惰弱な俺と病気な彼女
「…」
昨日あんなことがあってからだ、俺もなんだか罪悪感に似た何かを感じてしまう。
「わかったような事を言ってしまった」。それだけで、俺の罪悪感は既に最高潮に達した。
「…お兄ちゃん、大丈夫?」
勝手に思春期の少年の安寧の場所とも呼べる部屋の扉をノック無しで開いて、家の中とはいえやや危なっかしい格好の妹、涼女が部屋に現れる。
「…涼女か。どした?」
「普通に心配してくれるなんて気持ち悪いよお兄ちゃん…」
「ありがとうございますっ!…はぁ…ノックくらいしろよな…兄ちゃんが新感覚のアレをしていたらどうするつもりだったんだ…」
「家族会議?」
「プライベートすら許されないのか俺は!」
「それにノックならしたよ、337秒氏のリズムで!」
「普通にしろよ普通に!…悪い、考え事をしてた」
「…お兄ちゃんが考え事?SMクラブ通いならお母さんお金出してくれないよ?」
「…いやいやいや。さすがに自分の金で行くわ…じゃなくて…その」
涼女に全てを話した。あの日何があったか。何故こうなったのか。
…一切の煽りなく、中断もなくただ話を聞いてくれた。…ほんと、俺には出来すぎた妹だよ」
「…ウザいんじゃ無いか…ねぇ?」
「…俺、よく考えたらあいつの彼氏じゃないし、付き合ってる訳でも無い…ただ秘密を共有しあってるだけの仲じゃないか…それなのに…」
「…あんな事言っちゃって、罪悪感?」
「あぁ…」
「…真面目だね。Mのくせに」
「…ああ…あんまり言われないな…」
「ね、お兄ちゃんはその美鈴さんのこと好きなの?」
「…え?」
「美鈴さん、綺麗だし、良い声だし。…その…あの声聞いてたら…と、とにかく。…男の人と女の人の間で「友情」は成り立たないの!…好きなの?嫌いなの?」
考えた事も無かった。今まで…罵ってくれて、それでも綺麗で、可愛くて…良い匂いがして…好きかどうかなんて…考えた事も無かった。
「あーもうはっきりしないなこのマゾ兄は!はっきりしなさい!蹴るよ!」
「……そう、だよな。…そっちの方が失礼だよな…。…ん、RAINだ。なんだろ」
通知音とバイブレーションに言葉を遮られる。
通知欄には「美鈴:今大丈夫?」と書かれていた。
涼女の「早く答えてやれ」的な視線に俺は携帯に向き合った。
『大丈夫だ、どうした?』
『美鈴:風邪を引いてしまったのだけど、一人暮らしな物で』
『看病が必要なのか?』
『美鈴:えぇ、是非そうしてくれると助かるわ。今頼れる人が貴方しかいないの』
『解った。熱は?食欲はあるか?』
『美鈴:38度。食欲はあまり』
『了解。…家ってどこだっけ』
『美鈴:住所を送るわ。鍵も開けておくから』
『んじゃ何か買ってから行くわ。この時期だからな。暖かくして寝てろよ』
『美鈴:解ったわ』
「…お兄ちゃん、美鈴さんなんだって?」
「風邪引いたらしい。看病してくる。一人暮らしらしいんだ」
「…変なことしちゃダメだよ?」
「…俺にそんな勇気があるならとっくの昔にしてるっつーの。行ってくるわ」
その時俺は気付かなかった。
美鈴に忍び寄る影に。
コンビニで飲み物やらを色々買い、指定された住所に向かう。
普通にマンションだった。…言っても、すごく巨大なマンション。
耐震構造とか万全そうな建物。その3階の4号室。早い話304号室。
「ここか。…よし」
ドアを開けると、少女が一人倒れていた。
様子が、おかしい…明らかに。
「おい、何があった。大丈夫か!…美鈴ッ!」
抱き上げてみると、見慣れた美しい顔。美鈴だ。…その顔には、アザが出来ていた。
「おい、美鈴。どうした!」
「…省…吾?…逃げ…なさい…」
「なんだよ!」
足音。随分と重たいものだ。中年の…男ほどの…。
「…誰だお前…」
淡々と俺に話しかけるのは、足音から推測した通りの男だった。
「…お前こそ誰だよ…」
「答えろォ!」
「…俺は……こいつの彼氏だッ!」
「嘘だぁ!美鈴ちゃんはボクの彼女なんだぁ!こ、これから…き、キスだって…!」
「…おい、知り合いかよこいつ…」
「知らないわ…」
「もう、照れ隠しはやめなよ美鈴ちゃん。…今そいつを消すからね…二人でラブラブしようね…へへへ…」
男は、ナイフを取り出す。と言ってもサバイバルナイフでは無い。果物ナイフだが…全然人は殺せてしまう。何より刺されたら痛いからな…。
「死ねええええ!!!」
「…くっ…」
俺の目の前には、美鈴がいる。
…逃げるなんて、出来ないよな…!
