辛辣な妹と険悪な彼女
「帰ってください、姉様が迷惑していますので」
冷たく、突き刺さる視線と言葉が俺をゆっくりと貫く。
嬉しくない、悦べない。先程からこの少女は…本気だ。やろうと思えばいつでも俺を殺れる。そういう目をしている。
少女の鋭い目線が、俺の罪悪感を加速させた。
「貴方、姉様の彼氏ではありませんね。嘘をつくのであれば、目を見て、声をワントーン上げるべきです」
「…バレてる…」
美鈴ですら、俺を庇えない。
俺は思わず唾を飲みつつ、立ち上がってしまった。
「ごめん、美鈴。妹さん来たし、俺帰るな」
「…えぇ、分ったわ。今日はありがとう」
「あぁ」
「…姉様、何故あの様な男を?」
「何よ、悪い?」
「いえ、悪いと言う訳では。…ただ、姉様の「能力」に引き込まれただけの男なのでは、と」
「違うわ。彼とは…そうね、秘密を共有した仲 よ」
鳴海は眉を寄せて、姉である美鈴を見つめた。
そんなはずはない。アレはただの「そういうモノ」だ。
「…その、嘘を着いたことは謝るわ。けど、貴方には関係のない事よ」
「…あります。…私は、姉様を幸せにしようと…」
「「あの人」に言われたの?」
「いえ、あの人は関係ありません。私自身の意思です」
「尚更関係ないわ」
「…姉様は…人の気持ちも知らないで」
「貴方にも私の気持ちは分からないでしょう?」
「……ッ」
「帰って」
「お断りします」
「帰りなさい!ここは私の家よ。実家ではあの人に従うしかないけれど、ここは私の家。今すぐ帰りなさい!」
「…分かりました。そこまで仰るのであれば。…しかし、良いのですか?」
「何がよ」
「…今私を帰すと、この事をあの人に言ってしまうかもしれません」
「好きになさい。この家にいる限りは、あの人も介入できないわ」
鳴海はそれを聞くと、やや悲しそうな顔で立ち上がり、ドアの前で一礼して部屋から立ち去った。
沈黙と共に、美鈴は玄関の鍵を閉めてベッドに倒れこんだ。
俺は、家に帰ってから…少し落ち込んだ。
迷惑だったのか、あれは。…でも、ああでもしなきゃ今頃美鈴はどうなっていたか…それに、彼女だって…。
自責の念と共に、自分の行動を正当化しようとする心が現れる。
「…本当に…迷惑だったのかな…」
「…お兄ちゃん?お客さんだよ」
「客?俺にか?」
「うん、いつの間に私の友達と仲良くなったの?」
「…もしかして…。サンキュー我が妹よ!」
「うん?…変なお兄ちゃん」
玄関の扉を開くと、先程の少女、水流崎鳴海が立っていた。
格好から察するに、そのまま来たらしい。
「何か用か?」
「…少し付き合ってください」
「…分かった」
近くの公園は、大きな池があり子供達がよく遊びに来るが夕方なだけあって、そろそろ帰り始める頃だった。
静かな空気に、ベンチに座る少女に俺は缶のお茶を渡した。
「ありがとうございます」
「いえいえ。まだ暑いからな」
「…先程は、申し訳ありませんでした。…事情も知らずに」
「気にしないでくれ。俺も気にしてないから」
「…姉様は、不幸せな方なんです」
世界中の人間大抵そうだよ。とは、言いたくても言えなかった。俺も、事情を知らないからだ。
きっと、彼女も不幸せだろう。俺はそう思いながらお茶を飲み干した。
「あの、まだ聞いてないんですか?」
「あいにく、俺は彼氏では無いからな。…自分で言ってて悲しくなって来た…」
「…姉様は…」
「良い、それ以上は言うな」
「え?」
「それ以上は止めたほうがいい。…それは、君の大好きな姉さんを貶める事になる」
「…分りました。では一つ質問を。コレさえ終われば帰りますので」
鳴海は、俯いてそのまま顔を上げなかった。
「…姉様の事を、水流崎美鈴の事を、貴方はどう思ってますか?」
「…ッ」
想定していなかったわけではなかった。現に妹には問いただされていた。
その時、俺は答えられなかった。RAINに助けられた、と言っても過言ではない。
実際、安堵してしまった。確かに美鈴は俺から見ても、綺麗だけど、刺々しい発言も多くて目つきも鋭い。
それでも…犬や猫を見て頬を緩めたり、誰かに頼りたいのに必死に我慢している所を見ると、大人びている様で、それでも歳相応で…。
「…正直な事言うと…まだ解らない」
「…貴方は、そんな中途半端な気持ちで姉様と一緒にいたのですか」
「人を…誰かを好きになった事なんて、今まで…一度も無かったんだ。だから…綺麗で、可愛くて、繊細で、そのせいで攻撃的になって…そんな脆い美鈴に対するこの気持ちが保護欲なのか…恋愛感情なのか…俺には…」
「最低です。…貴方には失望しました」
鳴海は、先ほど俺に向けた目線と同じ目線を、「こいつはもう救えない」という目で俺を見て来た。
感じない、何も。これが、当たり前か。
一人の少女が俺を他所に歩き出すのを、俺は黙って見ているしか無かった。
最低…か。確かにそうだな。…この気持ちは、思い違いかも知れない。
それに、保護欲…守りたい、守ってあげたい、なんて。俺の傲慢だ。
様々な思いが、俺の頭を巡る。汗が、全身を覆う。
夕焼けに鳴く蝉の声、静かに流れる川の音。
すべてが俺を責めている様で、俺は…その場から逃げ出した。
こんな事、美鈴が聞いたらどう思うだろうか。
…そもそも、美鈴が俺の事を好きなのだろうか。
水流崎家、実家。
鳴海が帰宅すると、家政婦の女性が一礼した。
「あ、鳴海お嬢様。お帰りなさい」
「はい、ただいま戻りました。…お母様は?」
「はい、先にお風呂に。お嬢様もお食事の前に如何ですか?」
「…そうですね。そうさせて頂きます」
リビングに戻ると、既に母親がバスローブに身を包みソファーに腰掛けていた。
「…お母様。お時間宜しいですか?」
「何かしら」
水流崎 鈴葉。3児の母親とは思えぬ美貌、親子共通の黒い髪。しかし、美鈴しか似なかったつり上がった目つきは、鳴海を狼狽させる。
「…美鈴姉様に、彼氏ができた様です」
鈴葉は持っていたグラスを、地面に落とした。
ガラスの割れる音と共に、入っていた水までもが、彼女の足元で飛び散る。
「…もう1度言ってみなさい…?」
「名を、不知火 省吾。…私の友達、不知火 涼女の兄です」
「…許せない。鳴海。…命令よ。全力を持って邪魔しなさい」
「……はい」
鳴海は、慕っている姉、美鈴の恋路の邪魔をしなくてはいけないことを、ひどく悔やんだ。