毎日のように腐りかけた目で画面を見つめ、機械のようにカタカタと動かす指。
ミスがあれば上司に叱られ、ただ言われた仕事をこなすばかり、浪人もせずただ新卒で仕事に就くことが出来るくらい順調な自分だが、上へ目指そうとする志はなく、生きていくためにただただ働いて退屈な人生を過ごし7年。
毎晩同じ自宅への帰路を疲れた足で歩いた。
「はぁ」
そんな毎日のように吐くため息は、仕事の疲れ、独り身の寂しさ、こんな人生を送る自分への皮肉の意味が込められていた。
昔のようにキラキラ輝いていた目は曇り、自分の求めていた生き方とはかけ離れている。
今では夢なんてものは幻想でしかない、実現するようなものではない、そう言い聞かせ諦めていた。
なぜ、自分は星のように輝けないのだろう。月のようにみんなを闇から照らせないのだろう。雲のように誰かを優しく包むことができないのだろう。
一歩一歩前へ進む自分の足に向けていた顔を思い切ってそんな大空にあげた。
その時見つけてしまった。
輝く星でなく、照らす月でなく、包む雲でもない。
高いマンションのフェンスの外側に立つ人間を。
躊躇なく足をそのマンションの方へ走らせ、6階分くらいの階段を駆け上る。
今までずっと夢のない人生を送っていたわけではない。
こんな自分にも小学生か、それくらいから夢はあった。
バカにされていた名前も自分の誇りにしようとしていた。
つまらない人生を送っていても、叶うことのない夢を追いかけても、諦めようと言い聞かせようとしても、心の奥底には諦められない自分がいる。
自分がしてもらったように、自分もそうなりたい。
こんなおっさんでも、一人だけでもいい。誰かを救ってあげたい。
屋上までのこり一階、ハァハァと息も切れまともに運動をしていないおっさんの足の限界も越えようとも一度も立ち止まらない。
ほんの数秒。
数秒遅れただけで、その人は飛び下りるかもしれない。
数秒早ければ、その人を説得することができるかもしれない。
だから、早く。何もできないままでいるのは嫌だ。
こんな広い世界....地球...宇宙で比べてもちっぽけかもしれない、それでもいい。
誰かを救うヒーローになりたい。
一人でもいい、尊い命を絶とうとする人、苦しむひと、悩む人、助けを求む人、そんな人を救うことができる人になりたい。
緋色英雄は誰かを救うヒーローになりたい。
すでにパンパンのふくらはぎを無理に動かし、階段を登りきる。
屋上への扉を思いっきり開けると外からの強い風に煽られ、少しふらついてしまう。
「ま...間に合った。」
自分の正面のフェンスの向こうに一人の少女が立っていた。
「おい、そこの君!!」
そう呼ぶと、白いワンピースを揺らして少女は振り向いた。
もちろん会ったこともなければすれ違った記憶さえない。
まるで存在しているのかあやふやな少女だった。
少女は今にも屋上から飛び降りようとしている。
そう、自殺だ。
少女はフェンスの向こう、自分はフェンス中。
物理的には今すぐに止めることはできない。自分がフェンスの向こうに行けるまでは上手く引き止めなくてはならない。
「な、なぁ。君はなんで自殺しようとするのかい?」
屋上の周りをゆっくり見渡す。
「何か悩みがあるならおじさん相談に乗るよ?」
くそ、何処にもフェンスの扉らしきものがない!
「君のような若い子が死ぬのは早すぎるよ。ね?だから。」
自分はフェンスの向こうへの扉探すのをやめ、ゆっくりと彼女の近くへよった。
フェンスを乗り越えて向こうへ行くためだ。
そうしようと、フェンスに手をかけた時だった。
さっきまで動かなかった少女はこっちに寄ってきた。
「お、おい!動いたら危ないだろ!」
そんな忠告も聞かず彼女は自分の正面に立った。
そして、少女は静かにこう聞いてきた。
「ねぇ、おじさんは何で助けに来てくれたの?」
この少女は何を言っているんだ?俺はまで君を救っていない。
そう言いたいが、そういう質問ではないのだろう。
「助けたいからに決まってるだろ。おじさんこう見えても昔から正義のヒーローとかに憧れているんだ。
だから、君はそのヒーローに救われてくれないか?」
そう言うと、彼女は静かに微笑んで、「そう」と言った。
自分で言っていてバカだとは思った、少女は笑ってくれた。
これで自殺なんてバカなことはしないだろうと思った。
「よし、おじさんが今から向こう行って助けるから動くなよ。」
なんとかなった。
もう一度フェンスを乗り越えようと手をかけると、少女は自分の小指を掴んだ。
「お、おい。今助けるから大人しく....」
少女は人の小指に白い糸のようなものを結び始めた。
下手に離したらその反動で少女が落ちてしまうかもしれない。
「何考えてるんだ!やめろ!」
少女はやめない。
少女が結び終えて自分の小指を離すと、自分はすぐにフェンスをよじ登ろうとした。
「まってろよ...今すぐにに....」
少女の顔を見るとまた微笑んでいた。
もう少し。
そんな時だった。
「ちょ....」
彼女はふら〜と力抜けたように後ろへ倒れ、そのまま下へ落ちた。
真っ白な少女は徐々に下の闇に飲まれ見えなくなる。
自分はフェンスから降り、その場で座り込んだ。
「うそ...だろ....」
だめだった....救えなかった.....
携帯を取り出し、119番に電話をかけた。
「もしもし....少女がマンションから飛び降りました.....」
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ゆっくり階段を下りその少女が落ちたであろうところへ向かった。
自分はこれから待ち受ける恐ろしい光景見なければならない。
救うことのできなかったあの子を見届けなければならない。
そう覚悟をしながら歩いた。
遠くからこちらへ向かってくる救急車のサイレンが聞こえてきた。
「....な...ない!?確かにここに....」
落ちたであろう場所から近くで見るとずいぶん高いマンションの屋上を見上げる。
「どういうこと....だ。」
そこへ一人の救急隊員が来て訪ねてきた。
「あの、すみません。先ほどこちらから119番の電話があってきたのですが。」
「あの、私が呼びました。」
「その少女はどちらに?」
そう聞かれ困ってしまった。
さっき落ちた少女は確かにこの辺りに落ちたはず。けれど、その少女の長い髪一本も見当たらない。
確かに夢じゃない...声も聞いた、触られた感覚もあった。どうして....
結局、あった出来事を話し、一緒に少女を捜索したものの見つからず。
救急隊員には呆れられ帰られ、そのあと自分も元の道に戻って自宅へ帰った。
それからベットに横たわり、考え込んだ。
あの子は一体何だったんだ。
この目で少女の白い服、黒い長髪、微笑んだ顔を見た。少女の大人しく優しい声もしっかり聞こえた。彼女の指の柔らかい感触も....
「そうだ、小指。」
自分の手を上にかざし、小指見回したが少女が結んだ白い糸のようなものはなかった。
いったい何だったんだ。
自分は仕事や今日起きた出来事の疲れから、強い睡魔に襲われすぐにと眠りに落ちた。
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