俺は男のナイフを持つ手を引っ張り、
男が掛けるメガネの中心部を肘で打つ。
「ぎゃあああああ!目が!目が!」
痛みに耐えられず落としたナイフを拾い、遠くへ投げ捨てる。
「…美鈴、這ってでも逃げろ。…ここは俺がなんとかする」
「…ダメ…よ。彼…危険だわ。…貴方こそ逃げて…」
「自己犠牲か?」
「…違うわ…貴方を…巻き込みたく無いの…!早く…逃げなさい…このバカ…!」
この言葉を、待っていた。…そう、これがあれば…俺は、強い!
「……ありがとう…。最高の褒め言葉だ!」
「な、なめやがってぇぇええ!」
「ああ、足元になんか落ちてるから気を付けた方が良いぞ」
「へ?」
男が下を見ると、俺はすかさず全体重をかけて男にタックルした。
バランスを崩した男は倒れ、頭を壁に強く打ったらしく気絶した。
「……危なかった…」
「逃げ…なさいって言った…でしょ」
「…来いって言ったり帰れって言ったり我儘だなお前は」
「…怖かった…」
美鈴は、体を起こすと俺に抱きついた。
…正直、ちょっと嬉しい。頼られているんだ、と思うと。
「ちょっと!大丈夫⁉︎今大きな音がしたけど…」
おばちゃんが心配になったのか、開け放された扉から覗き込んだ。
「…あ…高橋さん…。あの…警察を…」
「え?どうかしたの⁉︎」
「…良いですから…何も聞かず。…お願いします」
その綺麗な声に、おばちゃんはすぐさま部屋へ帰った。
俺も、寄りかかる美少女の震える声帯に、少々興奮を覚える。
「…もう、大丈夫か?」
「…いえ、もう少し…こうしていて…」
「解った。…胸、当たってるぞ」
「…今日ばっかりは…許してあげる。…こうしないと…体がしんどいのよ…」
「そうか…」
数分もしないうちに、警察が来た。
事情を話すとすぐに警察に引き渡され、安心が二人を包んだ。
暫く話す事も無く、静かな時間が流れたが、
「…大変だったな。…ゼリーとか買って来たが…食えるか?」
「……」
「美鈴?」
「…え?あ、ありがとう。いくらだった?お金返すわね」
「良いって良いって。気にすんな」
「…でも…」
「じゃあこうしよう。俺が風邪引いたら同じ事をしてくれ。これでおあいこだ」
「…貴方が…それで良いなら」
「うん、俺はそれで良い。だからこの話はお終いだ」
「…ね、ねぇ。省吾」
「ん?」
「その…暫く一緒にいてくれないかしら。明日には実家から妹が来るから。それまで…ね?」
「そ、それはつまりおそらくそう言うことでデデデ⁉︎」
「…動揺し過ぎ。ちょっと気持ち悪いわ」
「…そ、そうだな…うん」
「あれ…反応しないのね?」
確かに言われた通りだ。さっき家で妹に罵られた時も、今美鈴に罵られた時も。…普段なら嬉しさのあまり昇天しそうになるはずだ…。
「…ま、無くて困るもんでも無いし」
「…私としては、共有する秘密が無くなるのは困るのだけど?」
やや悪戯っぽい顔で、俺の脇腹を突く。
確かに、共有する秘密が無くなっては…俺はただ脅しをしているだけの男になってしまうな…。
「…あー、ちょっと待っててくれ。すぐに家から着替えとか持って来る。本当に家が近くてビックリしたところだ」
「…い、行くの?」
「う、ま、まあな…。その、少しの間怖いかも知れないが…よし、わかった。ここにいるよ。妹さんが来るまでな」
「…ありがとう。…少し、眠るわね」
「あぁ」
あんな事があったと言うのに、安心した顔で眠りについた。
