはない、夏には多種多様な色味を感じるからなのかもしれない。
「おーい、柊一!」
聞き覚えのある鬱陶しい声が聞こえる。気にしなくていいか。柊一はそう思い、声のする方向を見ることなく、外を眺め続ける。
「おい、こら、氷海柊一!」
聞き覚えのある声が再び、柊一に向かって声を放つ。心なしか笑っているのは、この男がこういう扱いをされるのが好きだからなのかもしれない。
「なんだよ、葉山翔太くん」
そう言いながら柊一は窓から視線を外し、声の主の方へと向ける。
短髪の黒髪に比較的整った顔立ち、少しあどけなさの残る笑顔。高校一年生からの友人で、3年間クラスも一緒。所謂腐れ縁というやつだ。
「相変わらずクールですなあ」
「相変わらずの鬱陶しさですね」
そういって柊一はニヤリと笑う。
「それよりさ、この後どうすんの?遊ぼうぜ。皆予備校やらで遊んでくれないんだよねー。柊一はどうせいかないでしょ?」
翔太は柊一の嫌味をさらりと受け流し、受験勉強の話題が飛び交う中で、えらく浮いた発言をする。まあそれも当然かもしれない。
この男、葉山翔太は阿保みたいな話し方とは裏腹に、常に学年トップ争いをしているのだから、予備校に通う必要もないのだろう。進路の話をしたりしたことはそういえば今までなかったな。しみじみと柊一は思う。
そして周りの敵意むき出しの視線を感じ、柊一はバツが悪そうに話す。
「そんなことない。俺は今日この後用事あるんだよ。悪いね」
「うそだろ?なんだよそれー。」
あからさまにがっかりした顔をすると翔太は手で顔を覆い、がっかりしましたといったリアクションを取る。
「何の用なんだよー。柊一、塾とか行く必要ないじゃん」
翔太がそういった瞬間、一段と周りの視線がきつくなる。
「毎回、学年トップの天才君の用事ってなんなんですかね」
翔太は意地悪そうな笑みを浮かべながら顔を近づけてくる。
「俺にもいろいろあるの。今日は親父に頼まれた事だから、悪いな」
それだけ言うと翔太を手で追い払う。しぶしぶと自分の席に戻る翔太は、その間もずっとぶーたれている。あの人懐っこさが彼の憎めない処世術なんだろうなあ。柊一はしみじみとそう感じた。
―ガラッ
お前ら、席つけー。ホームルーム始めんぞ。
担任がそう言いながら教室に入り、教壇の前に立つ。
ホームルームが終われば、高校三年生最後の夏休みが始まる。
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