普段、クラスであんなに凛としていて、氷みたいな表情してた彼女でも、こんな顔して寝るんだな。
…確かに、近くで見ても可愛らしい。
能力関係無しに襲いかかりたくもなるわなこりゃ。…しかし、なんだろう。ここで寝込みを襲いたくなるのが「普通」ってもんなんだろうか。…ま、良いか、普通じゃないし。
「…ん…寝てたのか…」
目を開ける。右側の時計を見るも、時間は先程から数十分と経っていない。
…何か、嫌な気配がした。反対側を向くと、少女が立っていた。
見た事もない少女。今時の女の子らしい洋服に身を包んだ黒髪のおかっぱの少女。
「…誰…?」
「それはこっちの質問ですが。貴方こそ誰ですか?不審者ですか?通報しますか?」
「……み、美鈴さん。起きてください。僕今黒髪の美少女にすごいゴミを見る目で見られながら通報されかけてます…正直ちょっと嬉しいです…」
「…ん…何よ…まだ寝て…あなた何処から入って来たの…?」
「窓からです。鍵が閉まっていたので…」
「お前の方が通報案件だろ!犯罪だ犯罪!住居侵入罪だ!」
「…うるさい方ですね。潰しますよ」
「何を⁉︎」
「…はぁ、鳴海…。来たら連絡しなさいって言ったでしょ?」
「しましたよ」
「…嘘…。うわ、本当だ…」
美鈴の携帯を覗き込むと、電話がビッシリ。その総数なんと600件。やや病んでいる女性の掛け方だこれ。1分間に10回くらいかけた奴だよこれ。
「ところで、窓とか割ってないでしょうね」
「はい。しっかりとピッキングさせて頂きました」
「おい、やっぱりこいつ通報した方が良いんじゃねえか!え⁉︎」
「うるさいですね。潰しますか。引き抜きますか。どちらが良いですか?」
「だから何を⁉︎」
「鳴海。自己紹介なさい」
「不審者に名乗る必要が?」
「不審者て…」
「この方は…私の彼氏よ」
「はい?」
「…嘘ですよね?そんな…姉様に彼氏が出来たなんて…あの冷徹で冷酷、悪逆非道の限りを尽くす氷の女王の姉様が…?」
こいつ、ちょっとその場の雰囲気に乗って盛ってるな?
「…彼氏…そんな…嘘ですよね…姉様昔「私大きくなったら姉様のお嫁さんになる〜!」って言ったら考えてあげると言ってくれたじゃないですか!結婚契約書まで書いて!まだ大事に取ってあるんですよ!」
(…結婚契約書…?)
「いつの頃の話よ…!子供の時の話じゃない…」
「子供だからって…子供だからって恋心を弄んで良い訳…無いじゃないですかーッ!」
こいつ面白いな。…じゃなくて。俺は少女、鳴海に対して…やや貞操の危機を感じている。俺のじゃなく、美鈴の。
「もう…今熱が出てるの…少し落ち着いて…」
「そんな…私は…遊びだったんですね…。私の完全な人生のプランが…」
「…とにかく、自己紹介なさい。でないと姉さん呼ぶわよ」
「ひぃっ!そ、それだけはご勘弁を…!後生です…!」
「なら自己紹介なさい。ほら省吾も」
「…あ…不知火 省吾です。どうぞよろしくお願いします」
「…水流崎 鳴海です。どうぞよろしく。…姉様に手を出したら…千切りますからね」
「…怖いよ妹さん…。…ん、あれ?」
「…あら…」
「…もしかして涼女のお友達⁉︎」
「…涼女さんのお兄さんでしたか。…ああ、通りで不知火という名字は聞き覚えがあると…。…ですが、まあ…」
少女鳴海は、心底俺をゴミを見るような目で見下すと、一息吸って、吐くと同時に…俺に言の刃を突き立てた。
「…帰ってください。姉が迷惑していますので」